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絶体絶命と白いモフモフ 1
しおりを挟む鳴り響く、王都に危機を告げる鐘。
逃げ惑う人々。けれど、その数は以前よりも格段に少ない。
王都は、すでに魔獣に囲まれようとしていた。
王国の守護者、シグナス・リードル様。
いつでも最前線で戦う彼がいるからこそ、王都の平和はかろうじて守られていたのだ。
けれど、シグナス様は、半年前の魔獣との戦いに出立して、そのまま帰らなかった。
そこから、指導者を失った王立騎士団の劣勢は続いている。
「早く避難してください!」
若い騎士様が、住民の避難誘導を行っている。
早く、階段を降りて地下に行かなくちゃ!
避難途中で転んでしまった老婦人に肩を貸し、赤ちゃんと子どもを連れた奥さんに順番を譲った結果、最後になってしまった。
ほとんどの人たちが、地下に逃げ込んで、あとは私が入れば扉は閉ざされる。
空から、甲高い鳴き声と羽ばたきの音が聞こえてくる。
間違いない、茶色い大きな羽。鷹の魔獣だ。
元々、生態系の上位に位置する動物の魔獣はとても強い。
私みたいな一般人なんて、なにも出来ずに餌食になるしかない。
「あの日と同じ」
地下への扉を潜ろうとして、一瞬だけその鳴き声に意識がそらされる。
そこに混ざる、小さな泣き声。
――――泣き声が聞こえた?
振り返れば、少し先の路地に、小さな人影が見える。
「早く入ってください! もう扉を閉めなければ!」
「……子ども」
「っ……ご令嬢!」
子どもが泣いている!
小さな少年だ。親とはぐれてしまったのだろうか。
ドレスの裾を掴んで、走り出す。
――――あの日と重なる。
「シグナス様」
でも、今度はきっと誰も助けになんて来ない。
だから、自分の命を守るのよ。
階段を駆け下りるの。
『リーナ、約束だ』
それが最後の約束だから。
低くて、少し無愛想な声が蘇る。
あの声が、本当に大好きだった。
……ごめんなさい。約束、守れそうにありません
「ほら、立ち上がるの!」
泣いていた少年は、涙があふれた青い瞳を私に向けた。
私は、その細い手首を掴んで、立ち上がらせる。
まだ、6歳くらいだろうか……。
その時、私たちに大きな影が落ちた。
近づく羽音、上を見上げれば、飛竜が獲物を見つけて、光るかぎ爪をこちらに向けて舞い降りてくるところだった。
「路地裏なら、入り込めないわ」
私は、必死になって薄暗い路地に少年を突き飛ばす。尻餅をついた少年は、驚いたように目を丸くして私を見つめた。
「いい? 後ろを向いて、路地の奥に走って。絶対にこっちを向いてはいけないわ」
「お、お姉ちゃんは」
「あなたが逃げ切ったら、ちゃんと逃げるから。早く」
少年は、唇をぎゅっと引き結ぶと、私に背を向けて走り出した。
ほっとしたのと、恐怖とで、膝をついた私の肩を、飛竜のかぎ爪が掠る。
地下の扉を閉めた若い騎士が、こちらに走ってくる姿が見える。
……間に合わない。巻き込まれる。来ないで!
乾ききった喉、叫びたいのに声を出すことが出来なかった。
あと、数秒で、私の体は鋭いかぎ爪か、光る牙に貫かれてしまうことだろう。
「――――シグナス様」
代わりに私の口をついて出た言葉は、帰ってこなかった婚約者、シグナス様の名だった。
パキンッと硬質な音。
強く目をつぶった私の耳に、続いて重低音で何かが倒れる音が聞こえる。
そして、静寂が訪れた。
そっと、目を開けた私の前には、王立騎士団の深いグリーンのマントと、金色で縁取られた黒い騎士服。
そして、真っ白な毛に覆われた大きなモフモフの……。二足歩行の白猫?
