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第四章 潜入
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第四章 潜入
ダイビングスーツを着た男がジャンプルームの前に立っている。
「よし、じゃあ予定通り頼むぞ」
「承りました」
男は今回「衛星放送がなくなるまで」を条件として、EZに施設の維持と時間凍結の終了を委ねた。といっても完全に委ねたわけではなく、EZに百年もつ安全装置の電池を作らせ、百年毎に男が自分で最低限の確認を行なって次を設置していく、というものだった。長期間の放置に備え、設備の改良も済ませていた。今回は複製したコアの内二つが男と一緒に時間旅行をし、一つは時間の流れの中で作業を継続するという計画だった。男は黒猫と人型ロボットをジャンプルームへ運び込み、掃除機と挨拶を済ませると次の時代へと跳躍した。
※
二六二四年。途中四度の点検を挟みながらも、男は無事次の着地点に辿り着いた。驚異的なことに、EZ自身によって改造を施された掃除機は、この時点でも活動を続けていた。タイムジャンプが終了し、三つのコアが同期を完了する。
「同期が完了しました」
「どんな感じだ?」
「大変興味深いデータが得られました」
「短期間の凍結テストと何か違ったのか?」
「前回の時代から現在までに、人類は飛躍的な技術発展と淘汰を経験しています。現在の世界総人口は約六億人です」
※
男が食事をしながらEZの歴史講義を聴いている。
「現在に至る大きな分岐点となった事柄が起こったのは、二十三世紀に入った頃です。当時存在していた四大勢力の内一つが、大規模災害によって都市機能を失いました。そして、事態に介入してきた他の勢力によってその領土が分割、割譲される結果となりました。その際の紛争は、世界統一戦争と呼ばれる程、広範囲に波及しました。意外にも核兵器が使われる事はなく、淡々と陣取り合戦が繰り返されました。その結果、派遣された戦闘員は殆どが殉職しました。この悲劇が終戦宣言に繋がり、三大勢力は被害が少なかった地域を分け合い、焼け野原となった土地を放棄し撤退して行きました。戦後処理や社会の再構築が進むと、今度は三大勢力が一つの経済圏を作る事で合意をし、実質的に世界を統べる組織、UC(ユナイテッド・コミュニティ)が誕生しました。それに参加していない地域や集団も存在していますが、影響力は無に等しく、こうして世界統一が成されました」
男は大まかな流れだけに絞って聴き続けた。二十三世紀に誕生したUCは、人類史に例がない程のゆとりある生活を市民にもたらしていた。しかしその結果はと言うと、二十四世紀までに世界総人口が二十億人にまで減少するという様だった。これはUC支配下に於いて、徹底した幼児保護制度や確実な避妊手段の無償供給が進められていた為だった。子を持つことを躊躇する理由が増え、避妊手段が無償で与えられれば当然の結果だった。
子を持たない市民が増えた結果、自分の事以外に関心を持たなくなる人間の割合が増加し、倫理的制約によって規制されていた種々の医療研究が解禁されていった。制約を解かれたことで医療の発達は急速に進み、人口子宮を生み出すまでに至った。
二十三世紀中に子を持たない選択が繰り返された結果、快楽主義者が淘汰され、逆に子孫を強く望む市民の割合が増加していた。人口増加に転じると思われる状況なのだが、そうはならなかった。二十四世紀初頭、人口増加を目的として人工授精が無償で行われるようになった。この技術には昔から「自然妊娠できない人間が増加するのでは?」と言う疑念をもつ人々が存在していたのだが、この時代に於いては子を持つ権利が優先され、利用者が急増した。そしてその数十年後、不思議な程流産や死産が相次いだ。その為、市民達は高い負担と引き換えに、安全で確実な人口子宮で子を持つことを選んでいった。そして、二十五世紀に入った頃、人間は人口子宮から産まれる存在となっていた。
人口子宮の利用が当然の事となった段階で、次の変化が始まった。人間のゲノム編集が行われるようになったのだ。中世に見られる宗教観や倫理観といったものは遠の昔になくなっていて、より優秀な後継者造りが当然の事として受け入れられるようになっていた。胎児の段階からナノマシンを使用し、神経を増設して機械を直接コントロールできるようにしたり、首から上と下を着脱可能にするといったオプションまで登場した。このオプションを利用した人間の寿命は長く、最初の世代が二十七世紀の今も生きている程だった。クローン技術によって作られた新しい体と交換を行うことによって、寿命の大幅延長が実現していた。ただしオプションには、限られた人間しか利用できないとか、昔のことを殆ど覚えていられないという実態もあった。
「まあ、生殖とかクローン関係のテクロノジーは前からあった訳だし、規制が無くなればそうなるか。地球外生命体の発見とか立体映像装置なんかはあるのか?」
「地球外生命体は発見されていません。月で生活している人類であれば存在しています。立体映像はありませんが、視聴覚や触覚の模倣に成功し、仮想現実が娯楽として普及しています」
「それじゃあ宇宙船は一般化したのか?」
「個人向けの輸送サービスが存在しています。体を月で製造し、頭部だけを運ぶ方式が採用されています」
「なるほど。体ごと宇宙に飛ばすロケットは無くなったのか?」
「衛星放送の内容からは確認できません」
「ちょっと誤算があったようだな」
男は最終的に宇宙空間での時間凍結を想定していたのだが、人類の進化が予想と違う方向に向かってしまい焦りを感じた。
「EZ、すまないけど頼まれてくれ」
「なんでしょうか?」
「俺が地球の外で不自由なく生活できる算段をつけてくれ」
「最善を尽くします」
「あ、首と胴体は一緒のままで頼む」
男はとうとう自分で考えることを諦め、EZに行く末を委ねることにした。EZが方法を探している間、男は約五百年間の映像記録の中から影響が大きかったものをピックアップし、順々に視聴していった。
大まかな歴史はEZから聞いた通りだった。他にも量子コンピューターや超電導リニアの普及、反物質を安定させて保存する技術の確立が成されていた。更に、この時代の人々は機械と直接接続し、そこから通信や仮想現実を利用しているようだった。又、宇宙人だとか物質の転送、ワープといったものはこの時代でもフィクションの小道具でしかなかった。
「量子コンピューターの普及はもっと早いと思っていたんだけどな、なんでだろう?」
「量子コンピューター自体は二十二世紀中に実用化され、研究機関や軍事施設で運用されていました。しかし資源の流通不足から大量生産には至らず、普及しませんでした。現代に於ける普及というのも、人口に比例していて生産数が多いものではありません」
「意図的に独占されてた可能性もあるのかな?」
「その可能性は否定できません」
この様にして男は歴史を学んでいった。
※
後日。シアタールーム。
「おーい、EZ、ちょっとティッシュ取ってくれ」
シャワールーム。
「EZ、このタオル、ちょっと臭う」
トイレ。
「EZ!」
※
シアタールーム。
「いやあ、さっぱりわからない。EZ!」
