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緊急婚約
しおりを挟む第三王子サフィール・ディストラ殿下は身分の低い側妃から生まれた。
それゆえ、王位継承争いとは無縁といわれている。
けれど、その才能は多岐にわたり、正妃の子である第一王子、第二王子よりも王位に相応しいのではないかという意見が聞かれているほどだ。
その第三王子殿下が庶子である私を妃にと宣言した。
(王族の妃に庶子がなるなんてあり得るのかしら)
けれど、歴史を紐解いてみれば聖女の称号を受けた庶民が正妃となった前例もなくもない。
「――愛妾を断り続けたのに諦めないか」
「お義兄様?」
義兄の声は敵を威嚇する猛獣のように低かった。
しかも掠れて聞き取りづらく、私はその言葉を聞き逃してしまう。
「おや、王族との繋がりを持てるのだから、ヴェルディナード侯爵家にも悪い話ではないと思うが」
「恐れ入りますが、全ては当主である父が決めることです……。ここでの発言は控えさせていただきます」
「そう……? でもさ、せっかくの建国祭だ、どうか一曲お付き合いいただけませんか?」
第三王子殿下の手が手袋をした私の指先を強く握りしめた。
「――うっ」
爪が剥がれている部分を強く握られて、あまりの痛みにうめき声が漏れてしまう。
(扇子を取り落とした上に、こんな声を上げるなんて……)
痛みに耐えてにっこりと笑みを浮かべる。
王族からのダンスのお誘いを無碍にすることはできない。
ここは一曲踊る以外の選択肢はないだろう。
(でも、なぜなのかしら……。第三王子殿下を目の前にするとひどく恐ろしい)
その理由ははっきりしない。
第三王子殿下は、その青い瞳を柔和に細めているのに、私には微笑んでいるようには見えない。
(ううん、周囲からは完璧すぎる笑みに見えるはず……どうしたら、ここまでの表情が身につくの)
一度手を離して、ゆっくりとお辞儀しかけたとき私は勢いよく引き寄せられて体勢を崩した。
「申し訳ありませんが、此度は我が養子であるシルヴィスと最愛の娘であるアイリスが婚約して初めての舞踏会です。どうかご容赦いただけませんか?」
優しげな声をしているが、父のことをよく知っている者であればそこに強い憤りが込められていると気がつくだろう。
それでもその声にホッとして顔を上げると、私とお揃いの淡い紫色の目が弧を描いていた。
(ここにも、内心を押し隠して完璧すぎる笑み浮をかべられる人がいた……!)
体勢を崩した体がしっかりと支えられると緊張の糸が切れてしまう。
そこで、今し方の父の言葉のことをぼんやり考える。
(今……お父様はなんて言った?)
「おや、まだ王家に婚約の報せは届いていなかったと思うが」
「失礼致しました。家族内でようやく昨日決まったばかりでして……陛下へのご挨拶の際にお伝えしようとしたのですが」
チラリと父は国王陛下への挨拶に並ぶ貴族たちの列に視線を向けた。
四大公爵家の挨拶が終わろうとしている。
家格でいえば、次は我がヴェルディナード侯爵家の番だ。
(――まさか、挨拶の列から離れてしまうなんて! まって、それもそうだけれど)
「挨拶の列を抜けた不敬を詫びてこねばなりません……。なあ、シルヴィス。第三王子殿下にも君の口から婚約したことをご報告しなさい」
「かしこまりました、父上」
呆然としているうちに、父は私から離れ、代わりに義兄に引き寄せられる。
「俺とアイリスの婚約はすでに家族内で内定しております……お伝えするのが遅くなりましたこと、お詫び申し上げます」
「……そう、君たちの幸せにとんだ水を差してしまったね。これで失礼するよ」
周囲からの視線は私たちに集中している。
こうして、建国祭の舞踏会の話題の中心は我が家となった。
そして、時期は遅くなったけれどやり直し前と同様に、私と義兄は婚約することになったのだった。
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