欠落した世界を、君と生きる

木下美月

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四章 冷たいフユ

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「シュウくん、お疲れ様」

「冬野さんこそ。今日は楽しませて貰いますよ」

 この時代で目覚めてから数年が経っていた。
 俺は冬野さん達と同じ研究所で働いている。
 冬野夫君はレストランの名前を言ってから出て行った。
 俺も行こう。
 今では自由な生活を許されていて、面倒があるとすれば定期健診の結果を毎回研究所に提出しなければならない事くらいだ。
 その程度で報酬が出るなんて、と反対する者もいる。特に無感情教育を実施した時代に生きていた奴らに多い。奴らは俺が社会に出ている事すら許せないと言う。
 しかし、そいつらは今では年老いた。脳と身体にボロが出始めた老人の戯言を尊守するより、ロボに育てられた有能な人材を社会に貢献させる方が合理的だろう。
 十数年間囚われて、四十年間眠った後に、数年間を生きて、俺は漸く自由を手に入れたのだ。


「染井驟、早いわね」

 今日のディナーは冬野夫妻にご馳走して貰う。
 店の前で俺に気付いた冬野夫人は、変化の少ない表情で俺に片手を挙げた。

「ああ、冬野さんこそ。今日はありがとうございます」

「私たちにとっても貴方の話は有意義なのよ」

 彼女が言ってるのは、実験体の俺の話に価値があるという事だ。
 俺は俺を見てくれる人を知らない。
 研究所にいれば実験体、もしくは若い研究者として、外に出ても社会的地位や容姿しか見られていない。

「お役に立ててるなら光栄です」

 でも、それが普通なんだ。
 俺は現代の“普通”に慣れていく頭で、胸につっかえたようなわだかまりの原因を探す。しかしそれがわからない内に冬野夫君はやって来た。

「待たせたね、二人とも入ろうか」

 夜の闇を台無しにしない程度の照明は、この空間の居心地の良さを助長している。
 俺たちは広い個室に案内された。
 コース料理を既に頼んでいるそうで、俺の対面に二人が座ると、直ぐに店員は出て行った。

「シュウくん、この時代には慣れたかい?」

「ええ、とても生き易い時代です」

 これは本心だった。能力ある人間が権力を持つのは当然だが、そうではない人間にも居場所がある。これが現代。
 多分、現代を生きづらいと考えるのは一握りの犯罪者くらいだ。無感情教育を受けていた俺だって上手く生きれているのだから、この時代の犯罪者は凶悪だ。
 しかし凶悪というのは民衆の主観。俺は流れるニュースの悪人を見ても、彼らを咎めようとは思わない。
 多様性を認め、個性を尊重した人類の中に犯罪者が生まれるのもまた、仕方がないと思う。
 一体人々はどこで間違ったのだろうか。
 それとも、過去の人々にとって、今という未来は正解なのだろうか。

「研究所にいない時は何をしているの?」

「一人の外出が許されてからは、様々な娯楽に手を出しています。俺が生まれたばかりの時代じゃこれほど充実していませんでしたよ、なかなか楽しめます」

「意外と凡人気質な所もあるのね。研究は捗っている?」

 確かに研究漬けの毎日を過ごす彼女らにとったら、娯楽に時間を消費する俺は凡人なのだろう。
 だが俺は生きる為に研究者をやっているのだ。研究をする為に生きている彼女らとは価値観が違う。それに、何かに手をつけていた方が思考を停止できる。
 最近になって気付いた事だが、決められたルールの元にいるのも、享受された娯楽を貪っているのも、怠惰故の結果だろう。
 ルールを決めるのも、何かを開発するのも、アクティブな人間の行動だ。怠惰な者は受信するだけ。思考を停止し、誰かが創る世界の中で生きている。
 そして俺も、怠惰でいた方が幸せなのかもしれない。余計な事を考えなければ、憂いも怒りも抱かないのだから。
 そう考えると彼女らは凄い。
 アクティブでありながら感情に振り回されない。冷徹な心のままあらゆる物を開発する。

「殆ど旦那さんのお陰ですが、もう直ぐ実験の段階に入れそうです」

 俺は今、冬野夫君と共同で開発しているものがある。記憶を複製し、他人にコピーする技術だ。与えられる情報量の多さによる負荷が大きいのが課題だが、悪くない方向に進んでいる。
 他にもう一つ、俺は個人で研究していることがあるのだが、それは誰にも言ってない。

「シュウくんは本当に役に立ってくれているよ。ところで、ユキの経過は聞いているかい?」

 冬野夫人に視線を送ると、話してないわ、と彼女は首を振ってから、俺に向き直った。

「私の父がミュージシャンだって、前話したわよね」

 彼女の父は、俺が幼い頃の時代に有名だった。テレビではよく見かけたし、ファンも多かった。施設に入っていた俺でも彼の事は知っていた。
 一つ信じられないのが、感情的な歌詞を書くあのミュージシャンの娘が、俺の前にいる冷徹な研究者だという事だ。

「ユキは幼少時、父との接触が多かったの。だからミュージシャンに憧れて、昔のオマージュ音楽なんか始めちゃって。まあそれはいいとして、その人間の感性に訴える様な活動をしているせいか、自分の生き方について葛藤があるみたいね。今時の子にしては珍しいわ」

