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第二章
第二十三話 帰りたい
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玲は目を丸くさせ体を跳ねさせると身構えた。すると男は一転眉を上げ肩を竦めて降参したかのような仕草を取ると、冗談だと話題を変えた。
「絵の邪魔をして悪かったよ。今度は大学で会えるかな。たまに顔を出しているんだ、大学で少し仕事をしていてね」
「先生をしているのでしょうか」
玲は少しだけ体の力を抜いた。
「教授をしている友人の手伝いを少しね」
「そうてすか」
「あぁそうだ。この通り沿いに画廊があるんだが知っているかな」
「画廊ですか」
「煉瓦造りのアパートメントの一階にあるんだ」
「あのアパートメントかな……」
玲には覚えがあった。
「判ったかな?」
「えぇ。あ、でもそこに何かあるのですか?」
「美味しい紅茶があるよ」
「紅茶?」
玲が問うと男は笑顔で頷いた。
「たまには息抜きも必要だよ」
「えっ」
「じゃあね、さよなら」
「あ……はい。ごきげんよう……」
一瞬驚いたような顔を見せた男だったが、すぐにまた優しい笑顔に戻ってウインクをすると、立ち上がり足をひょこっとさせながら去っていった。玲はもっと執拗くされるかと思ったがすぐにやってきた別れに、去っていく背中を見ながらはぁっと息を吐いた。
そして言われた画廊のことを思い巡らせた。確かに留学早々この美術館へ来たとき、その画廊を見つけていたのだ。古い煉瓦造りの建物の一階にあることを。
借りているアパートは、とても静かだ。たまに配管伝いに誰かの声が漏れて聞こえてくるほどに。玲はコートを脱ぐと椅子の背もたれにそれを掛け、机に向かう。
課題である教科書を開いて、やりかけのノートの隣にそれを置く。玲はペンを持ったが、直ぐに置いた。
「……何をしにここへ来たのだろう」
玲はひとりごちた。堂々巡りなのは分かっている。でも考えずにはいられない、何故ここに居るのかを。今となっては、何のために勉強をするのか。原へのはがきに絵を描く時だけが心の安らぎなのだ。
「今更帰ることなど……」
──できるわけがない。
母は留学には反対だった。卒業したら直ぐに結婚する手はずを整えていたはずだ。留学のせいで結婚が延びたことを快く思っていないに違いない。父が留学を許可したことで母は黙るほかなかったんだろう。
「それに婚約破棄しようとしているだなんて、本当に親不孝だ……お祖父さまになんて言い訳をすればいいのだろう」
『愛はなくとも結婚できる』
玲の頭にあの時の冷めきった数正の横顔が蘇る。
「そうだ! 酷い男なんだから!」
数正をどこかへ吹き飛ばすように頭を左右に振る。
「あぁもう! 泣きたい」
ついに玲は机に伏した。
「……日本へ帰ってしまいたい」
ここの生活は不便だが決して悪くない。古いアパートメントでも住めば都で、挟むだけのサンドイッチもお腹を満たすには十分。けれど……独りはやはり寂しい。
「これ以上望むことは、わがままだね……」
ゴシゴシと袖で目をこすると再びペンを取った。
レポートを提出し終えた午後、小腹が空いた玲はキャンパスを出たところで、この間美術館の庭で声をかけてきた赤毛の男の記憶が蘇った。
「紅茶が美味しいって言っていたなぁ」
あれからもうニ週間ほど経っている、向こうは忘れただろうか。ちょっと軽い男であったし、いちいち声を掛けた人間を覚えていないだろう。
玲はバス停を目指し歩き出していた。玲は不安を感じながらも、誰とも関わらずに同じ毎日を過ごすことに少し飽きていたのかもしれない。
玲は実は画廊に来てみたかったのだった。留学したばかりの頃に絵画教室の生徒の募集という看板を見かけたからだった。一階は画廊になっていて、二階が教室らしいのだ。外から見ると壁に等間隔に絵が飾られている。看板にはサロンと印されていて、中で紅茶を楽しむ人もいたり、玲は内心気になって仕方なかったのだ。
「よし! お勧めされたからには、入ってみよう!」
一歩足を踏みだした時だった。