幼い頃絵本で見た、二足歩行の大きな白猫が私を背に庇うように立っていた。
「確かに、覆い被さってはいないな……」
小さな小さな、つぶやきは、もしかして私の聞き間違いだったのだろうか。
あまりの恐怖、緊張の糸が切れたせいで、急激に意識が遠のいていく。
地面に倒れ込むのを覚悟したのに、ふんわりとした極上の肌触りに受け止められたのが、最期の記憶だった。
***
……それは、半年前のこと。
私の政略結婚予定の婚約者であり、シグナス・リードル様は、魔獣との戦いに出立しようとしていた。
光の加減で緑から金にクルクルと色を変える瞳は、とても美しいけれど、見るものを射すくめるように鋭い。
白銀の髪は、歩くたびにきらめいて、まぶしい雪原みたいに神秘的だ。
背は高くて、どちらかというと平均より低い私の背丈では、肩までしか届かない。
「……行ってくる。周囲に迷惑をかけないよう、大人しく待っていろ」
「はい、お待ちしています」
周囲の騎士様と婚約者や恋人たちは、抱き合って別れを惜しんでいる。
けれど、私たちの距離は、今も変わりない。半径50cmだ。
……それはそうよね。普通すぎる私では、シグナス様に不釣り合いだもの。
いまだに、なぜ私が王命でシグナス様の婚約者に選ばれたのか、わからない。
空色の瞳は、お気に入りだけれど、まん丸で子どもみたいに幼く見えてしまう。
ふわふわとウェーブがかかった髪は、この国でよく見かける淡い茶色だ。
婚約者として、一応シグナス様の瞳をイメージした淡いグリーンに金のラインが入ったリボンをハーフアップにした髪に結んでいる。
けれど、大きめのリボンを結んだ私は、残念なことにいつも以上に子どもっぽい。
「……リーナ」
「シグナス様?」
珍しく、シグナス様がその端正な唇を一瞬引き結んで、言い淀んだ。
首をかしげた私の手をそっと取って、シグナス様がつぶやく。
いつも張りがあってよく響くその声。
今日は、嘘みたいに、かすれて小さい。
「……帰ってきたら、俺と」
「……え?」
その時、緊急事態を告げる鐘の音が鳴り響き、シグナス様の声をかき消した。
それは災害級の魔物の出現を告げる鐘だ。
シグナス様が行かない限り、事態は収束しないだろう。
「時間切れか」
何度繰り返しても、この瞬間には慣れない。
無事でいてほしいと、泣きそうな気持ちで、シグナス様を見送るこの瞬間は。
「シグナス様……。ご武運を」
「ああ、王都は守る。無駄な心配などせず、待っていればいい」
騎士様らしい言葉。
本当にシグナス様はかっこよくて、普通の女の子でしかない私は、シグナス様にふさわしくない。
頭が大きな手でぐしゃりと乱され、緑に金の細いラインが入ったリボンがほどかれる。
私が身につけていた、シグナス様の瞳の色のリボンが、その手の中に握られている。
「……いいか? 大人しく待っていろ。子どもが逃げ遅れたからと、魔獣の前に飛び出して覆い被さったりするな」
「あんなこと、何度も起こりませんよ」
強い風が吹いて、ほどかれた髪の毛が広がるのを手で押さえる。
乱れた髪を、押さえて、私はシグナス様を見上げた。
少しだけ怖い顔をしたシグナス様。私を緑がかった金の瞳が、まっすぐに見つめている。
「リーナ、約束だ」
「…………約束します」
「良い子だ」
また、子ども扱いする。
少しふくれっ面になってしまった私を見つめたシグナス様は、いつもの冷たい表情を少し崩して微笑む。
シグナス様が、長い指で、可愛らしいリボンを愛剣に結びつける。
白銀の剣に淡いリボンと金色のリボン。まるでシグナス様のような色合いだ。
「次の時には、リーナの色合いのリボンを用意しておけ。そうだな、その瞳の色がいい」
「え? シグナス様?」
それだけ言い残して、シグナス様は、私に背中を向けた。
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