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一章 薬屋
第5話 いざ、出発
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「あやつの部屋、二度と行きとうない」
書斎からの帰り道。息を吹き返した松宵が、朔の肩の上で心底嫌そうに言った。朔は「同感」と相槌を打つ。
陽が傾き始めて、縁側は夕日の光に照らされていた。
「でも嫌だなぁ、いや嫌とか言っちゃダメなんだけどさ……怖いじゃん……今度こそ死ぬかも。ってか潜入って何!?何したらいいの!?」
「読んで字のごとくじゃろ。潜み入りて探るんじゃよ」
「そのまんまじゃねーか」
「まあ、やってみんとわからんこともあるじゃろ。そう僻むな」
ふと優しく芳しい香りがした。視線をあげると、庭の先に花があった。塀を覆うように伸びる緑の絨毯の中に、ポツポツと所々に花が咲いている。
朔は縁側を降りて側まで来た。よくよく見てみると、花の形は朝顔に似ているが、色は全て白だ。
ほのかに甘い香り。不意に朔は口を開いた。
「……いるんでしょ、夕顔」
「なっ、なんでわかったん……」
側に立っていた木の陰から声。ひょっこり顔を出したのは、幼い少女。朔と松宵にちょっかいをかけまくっていた、夕顔だった。
「あの時もそうだ。おめぇには姿を見せないように隠してたのに、なんでおいらのこと捕まえられたんだよ」
「なんでって、私、鼻と耳がいいからさ。あんたが現れる時、この花と同じ香りがしてたから」
夕顔は「むむむ」と悔しげに顔を歪める。けれど相変わらず覗かせるばかりで出てこないので、朔は声をかけた。
「……なんでそんな隠れてるの、出ておいでよ」
しかし、夕顔は問い返してきた。
「……怒ってる?」
夕顔は、怯えているようだった。それは勿論、冥叛に指示されたこと以外にたくさん悪戯をしていたからだ。
しかし朔は、なんだそんなことかと、困ったように笑って、
「怒ってないよ」
「本当に?」
「本当に」
「なんで?」
「なんでって……」
朔は塀の花に視線を落として、
「ここの花、あんたがいつも世話してるんでしょ?丁寧に水やりされてるし、こんなにたくさん元気に育ってるってことはそういうことでしょう。あんたからこの花と同じ香りがするのも、これが理由。どう?名推理!」
ニコッと悪戯っぽく笑う。続けて言った。
「まあ悪戯は過ぎるけど、本当は夕顔が律儀で優しい子ってのはわかったから。もう怒ってないよ」
夕顔は驚いた様子で、少し考えて、そろりそろりと出てきた。そして朔の前で小さく頭を下げて、
「悪戯してごめんなさい」
素直に謝った。朔と松宵は一瞬きょとんとしたが、朔はすぐ笑って、「もういいよ」と、頭を撫でた。松宵も、「まあ許してやろう」とため息をついた。
顔を上げた夕顔は、心底嬉しそうに、そして照れ隠しするように言った。
「この花ね、夕顔ってんだ!おいらと同じ名前!おいらの花だ!綺麗だろ!」
「うん、綺麗!たくさん咲かせられるなんて、よっぽど手が行き届いてる結果でしょうな~」
そう褒め称えて頭を撫でると、「えへっンフフ」とわかりやすい嬉しそうな声を上げる夕顔。花に視線を戻すと、
「次、任務に出るんだろ」
「なんで知って……あ、もしかして盗み聞きしてたな?」
「あれ、とっくにバレてんのかと思った」
「煙草の臭いでそれどころじゃなかった……」
「おっちゃんの部屋臭いもんな。おいら嫌い」
「おっちゃ、ぶふッ」
おっちゃん呼ばわりに思わず吹きかける朔。
朔からすれば蛙は見た目は若いのだが。
「おいらはついていけないけど、でも、おめぇの無事を祈るくらいはできるぜ!見てろ!んんん~おめぇに幸あれ福来たれ!」
そう言って、人差し指を天に掲げ謎のまじないをかけるような仕草をした。
「……本当に効果あるの?」
「阿保じゃの」
松宵も訝しげに言う。
「んな!座敷童子の力を舐めちゃあいけねぇぜ!」
本当かどうかはさておき、なんだか面白可笑しくて、朔はおもわず笑ってしまったのだった。
