影月の燈導‪—‬えいげつのともしるべ—‬

茶々麻呂

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一章 薬屋

第2話 謎の気配

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 朔の鍛錬の日々は続いた。筋トレ、走り込み、その上異常なまでの柔軟体操をさせられるのはキツかった。しかも、日に日に鍛錬の質も、量も増えていく。毎日怪我や筋肉痛で悲鳴をあげる。それも眠れば治る程度だから治ってはなって治ってはなっての繰り返し。朔は、それでも必死にこなすしかなかった(冥叛がスパルタだからとは言わない)。けれど、相変わらず基礎体力を上げることと、攻撃をかわしたり受け身を取る訓練がほとんど。ほかに実践的なことは何もなかった。

 だが、明らかに身体能力が向上していることは朔自身実感できていた。身体は柔軟に、人間だった頃より速く長く走れるし、体力ももつ。反射神経が鋭くなり、反応も動きも速い。最初はかわすのにギリギリだった冥叛の影の触手は、目で捉えることも可能になり、より長い時間、より多く避けられるようにもなった。

 朔は少し自信が持ててきた。

 ただ、上達してくるとふと疑問が浮かぶ。周りの様子を見ていて朔は思った。冥叛は刀。影夜丸は鎖鎌。皆得意の武器がある。
 朔は冥叛に聞いた。

「あの、私には武器とか持たせてもらえないんでしょうか」

 冥叛は少し沈黙すると、

「ダメですな」

「えぇ!?!?」

 そんな直球に!?と驚愕すると、「あ、今のは言い方が悪うござったな」と訂正した。

「ダメというより、少し厳しい言い方をさせていただくと、向いてないのでござるよ」

「向いてない……?」

「己の身も守れぬ者に他者を傷つける道具はいらぬということか」

 松宵が返した。それについて冥叛は肯定するでもなく否定するでもなく、続ける。

「……実践的なという行為は他の構成員に任せた方が良い……まあ、今はあまり言うますまい」



 怒縛屋の大浴場。
 朔は、静かに湯船に浸かると、ジャボンッと勢いよく座り込む。

「なんじゃ小娘!!びっくりするじゃろ!」

 側の岩場で座っていた松宵が驚く。幸い今はほかに誰もいない。

「だってさ!?向いてないって!!普通に傷つくでしょ!?力ついてきたら持たせてもらえるのかと思ってたのに~!!」

「なんじゃそのことか」

 呆れたようにため息をつく松宵。

「そんなにお主、武器が欲しいのか?」

「欲しいっていうか……だってかっこいいじゃん……なんか……」

 ワキワキと腕を動かして謎のジェスチャーをする朔。少年の心というか、かっこいい武器を振り回してみたいという、いわゆる浪漫というものだろうか。
 松宵は「単純な奴じゃな……」と遠い目をする。

 己の身も守れぬ者に、他者を傷つける武器はいらぬ。松宵の言葉が脳裏をよぎる。せめて己の身は己の身で守りたい。そうできなくてはただの足手まとい。それにはなりたくなかった。これからこの世界で生き抜いて、松宵の記憶を探すためには強くならなければならないのだから。

