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17話.家庭教師
しおりを挟む「お前にマナー教師をつける」
私がいつものようにお父様のコーヒーを飲む端正な顔を見ながら朝食を堪能していると、思い出したかのようにそう告げられた。
「マナー教師ですか……分かりました」
お父様の突然の無茶振りも、三回目ともなると慣れたもので私は落ち着いた気持ちでその宣言を受け取った。
私には母親がいないためマナーを教えてくれる人がおらず、今私がしているのは本やラピスが教えてくれたものの見よう見まねで、しっかりと身についたものではない。
なのでしっかり教えてくれる人ができるのは有り難い。
「コーラル、先生の資料を頂戴」
「こちらです」
受け取った資料に目を通す。
名前は“トルチャ・サルトン”。
高齢だったサルトン伯爵に後妻として嫁いだ男爵家の令嬢。
サルトン伯爵が老衰で亡くなってからは伯爵代理を務める未亡人だ。
「未亡人……」
「いかがなさいましたか?」
「いえ、何でも」
高齢の主人がいた未亡人……かなり嫌な予感がする。
お父様が飢えた女豹の餌食にならないかしっかり警戒しないと。
「いつからですか?」
「明日からだ。あと、以前のようなことはやめろ」
「……分かりました」
あらかじめ釘を刺されてしまい、私は小さくなりながら頷いた。
以前、とは恐らく魔法教師として来たベリルナ・ナイゼを初日に追い返したことだろう。教師が必要ないとしても、向こうが勝手に怖気付いて逃げたとしても、あれは流石に大人気なかったかなと私も反省している。
その反省も活かして今回の教師には一ヶ月くらい頑張ってほしいと思っている。
私は本気でマナーの勉強に取り組むべく、もう一度ラピスから教えてもらいながら予習をして一日を過ごした。
翌日。
自室の戸が叩かれ、教師の来訪が知らされる。私は椅子から立ち上がり、部屋に通すように告げると金髪の女性が部屋に入ってくる。
その格好を見て私は驚いた。胸元の開いた、身体のラインがくっきり出る真っ赤なドレスにダイヤとルビーがついた豪奢なネックレスとイヤリング。派手な厚化粧。
とてもマナーを教えに来た教師とは思えない。
「こんにちは。私はトルチャ・サルトン、今日から貴女のマナー教師よ。よろしくね」
うっ!
しかも近づくと強い香水の匂いがぷんぷんとする。吐きそうだ。
「こんにちは、サファイア・テゾーロです。よろしくお願いします、先生」
にこやかに挨拶したけれど、私の頭の中でサルトンを要警戒人物として記憶した。
この女性にマナーを教わって本当に大丈夫なんだろうか。
「じゃあ先ずは基本の歩き方から見てみましょうか。先ずはあっちの壁まで歩いてみて。」
「分かりました」
私は言われた通りに扉から窓まで、2メートルほど歩く。
それをみたサルトンは、「成程」と言って同じように私の元へと歩いて来た。
「歩き方が幼いわね。歩くたびに軸がぶれて身体が揺れているし、踵を擦って歩いているわ」
「はい」
「サファイア嬢はコルセットはもう着けてる?」
「いいえ」
「歩き方が猫背になっているから、明日から着けて。支えがあると正しい姿勢で歩きやすいから」
「分かりました」
格好とは裏腹に、サルトンの教え方は的確だった。
理不尽な言いがかりはせず、私の問題点だけを指摘する。私も自分の歩き方はどこか幼稚だと思っていたのだ。
「もう一度歩いてみて」
「はい」
言われたことを意識しながら、今度は扉の方に向かって歩くが、半分歩いたあたりでサルトンは「ストップ」と手を叩いて私を止めた。
「今度は足を上げることを意識しすぎてバタバタしてるわ。肩の力は抜いてお尻に力を入れて、身体が吊り上げられているように踵を浮かしながら歩くの」
「はい」
もう一度歩き始める。しかし、扉までたどり着くと「もう一度歩いて」と指示される。
「表情が固いわ。もっと笑って」
「はい」
「また踵が擦り始めてる。もう一回」
「はい」
そうやって私は時折サルトンの見本を見せて貰いながら一時間、ひたすらにドアと窓までを何度も往復させられた。
足が小鹿のように震え始めたころ、ようやくサルトンは満足気に頷き手を叩いた。
「だいぶ良くなったわ。今日はこのくらいにしましょうか」
「はい……」
その言葉に安堵して、歩きすぎて棒になってしまった足を引っ張りよろよろとソファに腰を下ろす。
「疲れた……」
「ふふ、次回までにちゃんと復習しておいてね。私は公爵様に今後の教育方針を相談してから帰るわ」
「お父様に?」
お父様に会いにいくというサルトンに着いて行こうと思ったけれど、疲れた身体が重くて動かない。
「ではまた三日後」
そうこうしている間に彼女は一人で部屋から出て行ってしまう。残された私は結局起きることを諦め、精霊を呼び出した。
「みんな!」
『はい、サファイア様!あの女を監視すればいいんですね?」
「話が早くて助かるわ。よろしく頼むわね」
『分かりました』
精霊たちに監視を頼んだので、一先ずは安心だ。
授業は真面目にしてくれていたが、お父様の前では本性を見せるに違いない。これでサルトンの裏の顔を見ることが出来る。
私はお茶を入れて貰いながら待っていたけれど、精霊たちは思いの外早く帰って来た。
「あれ、早いのね」
『うん……なんか普通に話して終わったよ』
「え?」
そんなわけない。あんな明らかにお父様を誘惑するような格好をしておきながら、普通に会話なんてあり得ない。
「どんな話をしてた?」
『うん、まず公爵様あっさり彼女を執務室に通したけど、書斎の机でそのまま話をしてた。公爵様は特に顔色を変えなかったから、サルトンには興味がないみたい。サルトンは机の前に立ったまま授業の計画表を見せて公爵様の許可が出たらそのまま部屋を出て行ったよ』
「?彼女は何がしたいの?」
お父様を誘惑するつもりがないなら、一体何のためにあんなド派手なドレスを着ていたのだろう。まさか、本当にただ肌を露出させるのが趣味なのか。
「本当に他に何も言ってなかった?」
『うーん……あとは“娘さんのことは私がしっかり教育しますので、信じて任せてください”とは言ってました」
何の話だろう。まさか私の知らないところでお父様とあの女が結託して何かをしようとしているのだろうか。けれど素直に聞くと、熱意のある教師の発言としか読み取れない。
『サルトンの監視を続けますか?』
「いえ、流石に自宅までつけ回すのは良くないわ。ありがとう」
サルトンの目的は分からないけれど、問題がないならわざわざ藪を突くような真似をしなくていいだろう。
ちゃんとマナーを教えてくれるならそれでいい。
もしお父様と一緒に歩く機会があったとき、見劣りしないようにしっかりマナーを覚えておきたいのだ。
「よし、もう少し頑張ろうかしらね。みんな、正しく歩けてるか見ていて」
『はい!頑張ってください、サファイア様!』
私は少し休憩してからまた一人で歩く練習を再開した。
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