影月の燈導‪—‬えいげつのともしるべ—‬

茶々麻呂

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序章 妖界と妖怪

第9話 再来

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「わあっ……!」

 冥叛と共に買い出しに繰り出す。
 朔の目に映ったのは、初めて見る都の風景。和風建築が道なりに建ち並び、行き交う妖怪たちの声でとても賑やかだった。
 数人の子供たちが風車を手に走り去り、あちらでは妖怪たちが楽しそうに談話したり。平和そのものとも言えるようなそれは、朔にとって妖怪の恐ろしいといったイメージを払拭する。

「その耳のおかげで多少はお主も妖怪じみて見えるからの。こんな風に街を歩いても目立たん訳じゃ」

 皮肉めいて言う松宵に「それもそうかも」と返す朔。妖怪だらけのこの都で、人間がいたら当然目立つし浮いてしまうだろうが、今の朔の姿だと割と馴染んでいた。
 ふと冥叛が言った。

「ああ、朔殿は外に出るのが初めてでござったな。しかし、夜の方がもっと賑やかで綺麗でござるよ、きっと朔殿も気にいるでござろう」

「夜?」

「左様。まあそれはお楽しみということで」

 言われるまま、冥叛の後をついていった。

 赤い提灯が並ぶ大通り。途端に妖怪の数が増え、賑やかさが増す。見回すと、両側には店が建ち並んでいた。そこかしこで「安いよ安いよ!」「良いもの揃ってるよ!」と売り文句が聞こえてくる。どうやらこの賑わいの訳は、所謂商店街ゆえだった。
 冥叛に置いていかれぬよう気をつけながらも、店の商品棚を遠目で眺める。反物などの布物に始まり、かんざしなどの飾物、うどん屋などの飲食店……果ては見るからに怪しい何かを売る店など、幅広い。
 朔はこんなに賑やかな場所に来たのは生まれて初めてともいえた。無意識のうちに、心が少し踊る。

「すごいですね、冥叛さん!あっちのは何を売ってるんだろ……人形かな?」

「ふふふ、楽しいでござるか?」

「えっ、あ、すみません、なんか浮かれちゃって……」

 急に恥ずかしくなって縮こまる朔。

「そうでござるな、買い出しの前に少し寄り道してもバチは当たりますまい」

 そう冥叛が指差す先には、団子屋があった。
 朔は、外に出してある暖簾の文字を読み上げる。

黎明れいめい……茶屋」

 店前の赤い布のかかった席に腰掛けると、長い耳の可愛らしい少女が出迎えてくれた。

「ようこそおこしやす~!二名様でおよろしおすか?」

「三名じゃ!!」

 明らかにカウントされていないことに腹を立てる松宵が言うと、少女は「まあ~かいらしい猫ちゃんやわ~!堪忍な?」と手を合わせた。
 注文のやり取りをし、三人は団子と茶を待つことに。
 朔は目の前の道を行き交う異形の者達を眺めながら、

「……本当に、妖怪の住む世界なんですね、ここ」

 怒縛屋の屋敷でも散々異形の者は見たので大分耐性がついてはいるが、それでもまだ少し怖いというか、馴染みがない。しかしもう目の前の現実を受け入れることしかできない朔は素直にポツリと呟いた。
 すると、冥叛が言う。

「朔殿は元人間……もとい人界の者でしたな。まあ、これから少しずつ慣れてゆきましょう。きっと今日もその練習になるはず。大丈夫、何か危険があっても某が付いております故」

 唯一側から見て取れるその目を細め、冥叛はにこりと微笑んだ。
 朔は尋ねる。

「冥叛さんも、戦闘要員……なんですか?」

 横から松宵が「『頭首の右腕』と申しておったろう」と口を挟む。

「あ、そうか」と思い出す朔。

「左様、一応これでも剣術を多少なりとも心得てござるよ」

「では、右腕ともあろうあなたが何故買い出しを……?あと洗濯とか……」

 すると急に冥叛は目の色を変えた。

「それはもちろん、買い出しは己の目で食材を見極めるために決まっておりますぞ!美味しい料理に必要なのは、新鮮で質の良い食材!信じられる己の目で選別しなければ!」

 勢いで語られ、たじろぐ朔。拳を握り熱を持った冥叛は、ふとコホンと息をつくと落ち着いて、「あとは、家事が趣味でござる故」と言った。
 朔は、見た目の割に家庭的というか、主婦じみているというか、ギャップが激しいひとだなあと苦笑いするしかなかった。
 冥叛は朔に言った。

