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第八十三話
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そして、その日はそれから一か月ほどして突然、やって来た。
その日は、朝、登校した時から学校の雰囲気が妙にざわついていたのを僕はよく覚えている。
そうざわついていたのは、生徒の方ではなかった。むしろ生徒の様子は、まだ普段とあまり違ってはいなかった。だから僕も校舎に入るまでは違和感を全く感じなかったのだ。少なくとも僕の登校する早目の時間では生徒側にはほとんど変化はなかったのだ。
しかし、一歩校舎に入ると何か異様なざわつきを感じた。最初のそれはほとんど本能的な感じ方と言っても良い。背中がぞくりとした。しかしすぐに、その感じが具体的な形で見えるようになった。いつもならまだ職員室に居て、ほとんど姿を見せない先生方が時折、小走りに廊下を走って動いていたのだ。生徒には『廊下を走るな』と言う先生方である。
異様な雰囲気を感じながらも、教室内でもクラスメイトからはやはり特段変わった感じは受けなかった。ただ、勘の良い奴らは僕と同じように先生方の様子が普段とは明らかに異なっている事には気が付いていた様である。また実際にはその時、すでに何が起こっていたか、いや正確に言うなら何が起こったかを知っていた生徒も若干名では居たはずなのだ。それでも、そちらから情報が入らなかったのは、そういう生徒に対しては厳しいかん口令がひかれていたらしい。
結局、僕らは朝礼の時まで何の情報を得ることが出来ないまま過ごした。
そして、すべては朝礼の為、教室に入って来た担任のこの言葉から始まった。
「皆さんに、とても大事な、そして悲しいお知らせがあります。
どうか落ち着いて聞いてください」
いつもなら、笑顔で冗談交じりの言葉から始まる担任が、妙に深刻な、と言うより引きつった表情で、しかも少し震える声でそう切り出した。
僕らはその一言で、何かしら良くない事、しかも『最悪』と言う言葉が付け加えられるような事態が起こった事を察した。
いや、その瞬間、僕は何が起こったか実は気が付いていたのではないかと今では思っている。あの当時はそこまでは気が付いていないと思い込んでいた。でもきっと本当は、あの時からずっとこうなる事を僕は一番恐れていたんだ。いくら愚かな当時の僕でも、今の僕とは基本的に同じ人間である。ならまったく気づいていないはずなどないんだ。
「白瀬がとあるビルから転落した……」
担任は一度クラス中をゆっくり見回し僕らが全員、自分の方に注意を向けているのを確認してから、ゆっくりとした口調でそう一言言った。
その瞬間、クラスがどよめいた。中には悲鳴の様声を上げた女生徒も居た。
「それで京子は……いえ、白瀬さんは?」
クラス委員でもあった緑川が、反射的に聞き返した。
「生きてはいるがとても深刻な状況だ。
君たちは追って指示ある迄、通常通りの授業を受けてくれ。
色々思う所はあるだろうが今は努めて冷静でいて欲しい」
緑川に答える代わりに担任はクラス全員に言い聞かせる様に、そしてそれは自分自身に対してもであったのだろう、そう努めて静かにゆっくりと言った。
『自殺じゃないのか?』
僕はその瞬間、声には出さなかったがそう直感した。
『これは僕の所為だ……』
そしてすぐにそう思った。
そう、あの時から分かっていたんだ僕は。
白瀬は僕が勝手に劇の結末を改変したことをずっと怒っていたのだ。それは単なる怒りだけでなく悲しみも含んでの事だったのだろう。僕のあのちっぽけな功名心が白瀬のガラスの様に繊細な心を深く傷つけてしまったんだ、と。
白瀬のあの時の戸惑ったような態度は、はにかみなんかじゃない。沸き起こる失望と絶望にどう対処して良いのかわからなかっただけなんだ。
クリエイターにとって自身の作品は、文字通り自分の子供も同然だ。僕は白瀬の大事なその子供を勝手に白瀬から奪い取り、良いように弄んだのだ。それが親である白瀬にはどれほど辛い事かがわからない僕ではなかったはずだ。
結局そのまま、その日は通常通りの授業が続いた。
でも、その日の昼休み頃から、生徒の間で一つの噂が流れ始めていた。
『あの文化祭の劇で大評判を受けた、
一年の白瀬京子が飛び降り自殺をした』
その噂をクラスメイトから実際に聞いた時の事を今でも僕は鮮明に覚えている。
