王命って何ですか? 虐げられ才女は理不尽な我慢をやめることにした

まるまる⭐️

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1巻

1-3

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「ただ働き……」

 彼女達は揃ってごくりと唾を飲み込みます。
 彼女達だって馬鹿ではありません。私の実家が国一番の資産家であることくらい知っています。
 なぜなら父は国への納税額やその貢献こうけんの高さから、男爵、子爵をすっ飛ばしていきなり高位貴族である伯爵に取り立てられたのですから。
 アルジール家を知らない者なんてこの国にはいません。国一番の大商人。我が家からこの侯爵家にお金が流れていたことなんて、少し考えれば容易く想像がつくはずです。

「ベアトリス様もそうですわ。そんな高価なドレスや宝石、これからは身につけることさえ出来なくなるでしょうね」
「えっ?」

 ベアトリス様は分かりやすく声を上げました。
 あら、この方はそんなこともお分かりではなかったのかしら。
 まぁ、ここからが本題です。私は指を二本立てました。

「二人。もし私に心から謝罪するのであれば、この中で二人だけ私の実家、アルジール家で雇ってあげてもよろしくてよ」

 この私の言葉に、侍女達は顔を見合わせました。

「貴方のところへなんか行くわけがないでしょう!」

 その時、ニーナが一歩前へ出て皆を手で制しながらそう言い放ちました。
 あらあら。皆の意見も聞かずにそんなこと勝手に貴方が決めても良いのかしらね。
 でもまぁ、私としては別にどちらでも良いんですけどね。

「そう……? 残念だわ。実はね、私、侯爵家を訴え出ることに致しましたの。だってそうでしょう。私と旦那様は王命で結ばれた夫婦。それなのにいざ嫁いでみると屋敷には愛人がいたのよ? この婚姻が王命だと知っていながら……。ね? ふざけた話でしょう? これって陛下の決定に背く行為よね? それに貴方達も知っているでしょう? この家が私にした仕打ちを。貴方達にも身に覚えがあるはずよ? それらを含めて全部まとめて裁判に訴え出ることにしたの。私の後ろにいらっしゃるお二人の男性ね。実は裁判所の調査員の方達なのよ。貴方達、さっきから彼らの前でも私のことを散々罵倒ばとうしていたわよね? それにこっちにはニコラスという証人もいるの。うふふ。貴方達も私への慰謝料いしゃりょう、きちんと用意しておいてね」
「え……? 裁判に訴えた……⁉」

 私がにっこり笑うと、彼女達は恐怖からか突然震え始めました。私は更に揺さぶりをかけます。
 さて、現実を知った彼女達はどうするのかしら……?

「それからね、折角だからもう一つ大切なことを教えてあげるわ」
「……えっ! まだ何かあるの!?」

 ベアトリス様が目を見開きます。

「ええ……。実はベアトリス様の身に付けているその宝石やドレスね。私の実家が経営する商会の物なのよ」

 その答えを聞いたベアトリス様は、安心したのか息を吐いてから声を荒らげました。

「…………貴方ねぇ、それがなんだって言うのよ。売上に貢献こうけんしてあげたんだから、感謝して欲しいくらいだわ」

 あらあら。私の言葉の意味が全く分かっておられなかったようですね。
 さっき親切に教えてあげたのに……
『そんな高価なドレスや宝石、これからは身につけることさえ出来なくなるでしょう』ってね。
 仕方ありません。きちんと分かるように説明してあげましょう。

「それがそうではないんです。そのドレスや宝石は、身内だからとツケで購入された物。まだお代は頂いていないんですの。ですから先程私が言った通り、そのドレスや宝石の所有権はまだうちの商会にあるんです。つまり、それらは全て私の実家が経営する商会の物ということです。ご理解頂けました?」
「え?」

 あら、やっとご理解頂けたようですね。
 ベアトリス様が狼狽えておられます。

「それでね。ベアトリス様もご存じの通り、今日、私と旦那様は離縁致しましたでしょう? 残念ながらアルジール家とウィンダリア家の縁は今日をもって切れたのです。ですから、もうつけはきかなくなりました。そのドレスや宝石は代金をお支払い頂くか、もしくは所有者であるアルジール家へ返して頂くことになりますわ」
「なんですって⁉ そんなの嫌よ! これは私の物だわ!」
「そうですか? では旦那様に代金を支払って頂くしかないのですが……。ねぇ、ニコラス。そんなお金、侯爵家にあるかしら?」

 私はまた、コテンと首をかしげてみせました。

「いえ、おそらく難しいかと……」

 ニコラス、グッジョブです。私の欲しい答えを頂きました!

