魚は空を泳いでいた

ぬこぎつね

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旅支度

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眩しい朝日がぼくの瞼をノックしている。ちゅんちゅんと聞こえる誰かの声も一層大きくなって、ぼくの意識は現実に引っ張り上げられた。
体を起こし、ぼやぼやと滲む視界に映るのは見慣れた緑色。と、水色……?それも二つ。目をこすりながら、ぼくは思ったままを口にした。
「ん、あれ……?だれ?」
「忘れちゃったのか?トアとロロだよ。昨日すぐに出発はできないからってうちに連れてきたんだろう?」
「んん、ああ。そう、だったね」
ケラケラと笑いながらライムが教えてくれた。適当な返事をしながら寝ぼけた頭で記憶を辿り、徐々に思い出されていく昨日の記憶。
オオグチに腕を振り下ろした感覚が蘇り、あれはやりすぎだったかなと少し反省した。今思えば逃すだけでよかったのに。ああ、でもなあ。ぼくが悶々と脳内で一人反省会をしていると、耳元でのライム「おい」と言う声がした。
「朝飯、食わないのか?せっかく4匹取れたってのによ」
「あ、ああ。うん、食べるよ」
玄関の方に目をやると、ロロがトアと手を繋いだ反対の手に魚が入って網を抱えていた。まだ元気なのか、ビチビチと暴れる魚にロロは片手で押さえ込むようにしている。
不意に肩から重さが消えて、目の前にライムが着地した。昨日の朝みたいにぼくにゆらゆら尻尾を振って歩き出す。
「まったく。そんなぼやっとしてんなよ。今日は街に行くってのに」
まち?喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、ぼくはライムの後を追う。たぶんぼくが忘れてるだけなんだろうから。少々立て付けの悪い扉を慎重に開けて外に出ると、一つ目のクラゲがふわふわと目の前を漂って去っていった。
小屋の裏手の池まで行くと、トアとロロが焚き火で魚を焼いていた。どうやらライムが火をつけたらしい。側の石の上からそれを見ていたライムがぼくの足音に気づいて振り返り、にっと笑った。
「お、来たか」
「ちょうど焼けたところだぞ」
ぼくが近寄ると、しゅうっという音がして焚き火が消えた。自分で起こした炎だから任意で消せるらしいけど、つくづく便利だと思う。
ロロがこんがりとよく焼けた魚を「どうぞ」とぼくに差し出してくる。茶色く焦げ目のついた魚は見ているだけでもお腹が鳴ってしまいそう。ぼくはお礼を言って受け取り、その場に腰を下ろした。
『いただきまーす』
ぼくとライムの声が重なり、遅れてトアの控えめな声が続いた。それから各々のが食べ始める。魚に思い切りかぶりつき、一口目を飲み込んだあたりで、あれ、と首を傾げた。なぜかロロが焼き魚を手にしたまま固まっているのだ。
ぼくらと魚を交互に見ながら、困ったように眉を下げている。どうしたのだろう。ぼくが声をかけるよりもはやく、トアが口を開いた。
「ロロ……?どうしたの?」
「えっと、これ、魚?どうやって食べるの?」
え。とぼくとライムの声が重なった。まさか、魚を食べたことがないなんて。驚きのあまり声の出ないぼくらをよそに、トアはやけに納得したようにふんふん頷いた。
「あそこじゃ、四角いのしか、見たことないもんね。しょうがないよ」
「これはね、こう。こんなかんじに、食べればいいよ」
トアは串に刺さった焼き魚に控えめにかぶりつく動作を、ロロに見せながら説明する。食べたことがない?四角いの?口をぽかんと開けたまま固まったぼくらを気にもとめず、ロロは恐る恐るといった様子で少し冷めてしまった魚に口つけた。
もぐもぐとしばらく咀嚼してから、ごくん。
「おいしい……!魚って、こんな味がするんだね」
目を見張ってから、ふわりと笑みを浮かべた。余程美味しかったのか、次は勢いよくかぶりついている。
トアはそんなロロを満足げに眺めながら、魚を口に運んだ。ようやく動き出したぼくらは顔を見合わせ、頷きあってから残りの魚に目を落とした。
聞かない方がいいような気がする。きっと、今尋ねるような話じゃない。三つ首の猫は、今日もぼくらの前を横切っては獲物を捕らえて帰っていく。昨日と同じはずなのに、なぜか味が薄いような気がした。

