影月の燈導‪—‬えいげつのともしるべ—‬

茶々麻呂

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一章 薬屋

第6話 辻の杜

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 腹も膨れたところで、朔と松宵は再び薬屋を目指した。
 鈴鹿から貰った手書きの地図を見ながら、道を進んでいく。

「……ここか、鈴鹿ちゃんが言ってたの」

 辻の杜。木製の家屋が密集し、人気はなくなり道も急に狭くなって、その上数多くの分岐点があった。

「本当に合ってるかな……」

 不安を漏らす朔に、肩に乗る松宵も地図を覗き込んで、「現在地がここじゃろ。目印も合っとる」と手助けする。そんなこんなで話し合って前も見ずに歩みを進めていると、ドンッと何かにぶつかった。

「痛ッ!!」

 思わず鼻を押さえて見ると、目の前にあったのは紅葉色の、美しい髪。相手が振り返ると、朔はまずその額に目がいった。短いが、二本の角が生えている。人間ではない……ところがその表情は嫌悪感に満ちて、ムスッとしたしかめ面だった。

「……」

「ご、ごめんなさ……」

 朔が言い終わるより前に。

「前見て歩け。バァーカ」

 唐突に暴言を吐かれ、朔は思考が停止する。少年はフンっと鼻を鳴らして、歩き去っていった。
 姿が見えなくなったところでようやく、

「はぁー!?何アイツ!!確かに前見てなかったのは私が悪いけどさ!?あんな言い方なくない!?バカって何よ!!!」

 怒りを爆発させた朔は、わなわなと震えながら松宵に訴える。

「まあ確かに前見てなかったのが悪いのう」

「あんたもでしょ!」

 そこまで言い合いしたところで、朔はハッと気づく。
 ……地図がない。ぶつかった拍子に落としてしまったのか。

「ぃややややばい!!地図落とした!!」

「やっぱりバカではないか!!」

「うるせー!!」

 あたりを探し回るが、ない。落としたならどこかにあるはずなのに、やはり見つからない。どうしよう、誰かに道を聞くか。そう思ったところで。ふと周りを見渡すと、違和感に気づく。

 誰も、いない。気持ち悪いくらいに薄暗く、静かだった。

「なんで……誰もいないの」

「……いや、そうでもないらしい」

 松宵が呟いた。

「!!」

 背後の気配に、勢いよく振り返る。
 そこにいたのは、黒い、大きな犬。

 姿形こそ犬と相違ないが、目に生気がない。呼吸音もなく、朔のことをじっと静かに見つめていた。

「……送り犬か」

 松宵が言った。
 送り犬?と朔がその言葉を復唱する。

「道を歩く者の後ろにぴったりくっついてくる犬じゃ。普通にしてれば害はない。が、一度転んでしまえばその者を襲って喰う」

「は!?」

「目的地に着くまでこの犬は離れようとせん。……厄介なモノがくっついてきたのう。まあどうするもこうするも、こちらからは手出し出来ん。薬屋を目指すしかない。油断するでないぞ」

 信じたくはないが、信じるしかない。朔はごくりと生唾を飲み込む。ゆっくり背を向け、歩き出した。決して転ばぬように、しっかりと踏み込みながら。

 とりあえず、開けた道がないか、探し歩くこと……一刻。

「だめだ、さっきと同じ道だ」

 薄々気づいてはいたが、同じ道をぐるぐると巡っている。出口が見当たらない。
 『どこにでも行けて、どこにも行けない』。鈴鹿の言葉が脳裏を過ぎる。まさに身をもって知ることになるとは。

「え、本格的にヤバい気がするんですが」

「ヤバいな」

 お互いの語彙力が死んでいく。

「助けて夕顔~」

 涙目で数珠に訴えるも、何も起きはしない。座敷童子直伝幸運御守りとは名ばかりか、出発早々から災難に見舞われている気がする。
 相変わらず、送り犬は朔の後ろをピッタリとくっついて、転ぶのを今か今かと待ちわびているようだった。その感情の灯っていない瞳で見つめられると、恐怖を覚える。

 まずい。このままここから出られなかったら?薬屋にたどり着けなかったら?任務はどうなる?

 生きて、帰ることすら……

 焦りと不安が急に増幅された。

 呑気にゆっくり歩いてたら、いつまで経っても終わらない。走ってでも新しい道を探さないと。
 朔は駆け出した。

「馬鹿者!走ったら危ないと‪—‬‪—‬」

 松宵の忠告も虚しく。朔は階段の段に躓いた。

「うわ!!!」

 地面に手をついたが、間違いなく、転んだ。怪我こそないものの、絶対にしてはならない、送り犬の前で。
 全身の血の気が引く。

 まずい!