「難しいそうですよ。ねぇ、ベアトリス様。どうされます? それとも、ベアトリス様が代金をお支払い下さるのかしら? どちらにせよ、おそらく数日以内にはうちの商会から侯爵家に督促状とくそくじょうが届くと思いますよ。お支払いよろしくお願いしますね」
「……督促状とくそくじょう……。そんな……嘘……嘘よ……」

 ベアトリス様は項垂れて力なく呟いておられます。

「嘘ではありませんよ。でも、折角ですわ。ここには法律の専門家である裁判所の方がいらっしゃいます。聞いてみましょうか? ねぇ、ジャックさん。ベアトリス様が嘘だと仰るから、念のため確認したいのだけれど、私の言ったことは間違っているかしら?」
「いえ、何一つ間違ってはおりません。我が国の法ではそうなっております。そもそも身内だからと、支払えない程の高価な買い物をツケですること自体が間違っております」

 ジャックさんはきっぱりとそう告げました。

「……だ、そうですよ。どうします?」

 私はまた、ベアトリス様ににっこりと笑いかけました。
 あら、ベアトリス様のお顔の色が少しお悪いような……。気のせいかしら……?
 それと同時に侍女達も、この侯爵家にあまりお金がないことにようやく気付いたのでしょう。
 何しろ買った物の代金さえも支払えないのですからね……
 あらあら、ただ働きが現実味を帯びてきましたね。

「あの……。もし……謝罪して伯爵家で雇って貰えたら慰謝料いしゃりょうはどうなるのでしょうか?」

 そう恐る恐る尋ねてきたのは、ニーナでした。
 あら貴方、さっきはあれ程偉そうに、私のところへなんか行かないって言い放ったのにね。
 変わり身の早いこと……。私は呆れながら答えました。

「それはもちろん、我が家の大切な使用人を訴えるわけにはいかないわ」

 私は少し大げさに首を振ってみせました。
 その答えを聞いた侍女達が、またも顔を見合わせます。それでもベアトリス様の手前か、それとも彼女達同士の駆け引きか。この場で名乗り出る者はいませんでした。
 ただ、彼女達の揺さぶりには成功したようです。
 だってあれほど威勢の良かったベアトリス様も侍女達も、今は借りて来た猫のようにしゅんとしているんですもの。

「では、私は実家に帰りますから、そこ、退いて下さらない?」

 私が命じると、今まで廊下を塞いでいた使用人達はすっと廊下の端に退きました。
 今度は本当に、見送られるような構図です。
 出て行く日になって初めて、使用人たちに従って貰えるなんて……皮肉ですね……
 私達は彼女達が開けた廊下の真ん中を堂々と歩きます。
 エントランスに差し掛かった時、後ろから声が掛かりました。

「あの……本当に謝罪すれば伯爵家で雇って頂けるんですよね?」

 今度は誰かも分かりません。三年もこの屋敷にいて、私はニコラス、アレックス、ニーナ位しか使用人の名前を知らないのです。そもそも彼女達は私に名乗ってさえくれていないのですから……