✿
夜も更け、皆が寝静まる頃。
一つの影が起き上がる。
「…………」
松宵は、隣で眠る朔の寝顔を少し眺めて、部屋を後にした。
屋根の上。軽い身のこなしで駆け登ると、程よく気持ちの良い風が吹き抜ける。辺りは月明かりに照らされ、明かりがなくともよく見えた。
腰を据え、ふと見上げる。
松宵自身、潜入調査任務のことなどどうでもよかった。ただ、朔を死なせないようにしたいだけ。目的を達成できなくなるのは困る。
最初より体力も能力も向上した朔が不安でたまらなかったのは、未知の世界に自分と松宵だけで入ると言うことと、攻撃の手段を持ってないから。冥叛はそれを教えなかった。
だが、松宵は後者についてはなんとなく予想がついた。攻撃の手段を持っているということは、普通は戦おうとしてしまう。が、技量足らずで命を落とすこともある。そうなることを前提として朔に戦闘自体を避けさせようとしているのだ。そのために逃げる技術だけは底無しに強化された。
『実践的な戦うと言う行為は、他の構成員に任せたほうがいい』。冥叛はそう言っていた。つまりはそういうことだ。
それだけで、生き残れるとは到底思えないが。
だからこそ、自分がよく見ていなければ。手助けしなければ。
柔らかい光を放つ月明かりに、松宵は目を細める。
「しばし待たれよ、御主人。必ずや……」
消え入りそうな声は、鈴虫の声に遮られた。
✿
翌朝。
「準備完了ですね」
「え!?地図以外手ぶらなんだけど!?」
鈴鹿の言葉に朔は突っ込んだ。
「あ、そうですね、お金は少しくらいお持ちいただいたほうが良いですね、どうぞ」
「どうも……ん!?お金だけ!?」
「はい。というのも、職を求めて遠方からやって来た家なし娘……という設定だそうなので」
「設定」
もちろん、それを考えたのは蛙だろう。出迎えには来ていないが。
「やーい家なし娘~」
「やかましい!!」
おちょくる夕顔に吠えた。
「大体あんたも居候でしょうが」
「あー!?座敷童子を居候呼ばわりしたぞこやつー!鈴鹿~!」
と、鈴鹿に泣きつく。
「はいはい。居候もあながち間違いではないですよ。では、朔さん。薬屋までの道順ですが、辻の杜では特に気をつけてください」
「辻の杜?」
鈴鹿は地図の中のある地点を指差す。
「はい。実は辻の杜はここの他にも複数あります。小道が密集した地帯で、決まった道順で遠く離れた辻の杜に通じることができます。辻の杜は、どこにでも行けて、どこにも行けない場所です。というのも、遠い場所に行くには大変便利なものですが、正しい道筋を辿らないと、永遠に出られないので……くれぐれも地図を失くしたりしないでくださいね」
「ひぇ……わかりました」
「それと、朔さんは間者ということですので、薬屋に潜入ができたら、絶対に正体を勘付かれないようお気をつけください。バレてしまうと今後の調査が困難になるうえ……厳しいことを言うようですが、朔さんの命も保証し兼ねません」
真剣な顔で言う鈴鹿。朔は更に不安が増す一方だったが、
「……そうならんように、儂がついておる」
松宵が元気づけるように言った。
朔は、その一言でどこか心が軽くなった気がした。
「そうだぞ!おいらもついてるからな!ほれっ」
夕顔は朔の腕に木製の数珠をつけた。
「数珠?くれるの?」
「厄除けだよ!おいらの座敷童子ぱぅわーをたくさん込めたかんな!これ付けてりゃどんな災いもちょちょいのちょい~よ」
要するに、御守りだろう。効果はさておき、朔は純粋に嬉しかった。
「あはは、ずいぶんと心強いや」
夕顔は寂しそうに微笑んで言った。
「朔。無事に帰ってきてね」
「大丈夫、任せて。それじゃあ、行ってきます!」
大きく手を振り、朔はいよいよ出立した。
姿が見えなくなるまで、夕顔と鈴鹿は門の外で見送り、手を振り続けた。
静かに手を下ろしたところで、一人の男が門の中から出てくる。
「行ったか」
「ええ。それにしても、蛙。朔さんにはいささか難易度が高すぎる任務だと思うのですが」
蛙はふっと笑う。
