影月の燈導‪—‬えいげつのともしるべ—‬

茶々麻呂

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序章 妖界と妖怪

第10話 決意

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 夜も更け、暗闇に灯籠が灯る。

「冥叛、ただいま帰還いたしました」

 出迎えたのは、鈴鹿だった。

「お帰りなさい、そしてお疲れ様です。怪我人が少なくて良かったです。事後処理、ありがとうございます」

 縁側で向かい合う。

「冥叛、あなたに怪我はありませんか?」

 鈴鹿は心配そうに冥叛の頬に触れた。

「ええ、大事ないでござる」

 優しく微笑む冥叛。
 すると、鈴鹿の後ろから低い声。

「禍相手に遅れをとるようじゃあつまらんからな」

 蛙だった。冥叛は応える。

「当然にござる。……奴は、朔殿を襲った禍でござった。首を切り落としてなお生きていたという点では、かなり執念深い、厄介な者でござったな」

「……ふむ、詳しく話せ」

 蛙が指示すると、「その前に」と冥叛は制する。

「朔殿のことでござるが。彼女は、根っからの善人でござろう。逃げ遅れた小妖を、その身捨ててでも守ろうとした……彼女のことは、信頼しても良いと思われますぞ」

 最後に、「あとは、某の直感にござる」と付け加えた。

「ほら、私の言った通りでしょう」

 鈴鹿はジト目で蛙を見る。

「……わかったわかった、2人してやめろその目。疑って悪かったよ」

「謝るのは本人にしてくださいね。私は朔さんの様子を見てきます。あとは、任せますね」





「痛ッ!!」

「おいコラ動くんじゃねぇ、すぐ終わっからよ」

 朔は六六に手当てを受けていた。思ったよりダメージが深く、肋に嫌な色の痣が広がっていた。
 六六曰く、肋骨に軽くヒビが入っているとのこと。
 「頭の次は肋か」と意地悪く笑いながら、包帯を巻く六六。

「おらよ、終わったぜ。今日は早めに休んな」

 仕上げとばかりにパチンと背中を叩いたせいで、痛みが走り朔は思わず「ギャー!」と叫ぶ。
 側で見ていた松宵が腹を立てながら、

「全く無茶するからじゃ!!滅茶苦茶焦ったんじゃからな儂!!お主から引っぺがされるし!!にしてもよかったのう、腕の立つ者が側におって」

「…………」

「なんたって冥叛はウチの中じゃあ、剣客として右に出る奴ぁいねぇからな」

 救急箱を片付ける六六が言う。あの戦闘力を目の当たりにしていたら、そこまでいうのも頷ける。

「じゃー俺はお暇するぜ、ガキの着替え覗く趣味はねぇからな。覗くんならもっとイイ女がいいや」

 そう言い障子を開ける六六の後ろ姿を、朔は「一言余計ですね!ありがとうございました!」と小言半分に見送った。

「…………」

 黙って着替える朔に、松宵が「やけに静かじゃな」と声をかける。 

「……なんか、悔しくて」

「悔しい?」

「最初に松宵と出会った時も。結局誰かに助けられてばかりで大したこと出来てないなって。なんか、申し訳なくて」

「……」

 松宵は静かに朔を見据え、言った。

「なんじゃ、やっと自覚したか」

「うるせー!アンタもそう思ってたのかよ!」

「じゃが、それも仕方あるまいとしか言いようがないのう。お主はもとはただの人間なんじゃから」

 ただの、人間。当たり前だ。朔もその通りだと納得する。なのに、その言葉が重くのしかかった。

「松宵みたいに鋭い爪もなければ、冥叛さんみたいに刀を振る技術もない。わかってる、そんなの……でも、じゃあどうすればいいの?」

「儂に聞くな。自分で考えろ」

「冷た……」

 どうすればいいのか。いや、答えは一つだった。
 掌を見つめ、握りしめた。

「せめて、自分の身は自分で守れるようにならなきゃいけない」

「ご名答」

 松宵は尻尾を揺らしながら言った。

 すると、障子の向こうから声がする。

「朔さん、よろしいですか?」

「?鈴鹿さん?」

 鈴鹿だった。

「怪我の具合はどうですか?」

「ありがとうございます、普通に動くぶんには平気です。これくらい寝てたら治る治る!いてッ」

 と、笑ってみせたが、腕を振り上げたところで痛みが走り笑顔も引きつる。

「あまり無理はなさらないでください、でも大事に至らず安心しました。冥叛と影夜丸さんが駆けつけてくれて良かった」

「うん、すごく助けてもらいました。お礼言わなきゃ」

「二人はまだ事後処理が残っているので、明日会えると思いますよ。朔さんには、今日のことで聞きたいことが」

「そっか、うん、わかりました」

「その前に少し、夜風に当たりませんか?ふふ、お気に入りの場所があるんです」

「お気に入りの場所?」

 朔は提案を受け、鈴鹿のあとをついて行った。



 怒縛屋の上階。三、四階ほど。都の街並みを一望できる露台。
 朔は息を飲み、一言こぼす。

「……綺麗……」

 明かりの灯る提灯がいくつも浮かび、夜の闇を照らしている。月には叢雲、月光がほのかに輝く。
 夜の方が賑やかだと話していた冥叛のあの言葉は、本当だった。そこは紛れもなく、幻想的な異世界。
 鈴鹿は言った。