「ええ、心からの謝罪があればね。但し、二人だけよ。それ以上は無理。数が多い場合は、我が家への忠誠心で決めさせて頂くわ。では、お待ちしているわね」

 私はそう答え、ヒラヒラと後ろに向かって手を振ると、エントランスを抜けて馬車に乗り込みました。




    第三章


「お疲れ様でした。少しは思いを吐き出せてスッキリしましたか? まぁ、いきなり話に巻き込まれたこっちは溜まったものじゃありませんでしたが……」

 馬車に乗るなり私の前に座ったジャックさんが、労いなのか嫌味なのかよく分からない言葉を掛けてくれました。

「…………ええ、まぁ。まだまだ言ってやりたいことは山ほどありましたが、それは裁判での楽しみにとっておきます」

 私は苦笑いを浮かべました。
 三年間の恨み辛みは、これくらいではとても晴れるものではありませんからね。

「しかしまぁ、貴方があんなにじゃじゃ馬だったとは思いませんでしたよ」

 あら、バレました? では、さっきのはやはり嫌味だったのですね。

「しかし私個人としては少しスッキリしましたよ」

 ジャックさんは腕組みをしながら更に私に話しかけてきます。反対にマイケルさんはジャックさんの隣で大人しく、私達の話を頷きながら聞いていました。
 私とニコラスが去った侯爵家はきっとこの先苦労するはずです。
 私が去ったことで我が家からのお金が入ってこなくなり、ニコラスが去ったことで家政が滞る。おそらく残った使用人達では、あの家の人々の浪費を止めることは難しいでしょう。
 この後、果たして侯爵家がどうなっていくのか……。うふふ。楽しみ過ぎます。
 まぁ、心配しなくてもこの後の侯爵家のことは、先程私が揺さぶるだけ揺さぶった侍女達が教えてくれることでしょう。

「とはいえ、今まで大変な思いをされたのは事実ですからね。離縁して実家に戻られるご令嬢に対してこんなことを申し上げるのは大変失礼だとは思いますが、私は貴方が無事にあの家を離れられて良かったと思いますよ。今日たった一日でしたが、私達は貴方の側にいて、貴方があの家でどれ程辛い状況に置かれていたのかよく分かりましたから」

 すると、不意にジャックさんにそう優しい言葉を掛けられました。
 あれ? やっぱり私、この人に労られています?

「貴方はついていた。あの家には、ここにいるニコラスさんがいましたからね。もし彼がいなければ貴方の言う通り、本当にどうなっていたか分からなかったでしょう……」

 彼はそう言ってニコラスに微笑み掛けました。

「いえ……私など……」

 ニコラスは謙遜けんそんして首を振りますが、本当にその通りなのです。
 彼が初めて声を掛けてくれた日のことを、私は忘れたことはありません。
 その日はとても寒い日でした。洗濯をしていた私は、侍女にわざと頭から水をかけられたのです。
 侯爵邸では、こんなことは日常茶飯事でした。
 だからその時は、『ああ、またか……』それくらいにしか思っていませんでした。
 でもその日は、いつもとは違いました。きっと水をかけられたせいで風邪をひいたのでしょう。
 夜になると、私は酷い寒気と頭痛に襲われ、気が付くと体中が熱かったのです。
 熱があるんだ……。すぐに分かりましたが、だからといってこの屋敷には私を助けてくれる人などいないと思っていました。
 私はただ布団にくるまって寒さに耐えていましたが、その内、息をするのも苦しくなってきました。ああ、もうダメだ……そう諦めかけた時、ニコラスが現れたのです。

『奥様! 奥様! 大丈夫ですか!?』

 彼は私に呼び掛け、熱があることに気付くと、医師を呼び、消化に良い物をアレックスに届けさせてくれました。お陰で今、私はここでこうして生きているのです。
 もしこの時私が死んでいたら、あの人達は一体どうするつもりだったのでしょう?
 もちろんこの件は裁判でも証言するつもりです。この時私を診察してくれた医師もまた、既に証人として登録しております。
 私も父と同じで、転んでもただでは起きませんからね。
 まぁとにかく、ニコラスが私に与えてくれたものは、あの家に嫁いでから、初めて触れた人の優しさでした。
 その日からニコラスは、ことあるごとに人目を盗んでは私を気に掛けてくれるようになりました。
 そしてシグナス様……いえ、シグナスがアレックスに私を襲うよう命じたことを知ったニコラスは、自分の身も顧みず私を侯爵家から逃がしてくれたのです。

「本当に貴方には感謝してもしきれないわ」

 頭を下げた私に、彼はまた首を振ります。

「私は何もしてはおりません。むしろ私は、あの様な状況に今日までロザリア様を置いてしまったことを悔やんでおります。私だって最初は、貴女を別邸べっていに追いやっていた一人なのですから」