「そうか?まあ、最初っから難易度上げてやるほうが後が楽ってもんだ。それに、あいつ逃げ出さなかったしな」
「笑い事ではありません」
鈴鹿はムッとして言う。
「ところで、あちらには彼女のことを伝えましたか」
蛙は「ああ」と淡々と返答する。
「あの方がいれば、私も安心できます。早く合流できれば良いのですが……」
「おっちゃん煙草臭い」「喧しい」とやりとりする夕顔と蛙をよそに、鈴鹿は朔の歩いて行った方に視線を戻し、静かに、祈るように呟いた。
「どうか、ご武運を」
✿
「さて、張り切って出発したはいいものの。ちゃんと目的地まで辿りつけるのかな」
「途中まではこの間通った道と変わらんのじゃろ。ほれ、あの団子屋」
「あ、黎明……」
思い出した。腕だらけの化け物が襲ってきたあの時、冥叛と一服しようと訪れていた黎明茶屋。
「結局注文したあとお団子食べれなかったんだよねぇ。いろいろあって……いろいろ……」
思い出すだけでなんだか疲れてくる気がした。団子屋に近づくと、長い耳の少女はお客に囲まれて楽しそうに談話していた。名前はそう、子々玖黎。看板娘さながら、彼女と話す客たちはみんな鼻の下が伸びているような……人気は絶大なようだった。
ふと朔の方に気づく。
「あーッ!こないだのお客はん!!」
そう声を上げると、子々玖黎はお客たちに一言断って、急いで駆け寄ってきた。
「ひえっ、どうも」
「子々玖黎どす、覚えてはる?こないだは大変やったんよ~でもうちの店はなんとか被害を免れてなぁ、見ての通りすぐ通常営業復帰どすえ。ほらほら、お団子食べていっておくれやす」
「いや!あの、私そんなにお金持ってなくて」
「何言うてはるん!こないだの分、準備してもろたのに食べられへんくて御免いうて、冥叛はんお代だけ置いてきはったんよ。だからその分食べていってもらわんと、うちの面目立たへんどすえ?」
「なるほど」
「食べる!!」
松宵は目を輝かせて断言した。
結局、団子とお茶を朔たちにとっては実質タダでいただくことになってしまった。
「お待たせしました~」
看板娘こと子々玖黎が出してくれたのは、美味しそうな三色団子に、抹茶。思わずおおっ、と感嘆の声が出る。が、気になる点が。団子の数が二人前にしては多いような。
「冥叛はんの分合わせて三人前お出ししとります~。というのも、お代だけ置いてきはった時、自分の分は次また来る女の子と猫ちゃん一匹にお出しして欲しい言わはったんどす」
「なんか悪いな……」
「それじゃあ、ごゆっくり~♪」
団子ひとつが結構大きい。松宵と分ければ食べきれるか……と思っていたところ。
ぐぅ~……
腹の虫が大鳴きする音。「小娘の腹は今日も元気じゃの」という松宵に「私じゃねぇ!」と朔は突っ込んだ。そう、音の主は……
「ありゃ~失敬失敬」
隣に座る少年が言う。見ると、軍帽を被った書生のような格好をしていた。抹茶を飲みきって、朔の方を見る。『一』と書かれた紙をめくって、紫色の瞳が朔を見つめる……その瞬間、朔はゾクっとするような謎の悪寒が走った。
少年は紙から手を離し、
「抹茶だけじゃあ腹が膨れなかったみたいだね~」
ケラケラと笑った。
さっきのはなんだったのだろうか。気にしすぎか……と、朔は団子を差し出した。
「あの、団子ひとつ余ってるんですけど。食べます?」
すると少年は嬉しそうに、
「わあ!いいの!?やった~いただきま~す!」
遠慮する仕草もなく受け取ると、美味しそうに頬張った。松宵は「儂が食べようとしてたのに!」と文句を言ったが、「自分の分あるでしょ」と宥めた。
「ありがとう~今日朝から何も食べてなくてさあ」
「そうだったんですね。わ、美味しい……」
朔も団子を頬張る。甘くてもちもちとして、美味だった。
すると、少年はまた言った。
「君も大変そうだねぇ~、潜入任務?そりゃあ不安だよねぇ、見知らぬ場所に危険を承知で入るんだもんねぇ、わかるよ」
「そうそうもう心労が……」
そこまで言いかけて、止まる。
何故、見ず知らずの少年が任務のことを知っている?
