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第29話
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一呼吸の後、剣士の姿は抜刀した剣を持ったまま黒髪のメイドの背後にあった。
その間、黒髪のメイドは微動だにしなかった。
そのメイドの染み一つない真っ白なエプロンドレスのレースがあしらわれた左肩が見事に切られはらりと垂れ下がった。
勝った。
剣士はそう確信した。
極限まで張り詰めていた緊張感がゆっくりと溶けて行く。
「口ほどにもなかったな、女……」
剣士はそう言って抜刀した刀を腰の鞘に納めようとした。
その時だった。
剣士は自身の右肩から暖かい湯をかけられたような感覚を覚えた。そして、骨の芯から沸き起こる様な激痛が剣士を襲った。
カランッ……少し重い、でも澄み切った金属音が大広間に響いた。
剣士の持っていた剣が突然、鞘の中に滑り込まずに大理石の床に落ちたのだ。
「な、何? 何が起こったんだ?」
ずきずきと頭の中に駆け上がって来る痛みと熱さを感じながら剣士は自問した。
そしておもむろに痛みと熱さが湧き上がってくる右手を見た。
そこには信じがたい光景があった。
剣を持っていた右手の肩口からやや下あたりから、心臓の鼓動と連動してどくどくと真っ赤な血が流れだしていた。そしてその血が右手を真っ赤に染め上げたばかりか、真っ白な大理石の床に大きな血だまりまで作っていた。
「くぅ……うううっ……」
その現実を見た途端、痛みが倍増した。そして何故かその痛みの中、剣士は冷静になれた。
間違いなく骨に達する程、深く斬られている。剣士はすぐさま、今までの経験から分かった。剣を取り落としている上に、この傷ではもう反撃する事すら無理である事を悟った。
剣士は傷口を左手で押さえながら、ひざを折りその場に崩れた。
しかし、何故?
それでも剣士は納得できなかった。あの黒髪のメイドは微動だにしなかった。そしてこちらの剣が先にあのメイドを左の肩口からバッサリと斬ったはずだった。
いや、違う。
黒髪のメイドを斬った時の手ごたえが違った事に剣士は気が付いた。
確かに神速とも言われるこの剣は、剣の軽さを速さで補い切れ味を増幅させている。普通なら斬れないと思われる固さの物もその異常な速さが加わることで紙の様に瞬時に一刀両断するのだ。
それでもだ。
あの時の感覚は人を斬ったにしては軽すぎた。相手が華奢な女故にその時は気にもせずにいた。
そうか。
やっと剣士は理解した。
あの女の剣は、神速の域さえも超えるほど速いのだ。そう、『剣聖』とまで称えられたこの俺ですら、見極める事が出来ぬほど速い。そしてその剣でこちらの剣筋を逸らせたばかりか、返す剣でこちらの腕を斬ったのだ。
しかも、腕を完全い切り落とさぬ様手加減までして。
それはただ単に相手に致命傷を与える様に叩き斬るよりはるかに難しい事だと剣士には分かっていた。あの速さであの瞬時に、腕を斬り落とさず骨を残しぎりぎりで斬る。それはもう人の技ではない。神の技としか思えぬものだ。
「完全に弾いたと思ったが、まさか斬られてたとはな。
このエプロンドレス新品だったんだぞ、どうしてくれる」
黒髪のメイドは相変わらずまるで自身が主の様な口調でそう言いながら剣士の方へとゆっくりと歩いていた。
「おい、ハロルド、そしてそこのメイド、その男の傷を見てやれ。
早く止血しないと意識がなくなるぞ。
いや、その前に死んでしまうか」
剣士に歩み寄りながら黒髪のメイドは、若き帝の騎士とメイド姿の女に声を掛けた。
「おや、この男を助ける気なんですか?」
黒髪のメイドの声に、若き帝の騎士は立ち上がり剣士に歩み寄りながらそう尋ねた。
「このまま死なせるには惜しい腕だからな」
黒髪のメイドは床に膝を付き苦痛に耐える剣士の傍らに立ち彼を見下ろしながらそう答えた。そう答えた仮面の下から見える口元が笑っていた。
「まったく、またあなたの悪い癖が始まった……」
若き帝の騎士はその剣士の横で膝を折ると、その傷を見ながらそう呟いた。
「何故、手加減した。情けなどいらん。このまま死なせろ」
剣士はともすれば薄れ消え入りそうになる意識を奮い立たせて、黒髪のメイドを睨みつけてそう言った。
「少し痛いですよ。いや、もう十分に痛いですよね」