 ニコラスはそう言うと、申し訳なさそうに目を伏せました。
 そんな私達の様子を側で見ていたジャックさんが、もう一度私に確認しました。

「今さらこんなことを申し上げるのもどうかとは思うのですが、本当に裁判にしてよろしいのですか? こういってはなんですが、貴方には白い結婚の証明書があります。侯爵との婚姻は無効に出来るのです。そうすれば貴方の戸籍はきれいなままです。これから先の貴方の人生を考えるなら、むしろそうした方が幸せになれるのではないですか? 確かに慰謝料いしゃりょうや、持参金や生活費の返金は大きなものでしょう。しかし、裁判になれば貴方は衆目しゅうもくさらされることになる。もし貴方が一時の復讐心で仰っているのだとしたら、引き返すなら今ですよ?」

 ジャックさんが私のために言ってくれていることは痛いほど分かりました。
 でも、私に迷いはありませんでした。
 私にシグナスの下へ嫁げと陛下から王命が下った時、私には既に婚約者がいました。
 彼の名はメイナード。私は彼を愛していました。
 父はそれを陛下に伝え王命の辞退を申し出てくれました。
 でも、それが許されることはありませんでした。

『商売はどこへ行ってもできる』

 父はそう言って私たち家族を連れて、この国を出ることまで考えてくれたのです。
 ところが、我が家が王家に逆らったそのしわ寄せは、私の婚約者の家へと向かいました。彼の家にまで迷惑をかけることは出来ないと思い、私は泣く泣く王命を受け入れることを決めたのです。
 それでも私は、受け入れる限りは侯爵夫人としてウィンダリア家のために尽くそう……そう心に決めてシグナスの下へと嫁ぎました。
 その結果がこれです。

「いえ、例え婚姻自体が白紙に戻っても、私が王命によってウィンダリア家に嫁いだことは貴族なら誰もが知っている事実ですわ。今更取り繕うなどと思ってはおりません。それにね、ジャックさん、復讐の何がいけないのですか?」

 私のこの挑むような言葉に、ジャックさんは驚いて目を見開きました。

「私はこの婚姻によって愛する人を失ったのです。それに侯爵家で熱を出して倒れた日、私は自分の命を一度は諦めました。ああ、私はこのままこの部屋で、たった一人で死んでいくんだろうなって。その時の私の絶望が分かりますか? ねぇ、教えてください。復讐の何がいけないのですか?」

 私はもう一度ジャックさんに問いかけました。
 あの時の孤独を思い出すだけで、私の心の中に怒りが湧き上がります。
 寒くて……。苦しくて……
 一人でいることがこんなに怖いと思ったことはありませんでした。
 死の恐怖を感じた私の体はガタガタと震えていました。

「嫁いでからというもの、私は家族に一度も会えていませんでした。あのまま死んでいたら私の死は、おそらく病死として片付けられていたでしょう。風邪をこじらせた……皆がしおらしい顔をして、そう私の家族に報告する。それでお終い。誰も裁かれることもない。誰も私の死の真相を語ることもない。私はあの屋敷でたった一人でした。家族が追求したくてもなんの証拠もない。でもね、私の家族は私を愛してくれていました。きっと家族は私を侯爵家に嫁がせたことを、その先一生後悔して生きることになったでしょう。絶対に許せない……あの時私はそう思いました。その後、私は運よくニコラスに助けられました。一度は諦めた命。だから私は誓ったのです。泣き寝入りなんて絶対にしない。必ずこの真実を白日はくじつの下にさらしてやるって……」
「……そうですか……」

 それを聞いたジャックさんは、沈痛な表情を浮かべ私を見つめました。

「そんな顔をしないで下さい」

 私はジャックさんに微笑みかけました。

「私の婚約者だった方は今、別の方と結ばれ、もうすぐ赤ちゃんが産まれるらしいのです。私はその話を耳にして本当に嬉しかった……。彼だけでも幸せになれたんだって……」
「…………」

