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第十話 ひだまりの料理人
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季節は巡り、湊が『陽だまり亭』に来てから初めての冬が訪れようとしていた。森の木々はすっかり葉を落とし、北風が吹くと乾いた枝が寂しげな音を立てる。けれど『陽だまり亭』の中はいつも温かい空気に満ちていた。かまどで燃える薪の匂い。ことことと煮込まれるシチューの香り。そして、ささやかながらも絶えることのない客たちの笑い声のような何か。
湊の生活はすっかりこの店に根付いていた。朝は森の夜明けと共に起き、パンを焼きスープを仕込む。昼は森へ食材を探しに行ったり、常連の魔物たちと他愛ない時間を過ごしたり。夜はその日集まった客たちのために心を込めて料理を作る。それは規則的で穏やかで、満ち足りた毎日だった。かつて満員電車に揺られ、数字に追われていた自分がまるで遠い昔のことのように思える。
その日、湊はハナさんに頼まれて店の倉庫の整理をしていた。古い調理器具や使い道の分からないガラクタに混じって、一つの木箱を見つける。埃をかぶったその箱をそっと開けてみると、中には一枚の羊皮紙と古びた銀のスプーンが一本入っていた。羊皮紙には達筆な文字で何かのレシピがびっしりと書かれている。読めない文字だったが、その最後にハナさんの見慣れたサインがあった。
「それはね、あたしが昔使っていたものだよ」
いつの間にか背後に立っていたハナさんが、懐かしそうに言った。
「そのスプーンは、あたしが初めて『ひだまりの料理人』として認められた時に、師匠から譲り受けた大事なもんなのさ」
「ひだまりの料理人……?」
湊が聞き返すと、ハナさんはゆっくりと語り始めた。それはこの森に古くから伝わる特別な料理人の称号なのだという。彼らの作る料理には、食べた者の心と体をひだまりのように温め、癒す不思議な力がある。彼らは言葉の通じない魔物たちとも料理を通じて心を通わせることができる。そしてその称号は、師から弟子へと一本のスプーンと共に受け継がれていくのだと。
「あんたがここに来た時、あたしはすぐに分かったよ。あんたにはその素質があるってね」
ハナさんは湊の目を見て優しく微笑んだ。
「あんたの作る料理には、人を、いや、生き物を幸せにする力がある。それは技術なんかじゃない。あんたのそのお人好しで優しい心が、料理に溶け込んでるからさ」
湊は何も言えなかった。自分はただ料理が好きで、お腹を空かせた相手がいると放っておけないだけだ。特別な力なんてあるはずがない。けれどゴブリンが流した涙や、リザードマンがくれた鱗、ピクシーの魔法の粉を思い出す。自分の料理が、確かに彼らの心を動かしてきた。
「この店はね、元々はそうした『ひだまりの料理人』たちが、傷ついたり、はぐれたりした魔物たちのために開いた休息所みたいなもんだったのさ」
ハナさんは店の柱をそっと撫でながら言う。
「あたしももう年だ。いつまでもこの場所を守れるわけじゃない。だから、あんたみたいな人が来てくれて本当に良かったと思ってるんだよ」
ハナさんは木箱から銀のスプーンを取り出すと、それを湊の手に握らせた。ずっしりと温かい重みが伝わってくる。それはただのスプーンではなかった。何代にもわたる『ひだまりの料理人』たちの想いが、そこに込められているかのようだった。
「今日から、あんたがこの店の二代目、『ひだまりの料理人』だよ」
それはあまりにも大きな役目だった。リストラされ、全てを失ったと思っていた自分にそんな大役が務まるだろうか。不安が胸をよぎる。けれど湊は、握りしめたスプーンの温かさを感じていた。そして窓の外で自分を待っている常連たちの顔を思い浮かべた。
そうだ、自分は一人じゃない。言葉は通じなくても、自分の料理を待ってくれている者たちがいる。この温かい場所を守りたい。その想いが湊の心を決めた。
「……はい。俺、やります」
湊はまっすぐにハナさんを見つめて、力強く頷いた。
「俺だけのひだまり飯で、みんなを笑顔にしてみせます」