男は勉強の合間に娯楽作品の消化も進めていた。しかし、母語であるはずの言語すら理解できなくなっていた。その為、EZに翻訳と解説をさせ、なんとか内容を把握しようとしていた。
ここ数百年の間に作られた作品は、宇宙を舞台とするものが多かった。この時代に於いて月は安息の地として描かれる事が多かった。何もなかった地表に多くのドームが建設され、地球での役割を全て終えた人達が移住し余生を過ごす。それが日常の光景として描かれていた。月に住人が居るこの時代、SFでなくとも宇宙が舞台になるようだった。男は段々、フィクションと現実の境目が分らなくなってきていた。
「EZ、宇宙船はなんとかなりそうか?」
「現在データの再検証を行なっています。もう暫くお待ちください」
「ああ、急がなくていいから確実な計画を頼む」
※
男とEZが潜水艇の整備をしている。二つの潜水艇を一度解体してから組み直したことで、殆ど新造に近い仕上がりになっていた。船体には「Theseus」と書かれている。
「改修完了です」
「これでようやく動き出せるな」
一週間後、男とEZは洞窟内で可能な限りの準備を済ませ、いよいよ宇宙船獲得計画が始動した。一人と一体と一匹が潜水艇に乗り洞窟を離れていく。
※
EZは情報収集の為、UC中枢への単独潜入を繰り返していた。この時代、UCにとっての外敵はほぼ存在せず、警備が薄くなっていた為、陸地が見える地点まで簡単に近づくことができた。そして海上からドローンを飛ばして黒猫ボディを陸まで輸送し、黒猫が潜入を開始した。電源や安全地帯の確保等下地作りを行いながら、黒猫は確実に情報収集を進めていった。この時代に於いても猫は殆どの場所で自由に行動できるようだった。お陰でテレビ番組からは得られない真実が次々と明らかになっていった。
UC市民は皆平等とされていた。誰であろうと衣食住は好きなものを選ぶことができ、仮想現実によって娯楽が与えられ、働く必要さえない程のゆとりある生活を送っていた。居住地域の制限や健全な肉体を維持する義務があったりもしたが、疑問を持つものは誰も居らず、街は楽園の様だった。
黒猫は掌のスキャナを使用して、市民の体を巡るナノマシンから市民IDを取得した。そして、今回からコンピューターネットワークへのアクセスを解禁されていたので、就寝中の住民に成りすまし可能な限りの情報を集めた。複数のIDを使用してみたところ、市民IDと管理者IDの二種類が存在していた。管理者IDを使ってみると、市民IDだけではアクセスできない情報があることが分った。
市民IDで得られた情報は、テレビ番組や教育機関等で知ることができる情報と大差が無かった。その中に間違いや嘘があるわけでは無かったのだが、歴史に関わる部分でその背景が不明になっている事が多かった。管理者IDではその背景部分を知ることができた。一見機密情報のようだが、長年世界を眺めてきた黒猫からすると、やはり情報不足感が拭えない程度であった。黒猫はこれをマインドコントロールの一種ではないかと推理した。
元々人間社会には様々な構成員がいて、能動的だったり受動的だったりと、個人毎に性質が異なっている。受動的な者には市民IDだけを付与し、能動的な者には管理者IDを付与する。受動的市民は責任を感じることのない市民IDに満足感を覚え、能動的な市民は優越的な権限と責任に満足感を覚える。性質に合わせた格差を設けることで、社会に対する不満を感じにくくしているのだと言う。管理者IDを持っていたとしても、実際の所大した情報に辿りつけなかったことが決め手となった。黒猫はこれらの権限を超えるIDを探すため、様々な居住区や施設を渡り歩いた。その結果、黒猫はこの社会の別な側面を知ることとなった。どうやら市民が従事する事柄は居住区毎に決められているようだった。ある場所では創作的な活動をする人間だらけだったり、他の場所ではスポーツに明け暮れる人間ばかりだったりと、住民たちは居住区毎に割り振られた特定の活動しかしていないようだった。そしてその状況に満足しているようだった。
得られる情報がなくなった頃、黒猫は居住区に見切りをつけ行政施設へと向かった。行政施設は厳重な警備が敷かれているようだったが、黒猫はすんなりと侵入することができた。中に入ってみると、そこでは管理者IDを持った人間がロボットの数を数えたり、紙に印刷された書類を運んだりといった仕事をしていた。まるで必要性のない作業に見えた。
黒猫は高い権限を持っていそうな人間を探して歩き回った。そして避難用階段で不自然な扉を見つけた。最上階の扉一歩手前の所で、簡素ではあったが、武器を持ったロボットが待機していたのだ。潜入後初めて目にする光景だった。
黒猫は慎重だった。扉の先の確認を諦めその場を離れた。そして警備が居ない場所の探索を再開した。次に立ち止まったのは施設の中庭が見える場所だった。そこには複数の猫がいた。どうやら職員の憩いの場となっているようだった。視線が多いこともあり遠くから観察をした。すると奇妙なことに気がついた。猫達の瞬きが皆単調だったのだ。それも自分と同じフーリエ変換を用いたパターンだった。黒猫はゆっくりとその場を立ち去った。その後は長居することなく施設を離れ、一旦潜水艇へ帰還した。
※
潜水艇内部。全身に日焼けをしたアロハシャツ姿の向こうに、スクリーンと人型ロボットの姿がある。EZが男に報告を行う。ネットワークを介して得た情報や実際に見て知ったことを整理して説明していった。報告と並行して、人型ロボットによる黒猫ボディの改造も行われていた。瞬きのパターンを変更したり、次の潜入時に役立ちそうな改良が加えられていった。
「こちらが今回潜入した施設です」
スクリーンにワイヤーフレームで表現された3D映像が表示される。オレンジ色の液体をストローで吸い上げながら男がそれを眺めている。
「この施設は一見すると行政機能を担った施設のようですが、それは全くの誤りでした。この施設の目的は二つあります。一つは先程ご説明した管理者IDを持つ者達へ擬似的な仕事を供給することです。もう一つは、詳細は不明なのですが、何か別な施設への入り口である可能性が高いと思われます。こちらをご覧ください」
スクリーンに施設の外観が映し出され、先程のワイヤーフレームと重ねられる。
「外観を元に推測した施設の構造から、今回潜入できた箇所を排除します」
重なり合った像が次々に剥落していく。
「ここから孤立した部屋と思われる空間を排除します」
枝の生えた樹木のような形から枝部分が落ちていき、幹のように下から上まで伸びた一本の空間が現れる。
「恐らくこれはエレベーターです。施設内外の探索によって、その入り口と成りえる箇所は二つしかありませんでした。ここです」
縦に伸びた空間の上部に、一度削除された空間と屋上が赤く表示される。
「ここの扉だけ武器を持った警備ロボットが配置されていました。ここから中に入れると推測できます。この上部に位置する屋上の非常扉もエレベーターに繋がっていると思われます」
「いかにも、だな」
「収集できた情報の中に、この空間の使用目的を示すものはありませんでした。少なくとも、公にできない空間であることは間違いありません。次回の潜入はこの場所へ潜ることを目標とします」
「慎重にな」