 ジャックさんは黙って頷きます。

「でも、その反面思うんですよ。もし王命なんてものがなければ、今ごろ彼の隣で笑っていたのは私だったのに……って……。私は未練がましい女なのです。でもね、考えてみれば当たり前ですよね? 本気で好きだった人を、そんなに簡単に吹っ切ることなんて出来ませんもの。だから私は自分の気持ちにけじめをつける為にも、この裁判を戦い抜きたいんです」

 口に出して強く願うことで想いは叶うと言います。
 ジャックさんに語ったその言葉は、私にとっての決意表明でもありました。
 私のその言葉をジャックさんは瞳を伏せながら、ただ黙って聞いていました。
 そして、今は彼には話していませんが……
 実は白い結婚の証明書の存在という私にとっての切り札を、裁判に先だってシグナスと義母――ミランダに明かしたのには理由があります。
 こうすればきっと、侯爵家は国王陛下に泣きつくと思ったからです。
 この裁判に王家を関与させる。それが私と父の本当の目的でした。
 侯爵家には今、我が家に返済するお金なんてありません。まして慰謝料いしゃりょうなんて……。逆さに振っても出てはこないでしょう。
 そうなれば借金するしか道はありませんが、果たして我が家の後ろ盾を失った今の侯爵家にお金を貸してくれる所なんてあるのかどうか。
 ですから、もし裁判で負けて持参金の返還命令でも出れば、侯爵家は没落ぼつらくへとまっしぐらです。
 名門と呼ばれた侯爵家が一つこの国から姿を消すことになるのです。
 それだけでは終わりません。
 私はこの裁判で夫の不貞ふていを明らかにするつもりです。ですから、この裁判にもし侯爵家が負ければ、次に我が家は、不貞ふていの相手であるビアリー家を訴えます。
 侯爵家がそれを防ぐためには、陛下にすがるしか道はありません。
 王家による出来レースと呼ばれるこの国の裁判。王家の意向に沿わないであろう訴えを起こす貴族はまずいません。訴えても負けるからです。
 ですが、それでも訴えるだけのメリットはあります。
 それは、我が家の訴えを広く世間に知って貰えること。
 この国では法律上、裁判の取り消しは訴えた側にしか出来ません。つまり我が家が訴えを取り下げない限り、この裁判は必ず行われるということです。
 教会によって純潔じゅんけつが証明された令嬢の不貞ふてい行為を問うという、あり得ない離縁理由が白日はくじつの元にさらされるこの裁判。表立って声を上げることはないでしょうが、世間の人々は我が家に真実があると考えるはず。
 もし陛下がそれでも侯爵家を庇うのなら、相応の非難は免れないでしょう。
 さて、陛下は妹の嫁ぎ先でもある、この国屈指の名門貴族を守るのでしょうか?
 それとも切り捨てるのでしょうか?
 私はその答えが楽しみで仕方ありません。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 しばらくすると馬車が実家のアルジール伯爵邸に到着しました。
 侯爵家のタウンハウスから伯爵邸まで、馬車でなら僅か三十分足らずの距離です。
 侯爵家のような名門と呼ばれる貴族達は皆、王宮のほど近い場所に権力を誇示こじするかのように挙って豪華な屋敷を構えています。
 国一番の商人である父は、そんな貴族達を相手に商売をしているのです。二つの屋敷が近い立地にあるのはいわば必然でした。
 でも、私が侯爵家へ嫁いでから、この近いはずの距離がいかに遠かったか……
 屋敷の玄関で私を出迎えようと待ってくれている家族の姿が見えた時、目に涙が浮かびました。
 やっと、正々堂々と我が家に帰ってこられたのです。
 エントランスにはニコラスを待っているのでしょう。アレックスの姿も見えました。
 アレックスが私を襲うようシグナスに命じられたあと、『このままでは奥様の身が危険です』とそう言って、ニコラスは私を屋敷の外へと逃がしてくれました。
 屋敷を出た私は、すぐに辻馬車つじばしゃを拾い、生家へと駆け込んだのです。
 そして両親に全てを話しました。
 侯爵家での私の待遇たいぐうを知った父は怒り狂いました。