朔は動揺を隠せなかった。
「な、んで、そのことを……」
「さぁて、何故でしょう?そうだね、僕もよくそういうことやってるからさ~仕事柄。助言するなら、何事にも疑ってかかれ、……かな」
目元が隠れているからか、笑っているのか、笑っていないのか……全く表情が読めなかった。
妙な動悸。恐ろしい……そんな感情を抱きそうになったその時、
「ごちそーさまっ!」
その一言で朔は我に帰った。
「君、名前は?」
「さ、朔」
「そ、僕は虺。また会えたらいいね、猫娘の朔ちゃん♪」
そう言い残して、少年は……虺は、立ち去っていった。
「…………」
「……あの小僧、なんかいけ好かんな」
団子を食べ終わった松宵が、手のひらを舐めながら言う。黙って二人の話を聞いていたようだ。
虺の姿が人混みに紛れて見えなくなるのを見届けながら、朔はつぶやいた。
「……なんだったんだろう……」
一体何者なのか、全くわからないばかりだった。
書斎からの帰り道。息を吹き返した松宵が、朔の肩の上で心底嫌そうに言った。朔は「同感」と相槌を打つ。
陽が傾き始めて、縁側は夕日の光に照らされていた。
「でも嫌だなぁ、いや嫌とか言っちゃダメなんだけどさ……怖いじゃん……今度こそ死ぬかも。ってか潜入って何!?何したらいいの!?」
「読んで字のごとくじゃろ。潜み入りて探るんじゃよ」
「そのまんまじゃねーか」
「まあ、やってみんとわからんこともあるじゃろ。そう僻むな」
ふと優しく芳しい香りがした。視線をあげると、庭の先に花があった。塀を覆うように伸びる緑の絨毯の中に、ポツポツと所々に花が咲いている。
朔は縁側を降りて側まで来た。よくよく見てみると、花の形は朝顔に似ているが、色は全て白だ。
ほのかに甘い香り。不意に朔は口を開いた。
「……いるんでしょ、夕顔」
「なっ、なんでわかったん……」
側に立っていた木の陰から声。ひょっこり顔を出したのは、幼い少女。朔と松宵にちょっかいをかけまくっていた、夕顔だった。
「あの時もそうだ。おめぇには姿を見せないように隠してたのに、なんでおいらのこと捕まえられたんだよ」
「なんでって、私、鼻と耳がいいからさ。あんたが現れる時、この花と同じ香りがしてたから」
夕顔は「むむむ」と悔しげに顔を歪める。けれど相変わらず覗かせるばかりで出てこないので、朔は声をかけた。
「……なんでそんな隠れてるの、出ておいでよ」
しかし、夕顔は問い返してきた。
「……怒ってる?」
夕顔は、怯えているようだった。それは勿論、冥叛に指示されたこと以外にたくさん悪戯をしていたからだ。
しかし朔は、なんだそんなことかと、困ったように笑って、
「怒ってないよ」
「本当に?」
「本当に」
「なんで?」
「なんでって……」
朔は塀の花に視線を落として、
「ここの花、あんたがいつも世話してるんでしょ?丁寧に水やりされてるし、こんなにたくさん元気に育ってるってことはそういうことでしょう。あんたからこの花と同じ香りがするのも、これが理由。どう?名推理!」
ニコッと悪戯っぽく笑う。続けて言った。
「まあ悪戯は過ぎるけど、本当は夕顔が律儀で優しい子ってのはわかったから。もう怒ってないよ」
夕顔は驚いた様子で、少し考えて、そろりそろりと出てきた。そして朔の前で小さく頭を下げて、
「悪戯してごめんなさい」
素直に謝った。朔と松宵は一瞬きょとんとしたが、朔はすぐ笑って、「もういいよ」と、頭を撫でた。松宵も、「まあ許してやろう」とため息をついた。
