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第二章
第64話 勘違いするエルフの護衛騎士カーティス
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冬の足音が間近に聞こえ始めたある夜のこと。
結った金の髪が印象的なエルフの騎士、カーティス・ドゥ・サグレアは、ラクスジットの裏町に建つ女神教の聖堂で護衛の任務についていた。
彼は同日の午前、ドワーフの兄弟と共に『イカイ・サクタロー』を名乗る人物との会談に同席していた。その際はきらびやかな軽装の鎧を着用していたが、今は地味な外套に身を包んでいる。任務の性質上、目立つわけにはいかないからだ。
守るべき対象は、セレフィーナ・ルミルテ・フィルメリス・ドゥ・レーデリメニア――自国で絶大な人気を誇る第三王女である。もっともその大切な姫様は、聖堂内の安全かつ温かな場所で過ごされているが。
カーティスとしては、あまり気乗りしない任務だった。
女神教の聖堂とはいえ、扉すらなく無惨に荒れ果てている。かような場所で、自国の王族が侍女も付けずに夜を明かすなど、本来は絶対に看過できぬ事態だ。
しかし、当の姫様が頑なに主張なさったのであればやむを得ない。
特使団の他の人員も反対したが、最終的に押し切られてしまった。それゆえ、こうして聖堂正面にあるたった一つの出入口を固めていた。
当然、警備は夜通し行われる。そこで、二人組の交代制で任務にあたる計画を自ら立案したわけだが……まったく、とカーティスはつい嘆息してしまう。
奔放に振る舞われる姫様は、男性の自分から見て大変魅力的であらせられる。けれど、時と場合を考えていただきたい。
ましてや、その美貌は遠き異国の地にも名高い。お忍びの来訪ではあるものの、尊きお立場を知る者がいてもおかしくはないのだ。
仮に、あのお体に傷一つでもつこうものなら……再び胸中で不安が首をもたげ、カーティスはますます気を重くした。
と、そこで。
月明かりが注ぐ聖堂の出入口前に、場違いなほど明るい声が響く。
「カーティス団長、ため息なんて珍しいですね。あ、これどうぞ」
相棒たるエルフの副官が、軽い足取りで持ち場へ戻ってきた。寝所へ向かう姫様を見届けに行っていたのだ。次いで彼は、両手に持っていた白く柔らかなコップの片方をカーティスへ手渡す。
中には温かな液体が収まっていた。その縁からは湯気が立ち昇り、花のような芳しい香りを残して夜気へそっと溶けていく。
「不思議な手触りのコップに、この香り……会談の際に振る舞われたあの茶ではないか?」
「ええ、姫様に頂戴しました。今夜は少し冷えますからね。ありがたい限りですよ」
カーティスが少し驚きつつ問いかけると、副官の男は役得とばかりに能天気な答えを返す。
配下を気遣い、姫様が手ずからお分けくださったらしい。奔放な振る舞いが目立つものの、とても優しいお方である。さほど身分差に厳しくないレーデリメニアでも、市井の者と気さくに言葉を交わす王族は彼女くらいのものだ。
心の中でお礼を告げ、カーティスはさっそく口を付ける。
その途端、上品な芳香が鼻腔をくすぐった。舌に広がるまろやかな渋みの奥には、得も言われぬ甘さが潜んでいる。
「……まるで、香り高い花々をそのまま煎じたようだ」
思わずそう呟いて、ホッと熱い息を吐くカーティス。
貴族の家に生まれ育った自分でさえ、これほど芳醇な茶を味わった記憶はない。しかもそれを、こんな荒れ果てた聖堂で啜ることになろうとは。
何より、これほどの茶葉が護衛にまで振る舞われるなど、彼の常識では考えられない展開である。
「そうだ。よかったら団長もいかがですか?」
カーティスが舌に残る茶の余韻を楽しんでいると、副官が懐から取り出した小さな布をそっと開く。中には、細長い菓子がいくつか納められていた。
これも会談で振る舞われたもので、やはり姫様から頂戴した。
「まったく、図々しいやつだ……が、せっかくなので遠慮なくいただこう」
「これも役得ってことで。こんなに美味い菓子は、そうそう食べられませんからね」
カーティスは、差し出された菓子を一つ摘まんでかじる。
サクリとした軽快な歯ごたえを合図に、柔らかな砂糖の甘みと牛酪のコク、微かに漂う香ばしさが口いっぱいに広がった。あまりの美味さに夢中で咀嚼すれば、あっという間に食べ終えてしまう。
月明かりを頼りに、堪らず違う種類の菓子へ手を伸ばす。
形状こそ似通っているが、こちらは甘く香り立つ茶色い艶を纏っている。
「サクタロー殿が言うには、この表面にはショコラトが塗布されているらしい」
副官へ向けてそう呟いてはみたが、カーティス自身もまるで信じられないでいた。
ショコラト(チョコレート)とは本来、黒くてドロリとした液体を指す。