「あの小僧、許せん。助けてやった恩も感じず、元平民だなどと我が家を馬鹿にするのならば、その元平民の手によって必ず煮湯を飲ませてやる」

 父は本気でした。私は今まであれほど怒った父を見たことがありません。
 もちろん、父も母も私が侯爵家で受けている仕打ちを知ると、そんな所にもう帰る必要はないと言ってくれました。お前のことは何があっても私達が守るからと……
 私は両親のその言葉だけで嬉しかったのです。
 でも、考えてみるとその時の私の立場は侯爵夫人でシグナスの妻。
 あのミランダやシグナスのこと。私が無断で実家に戻ったと知れば、きっと誘拐だの連れ去りだのと騒ぎ立てるに決まっています。それによって陛下が動けば、以前のようにまた法が悪用され、家族がどんな酷い目に遭うか分かりません。
 今度は何をされるのか……。また大切な家族や、今度は逃がしてくれたニコラスにまで迷惑を掛けてしまうかもしれない……私はそれが怖かったのです。
 私は、悩んだ末、侯爵家に戻ることにしました。

「何を言っているの? 次はどんなことをされるかさえ分からないのよ。こんなに痩せて……。このままでは貴方は死んでしまうわ。私達のことは気にしなくていいの。それよりももっと、自分の幸せを考えて……」

 母はそう言って泣き崩れました。
 その母の姿を見て、私はやっと気付いたのです。自分はこんなにも大切な人達を悲しませていたのだと……
 そして疑問を持ったのです。怖がってただ従うだけでいいのか……。それだけで大切な人達を守る事が出来るのか……
 ではどうする? どうすれば悲しませずに済む? 戦うしかない!
 こんなことでは負けられない。必ずやり返してやる。この時私はそう決意したのです。
 私は父と相談し、そのための手立てを練りました。
 父は、侯爵家はもちろんのこと、その怒りを王命を出した陛下にも向けていました。
 どうしたら侯爵家と陛下にやり返すことができるのか……。考えた末に思いついたのが裁判に訴え出ることでした。
 そうして、やはり私は侯爵家へと一度、戻ることにしました。
 折角屋敷の外に逃がしたはずの私が戻って来たことに、当初ニコラスは戸惑っていました。
 でも、私が考えがあるのだと告げると、その後は私の意思を尊重し、その準備のために私が屋敷を抜け出せるよう、手を貸してくれました。
 そして、私は彼に告げたのです。
「いつか必ず、誰にはばかることなく正面玄関から堂々と大手を振って家に帰ります」と……
 それからの私は、両家の立地が近いことを利用し、ニコラスの手引きで何度も侯爵邸を抜け出しては父と共に今回の計画を練り上げました。
 その後、ニコラスに計画を打ち明けると、彼は賛同し、協力を申し出てくれました。私はニコラスに父に仕えてみる気はないかと誘いました。
 その時ニコラスから打ち明けられたのは、彼もまた、私の身を案じて侯爵邸に残ってくれていたということでした。
 私は侯爵邸でずっと一人だと思っていました。でも、そうではなかった。私を守ろうとしてくれていた人がいたのです。
 私はこの時、侯爵家へ嫁いでから初めて、心が温かくなるのを感じました。
 そんな、遥か昔のようでつい最近の出来事……。助けてくれた人々と共に侯爵家を出て、無事に生家に辿り着いた今、やっと深く息が吸える気がします。

「では、私達はこれで。立場上あまり片方に近付きすぎますと、癒着ゆちゃくを疑われ裁判に悪影響を及ぼす可能性がありますので」

 馬車を降りるとジャックさんとマイケルさんはそう言って、私の家族に向かって一礼しました。

「お世話になりました」

 私も慌てて彼らに頭を下げます。するとジャックさんは柔らかな笑みを浮かべました。

「今日は久しぶりの家族での団欒だんらんを楽しんで下さい」

 彼はそう言い残して帰っていきました。

「うーん。それがそうもいかなくなってしまってな」

 隣で話を聞いていた父がポツリと呟きました。なんだろうと訝しがる私を、母と兄がいきなり抱きしめました。

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