その日、相川湊はただのサラリーマンから、本当の意味で『陽だまり亭』の料理人になった。
彼の前には、まだたくさんの出会いと美味しい物語が待っている。
北風が吹く森の中で、小さな食堂の灯りはこれからも、迷える者たちを温かく照らし続けるだろう。
優しい料理の匂いと共に。
湊の生活はすっかりこの店に根付いていた。朝は森の夜明けと共に起き、パンを焼きスープを仕込む。昼は森へ食材を探しに行ったり、常連の魔物たちと他愛ない時間を過ごしたり。夜はその日集まった客たちのために心を込めて料理を作る。それは規則的で穏やかで、満ち足りた毎日だった。かつて満員電車に揺られ、数字に追われていた自分がまるで遠い昔のことのように思える。
その日、湊はハナさんに頼まれて店の倉庫の整理をしていた。古い調理器具や使い道の分からないガラクタに混じって、一つの木箱を見つける。埃をかぶったその箱をそっと開けてみると、中には一枚の羊皮紙と古びた銀のスプーンが一本入っていた。羊皮紙には達筆な文字で何かのレシピがびっしりと書かれている。読めない文字だったが、その最後にハナさんの見慣れたサインがあった。
「それはね、あたしが昔使っていたものだよ」
いつの間にか背後に立っていたハナさんが、懐かしそうに言った。
「そのスプーンは、あたしが初めて『ひだまりの料理人』として認められた時に、師匠から譲り受けた大事なもんなのさ」
「ひだまりの料理人……?」
湊が聞き返すと、ハナさんはゆっくりと語り始めた。それはこの森に古くから伝わる特別な料理人の称号なのだという。彼らの作る料理には、食べた者の心と体をひだまりのように温め、癒す不思議な力がある。彼らは言葉の通じない魔物たちとも料理を通じて心を通わせることができる。そしてその称号は、師から弟子へと一本のスプーンと共に受け継がれていくのだと。
「あんたがここに来た時、あたしはすぐに分かったよ。あんたにはその素質があるってね」
ハナさんは湊の目を見て優しく微笑んだ。
「あんたの作る料理には、人を、いや、生き物を幸せにする力がある。それは技術なんかじゃない。あんたのそのお人好しで優しい心が、料理に溶け込んでるからさ」
湊は何も言えなかった。自分はただ料理が好きで、お腹を空かせた相手がいると放っておけないだけだ。特別な力なんてあるはずがない。けれどゴブリンが流した涙や、リザードマンがくれた鱗、ピクシーの魔法の粉を思い出す。自分の料理が、確かに彼らの心を動かしてきた。
「この店はね、元々はそうした『ひだまりの料理人』たちが、傷ついたり、はぐれたりした魔物たちのために開いた休息所みたいなもんだったのさ」
ハナさんは店の柱をそっと撫でながら言う。
「あたしももう年だ。いつまでもこの場所を守れるわけじゃない。だから、あんたみたいな人が来てくれて本当に良かったと思ってるんだよ」
ハナさんは木箱から銀のスプーンを取り出すと、それを湊の手に握らせた。ずっしりと温かい重みが伝わってくる。それはただのスプーンではなかった。何代にもわたる『ひだまりの料理人』たちの想いが、そこに込められているかのようだった。
「今日から、あんたがこの店の二代目、『ひだまりの料理人』だよ」
それはあまりにも大きな役目だった。リストラされ、全てを失ったと思っていた自分にそんな大役が務まるだろうか。不安が胸をよぎる。けれど湊は、握りしめたスプーンの温かさを感じていた。そして窓の外で自分を待っている常連たちの顔を思い浮かべた。
そうだ、自分は一人じゃない。言葉は通じなくても、自分の料理を待ってくれている者たちがいる。この温かい場所を守りたい。その想いが湊の心を決めた。
「……はい。俺、やります」
湊はまっすぐにハナさんを見つめて、力強く頷いた。
「俺だけのひだまり飯で、みんなを笑顔にしてみせます」
その日、相川湊はただのサラリーマンから、本当の意味で『陽だまり亭』の料理人になった。
彼の前には、まだたくさんの出会いと美味しい物語が待っている。
北風が吹く森の中で、小さな食堂の灯りはこれからも、迷える者たちを温かく照らし続けるだろう。
優しい料理の匂いと共に。
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