「……とりあえず、鍛錬を続けるしかないか……」

「……まあ、安心せい。ずっと見とるし、ちゃんと最初より強くなっておるのはわかる」

 慰めるかのような言葉をかけてくれる松宵に、朔は拍子抜けした。

「……え、あ、ありがと……ってか見守ってくれてたんだ」

 ふとそう聞くと、松宵は無言でそっぽを向く。図星だ。
 朔は力が抜けたように、表情筋が緩くなった。

「なぁんだぁ」

「……なんじゃニヤニヤするな」

「ふふ。松宵って、愛想は良くないけどなんだかんだ優しいよね」

「愛想良くないは余計じゃろうが」

「ほらその仏頂面」

「もともとじゃ」

 朔は松宵の頭を撫でる。松宵はさして嫌がるでもなく、されるがままだった。

「あの時だって、助けてくれたし」

 井戸の化け物に追われている最中につまずいて、喰われそうになったあの時。松宵が助けてくれてなければ、今ここに己はいない。

「そういえばあの時言ってなかったね、お礼。遅れてごめんね。……ありがとう」

 小首を傾げて微笑んだ。素直に、感謝した。
 松宵は目を見開いて、照れたように視線を逸らす。

「……たいしたことはしとらん。……まあ悪い気はせんが……」

 その時、影夜丸の言葉が脳裏をよぎる。『相棒』。目的のためにも、助け合っていくべきだと。
 松宵は、ふんっと得意げに鼻を鳴らした。

「儂がおるんじゃ。何も恐れることなどない」

「あは、何~急に頼もしいじゃん。ちっちゃいけど」

「ちっちゃいは余計じゃ!!!」

 湯の流れる音の中、怒号と共に、笑い声が響く。

「そろそろ出るか」

 湯船から出て、出入り口へと向かって歩き出す。片足が地面につく、その刹那。白い物体を盛大に踏むと、流れるように前へと滑った。

「!?」

 ゴンッッと鈍い音を立てて後ろへひっくり返り、後頭部を派手に打った。今まで鍛錬でも感じたことのない激痛が走る。

「こっ……ぉ……ぁ」

 もはや痛すぎて悲鳴をあげることすらできなかった。打ちつけた後頭部を押さえてゴロンゴロン身悶える朔。
 駆け寄ってきた松宵が気づく。

「なんじゃ、突然何かと思えば石鹸で転んだのかお主。間抜けじゃのう……やはり少し強くなったという先ほどの言葉は取り消そうかのう」

 石鹸?ついさっきまでそんなもの転がってなかった。転がっていたなら気づいて拾っていたはず。

 そんなバカな、と考えるより、激痛が治まらないせいでその場から身動きも出来ず、次に入浴しに来た怒縛屋構成員に見つけられるまで小一時間耐えるしかなかった。

「……しししっ」

 朔の気づかないところで、子供の笑い声が響いていた。



 それからというもの。朔はこの頃違和感を感じていた。いや、正確には明らかに何者かに標的にされている。

 目を離しただけで目の前にあったはずのおかずが消えていたり、朝起きると明らかに寝相が悪いどころでないほどに布団が部屋の隅に飛ばされていたり、着替えるつもりで置いていた服が水でびしょ濡れだったり。

「どう考えても陰湿ないじめだろ!!」

「お主……そんなにここの者に嫌われておったのか……」

「哀れむような目で見るな!!余計に悲しくなる!!」

 もし本当にそうなら割と本気で悲しくなってくる。けれど、誰がこんなことをしているのかわからない。姿を全く見ていない。影夜丸や鈴鹿にも相談してみたが、特にそんなことをする者の姿は見ていないという。

 考えながら鍛錬場にやって来た。

「さて、朔殿。最初の頃よりだいぶ、身体が引き締まって能力が向上いたしましたな」

「冥叛さん。……まあ、そうですね、最初の頃よりは」

「もっと強くなりとうござるか?」

「え?」

 これはもしかして、この流れは……かっこいい武器をくれるのか!?と期待する朔だが、帰って来た言葉は予想外のものだった。

「では、を捕まえてご覧なされ」

「……はぇ?」

 ?とは一体誰のことか。

「最近色々と朔殿に対する悪戯が過ぎるでござろう?全て彼女の仕業にござる。朔殿が見事捕まえられたら、もっと強くなるための秘訣を伝授いたそう」

 そう人差し指を立て口元に持ってくる。
 やっぱり犯人いたのか、しかも今までの全てそのの仕業……と落胆する。

 強くなるための秘訣、と冥叛は言ったが、それは何なのだろうか。
 朔は質問する。

「……武器とかもらえたりするんですか……?」

「それは秘密」

 朔はぐぬぬと首を曲げたが、内容が何であれ強くなるための秘訣は是非とも聞きたい。それに、近頃の被害の原因がわかったのならなんとかしたい。朔は決意する。



「とはいうものの……どうやって捕まえるんだろ?だって姿も知らないのに。何処にいるかなんてわかりゃしないよ」

 朔は腕を組んで考え込む。縁側で日差しが優しく照って、松宵は眠そうに欠伸する。

「……罠とかはどうじゃ?」

「罠?そんなもの作る技術ないよぉ」

「こうなったら普段の生活でずっと周りを警戒して、姿を現す瞬間を待つしかないかの」

「けど、本当に一瞬なんだよね。気づかないほど一瞬」

「相手がどんな能力を持った妖かもわからんしな」

 二人して悩んでいると、突如、子供の笑い声が聞こえた。

「!?何!?」

 狼狽える朔。すると急に何者かに耳を引っ張られた。しかも割と強めに。

「イダダダダ!!!」

 耳を掴む手を振り払って後ろを振り向くが、誰もいない。馬鹿な、確かに振り払う時手が当たったはず。

「のわぁぁ小娘ぇぇ!!!」

 今度は松宵が足を引きずられて行く。爪を立てた前足で床に線状の傷が付く。

「松宵ィイ!?」

 朔は思わず松宵の前足を掴んで引き止める。見ると、松宵の足を掴む何かは目に見えなかった。

 負けじと朔も引っ張るが、おかげで宙に浮かぶ松宵は身体を両側から引っ張られ痛みのあまり悲鳴をあげる。

「し、し、死ぬ……」

「死ぬな!」

 すると急に向こうが手を離したのか、反動で後ろに倒れた。

「うわっ」

「にゃッ」

 顔を上げると、やはりそこには誰もいない。ただ、「しししし」と悪戯っぽく笑う声だけが聞こえる。
 朔はムカッとして言った。

「あんた何者!?姿見せないとか卑怯でしょ!」

「うししししっ」

 笑うばかりで何も答えない。笑い声は次第に遠のき、やがて聞こえなくなった。居なくなったのだろう。
 朔は静かに話しかける。

「松宵……」

「ああ……」

「「絶ッッッ対に捕まえてやる!!!」」
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