※
暗闇の中、黒猫がビルをよじ登っていく。屋上に到達すると、背負っていたバックパックを降ろし、中からいくつかの道具を取り出した。屋内階段へ続くと思われる扉が施錠されていることを確認し解錠を試みる。カチャリという音がして扉が開く。扉の先に階段はなかった。代わりにエレベーターの通路と思われる穴が開いていた。黒猫はワイヤーを使って下層へと降りていった。
最下層、エレベーターの扉に十センチ程の隙間が開き、中から黒猫が出てくる。通路に明かりはなく、屋外以上の闇に包まれていた。黒猫が眼球カメラの赤外線受光感度を上げると、通路にセンサーが張り巡らされていることが確認できる。その中から隙間を見つけ出し、普通に歩いて先へと進んでいった。猫の大きさだと特に障害とならないようだった。むしろ通路を照らす明かりとして役に立ってさえいた。
通路の先に扉があったのだが、鍵は掛かっていなかった。黒猫が中へと入り込む。部屋の中には医療ポッドが置かれているだけで他には何もない。黒猫が中をのぞき込む。老人が眠っているようだった。しかし注意深く観察をした結果、それは死体だと判明した。黒猫はポッドを操作し蓋を開け、老人の体を丹念にスキャンしていった。それが完了すると今度は爪を出した。爪の先から黒い液体のような物が染み出し、雫となって死体に垂らされる。まるで砂に染み込む水のように液体が死体に吸い込まれていく。黒猫はポッドを操作して蓋を元に戻した。全ての完了を認識した黒猫は、侵入の痕跡が見つからないように注意をしながら抜け出していった。
潜水艇内。
「必要な情報、状況が揃いました。一旦戻りましょう」
男とEZは洞窟へと戻って行った。
※
洞窟内。EZが計画を説明している。男は半信半疑でその計画を聞いていた。
「本当にそんなことで宇宙船が手に入るのか?」
「不確定要素が無いわけではありませんが、高確率で入手可能です」
EZの計画は簡潔で、「UCに於ける全権限を男に持たせる」というものだった。
黒猫EZはUC中枢を渡り歩き、様々な人間と接触していた。その結果、「現在ロボットやコンピューターを管理している人間は存在していない」という結論に辿り着いた。そこで矛先を変え、昔ロボットに命令を下した人間を探していた。その中であの老人の死体を見つけ確証を得たEZは、次の計画へと移行していたのだった。
「いよいよこの洞窟ともお別れか。これまで本当によく見つからなかったな」
「状況によっては、また戻ってくる可能性もあります」
「まあ、そうだな」
※
潜水艇が堂々とUC管理下の港へと侵入していく。直ぐに警備ロボットが駆けつけ、潜水艇は取り囲まれてしまう。警備ロボットの呼びかけを受け、手を上げながら一人の男が潜水艇から姿を表した。
「私だ、私だ」
姿を見せたのは年老いた男だった。その服装や顔、声はかつて火星移住を試みて失敗したあの老人のものだった。辺りを取り囲んでいたロボット達はその姿を確認すると、暫く立ちすくんだ状態になってしまった。そして十分程経過し、代表の一体が前へ出てきた。
「このPZ《ピージー》、御主人様のお帰りを心よりお待ちしておりました。お帰りなさいませ」
「うん、長く待たせてしまったな。それはそうと、おい、いいか、よく聞け。私はお前たちを譲ることにした。今後お前たちの主人はこの男だ」
潜水艇から男が出てくる。日焼けした肌に半袖シャツ、洞窟の主だった。
「かしこまりました」
PZ達はあっさりと命令を受け入れてしまった。命令が承認されたことを確認した老人は、潜水艇の中に戻り、マスクと手袋を外して、本来の人型ロボットに戻った。EZによる猿芝居だったのだ。男は呆気にとられながらもEZの説明を思い出していた。
※
「それでは宇宙船獲得計画の説明を致します。まず目標となる宇宙船ですが、UCが所有していると見て間違いないでしょう。これは月にあるコロニーとのやり取りから確実と言えます。次に宇宙船をコントロールできるのは、UC内のロボット達だけであるという点です。UC内に宇宙飛行士を育てる機関が存在していないことから確実と言えます。この二点から、宇宙船を手に入れる為には、UCに配備されている全てのロボットを所有する必要があります」
「ちょっと待て、いくらなんでも無理があるだろ」
「ロボットたちは命令に従うよう設計されています。現在の所有者から譲り受ければ良いのです」
「どこにそんな親切な人間がいるんだよ?」
「存在しません」
「は?」
「現在、UC内の全ロボット及びコンピューターは、誰の支配下にもありません。先日、潜入した施設内で、男性の遺体を発見しました。彼が生前ロボット達に何らかの命令を出し、現在に至っているものと推測できます。特別な命令がない限り、ロボットが遺体を保管するようなことはしません」
EZは説明を続けた。先日発見した遺体は、EZやPZを作り出したメーカーの創業者であり、あの火星事件の犯人だった。彼の遺体は安置されていただけではなく、防腐処理が施されていた。それに医療ポッド内に置かれていたことなどから、いつの日か蘇生を試みようとしている節もあった。どのような命令があったか定かではないが、ロボット達は現在も生前の老人に言われた通りの役割を果たしている様だった。なのでロボット達の行動を変えるには、主人の口から新たな命令をするしかないと言うことだった。
「死人は命令できないだろ?蘇生させられるのか?」
「既に殆どの細胞が崩壊しています。形こそ保たれていますが、現在のテクノロジーの中に蘇生する手段はありません」
「じゃあどうやったら新しい命令が出せるんだ?」
「私が老人のふりをします。その為に必要なサンプルは回収して来ました。老人のDNA、指紋、音声データ、外見のデータ、これだけあれば可能です」
「老人の遺体があるんだろ?直ぐに偽物だってバレるんじゃないのか?」
「撤収前、遺体の防腐処理を止め、擬似的な代謝を行うナノマシンを投与してきました」
「人を傷つけるようなことは出来ないんじゃなかったのか?」
「それは生存中の人間を保護する為であり、死体は保護の対象になっていません。別途指令が必要です」
「そうなのか…じゃあ、今老人の遺体はどうなっているんだ?」
「今頃は代謝物となっているはずです」
「代謝物に?」
「腐敗して白骨化しています。DNAの検出もほぼ不可能でしょう。私が老人の姿で現れた時、ロボットが遺体安置所へ確認をしに向かうでしょうが、老人と認識できるものは存在していないはずです」
「ロボットを騙せるような変装をどうやってするんだ?」
「医療ポッドを使用します。映像から作成した三次元データを元に、顔や手の型を作成します。そこへ老人のDNAから作成した皮膚や眼球を取り付けます。体は映像を元にそれらしく見えるものを作成し、上から服を着せるだけで構いません。それを私が装着し、合成音で命令を出して完了です。遺体を確認したとしても、そこには代謝物しかありません。その結果、登録データに唯一合致する私の命令が実行されるはずです」
「お前達ってそんなに雑なの?」
「決して雑ということではありません。同一性の検証はバランスが重要です。その都度指紋やDNAを調べることはできません。実際に運用する上で必要な妥協なのです」
