影月の燈導‪—‬えいげつのともしるべ—‬

茶々麻呂

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序章 妖界と妖怪

第8話 怒縛屋 肆

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 朝。二度目の朝だった。昨日も似たようなシチュエーションからその日が始まったような気がしたが、朔は部屋で横になっていた。
 見学の最中で急にぶっ倒れたのだと、傷の様子を診にきた六六が教えた。
 正直、その時の記憶はなかった。

 なんとなく、倒れた原因はわかっていた。頭の怪我と、疲労と、耳鳴りと、何かが変わっているという身体の感覚。その慣れない身体のせいか、負荷がかかっていたのだろう。今はすっかり眠気も収まり身体のだるさも、耳鳴りも消えていた。

 六六が、朔の頭の包帯をゆっくり取り除く。

「……ん、もう大丈夫みてぇだな」

 朔の頭の傷も、すっかり治っていた。……いや、明らかに早い、早すぎる。一日寝たくらいだぞ。と疑問に思い、朔は尋ねる。

「早くないです……?」

「あー、人間なら全治三週間とかザラだろうが、おそらくそいつのおかげだな」

 六六は朔の隣に座る松宵を指差した。

「そいつの妖力か、もともとの力だろ。まあお前今人間じゃないしな。別に不思議なこたねぇよ。もしかしたらその傷早く治すために睡眠が必要で昨日ぶっ倒れたのかもな」

 淡々と答え、道具を片付ける。
 確かに、傷があった箇所を触っても、痛くも痒くもなかった。異常な治癒力。だが、それはそれで少し便利な気もした。いや、待てその思考はまずい。人外であることに適応しようとしちゃダメだ。などと一人でモンモンとする朔。

 ふと耳を澄ませた。やはり、いろんな音が聞こえる。でも、昨日ほどの鬱陶しさはなかった。

「……慣れたか」

 ホッとして、ぼそりと呟く。

 ぐぅ~……

「あ」

 突如腹の底から音が鳴り、恥ずかしさで顔が赤くなった。そういえばこの世界に来てからろくに食事を摂っていないことを思い出す。「でけぇ雄叫びだな」と悪戯っぽく言うと、六六はすっくと立ち上がった。

「じゃ、飯行くかー」




 大広間にやって来た。というのも、ここ怒縛屋では毎日三食、ほぼ全員で一部屋に集まり食事を摂るらしく。既に怒縛屋の面々がわいのわいのと集まっていた。
 すると、駆け寄ってくるひとつの影。
 先に気づいた六六が声をかける。

「よぉ、お嬢」

「朔さん、六六さん、松宵さん、おはようございます」

 鈴鹿だった。
 朔も挨拶を返す。

「おはようございます、鈴鹿さん」

 すると鈴鹿は急に頭を下げ、

「昨日はあまり調子が良くない中連れ回して本当にごめんなさい……!」

 申し訳なさそうに謝罪する。
 朔は慌てて、

「いいんですよ!もう全然平気だし!怪我も無事治りましたし!こちらこそ案内ありがとうございました!」

 頭を下げて、お互いに顔を見合わせる。「それは良かったです」とホッと安心したように、ふふっと笑い合うと、今度は松宵が口を挟む。

「おい小娘、腹が減ったぞ」

 グイグイと朔の頬を押す。肉球がなんとなく気持ちよかったが、些か力が強い。

「わかってるって……」

 鈴鹿が言った。

「朝ご飯、一緒に食べませんか?」

 誘われたことが嬉しくて、朔は答えた。

「是非是非」

 席を探そうとした三人に、

「朔ー、六さーん!頭首も!こっちこっち!」

 声の主は、寝癖だらけの影夜丸だった。

「おはよう……寝癖すごいね」

 朔と六六は影夜丸の両隣に座る。鈴鹿も朔の隣に座った。
 六六が言う。

「こいつ世界一寝相が悪りぃからな」

「ええ~普通ッスよこんくらい」

 机の上には、既に食事の準備が整っていた。妖怪の食べ物なんてどんなものかと構えていたが、そこにあるのは米に味噌汁に焼き魚……美味しそうな香りを漂わせる、ごく普通の、健康的な朝食だった。そして、おそらく松宵用の魚が別で並んでいた。朔は軽く拍子抜けする。

「小娘!魚は儂のじゃ!」

 急に興奮し、涎を頑張って垂らさないようにしている松宵。猫だからだろうか、魚は好物であるようだった。
 目一杯伸ばして魚を取ろうとする松宵の手を掴んで、「まだ食べちゃダメだってたぶん!」と制する朔。すると、割烹着姿の、全身包帯を巻いた妖怪が声を張り上げる。

「お早う御座いまする皆の衆!しっかり食べて、しっかり働きましょうぞ。さあ、」

「「いただきます!」」

 合図すると、全員が一斉に合掌した。そして、ガツガツと威勢良く朝食をかきこむ。
 乗り遅れてしまったが、朔も箸を取り、「いただきます」とポツリ呟く。
 松宵は朔の太ももの上に降り、魚に豪快に齧り付く。朔は影夜丸にふと尋ねた。