「今度は某が尋ねても?」

「?はい」

「頭首から大体のことは伺ってござるが、井戸の境界に巣食う妖怪に襲われたとか」

「あはは……まあ、そんな感じで。危うく喰われるところでしたけど」

 冥叛はしばらく思案して、

「ふむ……おそらくその妖怪は、まがつと呼ばれる存在でありましょうな」

「まがつ?」

「生き物の思念などから生まれる不安定な存在……人や妖を襲って喰らう、害悪な者達のことでござるよ。まあ、我々がそう勝手に呼んでいるだけのことではござるが」

「妖まで喰べるんですか!?」

 冥叛はこくりと頷く。

「しかし、そう珍しい存在でもござらぬよ。ここではよくいる者共にござる」

 禍。いかにも不吉な響きだった。あの化け物に喰われそうになった瞬間が脳裏をよぎり、ぞっと悪寒が走る。

 いや、もう奴は倒したのだ。もうどの世界にもいない。朔は自分に安心しろと念を押した。

 ……だが、それは思い込みに過ぎなかった。

 ドォォン!!

 突如。轟音とともに妖達の悲鳴が響き渡る。

「な、何!?」

 駆け出し、音のした方向を見て、朔は絶句した。そこにいたのは……腕の塊、建物の屋根の上で大きな口を開いて咆哮を轟かせる、あの時の化け物。

「なっ……んで……どうして……!!」

 松宵も驚愕し、

「馬鹿な!あの時確かに首を飛ばしたはずじゃ!!」

「まさか、奴が朔殿を襲った禍にござるか!?」

 空中に現れている大きな穴が、徐々に塞がっていく。冥叛がそれを見て言った。

「あれは鬼門……!おのれ、境界からの招かれざる客ということか……!」

「鬼門……!?」

「世界と世界を繋ぐ穴のことでござる!どうやら、奴は自分の境界からこちらの世界まで追いかけてきたようにござる……!」

 化け物は、通路に屋根から滑り落ちると、建物にぶつかりながら、逃げ惑う妖達を捕まえようとしている。
 朔はよく目を凝らす。やはり、化け物の首はなく、血がダラダラと流れていた。間違いない。
 咆哮を轟かせながら暴れ狂う化け物。すると、朔達のいる方角へ向き、凄まじい速さで突進してきた。
 冥叛は周りの妖たちを危惧して叫ぶ。

「くっ、皆の者、退避を!」

 朔は、道の真ん中で尻餅をついている小さな妖の子供がいることに気づく。声が出ないほど震えて、身動きができない様子だった。
 このままだと、踏みつけにされるか、喰われてしまう。朔はゾッとした。

「!?小娘!?」

「朔殿!?」

 けれど、そんなことはお構い無しに駆け出す。朔の行動に松宵も冥叛も驚いていたが、朔は頭で考えるより、身体が反射的に動いたのだ。
 化け物に背を向けるように子供を抱きしめ、庇う。

 今度こそ、本当に死ぬかもしれない。
 朔は強く目を瞑った。

「させるか!!」

 瞬間、羽音がした。そして、身体が浮く感覚。

「!!」

 目を開き、見上げると、

「影夜丸!」

 ギリギリのところで朔達を救出したのは、影夜丸だった。「間に合って良かったッス!」とニッと笑う。
 向かいの屋根の上に降りた。

「お主ッこのッ、大馬鹿者!!危うく死ぬところじゃったぞ!!」

 肩に乗る松宵が激怒する。

「だって、仕方ないじゃん!ほら、もう大丈夫だよ」

 朔は松宵をなだめつつ、助けた子の頭を撫でると、子は涙目で言った。

「あ、ありがとう……おねえちゃん……!」

 化物はというと、

「ニク……ニクゥゥ!!!」

 朔達に体当たりを避けられた後地面にめり込むように止まり、辺りを見回す。
 長く伸ばした腕を闇雲に振り回す。周りの建物が破壊され、朔たちのいる屋根が揺れた。その動作はどうやら、何かを掴もうとしているようだった。