水や砂糖、香辛料などと混ぜ合わせ、熱して飲むのが一般的だ。嗜好品ではあるものの、滋養強壮の薬としての側面を持つ。レーデリメニアでは『飲む黄金』とも呼ばれ、王侯貴族以外が手にすることはまず考えられない。
「そのショコラトをこれほどまでに滑らかで香り高く、それでいて甘く仕上げるとは……まるで夢のような菓子だな」
「はあ、団長は博識ですね。流石は伯爵家のご出身。ですが、その団長でさえ驚く珍味が次々と出てくるなんて……この聖堂は、いったいどうなっているんですかね?」
カーティスは眉をひそめ、自分の手元へ視線を落とす。
副官の言う通り、まったくもって理解不能だ。この白いコップなど、紙で作られているという。しかも飲み物を注いでも一切染み出さず、形を保っている。
実際に握っている今でも信じがたい。いったいどれだけ高度な技術が用いられているというのか。さらに驚いたことに、これだけの品々を護衛にまで惜しげなく振る舞うほど、潤沢に備えていたのだ。
「となれば……サクタロー殿は、間違っても只人などではあるまい」
カーティスはさらに思考を進める。
少なくとも高位の貴族……いや、あの御方のおおらかな気風から察するに、おそらく王族なのではなかろうか。率直に言って、直答が許されるような相手ではない。
「でも、団長。これが人に作れるものなんですかねえ……」
「では、なんだと言うのだ? まさか、神やその御使いだとでも……」
そこまで口にしたカーティスは、ハッと息を呑みつつ目を見開く――間髪入れず、同様の気づきを得た副官と顔を見合わせた。
二人の間に沈黙が横たわるや、たちまち空気が張り詰める。流れる雲に月が隠れ、辺りに満ちる闇が一層濃くなった。
この世のものとは思えぬ高度な技術を有するだけではない。
女神ミレイシュの巫女たる姫様が、無惨なほど荒れ果てた聖堂へ滞在なさると強硬に主張なさったのだ。
それであれば……と、そこでカーティスは思考を打ち切る。禁忌の帳に触れてしまったような、冷たい悪寒に襲われたのだ。
次の瞬間、副官と揃って聖堂へ向き直り、静かに膝をつく。そして薄闇の奥でひっそりと佇む女神像を見据えながら、熱心に祈りを捧げた。
雲が過ぎ去り、月が再び顔を覗かせる。
不意に吹き抜けた冷たい風が、どこからともなく梢のさざめきを連れてくる。
カーティスは、人智を越えた何者かがこちらへ視線を向けているような錯覚に囚われ、その場からしばらく動くことができなかった。
一方、そのころ。
サクタローは、目を覚ましたルルのトイレに付き添っていた。ついでに添い寝をせがまれ、同じ布団で改めて眠りにつくのだった。
緊迫した時を過ごす者もいれば、のほほんと過ごす者もいる。それぞれの夜は、実に対照的に更けていく。
結った金の髪が印象的なエルフの騎士、カーティス・ドゥ・サグレアは、ラクスジットの裏町に建つ女神教の聖堂で護衛の任務についていた。
彼は同日の午前、ドワーフの兄弟と共に『イカイ・サクタロー』を名乗る人物との会談に同席していた。その際はきらびやかな軽装の鎧を着用していたが、今は地味な外套に身を包んでいる。任務の性質上、目立つわけにはいかないからだ。
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カーティスとしては、あまり気乗りしない任務だった。
女神教の聖堂とはいえ、扉すらなく無惨に荒れ果てている。かような場所で、自国の王族が侍女も付けずに夜を明かすなど、本来は絶対に看過できぬ事態だ。
しかし、当の姫様が頑なに主張なさったのであればやむを得ない。
特使団の他の人員も反対したが、最終的に押し切られてしまった。それゆえ、こうして聖堂正面にあるたった一つの出入口を固めていた。
当然、警備は夜通し行われる。そこで、二人組の交代制で任務にあたる計画を自ら立案したわけだが……まったく、とカーティスはつい嘆息してしまう。
奔放に振る舞われる姫様は、男性の自分から見て大変魅力的であらせられる。けれど、時と場合を考えていただきたい。
ましてや、その美貌は遠き異国の地にも名高い。お忍びの来訪ではあるものの、尊きお立場を知る者がいてもおかしくはないのだ。
仮に、あのお体に傷一つでもつこうものなら……再び胸中で不安が首をもたげ、カーティスはますます気を重くした。
と、そこで。
月明かりが注ぐ聖堂の出入口前に、場違いなほど明るい声が響く。
「カーティス団長、ため息なんて珍しいですね。あ、これどうぞ」
相棒たるエルフの副官が、軽い足取りで持ち場へ戻ってきた。寝所へ向かう姫様を見届けに行っていたのだ。次いで彼は、両手に持っていた白く柔らかなコップの片方をカーティスへ手渡す。
中には温かな液体が収まっていた。その縁からは湯気が立ち昇り、花のような芳しい香りを残して夜気へそっと溶けていく。