「ここっていつもこうなの?」

「そッスよ~、みんなで食べた方が楽しいッスからね!」

 にひひ、と口元に米粒をつけたまま笑う。

 誰かと一緒にご飯を食べる風景が、こんなに明るく賑やかに見えるのはいつぶりだろうか。心がホッと温かくなるような、不思議な感覚。両親や、祖母と一緒に楽しく食事をしていた頃を思い出し、心臓がキュッと軽く締め付けられるような気がした。
 一口入れ、味を噛みしめる。
 隣に座る鈴鹿が「美味しいですか?」と微笑んで聞いてくる。
 朔は答えた。

「……美味しい」

 思わず、笑みが溢れるのだった。



 怒縛屋で過ごすこと僅かだが、この世界のことは大まかに掴めてきた。
 まず、朔の元いた世界……つまり妖界に対して人の住む人界と同じく、朝と夜は同じように巡りくる。時間の刻み方はどうやら同じであった。
 最も違う点とすれば、ここに住み生きる者。
 人知を離れた奇怪で面妖な存在……妖怪。御伽噺のようなそれは、この世界では当たり前のことであった。

「で、まあなんとなくはわかったんだけど……」

 そして化け猫に取り憑かれ、人間でありながら人間ではなくなった朔は……皿洗いをしていた。

「なんで皿洗いなんかしてんだ!」

「手を動かさんか、小娘」

 愚痴る朔に松宵が喝を入れる。
 厨房には朔と松宵しかおらず、皿洗いの音だけが部屋に響く。

「わかってますよ……ただの居候の身なんですからこれくらいしないと……とは思ったけど!量多くない!?」

 怒縛屋に身を置かせてもらう代わりに働いているわけで、こうやって雑用をこなしているのだった。

「働かざる者食うべからず。文句言わず早く終わらせい」

 食ったら次は眠気が来たのか、欠伸をする松宵。洗い場の側でごろごろと寝転がり、暇そうにくつろいでいた。これが普通の猫なら誰しも可愛いといえようが、相手が松宵だとそんな感情も消え去ってしまう。

「じゃあ手伝ってよ」

「猫の手も借りたいというのか?残念ながら儂は皿を持てんのでな」

「上手いこと言うな」

 ツッコミを入れながらも作業に戻る。
 ふと、視界の端で何かが動くのが見えた。

「え、なに、虫!?」

 思わず身構える。
 よく見てみるとそれは、虫ではない。

 ……影。
 複数の、触手のような形をしたそれは、床から離れてゆらゆらと揺れている。影が伸びる元を目で辿ると、どうやら厨房入り口のさらに向こう。何処か遠くから伸びてきているようだった。

 朔が恐れおののいていると、影はクイッと合図し、皿へ手を伸ばすと、丁寧に皿洗いを始めた。手際よく、複数の影が役割分担しながら皿を片付けていく。
 側で見ていた松宵が一言。

「……気持ち悪い」

「珍しく意見が合うじゃん……」

 暫くして。謎の影が手伝ってくれたおかげであんなに大量にあった皿は綺麗さっぱり片付いた。
 すると影はスルスルと地面に入り込む。一本だけ顔を覗かせ、くいっと何か合図する。その仕草は、「付いて来い」という感じだった。

「……」

 互いに顔を見合わせると、松宵は「行くしかあるまい」と、朔も決心をする。
 松宵は朔の肩に飛び乗る。

 伸びる影を逆再生するかのように縮んでいくそれに付いて行く二人。厨房から渡り廊下、縁側を通り……辿り着いたのは、外の庭。ひとりの男が、洗濯物をしていた。
 影は、男の足下に戻る。足を止めて見上げると、男は気づいたように振り返った。

「お待ちしておりましたぞ、朔殿。もう傷の具合は宜しいですかな?」

 覚えのある声と姿。何処で見聞きしたのかと記憶を遡ると……

「あ!朝の!割烹着の人!」

 思い出した。朝食の時合掌の声かけをしていた、割烹着の包帯の人……いや妖怪。
 朔は朝の時も思ったが、黒い衣服に包帯、得体の知らなさを醸し出すその風貌に、家事をする様子は正直似合わない気がした。

「はい、割烹着の人でござる。某の名は冥叛めいはん。僭越ながら、鈴鹿御前の右腕として務めておりまする」

 ?と疑問に思うも、丁寧に頭を下げられたので朔は慌てて、

「すみません、割烹着の人呼ばわりして……」

 よく考えると割と失礼な呼び方だと思い謝る。冥叛は大して気にする様子もなく、「構いませんぞ」と愉快に笑う。
 朔は尋ねる。

「あの、さっきの影って……」

「ああ、これですな」

 冥叛は再び、自分の足下からズルズルと触手の形をした影を出す。

「驚かせてしまって申し訳ない、これは某の影繰りかげぐりという妖術にござる。文字通り影を操る術故、生き物でもなければ害もないでござるよ」

 松宵が「なんと面妖な」と猫じゃらしで戯れるかのように猫パンチする。
 冥叛は続けて言った。

「微力ながら家事の助太刀を致したまで。というのも、買い出しの手伝いを頼みたく」

「買い出し?」

 朔は、主婦のようなその言葉が、やはり冥叛の風貌に似つかわしくない……と思ってしまうのだった。
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