 運ばれてきた料理に手を付けながら、俺は冬野夫人の言葉を受け入れていた。
 好奇心だろうか。
 俺は失敗の中の生き残りだ。知らない少女に親近感を抱いているのは、他人事とは思えない境遇だからか。
 ユキは失敗作の俺を踏み台にして、成功するだろうか。そうなれば、彼女は解放されるだろうか。

「ここからが本題よ。彼女を教育していた人型ロボに変化が表れ始めたの。初めは成長型人工知能によるものだと考えていたのだけどね、人型ロボ“アール”は、間違いなく人間の感情を理解しつつあるわ」

「なんだって?」

 思わず俺は身を乗り出した。
 一体なにがファクタとなったのか。
 信じられない。
 不確定で移ろいやすく、矛盾が多くて一貫性が少ない。それが人間の感情で、再現は不可能。
 あり得ないとされてきた事を成そうとしているのが、俺より若い少女だとは。
 驚愕する俺を宥めるように冬野夫人は続けた。

「ふふ、研究者気質な所もちゃんとあるのね。ユキは必要以上にアールに会話を持ちかけるのよ。その中で自分の考えを披露することも多いし、愚痴もよく聞かせている。私たちは今のところ、それが要因じゃないかって見当してるのだけど……こればっかりは私たち個人の研究じゃわからないわ」

 確かにこの件に関して言えば、個人でやる事じゃない。直ぐに大きな研究機関に持っていくべき要件だ。
 しかし、少し胸が疼いた。

「娘さんは……アールを友人と見ているのではありませんか?」

 二人が興味深げに俺を見た。

「へえ、貴方たちの中には当時、そういう子がいたの?」

「いえ、俺らの頃のロボは明らかに作り物でしたから……教育プログラムの一環としか思えませんでしたよ」

「そう……やはりアールは特殊ね。娘との関係についても研究機関に提出すべきかしら」

「……しかし娘さんは、アールを気に入っているのでは?」

「その可能性は否定出来ないけどね、別のロボを娘につける事で対応するわ。それか、研究所の提案によっては娘の検査もあり得るわね」

 もしそうなれば、ユキの自由は更に拘束されるだろう。唯一の友を奪われた上に。
 これは同情だろうか。
 哀れみ?
 顔も知らない少女に対して?

「シュウくん、今日はありがとう。また誘ってもいいかな」

 デミタスカップに入ったエスプレッソを飲み干してから、冬野夫君は言った。
 俺は頷き、立ち上がる。

 店を出た俺たちは駅まで共に歩いた。
 見上げる空には雲がかかっている。その雲を隠すように治安維持ドローンが通りすがって行った。
 明かりは少ないけど近道なんだ、という冬野さんに連れられて狭い路地裏に入る。
 俺は肩に乗った小型鳥型ロボの存在を意識した。
 道の端で虚ろな目をした酔っ払いを見つけた。
 他には誰もいない。
 監視ドローンはさっき過ぎて行った。再びここを通るのは、早くても四分以上後になるだろう。
 ジャケットの内ポケットに触れる。
 中には所有者登録をしていない護身用ナイフ。
 歩く。
 俺の小型ロボ“ピヨ”は、揚力によって空中で停止している。
 ここに、それ以外のロボはない。
 酔っ払いの隣を通る、その刹那。
 俺は護身用ナイフを取り出し、
 隣の冬野夫人の頸動脈を切断した。
 血は激しく吹き出す。
 一歩前を歩いていた冬野夫君が振り向いた。
 その胸を、突き刺した。
 二人が倒れる。
 酔っ払いは口を開けたまま震えている。
 刃物の指紋を拭き取り、酔っ払いに握らせる。
 そしてそのまま、血だまりになったそこに投げ飛ばす。
 何度も蹴って、殴って、気を失わせた。
 全てを見ていたのは、俺のピヨだけだ。
 手についた血だけを綺麗に拭き取る。
 俺が誰にも言わずに研究し、開発した技術を、今活用する。
 誰も行ってはいけない事。
 それは信頼度の高い、ロボの監視録画機能の偽装。
 ピヨと携帯端末を接続し、さっきピヨの視線カメラに映されていた映像を編集する。
 二人を刺す酔っ払いと、目の前の光景に唖然とする俺。こちらを向いた酔っ払いに向かって行き、俺は気絶させる。血だまりの上で悶着する事によって、返り血の説明もつく。
 正当防衛も成り立つ。完璧だ。
 違和感が無いことを何度もチェックした。
 そして叫んだ。

「誰か来てくれ!」

 冷たい地面にヘタリ込む。
 後の演技なら自信がある。
 間も無く足音が聞こえてきて、俺は心に決めた。
 冬野ユキ。君の自由は俺が守る。
 二つの躰から流れる血は徐々に温もりを失い、それは時代とともに冷たくなった人々によく似ていた。

 知らない少女の為に俺は動いた。
 タブーを犯したが、正義を持っていた。
 歪かもしれないが、これが愛ってやつなのかな。

 冷たい雪が降ってきた。
 ある冬の日の出来事だった。
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