顔を上げた夕顔は、心底嬉しそうに、そして照れ隠しするように言った。
「この花ね、夕顔ってんだ!おいらと同じ名前!おいらの花だ!綺麗だろ!」
「うん、綺麗!たくさん咲かせられるなんて、よっぽど手が行き届いてる結果でしょうな~」
そう褒め称えて頭を撫でると、「えへっンフフ」とわかりやすい嬉しそうな声を上げる夕顔。花に視線を戻すと、
「次、任務に出るんだろ」
「なんで知って……あ、もしかして盗み聞きしてたな?」
「あれ、とっくにバレてんのかと思った」
「煙草の臭いでそれどころじゃなかった……」
「おっちゃんの部屋臭いもんな。おいら嫌い」
「おっちゃ、ぶふッ」
おっちゃん呼ばわりに思わず吹きかける朔。
朔からすれば蛙は見た目は若いのだが。
「おいらはついていけないけど、でも、おめぇの無事を祈るくらいはできるぜ!見てろ!んんん~おめぇに幸あれ福来たれ!」
そう言って、人差し指を天に掲げ謎のまじないをかけるような仕草をした。
「……本当に効果あるの?」
「阿保じゃの」
松宵も訝しげに言う。
「んな!座敷童子の力を舐めちゃあいけねぇぜ!」
本当かどうかはさておき、なんだか面白可笑しくて、朔はおもわず笑ってしまったのだった。
✿
夜も更け、皆が寝静まる頃。
一つの影が起き上がる。
「…………」
松宵は、隣で眠る朔の寝顔を少し眺めて、部屋を後にした。
屋根の上。軽い身のこなしで駆け登ると、程よく気持ちの良い風が吹き抜ける。辺りは月明かりに照らされ、明かりがなくともよく見えた。
腰を据え、ふと見上げる。
松宵自身、潜入調査任務のことなどどうでもよかった。ただ、朔を死なせないようにしたいだけ。目的を達成できなくなるのは困る。
最初より体力も能力も向上した朔が不安でたまらなかったのは、未知の世界に自分と松宵だけで入ると言うことと、攻撃の手段を持ってないから。冥叛はそれを教えなかった。
だが、松宵は後者についてはなんとなく予想がついた。攻撃の手段を持っているということは、普通は戦おうとしてしまう。が、技量足らずで命を落とすこともある。そうなることを前提として朔に戦闘自体を避けさせようとしているのだ。そのために逃げる技術だけは底無しに強化された。
『実践的な戦うと言う行為は、他の構成員に任せたほうがいい』。冥叛はそう言っていた。つまりはそういうことだ。
それだけで、生き残れるとは到底思えないが。
だからこそ、自分がよく見ていなければ。手助けしなければ。
柔らかい光を放つ月明かりに、松宵は目を細める。
「しばし待たれよ、御主人。必ずや……」
消え入りそうな声は、鈴虫の声に遮られた。
✿
翌朝。
「準備完了ですね」
「え!?地図以外手ぶらなんだけど!?」
鈴鹿の言葉に朔は突っ込んだ。
「あ、そうですね、お金は少しくらいお持ちいただいたほうが良いですね、どうぞ」
「どうも……ん!?お金だけ!?」
「はい。というのも、職を求めて遠方からやって来た家なし娘……という設定だそうなので」
「設定」
もちろん、それを考えたのは蛙だろう。出迎えには来ていないが。
「やーい家なし娘~」
「やかましい!!」
おちょくる夕顔に吠えた。
「大体あんたも居候でしょうが」
「あー!?座敷童子を居候呼ばわりしたぞこやつー!鈴鹿~!」
と、鈴鹿に泣きつく。
「はいはい。居候もあながち間違いではないですよ。では、朔さん。薬屋までの道順ですが、辻の杜では特に気をつけてください」