 振り返ると、送り犬は牙を剥き出して朔に襲いかかる。もうダメかと思ったその時。

「!!」

 バキッと、激しく殴打する音が弾ける。
 横の小道から現れた何者かが、送り犬に盛大な蹴りをお見舞いしたのだ。犬はまともに食らって、向かいの道に飛ばされる。

「はぁ~、お前まだいたのかよ」

 そうため息まじりに文句を言いつつ、足を下ろす。
 揺れる紅葉色の髪。空色の瞳が、朔の姿をとらえる。
 見覚えのある少年の姿に、朔は喰われそうになったことも忘れて吠えた。

「あー!!さっきの感じ悪い奴!!」

「んだとコラァ!助けてもらっといてその言い草はねぇだろ!!」

 少年は紙袋を抱え直すと、ズカズカと歩み寄る。

 なんだ、やる気か!?と座り込んだまま朔と松宵は構えるが、少年はお構いなしに二の腕を掴むと、グイッと持ち上げて朔を立たせる。

「また喰われてぇのか?さっさと立て。あいつの性質はわかっただろ」

「あ……」

 朔はその言葉に納得した。
 少年に敵意はなかった。それどころか、二人を助けてくれたのだ。

 戻ってきた送り犬は、威嚇こそしているものの、朔が立ち上がっていることを確認すると、再び静かになった。あのまま転んだように座り込んでいたら、また襲われていただろう。

「行くぞ」

「ど、どこへ?」

「……お前、薬屋に行くんだろ」

 朔は目を見開く。何故自分の目的地を知っているのか。なんで、そう言いかけたところで「ごちゃごちゃ言ってねぇで黙ってついてこい、じきわかる」と返され、付け加えるように「めんどくせーな」と悪態を突かれた。朔はムスッとしつつも黙り込む。一応助けられた立場上、強く言えないのだ。

 少年のあとをついて歩く。
 まるでこのあたりを全て理解しているように、正しい道順で進んでいるようだった。その証拠に、同じ道に戻っていない。

 任せても大丈夫なようだと、朔はほっと一安心したところで。視線の先。家屋の窓の隙間から、黒い手が。ひらり、ひらりと、手招きをしている。

「な、なに……」

 少年が気づくと、「ああ、ほっとけ」と、まるでさして興味もないかのように言うと、構わず歩みを進める。

 困惑する朔の後ろから、ヴルルルル……と、唸り声がした。

 声の主は、送り犬。

 朔の一歩前に出ると、黒い手に向かって、歯を剥き出し威嚇していた。
 やがて、怖気付きでもしたのか、黒い手は静かに消えていった。

「な、なんだったの、今の」

 少年は答えた。

「ああやって、ここで迷って途方に暮れるやつをあの世に連れて行く連中だ。仲間を求める亡者ってところか。良かったな、送り犬がいて」

「追い払ってくれたってこと?」

「送り犬の性質だ。憑いた相手が転べば襲って食うが、ついてくるぶんには魔除けになる」

 送り犬は、朔のことを守っていたのだ。
 さっき襲われたはずなのに、謎に愛着が湧きそうになった。

 やがて小さな鳥居を抜けると、開けた通りに出た。

「わあ……」

 出発地点の怒縛屋周辺より、もっと煌びやかだった。高層の和風建築が立ち並び、当然の如く人(妖)通りも増え、明るい道だ。ホッと安堵するが、後ろを振り向くと、やはり送り犬は付いてきている。

「本当に、目的地に着くまで離れないんだね」

「……次は絶対に転ぶでないぞ小娘。犬になんぞ喰われとうない」

「うん」

 逸れないように、少年の姿を追って、ついて暫く歩く。
 怒縛屋の周辺とは比較的高い建造物が立ち並ぶ。
 そのうちの一軒の前で、立ち止まった。見上げた先の看板には、大きく『薬屋』と達筆で書かれている。

「ここが、薬屋……」

 大きな建物だなあと感嘆していた朔に少年は言った。

「おい。送り犬に頭を撫でて礼を言え。そうすれば帰る」

 そう言って、送り犬に視線をやる。

 出会って間もない(正直いけ好かない)少年に言われて信用して良いものかと思ったが、従うことにした。送り犬の前でしゃがんで、ビクビクしながらもそっと頭を撫でた。

「……ありがとう、もういいよ」

 送り犬は尻尾を振って、一瞬だけ嬉しそうな表情をすると、踵を返して走り去っていった。

 その様子を少年も見送り、言った。

「……ま、妖怪でも正しく対処すれば悪い奴はそう多くないってことだ」

「……そっか」

 送り犬の姿が見えなくなるまでぼんやり眺めていた朔は、妖怪という存在も、あながち恐ろしいばかりではないのだと理解した。

「小娘は妖怪に好かれやすい体質やもしれんな」

「好かれやすい体質?」

 松宵の言葉を復唱し、問い返す。

「例えば、内に巡る目に見えない力が、そういう類のものを引き寄せてしまう……とかな」

「……」

 しかしそこで会話に水をさすように、少年が言った。

「行くぞ」

「うん」

 あとに続いて、薬屋の扉をくぐった。


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