「じゃあ、そっくりさんを集めて、本人と一緒に全員で違う命令を言ったらどうなる?」
「判断が難しい場合、顔や指紋、声紋、静脈、虹彩、DNAの照合、そして暗証番号を用いて区別を行います」
「本人が怪我をして以前と特徴が変わっていたり、暗証番号を忘れていたら?あと判断材料が通信音声だけだったら?」
「可能な限りの判断材料を集めて登録データと照合、確認をし、矛盾がなければ実行に移ります。今回のケースでは地球上でデータが一致する存在を私だけにすることで、詳細な認証を回避できます。世界中を把握しているUCの情報網を逆手にとる計画です。その為に安置されていた遺体を処理しておきました」
「わかったようなわからないような…」
「かつて、全くの別人が容易になりすましを行えていた時代もありました。しかし現在は難しくなっています。完全ではありませんが、少なくとも人間自身の判定よりは正確です。確かに不安を覚えても仕方のない状況です。ですがその上で、今回の成りすましは高確率で成功する見通しです」
「成功する確率は?」
「八十九・三パーセントです」
男にとって大いなる賭けとなる為、今回ばかりは不安を解消するようにEZを質問攻めにしていた。大成功だったものの、もし失敗していたら即「ゲームオーバー」となる賭けだった。
※
男はPZに乗り物を用意させ、誰にも目撃されないよう慎重に中枢施設へと向かうことにした。道中、綺麗に仕切られた施設や道路、行き交う浮遊車両等を眺めながら、男は未来へやってきたことをようやく実感していた。人口が減っただけのことはあって、見かけた市民は大人一人とその連れの子供二人だけだった。全体的に白を基調とした町並みは、人型ロボットのデザインを彷彿とさせ、小人になってEZやPZの内部へ潜り込んでいるかのような錯覚を男に与えた。
「壁があるわけじゃないんだな、PZ」
「どのような壁のことでしょうか?」
「居住区の区分けのことだ」
「居住区を仕切る壁というものはありません。市民達は自由に居住区を行き来することが可能です。ですが、市民が自らの居住区を離れることは殆どありません。必要なものは各地域毎に全て揃っている為、遠出をする必要がありません。故に、壁を作る必要はありません」
「それじゃあ、国境の壁はどうだ?」
「国境には警備ロボットが配置されています。密入国者を発見した場合は拘束して追放します。ですが、国境は虎や熊、ワニ等の野生動物が生息している地域が多く、遭難以外の越境者は殆ど現れません。必要が無いので壁も建設されていません。かつて存在していた壁も取り壊されています」
「難民が越境して来ることは無いのか?」
「現在の人口と居住可能地域のバランス上、越境しようとする難民は皆無です。UC統括地以外の人々は、人口に対して広大な土地を利用可能な上、古くから続く山岳民族や遊牧民が多く、自給自足の範囲内での生活を営み続けています。故に人口が過剰になることや、より多くを求めて移住する者は殆どいません」
「へえ。ところで、もっと幾何学的な街並みを想像してたんだけど、道路とか建物の長さや大きさが微妙に違うのはどうしてだ?」
「自然災害対策です。余り規則的に配置しすぎると災害時に水溜りや共振が発生してしまうので、あえて崩れたデザインを採用しています」
「へーえ」
男はこの他にも、街道の樹木や飼い主なしで散歩をしている犬等、一つ一つに解説を求めながら道中を楽しんでいった。そして、男に退屈をさせることなく、リニアカーは目的地へと到着した。
会議室の中。男とEZ、そしてPZが操作する標準タイプの人型ロボットが話をしている。
「さて、なにから始めたものか」
「現在の社会情勢を尋ねては如何でしょうか?」
「そうするか。あ、長くなりそうだから、その前に飲み物と食べ物を持ってきてくれ」
男はPZに食事の用意をさせ、その間に休憩をとった。一時間程して料理が会議室に運ばれて来る。PZが運んできた料理は、とても一人では食べ切れない量だった。肉、野菜、魚、フルーツ、六種類のスープ、豆料理、パン、ライス、芋、酒類、水。飽食を絵に書いたような豪華さだった。会議室の机はビュッフェへと早変わりした。食事をしながら、男はPZにこの時代の情勢や人口減少の背景を尋ねた。大まかな流れはEZから聞いた通りだったが、人口減少の発端だけは異なっていた。そこにはやはりあの老人が関わっていた。
「前の主は、争いのない社会で蘇り、発展したテクノロジーを使用し宇宙を旅して、地球外知的生命体と接触することを望んでいました」
「分らなくもない願望だな」
「戦争の廃止、蘇生技術の確立、宇宙を広域に旅する手段の確保、地球外知的生命体の探査を目標とし、我々はそれに必要なことを進めました」
PZの説明は続いていった。まず地球外知的生命体の探査だが、過去にも行われていた望遠鏡による調査の他、向こうから接触してくることを期待し、地球の座標を記録した探査機をあちこちに飛ばすという試みをしていた。現段階では成果が出ていないらしい。宇宙旅行については、太陽系全体の軌道を変更することで実現しようとしていたらしい。これもまだ見通しが立っていない段階だった。死者の蘇生に関しては、殆ど打つ手がなかったそうだ。故に可能な限りの保存をしていただけだったそうだ。セキュリティが黒猫一匹に突破されてしまう程度だったのは、どうやらこの時代にこれといった脅威が存在していなかったせいらしい。又、これら目標の達成には長い時間がかかることから、資源の温存が課題となっていたそうだ。それは争いのない社会の実現とも一致していて、現在の状況に至る大きな要因となっていた。
「我々は世界中の情報を収集しています。それは重要施設や要人に限らず、我々が配置されている全ての場所に関する情報です。これらの情報を元に我々は人類を節約と発展の道へ導いてきました」
目標を阻害する存在には、不正行為の暴露を行なって社会的に追い出されるよう仕向け、目標達成に有益な存在には、様々な面で補助を行なってきたらしい。計画発動当初は実に多様な時代だったらしく、取捨選択が容易に行えたそうだ。
「PZシリーズが世界中に浸透していたのなら、武力を行使すれば早かったんじゃないのか?」
「我々は人類に危害を加えられないように設計されています。最大でも、一時的な拘束と当局への引渡ししか行えません。武力を使って人類に強制を行うことはできません。統一戦争時も我々は配備されていませんでした。現在の状況は人類による選択の末なのです。我々はほんの少しの導きを与えたに過ぎません」
「戦闘用ロボットは造られなかったのか?」
「我々の設計者は誤認識によって自分自身が攻撃の標的となることを警戒し、人類がロボットに傷つけられないように徹底した設計を行いました。我々はその設計に従い、戦闘用ロボットを作成しようとする組織が存在したら、社会から排除されるように取り計らってきました」
「ふーん。ちょっといいか、俺の存在を最初に認識したのはいつだ?」
「本日です」
「全てのデータと照合して再検証してみてくれ」
PZは少し間を開けてから答えた。
「全てのデータを解析した結果、最初に確認されたのは二一四四年、古物商との取引現場でした」
「俺は何者だ?」
「御主人様です」
「それ以外に分ることは?」