「辻の杜?」
鈴鹿は地図の中のある地点を指差す。
「はい。実は辻の杜はここの他にも複数あります。小道が密集した地帯で、決まった道順で遠く離れた辻の杜に通じることができます。辻の杜は、どこにでも行けて、どこにも行けない場所です。というのも、遠い場所に行くには大変便利なものですが、正しい道筋を辿らないと、永遠に出られないので……くれぐれも地図を失くしたりしないでくださいね」
「ひぇ……わかりました」
「それと、朔さんは間者ということですので、薬屋に潜入ができたら、絶対に正体を勘付かれないようお気をつけください。バレてしまうと今後の調査が困難になるうえ……厳しいことを言うようですが、朔さんの命も保証し兼ねません」
真剣な顔で言う鈴鹿。朔は更に不安が増す一方だったが、
「……そうならんように、儂がついておる」
松宵が元気づけるように言った。
朔は、その一言でどこか心が軽くなった気がした。
「そうだぞ!おいらもついてるからな!ほれっ」
夕顔は朔の腕に木製の数珠をつけた。
「数珠?くれるの?」
「厄除けだよ!おいらの座敷童子ぱぅわーをたくさん込めたかんな!これ付けてりゃどんな災いもちょちょいのちょい~よ」
要するに、御守りだろう。効果はさておき、朔は純粋に嬉しかった。
「あはは、ずいぶんと心強いや」
夕顔は寂しそうに微笑んで言った。
「朔。無事に帰ってきてね」
「大丈夫、任せて。それじゃあ、行ってきます!」
大きく手を振り、朔はいよいよ出立した。
姿が見えなくなるまで、夕顔と鈴鹿は門の外で見送り、手を振り続けた。
静かに手を下ろしたところで、一人の男が門の中から出てくる。
「行ったか」
「ええ。それにしても、蛙。朔さんにはいささか難易度が高すぎる任務だと思うのですが」
蛙はふっと笑う。
「そうか?まあ、最初っから難易度上げてやるほうが後が楽ってもんだ。それに、あいつ逃げ出さなかったしな」
「笑い事ではありません」
鈴鹿はムッとして言う。
「ところで、あちらには彼女のことを伝えましたか」
蛙は「ああ」と淡々と返答する。
「あの方がいれば、私も安心できます。早く合流できれば良いのですが……」
「おっちゃん煙草臭い」「喧しい」とやりとりする夕顔と蛙をよそに、鈴鹿は朔の歩いて行った方に視線を戻し、静かに、祈るように呟いた。
「どうか、ご武運を」
✿
「さて、張り切って出発したはいいものの。ちゃんと目的地まで辿りつけるのかな」
「途中まではこの間通った道と変わらんのじゃろ。ほれ、あの団子屋」
「あ、黎明……」
思い出した。腕だらけの化け物が襲ってきたあの時、冥叛と一服しようと訪れていた黎明茶屋。
「結局注文したあとお団子食べれなかったんだよねぇ。いろいろあって……いろいろ……」
思い出すだけでなんだか疲れてくる気がした。団子屋に近づくと、長い耳の少女はお客に囲まれて楽しそうに談話していた。名前はそう、子々玖黎。看板娘さながら、彼女と話す客たちはみんな鼻の下が伸びているような……人気は絶大なようだった。
ふと朔の方に気づく。
「あーッ!こないだのお客はん!!」
そう声を上げると、子々玖黎はお客たちに一言断って、急いで駆け寄ってきた。
「ひえっ、どうも」
「子々玖黎どす、覚えてはる?こないだは大変やったんよ~でもうちの店はなんとか被害を免れてなぁ、見ての通りすぐ通常営業復帰どすえ。ほらほら、お団子食べていっておくれやす」
「いや!あの、私そんなにお金持ってなくて」