「昼間の件で、この世界のことを恐ろしく思ってしまうのも、無理はないかと。けれど、この景色だけは……本物であるということを、お伝えしたく」

 松宵も景色を一望して、言った。

「妖界も、そう悪くはない……か」

「ええ、そういうことです」

 鈴鹿は遠くを眺める。
 朔も同じようにぼんやり眺めた。本当に綺麗な夜景だった。
 暫く静かに眺めていたところで、朔はふと、「声が、」と言葉を紡ぐ。
 
「声が、聞こえたんだ。あの禍が消える時。『寂しい、楽になりたかった』って。禍は生き物の思念から生まれる不安定な存在だって聞いたから、もしかしたら、現実から逃げたくて、死を選んだ誰かの思いが、あんな化物になってしまったのかな。私……最初は、あいつの言葉に惹かれてしまった……楽になりたいって」

「…………」

 鈴鹿は黙って聞いていた。朔は続ける。

「私、両親がいなくて。小さい時に、事故で亡くなって、おばあちゃんも……それから親戚のもとをたらい回しにされたんだけど、あんまり良いように思われなくて。生きるのに疲れてたんだ。……でも笑っちゃうよね、本当の死の瞬間に遭っても、恐怖が離れなかった。怖い、って。そもそも勇気も度胸もハナからありゃしなかったんだ」

「……死ぬことに、勇気も度胸もいりません」

 鈴鹿ははっきりと言う。

「死にたくなかったというのなら、それは勇気や度胸がいのではなく、あなたが生きたがっているからです」

「……」

 生きたがっている。自分は、生きたがっていたのか。では、何故に?

「なんで、生きたがるんだろう、私」

 すると、突然朔の頭にガブッと噛み付く松宵。

「ギャー!何すんだこの凶暴猫!!」

 朔は悲鳴をあげて引き剥がそうとする。そして松宵は口を離すと朔の頭に乗ったままベシベシと叩いて叱咤した。

「この馬鹿者がぁ!なぜ生きたがるかとかそんなのどうでも良い!!もっと大事なことあるじゃろ!!儂の記憶と、お主がこの世界に来たわけを!探すんじゃろう!?」

 一瞬、キョトンと拍子抜けする朔。ハッとして、

「おまえ、自分勝手すぎるぞ!!」

「儂の記憶を探るということは、お主がここに来た意味を探るということになるのがわからぬか!?」

 と、またやいのやいのと言い合いを始める。

 それを眺めていた鈴鹿が、くすくすと笑いだす。その声に気づく一人と一匹。

「あ、ごめんなさい。本当に仲がよろしいのですね」

「「良いわけあるか!!」」

 突っ込む言葉が被る。
 すると、鈴鹿は言った。

「朔さんは、どうしたいですか?」

「どう、したいって……」

 言われ、朔は素直に考える。

「……」

 夢を、思い出した。「お前さえいなければ」と罵る言葉。酷く恨んで、呪うようなそれは、まるで朔の存在意義を否定しているようだった。

「私は……」

 生きたがる理由。ここにいる意味。それは、探して見つかるものなのか。確かに在るものなのか。

 なにより、自らが望むものは?

 一呼吸し、見つめた掌を強く握りしめ、強い眼差しで、

「知りたい。私がここに来たわけを、私がここにいる意味を。私が……存在意義を肯定するために」

 松宵は「よろしい!」と嬉しげにペシペシと頭を叩き尻尾を振る。「地味に痛いからやめろ!」と松宵に注意する。

 「でもその前に!ちゃんと、私から言わせて!」

 鈴鹿に向き直り、頭を下げる。

「怒縛屋で、働かせてください!ここから始めたいんです!今までは、善意で置かせてもらってる感じだったから」

 大きな目をパチクリさせて驚く鈴鹿。けれど、すぐ微笑んで、

「勿論ですよ。頭首である私が許可いたします。でも、私こそ、その前に」

 今度は鈴鹿が頭を下げる。

「ごめんなさい!!」

「え!?」

 思わず驚いて顔を上げる朔。怒縛屋で働くことを断るということではないはずだが、一体どういう意味のごめんなさいなんだと目を見開く。
 鈴鹿はそのまま続けた。

「あなたのことを、最初、少し疑っていたんです。敵の間者か何かの可能性があるんじゃないかって。それを言い出したのは私ではないんですけど……でも、自他共に疑っていた者はいたので、まとめて私の方から謝らせてください。本当に、ごめんなさい」

「……そうだったんだ」

 顔を上げ、鈴鹿は言った。

「でも、もう私はあなたのことを疑ったりしていません!私は……できれば、あなたともっと仲良くなりたくて」

 そう俯き顔で声が小さくなっていく鈴鹿は、年相応の娘のような素振りだった。朔は妙にむず痒い感覚がしたが、その言葉が妙に嬉しかった。

「じゃあ、鈴鹿ちゃんって呼んでもいい?気づいたら敬語抜けてたし、私もあなたと仲良くなりたい……かな」

 そう笑うと、鈴鹿はたちまち明るい笑顔になり、朔の手を取る。

「勿論です!お好きに呼んでください!うふふ」



 記憶を辿る旅路の果てに待ち受けるものは……この時のまだ朔は、知る由も無いのであった。



 怒縛屋の一室。書類関係の紙で溢れた部屋で、蛙は冥叛、影夜丸と向かい合い座っていた。
 冥叛が今日あった出来事の報告を終えていたところだった。

「某からの報告は以上にござる」

 筆を走らせる蛙は、視線を下げたまま問いかける。

「さて、影夜丸。からの連絡は」

「まだ確たる証拠は掴めてないけど、順調みたいッス。あと、できれば鼻のきく人員が欲しいと」

「ふむ……そうか」

 蛙は軽く相槌を打った。しばらく思案して、ふと呟く。

「鼻のきく……か。頃合いを待つか」
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