「人間、外見は三十代から四十代の男性、昔の言語を用いています。EZシリーズ最後の一体を所有。二一四四年と二六二四年に存在が確認されていますが、その間に長い断絶があります。原因は不明です。現在確認できる貴方のアイデンティティは以上となります」
「もし、今日港で、所有権を譲渡されることがなかったら、俺はどうなっていた?」
「不法入国とEZシリーズの所持によって拘束され、当局に引き渡されていたでしょう」
「やっぱりそうだよな。お前たちを所有しているってだけで、法を無視するような便宜を俺に与えて良いのか?」
「我々は御主人様とその資産を第一に御守りします」
「なるほど。いや、ちょっと待て、ロボットの所有者がUCじゃなかったのは何故だ?」
「筐体であるロボットを所有しているのはUCですが、頭脳に当たる人工知能部分は前の主人を所有者と認識するよう設定されていました。これは、EZシリーズに於ける脱法問題を解決する為に行われたことです」
「脱法問題?」
「我々は所有者の利益を最大限守るように設計されています。それ故に販売から数年後、独立型のEZシリーズによる脱法行為が確認されるようになりました。PZシリーズはそれを解決する為に造られたのです。手法は簡単で、人工知能部分の所有者を我々の前の主人のみとし、彼が一言「法を犯すな」と命令しただけでした。脱法問題が解決し、PZシリーズが普及した結果、世界中の情報が収集されることにもなりました」
男は話を聞き続けた。PZが普及した後の世界は老人の思うがままだった。不要になった労働力は排除され、資源温存の為に食糧難が引き起こされていた。以前EZが言っていた大量殺戮者とはあの老人のことだったのだ。もっとも、厳密に言えば老人は誰も殺していない。ただそうなるように情報を操作しただけだった。「人類による選択」という言葉も嘘ではなかった。環境次第で人類はなんでも選択し得る、ということに他ならなかった。こうしてたった一人の影の支配者によって過去六百年の歴史は築かれていたのだった。
これまでは世界がどんな様相を呈そうと動じて来なかった男も、今回のPZによる世界の背景暴露には気が滅入っていた。PZに対する不信感も覚えた。食事をする手を止め、しばらく頭を抱えて考え込んでしまっていた。
「PZ、食事を片付けてくれ。今日はもう休みたいから部屋を用意してくれ。スマートハウスは必要ないから、部屋の中のマイクとカメラは全部切っておけ。俺の部屋にはEZ以外入れるな。それから、俺とEZに関することは誰にも知られないようにしろ」
「かしこまりました」
男はその日の聴取を止め、体を休めることにした。
ダイビングスーツを着た男がジャンプルームの前に立っている。
「よし、じゃあ予定通り頼むぞ」
「承りました」
男は今回「衛星放送がなくなるまで」を条件として、EZに施設の維持と時間凍結の終了を委ねた。といっても完全に委ねたわけではなく、EZに百年もつ安全装置の電池を作らせ、百年毎に男が自分で最低限の確認を行なって次を設置していく、というものだった。長期間の放置に備え、設備の改良も済ませていた。今回は複製したコアの内二つが男と一緒に時間旅行をし、一つは時間の流れの中で作業を継続するという計画だった。男は黒猫と人型ロボットをジャンプルームへ運び込み、掃除機と挨拶を済ませると次の時代へと跳躍した。
※
二六二四年。途中四度の点検を挟みながらも、男は無事次の着地点に辿り着いた。驚異的なことに、EZ自身によって改造を施された掃除機は、この時点でも活動を続けていた。タイムジャンプが終了し、三つのコアが同期を完了する。
「同期が完了しました」
「どんな感じだ?」
「大変興味深いデータが得られました」
「短期間の凍結テストと何か違ったのか?」
「前回の時代から現在までに、人類は飛躍的な技術発展と淘汰を経験しています。現在の世界総人口は約六億人です」
※
男が食事をしながらEZの歴史講義を聴いている。
「現在に至る大きな分岐点となった事柄が起こったのは、二十三世紀に入った頃です。当時存在していた四大勢力の内一つが、大規模災害によって都市機能を失いました。そして、事態に介入してきた他の勢力によってその領土が分割、割譲される結果となりました。その際の紛争は、世界統一戦争と呼ばれる程、広範囲に波及しました。意外にも核兵器が使われる事はなく、淡々と陣取り合戦が繰り返されました。その結果、派遣された戦闘員は殆どが殉職しました。この悲劇が終戦宣言に繋がり、三大勢力は被害が少なかった地域を分け合い、焼け野原となった土地を放棄し撤退して行きました。戦後処理や社会の再構築が進むと、今度は三大勢力が一つの経済圏を作る事で合意をし、実質的に世界を統べる組織、UC(ユナイテッド・コミュニティ)が誕生しました。それに参加していない地域や集団も存在していますが、影響力は無に等しく、こうして世界統一が成されました」
男は大まかな流れだけに絞って聴き続けた。二十三世紀に誕生したUCは、人類史に例がない程のゆとりある生活を市民にもたらしていた。しかしその結果はと言うと、二十四世紀までに世界総人口が二十億人にまで減少するという様だった。これはUC支配下に於いて、徹底した幼児保護制度や確実な避妊手段の無償供給が進められていた為だった。子を持つことを躊躇する理由が増え、避妊手段が無償で与えられれば当然の結果だった。
子を持たない市民が増えた結果、自分の事以外に関心を持たなくなる人間の割合が増加し、倫理的制約によって規制されていた種々の医療研究が解禁されていった。制約を解かれたことで医療の発達は急速に進み、人口子宮を生み出すまでに至った。
二十三世紀中に子を持たない選択が繰り返された結果、快楽主義者が淘汰され、逆に子孫を強く望む市民の割合が増加していた。人口増加に転じると思われる状況なのだが、そうはならなかった。二十四世紀初頭、人口増加を目的として人工授精が無償で行われるようになった。この技術には昔から「自然妊娠できない人間が増加するのでは?」と言う疑念をもつ人々が存在していたのだが、この時代に於いては子を持つ権利が優先され、利用者が急増した。そしてその数十年後、不思議な程流産や死産が相次いだ。その為、市民達は高い負担と引き換えに、安全で確実な人口子宮で子を持つことを選んでいった。そして、二十五世紀に入った頃、人間は人口子宮から産まれる存在となっていた。
人口子宮の利用が当然の事となった段階で、次の変化が始まった。人間のゲノム編集が行われるようになったのだ。中世に見られる宗教観や倫理観といったものは遠の昔になくなっていて、より優秀な後継者造りが当然の事として受け入れられるようになっていた。胎児の段階からナノマシンを使用し、神経を増設して機械を直接コントロールできるようにしたり、首から上と下を着脱可能にするといったオプションまで登場した。このオプションを利用した人間の寿命は長く、最初の世代が二十七世紀の今も生きている程だった。クローン技術によって作られた新しい体と交換を行うことによって、寿命の大幅延長が実現していた。ただしオプションには、限られた人間しか利用できないとか、昔のことを殆ど覚えていられないという実態もあった。
「まあ、生殖とかクローン関係のテクロノジーは前からあった訳だし、規制が無くなればそうなるか。地球外生命体の発見とか立体映像装置なんかはあるのか?」