「何言うてはるん!こないだの分、準備してもろたのに食べられへんくて御免いうて、冥叛はんお代だけ置いてきはったんよ。だからその分食べていってもらわんと、うちの面目立たへんどすえ?」
「なるほど」
「食べる!!」
松宵は目を輝かせて断言した。
結局、団子とお茶を朔たちにとっては実質タダでいただくことになってしまった。
「お待たせしました~」
看板娘こと子々玖黎が出してくれたのは、美味しそうな三色団子に、抹茶。思わずおおっ、と感嘆の声が出る。が、気になる点が。団子の数が二人前にしては多いような。
「冥叛はんの分合わせて三人前お出ししとります~。というのも、お代だけ置いてきはった時、自分の分は次また来る女の子と猫ちゃん一匹にお出しして欲しい言わはったんどす」
「なんか悪いな……」
「それじゃあ、ごゆっくり~♪」
団子ひとつが結構大きい。松宵と分ければ食べきれるか……と思っていたところ。
ぐぅ~……
腹の虫が大鳴きする音。「小娘の腹は今日も元気じゃの」という松宵に「私じゃねぇ!」と朔は突っ込んだ。そう、音の主は……
「ありゃ~失敬失敬」
隣に座る少年が言う。見ると、軍帽を被った書生のような格好をしていた。抹茶を飲みきって、朔の方を見る。『一』と書かれた紙をめくって、紫色の瞳が朔を見つめる……その瞬間、朔はゾクっとするような謎の悪寒が走った。
少年は紙から手を離し、
「抹茶だけじゃあ腹が膨れなかったみたいだね~」
ケラケラと笑った。
さっきのはなんだったのだろうか。気にしすぎか……と、朔は団子を差し出した。
「あの、団子ひとつ余ってるんですけど。食べます?」
すると少年は嬉しそうに、
「わあ!いいの!?やった~いただきま~す!」
遠慮する仕草もなく受け取ると、美味しそうに頬張った。松宵は「儂が食べようとしてたのに!」と文句を言ったが、「自分の分あるでしょ」と宥めた。
「ありがとう~今日朝から何も食べてなくてさあ」
「そうだったんですね。わ、美味しい……」
朔も団子を頬張る。甘くてもちもちとして、美味だった。
すると、少年はまた言った。
「君も大変そうだねぇ~、潜入任務?そりゃあ不安だよねぇ、見知らぬ場所に危険を承知で入るんだもんねぇ、わかるよ」
「そうそうもう心労が……」
そこまで言いかけて、止まる。
何故、見ず知らずの少年が任務のことを知っている?
朔は動揺を隠せなかった。
「な、んで、そのことを……」
「さぁて、何故でしょう?そうだね、僕もよくそういうことやってるからさ~仕事柄。助言するなら、何事にも疑ってかかれ、……かな」
目元が隠れているからか、笑っているのか、笑っていないのか……全く表情が読めなかった。
妙な動悸。恐ろしい……そんな感情を抱きそうになったその時、
「ごちそーさまっ!」
その一言で朔は我に帰った。
「君、名前は?」
「さ、朔」
「そ、僕は虺。また会えたらいいね、猫娘の朔ちゃん♪」
そう言い残して、少年は……虺は、立ち去っていった。
「…………」
「……あの小僧、なんかいけ好かんな」
団子を食べ終わった松宵が、手のひらを舐めながら言う。黙って二人の話を聞いていたようだ。
虺の姿が人混みに紛れて見えなくなるのを見届けながら、朔はつぶやいた。
「……なんだったんだろう……」
一体何者なのか、全くわからないばかりだった。
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