×××

ごちそうさま。と手を合わせて食事が終了した。ぼくとライムの間に流れた微妙な空気は依然消えないままで、トアと笑い合うロロを見るたびにぐるぐるとかき乱される心を落ち着かせるように、ライムに尋ねる。
「今日、街に行くんだっけ?」
「ああ、そうだ。あの山に行くのに、そんな格好じゃよくないと思ってな」
そんな格好。それってどんな。そういえばどんな服装だったっけ。と二人に目をやってみる。水色のワンピースに素足、それ以外はなにも身につけていない。トアの両腕には包帯が巻かれているけれど、ロロの左腕は相変わらずぼくみたいなままだ。
たしかに、こんな格好じゃ、あの山まで行くのは厳しいかもしれない。あれ、今気がついたけどこの子たち今までずっと裸足だったのか。何となしにトアの足を眺めていると、なにか赤い線が見えたような気がした。まさか、怪我?
「ねえ、トア。その足、どうしたの?」
「……あし?」
ぼくに指摘されて初めて気がついたのか、トアはちょっと目を見張ってから足元に目線を落とした。すぐに見つかったのか「あ」と声を上げて苦笑いを浮かべる。
「どっかで、切っちゃった、みたい」
「また?気づいたらすぐに言ってって言ったのに」
酷くないなら別に大丈夫かな。とぼくが返すよりも早く、ロロが言った。トアはバツが悪そうに目を泳がせながら頰を掻く。
「ごめんね。つぎは、言うから」
「しょうがないなぁ。もう」
ロロに頭を撫でられてもなお、トアは苦笑いを浮かべたままだ。あれ、なんでだろう。だけど、すぐにトアは柔らかな笑みでロロを見上げる。少しだけ姿を見せた違和感は、すぐに姿を眩ませた。
よかった。なんでもなかったみたいだ。ひっそりと安堵の溜息を漏らしたぼくの尻尾を、誰かがくいっと引っ張った。こんなことをするのは1匹しかいない。ぼくは背後にいるであろう彼のために振り返った。
「声かければいいのに。それじゃなくてさ」
「お前らが遅いからだよ。ほら、二人も。そろそろ行くぞー」
ライムの声に、くるりと二人も振り向いた。
「さ、行くぞ」
尻尾を振ったライムグリーンの背を追って、ぼくらは街へと出発した。

×××

山脈を眺めながら、漂う一つ目のクラゲを横目に、地面を這うウミウシの群れを追い越して、頭上をオオグチが通り過ぎた頃。ぼくらは街にたどり着いた。 たどり着いた、といってもぼくらの住む小屋から一時間もかからないのだけど。煉瓦造りの建物が建ち並び、いろんな種族の者たちが尻尾や羽を揺らしていた。あたりには心地いい喧騒が満ちている。
「おお……!ひと、がたくさん……!」
「……あれは人じゃないんじゃないかなぁ。それにしても賑わってるね」
トアとロロはこんな街に来たのが初めてらしく、思い思いの感想を口にしていた。ぼくらを出迎えてくれたのは商店街。
お魚、野菜、お肉、お菓子……などなどカラフルなお店が軒を連ねている。中には人のお肉を扱っていたりするお店もあったけど、二人はどうなんだろうと振り返ってみる。
「あんなの、見たこと、ない。なんだろう」
「なんだろうね。本じゃ見たことないよ。あ、あれは美味しそう!」
「おー、パン、かな?焼きたて、みたいだね」
「わ、あっちは?」
「んー、あれ、は……」
大丈夫そうだ。二人はあちこちに目を奪われながらも、ぼくらにちゃんと着いてこられている。楽しそうでよかったな。
どこからか漂う美味しそうな香りに釣られないようにしながら、ぼくらは目的のお店へと足を進めた。
商店街に別れを告げて、噴水のある広場横目に右に曲がると大きな通りに出る。そこの右側前から三番目、そこに目的の店はあるのだ。
小洒落た外観のショウウィンドウには、可愛らしい魔法使い向けのローブやリボンのあしらわれた戦士の衣装なんかが華やかに飾られている。
先頭を歩いていたライムも流石に入りにくいのか、ぼくの肩に飛び乗ってきた。ぼくも入りにくいんだけどなあ……。右肩からの威圧に負けて仕方なくドアノブに手をかけ、店内に足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ。今回はどちらのお嬢さんの衣装をお探しで?」
からんからんという音と一緒に背中に透明な羽を生やした妖精のような出で立ちの店員が出迎えてくれた。
ぼくらを前から順に一人一人見ていって、トアとロロに目をとめる。見つけるやいなやぱあっと笑みを浮かべた。
「まぁ!可愛らしいお嬢さんだこと!でもうちのお洋服でもっと可愛らしくなれますよ!さあさあ、こちらへ」
妖精の店員は半ば強引にトアとロロの手を引いて、店の奥へと連れて行ってしまった。
取り残されたぼくとライムはその場に突っ立っているわけにもいかず、並べられた商品を眺めながら二人の帰りを待つことにした。
人型向けの可愛らしい洋服もあれば、尻尾のあたりに穴を開けてくれているもの、耳が出せるようにスリットの入った帽子など、様々な種族に対応したいろんなものが並べられている。
はじから順に見ていたぼくが姿見の前を通り過ぎた頃、ようやく店員に連れられて二人が帰ってきた。
「お待たせしました!どうです?更に可愛らしくなったでしょう?」
ぐいっと笑みを浮かべた店員に背中を押された二人。
トアは胸元に赤いリボンのあしらわれた白くシンプルなローブを纏い、足にはブーツを履いていた。ローブの裾は青色で、被ったフードには猫耳がついている。
ロロは胸元に赤いリボンをつけ、白いブラウスの上に茶色いベストを着込んでいた。ベストと同じ色のミニスカートには透明なレースが揺れている。赤いラインの入った白い靴は動きやすそうだ。
トアはフードをいじりながらそわそわと目を泳がせている。
「……なれない、なぁ」
「いいじゃん、トア可愛いよ。私好きだな、その服」
「……なら。いいかも」
やはりなれない服装に落ち着かなかったのだろうけど、いつものようにロロに頭を撫でられて、ふにゃりと微笑んだ。
そんな二人を店員はにこやかな笑みで眺めていたが、しばらくするとこそこそとぼくとライムの方にやってきた。なんだろうと首を傾げていると、なにやら数字の並んだメモを差し出される。
「こちらが、今回のお代になります」
トアとロロに聞こえないくらいの小声で、店員はぼくらに言った。数字は六桁並んでいて、いつのまにかぼくの肩に乗っかっていたライムもそれを覗き込んでいる。へぇ、服ってこのくらいするのか。
どうやら、金額を見た二人がやっぱりやめるなんて言いださないよう、小声で伝えているらしい。ぼくはズボンのポケットに入った財布からぴったりのお金を取り出して、店員に差し出した。店員は満面の笑みを浮かべて「ありがとうございました!」と頭を下げる。
ぼくは笑みを返しておいた。肩に乗ったままのライムが二人に声をかける。
「ほら、もう行くぞ。まだまだ準備することはあるんだからな」
「だって。ほら、トアいこっ」
ライムの言葉にぴくりとアホ毛を揺らして振り向いてから、ロロはトアの手を引いた。まだ包帯が巻かれたままのトアの腕を優しく握っている。
入ってきたときと同じ、からんからんという音を聞きながら、ぼくはお店の外に足を踏み出した。
「さ、旅の準備だ。ついてこいよー」
外に出るなりライムは肩から飛び降りて、ゆらゆら尻尾を振った。先の方が白っぽくなったふさふさの尾を振ることで、彼はついてこいと言っているのだ。そんな彼の背を追いながら、ぼくらは旅の準備を済ませたのだった。