「あれ! 愛しの君だぁ」
後ろから声をかけられた。声に覚えがあり振り向くと、そこには美術館で会った赤毛の男が立っていた。
「絵の邪魔をして悪かったよ。今度は大学で会えるかな。たまに顔を出しているんだ、大学で少し仕事をしていてね」
「先生をしているのでしょうか」
玲は少しだけ体の力を抜いた。
「教授をしている友人の手伝いを少しね」
「そうてすか」
「あぁそうだ。この通り沿いに画廊があるんだが知っているかな」
「画廊ですか」
「煉瓦造りのアパートメントの一階にあるんだ」
「あのアパートメントかな……」
玲には覚えがあった。
「判ったかな?」
「えぇ。あ、でもそこに何かあるのですか?」
「美味しい紅茶があるよ」
「紅茶?」
玲が問うと男は笑顔で頷いた。
「たまには息抜きも必要だよ」
「えっ」
「じゃあね、さよなら」
「あ……はい。ごきげんよう……」
一瞬驚いたような顔を見せた男だったが、すぐにまた優しい笑顔に戻ってウインクをすると、立ち上がり足をひょこっとさせながら去っていった。玲はもっと執拗くされるかと思ったがすぐにやってきた別れに、去っていく背中を見ながらはぁっと息を吐いた。
そして言われた画廊のことを思い巡らせた。確かに留学早々この美術館へ来たとき、その画廊を見つけていたのだ。古い煉瓦造りの建物の一階にあることを。
借りているアパートは、とても静かだ。たまに配管伝いに誰かの声が漏れて聞こえてくるほどに。玲はコートを脱ぐと椅子の背もたれにそれを掛け、机に向かう。
課題である教科書を開いて、やりかけのノートの隣にそれを置く。玲はペンを持ったが、直ぐに置いた。
「……何をしにここへ来たのだろう」
玲はひとりごちた。堂々巡りなのは分かっている。でも考えずにはいられない、何故ここに居るのかを。今となっては、何のために勉強をするのか。原へのはがきに絵を描く時だけが心の安らぎなのだ。
「今更帰ることなど……」
──できるわけがない。
母は留学には反対だった。卒業したら直ぐに結婚する手はずを整えていたはずだ。留学のせいで結婚が延びたことを快く思っていないに違いない。父が留学を許可したことで母は黙るほかなかったんだろう。
「それに婚約破棄しようとしているだなんて、本当に親不孝だ……お祖父さまになんて言い訳をすればいいのだろう」
『愛はなくとも結婚できる』
玲の頭にあの時の冷めきった数正の横顔が蘇る。
「そうだ! 酷い男なんだから!」
数正をどこかへ吹き飛ばすように頭を左右に振る。
「あぁもう! 泣きたい」
ついに玲は机に伏した。
「……日本へ帰ってしまいたい」
ここの生活は不便だが決して悪くない。古いアパートメントでも住めば都で、挟むだけのサンドイッチもお腹を満たすには十分。けれど……独りはやはり寂しい。
「これ以上望むことは、わがままだね……」
ゴシゴシと袖で目をこすると再びペンを取った。
レポートを提出し終えた午後、小腹が空いた玲はキャンパスを出たところで、この間美術館の庭で声をかけてきた赤毛の男の記憶が蘇った。
「紅茶が美味しいって言っていたなぁ」
あれからもうニ週間ほど経っている、向こうは忘れただろうか。ちょっと軽い男であったし、いちいち声を掛けた人間を覚えていないだろう。
玲はバス停を目指し歩き出していた。玲は不安を感じながらも、誰とも関わらずに同じ毎日を過ごすことに少し飽きていたのかもしれない。
玲は実は画廊に来てみたかったのだった。留学したばかりの頃に絵画教室の生徒の募集という看板を見かけたからだった。一階は画廊になっていて、二階が教室らしいのだ。外から見ると壁に等間隔に絵が飾られている。看板にはサロンと印されていて、中で紅茶を楽しむ人もいたり、玲は内心気になって仕方なかったのだ。
「よし! お勧めされたからには、入ってみよう!」
一歩足を踏みだした時だった。
「あれ! 愛しの君だぁ」
後ろから声をかけられた。声に覚えがあり振り向くと、そこには美術館で会った赤毛の男が立っていた。
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