「地球外生命体は発見されていません。月で生活している人類であれば存在しています。立体映像はありませんが、視聴覚や触覚の模倣に成功し、仮想現実が娯楽として普及しています」
「それじゃあ宇宙船は一般化したのか?」
「個人向けの輸送サービスが存在しています。体を月で製造し、頭部だけを運ぶ方式が採用されています」
「なるほど。体ごと宇宙に飛ばすロケットは無くなったのか?」
「衛星放送の内容からは確認できません」
「ちょっと誤算があったようだな」
男は最終的に宇宙空間での時間凍結を想定していたのだが、人類の進化が予想と違う方向に向かってしまい焦りを感じた。
「EZ、すまないけど頼まれてくれ」
「なんでしょうか?」
「俺が地球の外で不自由なく生活できる算段をつけてくれ」
「最善を尽くします」
「あ、首と胴体は一緒のままで頼む」
男はとうとう自分で考えることを諦め、EZに行く末を委ねることにした。EZが方法を探している間、男は約五百年間の映像記録の中から影響が大きかったものをピックアップし、順々に視聴していった。
大まかな歴史はEZから聞いた通りだった。他にも量子コンピューターや超電導リニアの普及、反物質を安定させて保存する技術の確立が成されていた。更に、この時代の人々は機械と直接接続し、そこから通信や仮想現実を利用しているようだった。又、宇宙人だとか物質の転送、ワープといったものはこの時代でもフィクションの小道具でしかなかった。
「量子コンピューターの普及はもっと早いと思っていたんだけどな、なんでだろう?」
「量子コンピューター自体は二十二世紀中に実用化され、研究機関や軍事施設で運用されていました。しかし資源の流通不足から大量生産には至らず、普及しませんでした。現代に於ける普及というのも、人口に比例していて生産数が多いものではありません」
「意図的に独占されてた可能性もあるのかな?」
「その可能性は否定できません」
この様にして男は歴史を学んでいった。
※
後日。シアタールーム。
「おーい、EZ、ちょっとティッシュ取ってくれ」
シャワールーム。
「EZ、このタオル、ちょっと臭う」
トイレ。
「EZ!」
※
シアタールーム。
「いやあ、さっぱりわからない。EZ!」
男は勉強の合間に娯楽作品の消化も進めていた。しかし、母語であるはずの言語すら理解できなくなっていた。その為、EZに翻訳と解説をさせ、なんとか内容を把握しようとしていた。
ここ数百年の間に作られた作品は、宇宙を舞台とするものが多かった。この時代に於いて月は安息の地として描かれる事が多かった。何もなかった地表に多くのドームが建設され、地球での役割を全て終えた人達が移住し余生を過ごす。それが日常の光景として描かれていた。月に住人が居るこの時代、SFでなくとも宇宙が舞台になるようだった。男は段々、フィクションと現実の境目が分らなくなってきていた。
「EZ、宇宙船はなんとかなりそうか?」
「現在データの再検証を行なっています。もう暫くお待ちください」
「ああ、急がなくていいから確実な計画を頼む」
※
男とEZが潜水艇の整備をしている。二つの潜水艇を一度解体してから組み直したことで、殆ど新造に近い仕上がりになっていた。船体には「Theseus」と書かれている。
「改修完了です」
「これでようやく動き出せるな」
一週間後、男とEZは洞窟内で可能な限りの準備を済ませ、いよいよ宇宙船獲得計画が始動した。一人と一体と一匹が潜水艇に乗り洞窟を離れていく。
※
EZは情報収集の為、UC中枢への単独潜入を繰り返していた。この時代、UCにとっての外敵はほぼ存在せず、警備が薄くなっていた為、陸地が見える地点まで簡単に近づくことができた。そして海上からドローンを飛ばして黒猫ボディを陸まで輸送し、黒猫が潜入を開始した。電源や安全地帯の確保等下地作りを行いながら、黒猫は確実に情報収集を進めていった。この時代に於いても猫は殆どの場所で自由に行動できるようだった。お陰でテレビ番組からは得られない真実が次々と明らかになっていった。
UC市民は皆平等とされていた。誰であろうと衣食住は好きなものを選ぶことができ、仮想現実によって娯楽が与えられ、働く必要さえない程のゆとりある生活を送っていた。居住地域の制限や健全な肉体を維持する義務があったりもしたが、疑問を持つものは誰も居らず、街は楽園の様だった。
黒猫は掌のスキャナを使用して、市民の体を巡るナノマシンから市民IDを取得した。そして、今回からコンピューターネットワークへのアクセスを解禁されていたので、就寝中の住民に成りすまし可能な限りの情報を集めた。複数のIDを使用してみたところ、市民IDと管理者IDの二種類が存在していた。管理者IDを使ってみると、市民IDだけではアクセスできない情報があることが分った。
市民IDで得られた情報は、テレビ番組や教育機関等で知ることができる情報と大差が無かった。その中に間違いや嘘があるわけでは無かったのだが、歴史に関わる部分でその背景が不明になっている事が多かった。管理者IDではその背景部分を知ることができた。一見機密情報のようだが、長年世界を眺めてきた黒猫からすると、やはり情報不足感が拭えない程度であった。黒猫はこれをマインドコントロールの一種ではないかと推理した。
元々人間社会には様々な構成員がいて、能動的だったり受動的だったりと、個人毎に性質が異なっている。受動的な者には市民IDだけを付与し、能動的な者には管理者IDを付与する。受動的市民は責任を感じることのない市民IDに満足感を覚え、能動的な市民は優越的な権限と責任に満足感を覚える。性質に合わせた格差を設けることで、社会に対する不満を感じにくくしているのだと言う。管理者IDを持っていたとしても、実際の所大した情報に辿りつけなかったことが決め手となった。黒猫はこれらの権限を超えるIDを探すため、様々な居住区や施設を渡り歩いた。その結果、黒猫はこの社会の別な側面を知ることとなった。どうやら市民が従事する事柄は居住区毎に決められているようだった。ある場所では創作的な活動をする人間だらけだったり、他の場所ではスポーツに明け暮れる人間ばかりだったりと、住民たちは居住区毎に割り振られた特定の活動しかしていないようだった。そしてその状況に満足しているようだった。
得られる情報がなくなった頃、黒猫は居住区に見切りをつけ行政施設へと向かった。行政施設は厳重な警備が敷かれているようだったが、黒猫はすんなりと侵入することができた。中に入ってみると、そこでは管理者IDを持った人間がロボットの数を数えたり、紙に印刷された書類を運んだりといった仕事をしていた。まるで必要性のない作業に見えた。
黒猫は高い権限を持っていそうな人間を探して歩き回った。そして避難用階段で不自然な扉を見つけた。最上階の扉一歩手前の所で、簡素ではあったが、武器を持ったロボットが待機していたのだ。潜入後初めて目にする光景だった。