そんな剣士に若き帝の騎士はそう言って、その傷の少し上あたりを両手でぐっと掴んだ。
その間、黒髪のメイドは微動だにしなかった。
そのメイドの染み一つない真っ白なエプロンドレスのレースがあしらわれた左肩が見事に切られはらりと垂れ下がった。
勝った。
剣士はそう確信した。
極限まで張り詰めていた緊張感がゆっくりと溶けて行く。
「口ほどにもなかったな、女……」
剣士はそう言って抜刀した刀を腰の鞘に納めようとした。
その時だった。
剣士は自身の右肩から暖かい湯をかけられたような感覚を覚えた。そして、骨の芯から沸き起こる様な激痛が剣士を襲った。
カランッ……少し重い、でも澄み切った金属音が大広間に響いた。
剣士の持っていた剣が突然、鞘の中に滑り込まずに大理石の床に落ちたのだ。
「な、何? 何が起こったんだ?」
ずきずきと頭の中に駆け上がって来る痛みと熱さを感じながら剣士は自問した。
そしておもむろに痛みと熱さが湧き上がってくる右手を見た。
そこには信じがたい光景があった。
剣を持っていた右手の肩口からやや下あたりから、心臓の鼓動と連動してどくどくと真っ赤な血が流れだしていた。そしてその血が右手を真っ赤に染め上げたばかりか、真っ白な大理石の床に大きな血だまりまで作っていた。
「くぅ……うううっ……」
その現実を見た途端、痛みが倍増した。そして何故かその痛みの中、剣士は冷静になれた。
間違いなく骨に達する程、深く斬られている。剣士はすぐさま、今までの経験から分かった。剣を取り落としている上に、この傷ではもう反撃する事すら無理である事を悟った。
剣士は傷口を左手で押さえながら、ひざを折りその場に崩れた。
しかし、何故?
それでも剣士は納得できなかった。あの黒髪のメイドは微動だにしなかった。そしてこちらの剣が先にあのメイドを左の肩口からバッサリと斬ったはずだった。
いや、違う。
黒髪のメイドを斬った時の手ごたえが違った事に剣士は気が付いた。
確かに神速とも言われるこの剣は、剣の軽さを速さで補い切れ味を増幅させている。普通なら斬れないと思われる固さの物もその異常な速さが加わることで紙の様に瞬時に一刀両断するのだ。
それでもだ。
あの時の感覚は人を斬ったにしては軽すぎた。相手が華奢な女故にその時は気にもせずにいた。
そうか。
やっと剣士は理解した。
あの女の剣は、神速の域さえも超えるほど速いのだ。そう、『剣聖』とまで称えられたこの俺ですら、見極める事が出来ぬほど速い。そしてその剣でこちらの剣筋を逸らせたばかりか、返す剣でこちらの腕を斬ったのだ。
しかも、腕を完全い切り落とさぬ様手加減までして。
それはただ単に相手に致命傷を与える様に叩き斬るよりはるかに難しい事だと剣士には分かっていた。あの速さであの瞬時に、腕を斬り落とさず骨を残しぎりぎりで斬る。それはもう人の技ではない。神の技としか思えぬものだ。
「完全に弾いたと思ったが、まさか斬られてたとはな。
このエプロンドレス新品だったんだぞ、どうしてくれる」
黒髪のメイドは相変わらずまるで自身が主の様な口調でそう言いながら剣士の方へとゆっくりと歩いていた。
「おい、ハロルド、そしてそこのメイド、その男の傷を見てやれ。
早く止血しないと意識がなくなるぞ。
いや、その前に死んでしまうか」
剣士に歩み寄りながら黒髪のメイドは、若き帝の騎士とメイド姿の女に声を掛けた。
「おや、この男を助ける気なんですか?」
黒髪のメイドの声に、若き帝の騎士は立ち上がり剣士に歩み寄りながらそう尋ねた。
「このまま死なせるには惜しい腕だからな」
黒髪のメイドは床に膝を付き苦痛に耐える剣士の傍らに立ち彼を見下ろしながらそう答えた。そう答えた仮面の下から見える口元が笑っていた。
「まったく、またあなたの悪い癖が始まった……」
若き帝の騎士はその剣士の横で膝を折ると、その傷を見ながらそう呟いた。
「何故、手加減した。情けなどいらん。このまま死なせろ」
剣士はともすれば薄れ消え入りそうになる意識を奮い立たせて、黒髪のメイドを睨みつけてそう言った。
「少し痛いですよ。いや、もう十分に痛いですよね」
そんな剣士に若き帝の騎士はそう言って、その傷の少し上あたりを両手でぐっと掴んだ。
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