スノードーム・リテラシー

棚引日向

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01 不条理な境界

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 そこには確かに境界があった。
 地図に書かれただけの存在ではなく、空間的に外と内とを確実に隔てている物理的な境界だ。
 しかし、透明で限りなく無色に近いそれを、日頃意識する者は、もはや少ない。とても長い時間、意識しないように努めてきた結果、無意識が習慣化されたのだろう。
 その境界は曲面だが、あまりに大き過ぎて、目の前では、まるで壁のように平らにしか感じられなかった。

 十一月十八日。
 境界に背中を預けて、レオシュは、何をするでもなく内側の景色を眺めていた。人工の樹木、人工の草花、そして人工の風だが、内側しか知らない彼には、外の景色との区別はつかない。
 彼は毎日のように同じ場所に来ていた。好き、というのではないような気がするが、ほかのどこよりも落ち着くのだ。
 体を境界から離し、無色透明なその面に軽く両手を突き、外側へ目を向けても、その日は雨が振りそうな厚い雲で、空はまったく見えなかった。
 どのくらいの間、ただ雲が流れるのを眺めていたのか、ふと、外側を歩く少女が見えた。少女の方でも彼に気づいたようで、視線が重なった。
 見てはいけないものを見てしまったような気がして、レオシュは反射的にその場から逃げ出した。
 少し離れてから、先ほど少女がいた辺りを振り返ると、その後姿が、木々の陰に消えていくところだった。
 レオシュが本当に驚きを感じることができたのは、少女の姿が完全に見えなくなってからだった。
「境界の外側に、人がいた……」
 確かにそれは、見てはいけないものだったのかも知れない。


 周縁部の町、シフノス。その町の中でも境界に近いスクールで、レオシュはレッスンを受けていた。
 ただでさえ身の入らない歴史のレッスンなのに、前日の少女のことを思い出してばかりで、集中できないこと、この上ない。その証拠に、先ほどから何度もスクリーンの左上に【Attention】の赤い文字が表示されていた。
 美しい少女だった。年齢は彼と同じくらいだろうか。ほっそりとして手足が長く、短めの髪で、少年のようでもあった。レオシュが見たことのない雰囲気の少女。それは、彼にとっては何よりも関心のあることだった。
 客観的には、境界の外側を人間が無防備に歩いていたことの方が、明らかな一大事だったのだが。

 レオシュは十三年生だが、それはスクールの十三年目というだけで、あまり意味を持っていない。レッスンの進み方が、人それぞれ異なるからだ。
 その人の能力や個性によって、全員がばらばらのカリキュラムを履修している。数学だけ進みが早い者、地理のみがほかのレッスンと比較して遅れている者など、他人と比べることが不可能なほど千差万別だ。
 例えば、レオシュ自身、ドーム移行期の歴史については、何度も学習させられた。それは極めて重要な歴史的意味を持っているからなのか、あるいは彼の理解度がまだまだ浅いからなのか、誰にも尋ねたことはない。
 多くのレッスンでは、自席のスクリーンに課題が表示され、生徒はバーチャルなキーボードを叩いて、それらをこなしていく。質問があるときも、その旨を打ち込めば良い。レッスンに教師は不要なのだ。
 体育や芸術系の科目でさえ、体力や向き不向きによって、かなり細分化されたグループでレッスンを受講する。その際にも、指示は、体育館やグラウンドの空間に出現する照射型のディスプレイでなされるし、個別に指導や注意が必要な場合は、POCO(portable Communicator)によって、本人だけに伝えられる。体調や気持ちの変化に関することさえ、個別にEMS(Educational Meddler System)と呼ばれる管理用コンピューターが見守っているのだ。
 歴史のレッスン中、レオシュのスクリーン上に、注意不足を警告する【Attention】が繰り返し点滅するのも、このEMSの仕業だ。
 クラスには担任が存在するが、それは授業を進めるためではない。言ってみれば、ホームルームの担当教師だ。
 レッスンの内容がそれぞれに合わせたバラバラなものだからこそ、クラスという単位が、健全なメンタルのために必要だと考えられている。文化祭やキャンプなど、クラスで行なう課外活動は意外に多い。
 スクールは居住地で決まるが、クラスは、性格や学力などをEMSが分析して決定する。細かな分析をしているとはいえ、やはり予想外のことも起きるので、随時クラスの入れ替えを行なうことになっている。年に一度、一クラス当たり数人入れ替わるのが通例だ。
 レオシュにしても、きちんと性格などを考慮してEMSがそのクラスに配属しているはずなのだが、自分では、どうも馴染めているとは思えなかった。
 そこが、自身のいるべき場所ではないように感じられてならない。スクールも家も、どこか自分によそよそしい。クラスメイトも親も、本物ではないような、そこには本当の関係が存在していないようだった。
 果たしてこの感覚を持っているのは、自分だけなのだろうか。周囲の人々も感じていることなのだろうか。感じていながら、現実と折り合いをつけて、上手に生きているのだろうか。自分は、単に不器用なだけなのだろうか。もしかすると、容姿でもレッスンでも、何でもよいので、人よりも秀でていると自信が持てるものがあれば、気の持ち方が変わるのかも知れない、とも思う。
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