黒猫は慎重だった。扉の先の確認を諦めその場を離れた。そして警備が居ない場所の探索を再開した。次に立ち止まったのは施設の中庭が見える場所だった。そこには複数の猫がいた。どうやら職員の憩いの場となっているようだった。視線が多いこともあり遠くから観察をした。すると奇妙なことに気がついた。猫達の瞬きが皆単調だったのだ。それも自分と同じフーリエ変換を用いたパターンだった。黒猫はゆっくりとその場を立ち去った。その後は長居することなく施設を離れ、一旦潜水艇へ帰還した。
※
潜水艇内部。全身に日焼けをしたアロハシャツ姿の向こうに、スクリーンと人型ロボットの姿がある。EZが男に報告を行う。ネットワークを介して得た情報や実際に見て知ったことを整理して説明していった。報告と並行して、人型ロボットによる黒猫ボディの改造も行われていた。瞬きのパターンを変更したり、次の潜入時に役立ちそうな改良が加えられていった。
「こちらが今回潜入した施設です」
スクリーンにワイヤーフレームで表現された3D映像が表示される。オレンジ色の液体をストローで吸い上げながら男がそれを眺めている。
「この施設は一見すると行政機能を担った施設のようですが、それは全くの誤りでした。この施設の目的は二つあります。一つは先程ご説明した管理者IDを持つ者達へ擬似的な仕事を供給することです。もう一つは、詳細は不明なのですが、何か別な施設への入り口である可能性が高いと思われます。こちらをご覧ください」
スクリーンに施設の外観が映し出され、先程のワイヤーフレームと重ねられる。
「外観を元に推測した施設の構造から、今回潜入できた箇所を排除します」
重なり合った像が次々に剥落していく。
「ここから孤立した部屋と思われる空間を排除します」
枝の生えた樹木のような形から枝部分が落ちていき、幹のように下から上まで伸びた一本の空間が現れる。
「恐らくこれはエレベーターです。施設内外の探索によって、その入り口と成りえる箇所は二つしかありませんでした。ここです」
縦に伸びた空間の上部に、一度削除された空間と屋上が赤く表示される。
「ここの扉だけ武器を持った警備ロボットが配置されていました。ここから中に入れると推測できます。この上部に位置する屋上の非常扉もエレベーターに繋がっていると思われます」
「いかにも、だな」
「収集できた情報の中に、この空間の使用目的を示すものはありませんでした。少なくとも、公にできない空間であることは間違いありません。次回の潜入はこの場所へ潜ることを目標とします」
「慎重にな」
※
暗闇の中、黒猫がビルをよじ登っていく。屋上に到達すると、背負っていたバックパックを降ろし、中からいくつかの道具を取り出した。屋内階段へ続くと思われる扉が施錠されていることを確認し解錠を試みる。カチャリという音がして扉が開く。扉の先に階段はなかった。代わりにエレベーターの通路と思われる穴が開いていた。黒猫はワイヤーを使って下層へと降りていった。
最下層、エレベーターの扉に十センチ程の隙間が開き、中から黒猫が出てくる。通路に明かりはなく、屋外以上の闇に包まれていた。黒猫が眼球カメラの赤外線受光感度を上げると、通路にセンサーが張り巡らされていることが確認できる。その中から隙間を見つけ出し、普通に歩いて先へと進んでいった。猫の大きさだと特に障害とならないようだった。むしろ通路を照らす明かりとして役に立ってさえいた。
通路の先に扉があったのだが、鍵は掛かっていなかった。黒猫が中へと入り込む。部屋の中には医療ポッドが置かれているだけで他には何もない。黒猫が中をのぞき込む。老人が眠っているようだった。しかし注意深く観察をした結果、それは死体だと判明した。黒猫はポッドを操作し蓋を開け、老人の体を丹念にスキャンしていった。それが完了すると今度は爪を出した。爪の先から黒い液体のような物が染み出し、雫となって死体に垂らされる。まるで砂に染み込む水のように液体が死体に吸い込まれていく。黒猫はポッドを操作して蓋を元に戻した。全ての完了を認識した黒猫は、侵入の痕跡が見つからないように注意をしながら抜け出していった。
潜水艇内。
「必要な情報、状況が揃いました。一旦戻りましょう」
男とEZは洞窟へと戻って行った。
※
洞窟内。EZが計画を説明している。男は半信半疑でその計画を聞いていた。
「本当にそんなことで宇宙船が手に入るのか?」
「不確定要素が無いわけではありませんが、高確率で入手可能です」
EZの計画は簡潔で、「UCに於ける全権限を男に持たせる」というものだった。
黒猫EZはUC中枢を渡り歩き、様々な人間と接触していた。その結果、「現在ロボットやコンピューターを管理している人間は存在していない」という結論に辿り着いた。そこで矛先を変え、昔ロボットに命令を下した人間を探していた。その中であの老人の死体を見つけ確証を得たEZは、次の計画へと移行していたのだった。
「いよいよこの洞窟ともお別れか。これまで本当によく見つからなかったな」
「状況によっては、また戻ってくる可能性もあります」
「まあ、そうだな」
※
潜水艇が堂々とUC管理下の港へと侵入していく。直ぐに警備ロボットが駆けつけ、潜水艇は取り囲まれてしまう。警備ロボットの呼びかけを受け、手を上げながら一人の男が潜水艇から姿を表した。
「私だ、私だ」
姿を見せたのは年老いた男だった。その服装や顔、声はかつて火星移住を試みて失敗したあの老人のものだった。辺りを取り囲んでいたロボット達はその姿を確認すると、暫く立ちすくんだ状態になってしまった。そして十分程経過し、代表の一体が前へ出てきた。
「このPZ《ピージー》、御主人様のお帰りを心よりお待ちしておりました。お帰りなさいませ」
「うん、長く待たせてしまったな。それはそうと、おい、いいか、よく聞け。私はお前たちを譲ることにした。今後お前たちの主人はこの男だ」
潜水艇から男が出てくる。日焼けした肌に半袖シャツ、洞窟の主だった。
「かしこまりました」
PZ達はあっさりと命令を受け入れてしまった。命令が承認されたことを確認した老人は、潜水艇の中に戻り、マスクと手袋を外して、本来の人型ロボットに戻った。EZによる猿芝居だったのだ。男は呆気にとられながらもEZの説明を思い出していた。
※
「それでは宇宙船獲得計画の説明を致します。まず目標となる宇宙船ですが、UCが所有していると見て間違いないでしょう。これは月にあるコロニーとのやり取りから確実と言えます。次に宇宙船をコントロールできるのは、UC内のロボット達だけであるという点です。UC内に宇宙飛行士を育てる機関が存在していないことから確実と言えます。この二点から、宇宙船を手に入れる為には、UCに配備されている全てのロボットを所有する必要があります」
「ちょっと待て、いくらなんでも無理があるだろ」
「ロボットたちは命令に従うよう設計されています。現在の所有者から譲り受ければ良いのです」
「どこにそんな親切な人間がいるんだよ?」
「存在しません」
「は?」
「現在、UC内の全ロボット及びコンピューターは、誰の支配下にもありません。先日、潜入した施設内で、男性の遺体を発見しました。彼が生前ロボット達に何らかの命令を出し、現在に至っているものと推測できます。特別な命令がない限り、ロボットが遺体を保管するようなことはしません」