それは、よく言われる通り、まさに自分が立っている足元が急に崩れ落ちて行くかの様な感じだった。
その日は、朝、登校した時から学校の雰囲気が妙にざわついていたのを僕はよく覚えている。
そうざわついていたのは、生徒の方ではなかった。むしろ生徒の様子は、まだ普段とあまり違ってはいなかった。だから僕も校舎に入るまでは違和感を全く感じなかったのだ。少なくとも僕の登校する早目の時間では生徒側にはほとんど変化はなかったのだ。
しかし、一歩校舎に入ると何か異様なざわつきを感じた。最初のそれはほとんど本能的な感じ方と言っても良い。背中がぞくりとした。しかしすぐに、その感じが具体的な形で見えるようになった。いつもならまだ職員室に居て、ほとんど姿を見せない先生方が時折、小走りに廊下を走って動いていたのだ。生徒には『廊下を走るな』と言う先生方である。
異様な雰囲気を感じながらも、教室内でもクラスメイトからはやはり特段変わった感じは受けなかった。ただ、勘の良い奴らは僕と同じように先生方の様子が普段とは明らかに異なっている事には気が付いていた様である。また実際にはその時、すでに何が起こっていたか、いや正確に言うなら何が起こったかを知っていた生徒も若干名では居たはずなのだ。それでも、そちらから情報が入らなかったのは、そういう生徒に対しては厳しいかん口令がひかれていたらしい。
結局、僕らは朝礼の時まで何の情報を得ることが出来ないまま過ごした。
そして、すべては朝礼の為、教室に入って来た担任のこの言葉から始まった。
「皆さんに、とても大事な、そして悲しいお知らせがあります。
どうか落ち着いて聞いてください」
いつもなら、笑顔で冗談交じりの言葉から始まる担任が、妙に深刻な、と言うより引きつった表情で、しかも少し震える声でそう切り出した。
僕らはその一言で、何かしら良くない事、しかも『最悪』と言う言葉が付け加えられるような事態が起こった事を察した。
いや、その瞬間、僕は何が起こったか実は気が付いていたのではないかと今では思っている。あの当時はそこまでは気が付いていないと思い込んでいた。でもきっと本当は、あの時からずっとこうなる事を僕は一番恐れていたんだ。いくら愚かな当時の僕でも、今の僕とは基本的に同じ人間である。ならまったく気づいていないはずなどないんだ。
「白瀬がとあるビルから転落した……」
担任は一度クラス中をゆっくり見回し僕らが全員、自分の方に注意を向けているのを確認してから、ゆっくりとした口調でそう一言言った。
その瞬間、クラスがどよめいた。中には悲鳴の様声を上げた女生徒も居た。
「それで京子は……いえ、白瀬さんは?」
クラス委員でもあった緑川が、反射的に聞き返した。
「生きてはいるがとても深刻な状況だ。
君たちは追って指示ある迄、通常通りの授業を受けてくれ。
色々思う所はあるだろうが今は努めて冷静でいて欲しい」
緑川に答える代わりに担任はクラス全員に言い聞かせる様に、そしてそれは自分自身に対してもであったのだろう、そう努めて静かにゆっくりと言った。
『自殺じゃないのか?』
僕はその瞬間、声には出さなかったがそう直感した。
『これは僕の所為だ……』
そしてすぐにそう思った。
そう、あの時から分かっていたんだ僕は。
白瀬は僕が勝手に劇の結末を改変したことをずっと怒っていたのだ。それは単なる怒りだけでなく悲しみも含んでの事だったのだろう。僕のあのちっぽけな功名心が白瀬のガラスの様に繊細な心を深く傷つけてしまったんだ、と。
白瀬のあの時の戸惑ったような態度は、はにかみなんかじゃない。沸き起こる失望と絶望にどう対処して良いのかわからなかっただけなんだ。
クリエイターにとって自身の作品は、文字通り自分の子供も同然だ。僕は白瀬の大事なその子供を勝手に白瀬から奪い取り、良いように弄んだのだ。それが親である白瀬にはどれほど辛い事かがわからない僕ではなかったはずだ。
結局そのまま、その日は通常通りの授業が続いた。
でも、その日の昼休み頃から、生徒の間で一つの噂が流れ始めていた。
『あの文化祭の劇で大評判を受けた、
一年の白瀬京子が飛び降り自殺をした』
その噂をクラスメイトから実際に聞いた時の事を今でも僕は鮮明に覚えている。
それは、よく言われる通り、まさに自分が立っている足元が急に崩れ落ちて行くかの様な感じだった。
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