「不思議な手触りのコップに、この香り……会談の際に振る舞われたあの茶ではないか?」
「ええ、姫様に頂戴しました。今夜は少し冷えますからね。ありがたい限りですよ」
カーティスが少し驚きつつ問いかけると、副官の男は役得とばかりに能天気な答えを返す。
配下を気遣い、姫様が手ずからお分けくださったらしい。奔放な振る舞いが目立つものの、とても優しいお方である。さほど身分差に厳しくないレーデリメニアでも、市井の者と気さくに言葉を交わす王族は彼女くらいのものだ。
心の中でお礼を告げ、カーティスはさっそく口を付ける。
その途端、上品な芳香が鼻腔をくすぐった。舌に広がるまろやかな渋みの奥には、得も言われぬ甘さが潜んでいる。
「……まるで、香り高い花々をそのまま煎じたようだ」
思わずそう呟いて、ホッと熱い息を吐くカーティス。
貴族の家に生まれ育った自分でさえ、これほど芳醇な茶を味わった記憶はない。しかもそれを、こんな荒れ果てた聖堂で啜ることになろうとは。
何より、これほどの茶葉が護衛にまで振る舞われるなど、彼の常識では考えられない展開である。
「そうだ。よかったら団長もいかがですか?」
カーティスが舌に残る茶の余韻を楽しんでいると、副官が懐から取り出した小さな布をそっと開く。中には、細長い菓子がいくつか納められていた。
これも会談で振る舞われたもので、やはり姫様から頂戴した。
「まったく、図々しいやつだ……が、せっかくなので遠慮なくいただこう」
「これも役得ってことで。こんなに美味い菓子は、そうそう食べられませんからね」
カーティスは、差し出された菓子を一つ摘まんでかじる。
サクリとした軽快な歯ごたえを合図に、柔らかな砂糖の甘みと牛酪のコク、微かに漂う香ばしさが口いっぱいに広がった。あまりの美味さに夢中で咀嚼すれば、あっという間に食べ終えてしまう。
月明かりを頼りに、堪らず違う種類の菓子へ手を伸ばす。
形状こそ似通っているが、こちらは甘く香り立つ茶色い艶を纏っている。
「サクタロー殿が言うには、この表面にはショコラトが塗布されているらしい」
副官へ向けてそう呟いてはみたが、カーティス自身もまるで信じられないでいた。
ショコラト(チョコレート)とは本来、黒くてドロリとした液体を指す。
水や砂糖、香辛料などと混ぜ合わせ、熱して飲むのが一般的だ。嗜好品ではあるものの、滋養強壮の薬としての側面を持つ。レーデリメニアでは『飲む黄金』とも呼ばれ、王侯貴族以外が手にすることはまず考えられない。
「そのショコラトをこれほどまでに滑らかで香り高く、それでいて甘く仕上げるとは……まるで夢のような菓子だな」
「はあ、団長は博識ですね。流石は伯爵家のご出身。ですが、その団長でさえ驚く珍味が次々と出てくるなんて……この聖堂は、いったいどうなっているんですかね?」
カーティスは眉をひそめ、自分の手元へ視線を落とす。
副官の言う通り、まったくもって理解不能だ。この白いコップなど、紙で作られているという。しかも飲み物を注いでも一切染み出さず、形を保っている。
実際に握っている今でも信じがたい。いったいどれだけ高度な技術が用いられているというのか。さらに驚いたことに、これだけの品々を護衛にまで惜しげなく振る舞うほど、潤沢に備えていたのだ。
「となれば……サクタロー殿は、間違っても只人などではあるまい」
カーティスはさらに思考を進める。
少なくとも高位の貴族……いや、あの御方のおおらかな気風から察するに、おそらく王族なのではなかろうか。率直に言って、直答が許されるような相手ではない。
「でも、団長。これが人に作れるものなんですかねえ……」
「では、なんだと言うのだ? まさか、神やその御使いだとでも……」
そこまで口にしたカーティスは、ハッと息を呑みつつ目を見開く――間髪入れず、同様の気づきを得た副官と顔を見合わせた。
二人の間に沈黙が横たわるや、たちまち空気が張り詰める。流れる雲に月が隠れ、辺りに満ちる闇が一層濃くなった。
この世のものとは思えぬ高度な技術を有するだけではない。
女神ミレイシュの巫女たる姫様が、無惨なほど荒れ果てた聖堂へ滞在なさると強硬に主張なさったのだ。
それであれば……と、そこでカーティスは思考を打ち切る。禁忌の帳に触れてしまったような、冷たい悪寒に襲われたのだ。
次の瞬間、副官と揃って聖堂へ向き直り、静かに膝をつく。そして薄闇の奥でひっそりと佇む女神像を見据えながら、熱心に祈りを捧げた。
雲が過ぎ去り、月が再び顔を覗かせる。
不意に吹き抜けた冷たい風が、どこからともなく梢のさざめきを連れてくる。
カーティスは、人智を越えた何者かがこちらへ視線を向けているような錯覚に囚われ、その場からしばらく動くことができなかった。
一方、そのころ。
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