×××

「眠れないのか?」
なんとなく眠れなくて、小屋の裏手の池のほとり、誰が作ったかもわからない切り株に腰掛けて、ぼうっと夜空を見上げていたらライムに声をかけられた。頭上ではたくさんの星たちがきらきらと輝いている。
「うん。なんか、明日なんだな、って思うとなかなか寝付けなくて。ライムは?」
「ま、俺もそんなとこだ」
ライムはぼくの隣に腰掛けて、同じように空を仰いだ。こんな夜更けには魚たちも眠っているようで、いつも空を悠々と泳ぐ彼らの姿も今は見えない。
うっすらと青い光がちらついたかと思うと、ほんのりと発光した一つ目のクラゲが風に流されて横切っていった。
「……明日なんだよな、出発」
「そう、なんだよね」
ぽつり。彼が零した言葉を拾い上げるように、ぼくは返した。雲のない空には爛々と月が輝いている。いよいよ明日に迫った出発、ぼくたちはまだしもあの子たちは無事に行けるだろうか。
「あの子たち、無事に行けるといいね」
一瞬、ぼくらを包んだ静寂ののち、彼は返した。
「そうだな」
ずっと遠くに、山脈が霞んでいる。うっすらとしか見えないそれを、僕らは目指すのだ。その先の景色を、世界を、この目で見るために。そこには、平和な世界があるかもしれない。誰も傷つかない、誰もが自由な、そんな世界が。もしかしたら、天国かも。……それはそれでいいかもな。
「……あの向こうは、どんな世界なんだろうね」
ふと零した言葉。ライムは山脈をしっかりと見据えながらそれを拾い上げた。
「それを確かめに行くんだろ。さ、明日は早い。もう寝ようぜ」
立ち上がり、彼はぼくに背を向けて尻尾を振った。ぼくも立ち上がり、彼の背に。
「そうだね。もう、寝ようか」
「おやすみ、ライム」
それに返事はなく、ただゆらりと一度尾を振られただけだった。拾われることのなかった言葉は静寂に溶けて消えていった。
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