 化け物から距離をとっていた冥叛がその挙動を見て気づく。

「……?何かを探している……?ッ、朔殿!」

 気づいた時には時すでに遅く。その腕が、手が、朔へと伸びる。

「!!朔!!」

 影夜丸が叫んだ時には、遅かった。

「おねえちゃん!!」

 助けた幼子が叫ぶ。しかし化物の手は朔の身体をがっしりと掴み、容赦なく連れて行く。振り落とされた松宵を影夜丸が捕まえる。

「ぐっ!!」

 掴む力が強過ぎる。身体が軋む音と同時に、激痛が走る。
 大きく口を開ける化け物。まさか、このまま喰うつもりか。
 あの時、同じように喰われそうになった瞬間が脳裏を過ぎる。確実な死への闇。ヒュッと息が詰まりそうになる感覚。

 冥叛が地を蹴って飛び上がり、叫ぶ。

「抜刀!!」

 目にも留まらぬ速さで、閃光が走る。スヒンッと空を切る音……居合斬り。次の瞬間、朔を掴む化物の腕が切れた。
 冥叛は解放された朔を抱えて地面に着地する。

「怪我はないでござるか?」

「っありがとう、ございます……」

 冥叛は朔を下ろし、後ろへ下がるように支持する仕草をし、自身は一歩前へそして脚を広げて腰を落とし……化物と対峙する。

「グオオオォォォォオオオ!!」

 腕を切られたことに憤怒したのか、腕を振り回し暴れる。あの時、境界で対峙した時とは全く様子が違った。ただひたすらに暴れ狂うだけの、悍ましい化物。
 冥叛は冷静に言った。

「頭を切ったのは正解でござろう。そして、それが弱点だということも。あの様子だと、おそらく目は見えておらぬ。しかしそれで死ななかったのは……執念だけが、奴を突き動かしている故。……それも、もう終わりにしてしんぜよう」

 冥叛は、目を瞑って静かに息を吐く。刀を構えた。
 化物が冥叛めがけて駆け出したその瞬間、冥叛はカッと目を見開き、化物に向かって駆け出す。
 瞬間、冥叛は地面の自らの影へと呑まれ消える。

「!?」

 朔が驚いた次の瞬間。

影遁えいとん・乱れ滝登り!!」

 冥叛が化物の真下の影から現れ、刀で乱撃し斬り上げる。化物は叫び声をあげ、身体にいくつもの切り傷が刻まれた。
 着地し、鞘に刀を収める、カチンという音の後、化け物の身体はバラバラに崩れ落ちた。

「ひぃぃ……」

 全身の力が抜ける朔。
 すると、化物の身体が灰のように霧散し始めた。

 その時。

『……み……しい……しょに……て……』

 脳内に響くような、何かの声。
 それは、同じ言葉を繰り返しているようだった。

『……さみ、しい……』

 寂しい。確かにそう言っていた。
 まさか、この化け物から?

 どんどん霧散して身体が消滅していく化け物に、恐る恐る近づく朔。
 そっと、化物の身体に触れた。

『逃げたかった……自由に……楽になりたかった……でも、寂しい……寂しい……一緒に……いて……』

 感情が伝わってくるようだった。本当に、声から察するに、彼女は孤独を恐れているようだった。

 朔は、無意識に声をかけた。

「……もう、苦しくないよ」

 化物の力が、確かに抜けていくのが感じて取れた。

『嗚呼…………』

 化物の身体は、消滅していった。血も、肉片も、跡形も残さず、全て。

 朔のもとへ、松宵を乗せた影夜丸が駆け付ける。

「怪我はないッスか!?朔!」

「うん、大丈夫」

 松宵が問う。

「奴に何したんじゃ」

「いや、別に何も……」

 すると、朔たちのもとへ冥叛が来る。化け物がいた場所に視線を留めたまま、言った。

「禍の特徴は、死ぬと跡形もなく消滅すること。恐らく、存在自体が歪で不安定であるが故に、死後も実体を留めることができぬのでござろう」

 朔は呟いた。

「……ただ、声が」

 影夜丸が首をかしげる。

「声?」

「……ッ痛」

 肋骨に痛みが走る。思わず肋を押さえる朔。影夜丸は大慌てで、

「大丈夫じゃないじゃないッスか!あいつに掴まれた時ッスね、六さんに手当てしてもらわないと」

 影夜丸は朔を抱きかかえる。


 こうして、境界に住まう化物との闘いは、ようやく終幕を迎えるのだった。
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