花の姫君と狂犬王女

化野 雫

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エピローグ

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 ラマナスのダウンタウン。古めかしいビルに囲まれたその路地裏のさらに奥。

 国中が観光地とも言えるラマナスではあるが、さすがに慣れた旅行者でもこの辺りには絶対に近寄らない。そしてこの町に長年住む者ですら、この周辺には足を踏み入れようとはしない。ここは『狂犬王女』が取り仕切るもう一つのラマナス。言ってみれば裏のラマナスってやつだ。表舞台から様々な理由でドロップアウト連中が自分たちの掟に従って生きる場所。警察など公権力もよほどの事がない限り入っては来ない。


 『Heaven’s Gate』の文字が時折チカチカと明滅する古めかしい電飾の看板がある事でバーらしい事が分かるだけで、そこには薄汚れた、そして妙に凝った造りの木戸が一つぽつんとあるだけだ。そこはきらびやかで、例え夜中でも真昼の様に明るいと言われるラマナス首都島の真っただ中、しかも真昼間とは思えぬほどの薄暗さだった。しかも暗いだけではない。そこには人の気配を感じさせない冷たく妙に居心地の悪い静寂に満ちていた。仮にここまで入って来る勇気のある旅行者が居たとしても、ここに淀むその独特な雰囲気にほとんどの者がそこで踵を返し戻って行ってしまう。

 しかし、もし、あなたが蛮勇を振り絞りその木戸を開ければその静寂の風景は一変するだろう。

 その薄汚れた木戸が開かれた瞬間、それまでそこにあった言わば死の静寂とは打って変わった、人間臭い騒音と匂いが流れ出す。ジャズを奏でるピアノの音と、話し声、笑い声、怒鳴り声、そして酒とたばこの匂い。

 一歩店内にはいると左手に、染み一つない白いシャツに黒い蝶ネクタイと赤いベストを来た絵に描いたようなバーテンダーが立つバーカウンターがまず目に入る。その後ろには様々な国のさまざまな酒瓶がまるでオブジェの様に並べられている。視線を右に移すとそこにはいくつかのテーブル席が置かれたフロアーがある。その広さはあの入り口から想像されるよりかなり広い。

 店の周りのうら寂しい状況からとはうって変わって、バーカウンターの止まり木にも、そしてテーブル席にも結構客が入り賑わっている。ただし、その誰もが昼のラマナスでは絶対に見ない種類の人間たちだった。見るからに、パンクロッカーや怪しげな薬の売人を思わせる身なりの者や、スーツを着ているかと思えば会社勤めのサラリーマンたちとは明らかに趣の異なる特殊なコーディネートの者たちばかりだった。

 そして、そのフロアーの奥、薄い紗のカーテンで仕切られた場所でソファーにどかりと座り、怪しげな男達を周りに侍らせながら一人、大きな丸い氷の入ったウイスキーグラスを煽る一風変わった女が居た。

 伸ばしっぱなしにされた艶やかな黒髪に、研いだ碁石の様な漆黒の瞳と、細い体。長く垂らされた前髪はその顔半分をベールの様に隠してはいるが、前髪が掛かっていない方は、絵画や彫刻を思わせる程、彫が深く美しい。シルバーの鋲やチェーンの沢山ついた黒革のライダージャケット。組んだ足の間から下着が見えそうなほど短い黒革のミニスカート。こんな南国だと言うのに、厚手の黒いストッキングに包まれた長い脚。

 しかし、その女が何より人目を引くのが、長く垂らされその顔の半分を隠す様にしている前髪の下にある物だった。時折、女の動きでその前髪が揺れ、その下に隠されたもう一つの顔を見るとそれを初めて見る者は誰もが一瞬息を飲んでしまう。それを知っている者はあえてその瞬間、その女の顔から無意識の内に視線を逸らす。

 そこには頬から額にかけて酷い火傷の痕を思わせる赤黒いケロイドと酷い縫い傷が一本走っていた。

 そう、この女こそ、その素行の悪さから王位継承権を実の父である王から剥奪されたラマナス海洋王国第一王女、通称『狂犬王女』こと『静=ラマナス』だった。


「相変わらず昼間っからお酒ですか?」

 静が顔を上げると、そこにはこんな場所にはまったく似つかわしくない風体の若い、いや正確には若いと思われる女が一人ぽつんと立っていた。こんな風体の女がここに居ればたちまち周りのガラの悪そうな男達に絡まれるか、良くても外に放りだされると思われた。

 何故なら、その女は顔以外を髪も含めて首まで白い頭巾ウィンプルで覆い、その上に黒いベールを被り、そしてその体もゆったりして体の線が分からぬ黒いワンピースで包んでいた。そして腰に巻かれたベルトには十字架が揺れるロザリオ掛けられ、その首には自身の所属を示す特徴的なペンダントあった。そう、そこに居たのは誰もが一目でそうと分かる一人の修道女だった。

 しかし、そこまでその修道女は店内を歩いてきたはずなのに、店内に居た誰一人、その修道女に注意を払う者は居なかった。皆、ちらりとその修道女を一目見ると、あたかもそれがここの日常の風景の様に誰一人関心を持たぬ風になった。

 そして、静自身もまたそうだった。静はその声に一度ちらりと顔を上げただけだった。

「まあ、誰かさんと違って私は暇だからな、シスターフローレンス」

 そう言ってからグラスのウイスキーの残りをぐっと飲み干してから、もう一度、改めてそのシスターを見上げて尋ねた。

「お前さんがここに来たと言う事はまた厄介事だな」

「厄介事ではありません。お仕事です」

 迷惑そうにそう言いながら、それでも少しその口元に笑みを浮かべた静に、シスターは両手を胸の前で組み優しい正に聖女と言う微笑みを浮かべてそう答えた。

 そして一呼吸置いて、二人は突然、お互いの顔を見て声を上げて笑い出した。それを見て、周りに居た者もくすくすと小さく笑い始めた。まるでのロボット様に表情一つ変えず自身の仕事をしていたカウンターの中のバーテンダーですら、その一瞬、口元に笑みを浮かべた。

 ひとしきり笑った後、静はまだ少しにやにやしながら言った。

「しかし、お前もその格好が段々板について来たな、カタリナ」

「よろず困り事を引き受ける下町の聖女『シスター=フローレンス』。
 その正体がまさかこの国で唯一王位継承権持つ
 『花の姫君』こと『カタリナ=ラマナス』なんてねぇ」

 そうすると静の横で瓶のバドワイザーをラッパ飲みしていた静と同じ様な服装をそいていた男が笑いながらそう言った。

「もう、止めてよ、聖女なんて、マックスさん。
 でもこうして顔出してるのにこの恰好だと、
 誰も私だと気付かないなんてね」

 そのシスターがくすりと笑ってそう言った。

「人間そんなもんさ。変にこった変装するよりそっちの効果的さ」

 そう言ってから静はシスター姿のカタリナを改めて見上げて尋ねた。

「……で今回の仕事ってのは何だ、カタリナ?」

 静がそう言った直後だった。


 バー『Heaven’s Gate』の木戸が壊れそうな勢い良く開かれると一人の女が店内に駆け込んで来た。客たちが唖然とした表情でその女を見詰める中、女は大声で叫んだ。

「狂犬王女! ここに居るんでしょ!
 どうでも良いからとにかく私を助けろ!」


『花の姫君と狂犬王女』 完
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