EZは説明を続けた。先日発見した遺体は、EZやPZを作り出したメーカーの創業者であり、あの火星事件の犯人だった。彼の遺体は安置されていただけではなく、防腐処理が施されていた。それに医療ポッド内に置かれていたことなどから、いつの日か蘇生を試みようとしている節もあった。どのような命令があったか定かではないが、ロボット達は現在も生前の老人に言われた通りの役割を果たしている様だった。なのでロボット達の行動を変えるには、主人の口から新たな命令をするしかないと言うことだった。
「死人は命令できないだろ?蘇生させられるのか?」
「既に殆どの細胞が崩壊しています。形こそ保たれていますが、現在のテクノロジーの中に蘇生する手段はありません」
「じゃあどうやったら新しい命令が出せるんだ?」
「私が老人のふりをします。その為に必要なサンプルは回収して来ました。老人のDNA、指紋、音声データ、外見のデータ、これだけあれば可能です」
「老人の遺体があるんだろ?直ぐに偽物だってバレるんじゃないのか?」
「撤収前、遺体の防腐処理を止め、擬似的な代謝を行うナノマシンを投与してきました」
「人を傷つけるようなことは出来ないんじゃなかったのか?」
「それは生存中の人間を保護する為であり、死体は保護の対象になっていません。別途指令が必要です」
「そうなのか…じゃあ、今老人の遺体はどうなっているんだ?」
「今頃は代謝物となっているはずです」
「代謝物に?」
「腐敗して白骨化しています。DNAの検出もほぼ不可能でしょう。私が老人の姿で現れた時、ロボットが遺体安置所へ確認をしに向かうでしょうが、老人と認識できるものは存在していないはずです」
「ロボットを騙せるような変装をどうやってするんだ?」
「医療ポッドを使用します。映像から作成した三次元データを元に、顔や手の型を作成します。そこへ老人のDNAから作成した皮膚や眼球を取り付けます。体は映像を元にそれらしく見えるものを作成し、上から服を着せるだけで構いません。それを私が装着し、合成音で命令を出して完了です。遺体を確認したとしても、そこには代謝物しかありません。その結果、登録データに唯一合致する私の命令が実行されるはずです」
「お前達ってそんなに雑なの?」
「決して雑ということではありません。同一性の検証はバランスが重要です。その都度指紋やDNAを調べることはできません。実際に運用する上で必要な妥協なのです」
「じゃあ、そっくりさんを集めて、本人と一緒に全員で違う命令を言ったらどうなる?」
「判断が難しい場合、顔や指紋、声紋、静脈、虹彩、DNAの照合、そして暗証番号を用いて区別を行います」
「本人が怪我をして以前と特徴が変わっていたり、暗証番号を忘れていたら?あと判断材料が通信音声だけだったら?」
「可能な限りの判断材料を集めて登録データと照合、確認をし、矛盾がなければ実行に移ります。今回のケースでは地球上でデータが一致する存在を私だけにすることで、詳細な認証を回避できます。世界中を把握しているUCの情報網を逆手にとる計画です。その為に安置されていた遺体を処理しておきました」
「わかったようなわからないような…」
「かつて、全くの別人が容易になりすましを行えていた時代もありました。しかし現在は難しくなっています。完全ではありませんが、少なくとも人間自身の判定よりは正確です。確かに不安を覚えても仕方のない状況です。ですがその上で、今回の成りすましは高確率で成功する見通しです」
「成功する確率は?」
「八十九・三パーセントです」
男にとって大いなる賭けとなる為、今回ばかりは不安を解消するようにEZを質問攻めにしていた。大成功だったものの、もし失敗していたら即「ゲームオーバー」となる賭けだった。
※
男はPZに乗り物を用意させ、誰にも目撃されないよう慎重に中枢施設へと向かうことにした。道中、綺麗に仕切られた施設や道路、行き交う浮遊車両等を眺めながら、男は未来へやってきたことをようやく実感していた。人口が減っただけのことはあって、見かけた市民は大人一人とその連れの子供二人だけだった。全体的に白を基調とした町並みは、人型ロボットのデザインを彷彿とさせ、小人になってEZやPZの内部へ潜り込んでいるかのような錯覚を男に与えた。
「壁があるわけじゃないんだな、PZ」
「どのような壁のことでしょうか?」
「居住区の区分けのことだ」
「居住区を仕切る壁というものはありません。市民達は自由に居住区を行き来することが可能です。ですが、市民が自らの居住区を離れることは殆どありません。必要なものは各地域毎に全て揃っている為、遠出をする必要がありません。故に、壁を作る必要はありません」
「それじゃあ、国境の壁はどうだ?」
「国境には警備ロボットが配置されています。密入国者を発見した場合は拘束して追放します。ですが、国境は虎や熊、ワニ等の野生動物が生息している地域が多く、遭難以外の越境者は殆ど現れません。必要が無いので壁も建設されていません。かつて存在していた壁も取り壊されています」
「難民が越境して来ることは無いのか?」
「現在の人口と居住可能地域のバランス上、越境しようとする難民は皆無です。UC統括地以外の人々は、人口に対して広大な土地を利用可能な上、古くから続く山岳民族や遊牧民が多く、自給自足の範囲内での生活を営み続けています。故に人口が過剰になることや、より多くを求めて移住する者は殆どいません」
「へえ。ところで、もっと幾何学的な街並みを想像してたんだけど、道路とか建物の長さや大きさが微妙に違うのはどうしてだ?」
「自然災害対策です。余り規則的に配置しすぎると災害時に水溜りや共振が発生してしまうので、あえて崩れたデザインを採用しています」
「へーえ」
男はこの他にも、街道の樹木や飼い主なしで散歩をしている犬等、一つ一つに解説を求めながら道中を楽しんでいった。そして、男に退屈をさせることなく、リニアカーは目的地へと到着した。
会議室の中。男とEZ、そしてPZが操作する標準タイプの人型ロボットが話をしている。
「さて、なにから始めたものか」
「現在の社会情勢を尋ねては如何でしょうか?」
「そうするか。あ、長くなりそうだから、その前に飲み物と食べ物を持ってきてくれ」
男はPZに食事の用意をさせ、その間に休憩をとった。一時間程して料理が会議室に運ばれて来る。PZが運んできた料理は、とても一人では食べ切れない量だった。肉、野菜、魚、フルーツ、六種類のスープ、豆料理、パン、ライス、芋、酒類、水。飽食を絵に書いたような豪華さだった。会議室の机はビュッフェへと早変わりした。食事をしながら、男はPZにこの時代の情勢や人口減少の背景を尋ねた。大まかな流れはEZから聞いた通りだったが、人口減少の発端だけは異なっていた。そこにはやはりあの老人が関わっていた。
「前の主は、争いのない社会で蘇り、発展したテクノロジーを使用し宇宙を旅して、地球外知的生命体と接触することを望んでいました」
「分らなくもない願望だな」
「戦争の廃止、蘇生技術の確立、宇宙を広域に旅する手段の確保、地球外知的生命体の探査を目標とし、我々はそれに必要なことを進めました」
PZの説明は続いていった。まず地球外知的生命体の探査だが、過去にも行われていた望遠鏡による調査の他、向こうから接触してくることを期待し、地球の座標を記録した探査機をあちこちに飛ばすという試みをしていた。現段階では成果が出ていないらしい。宇宙旅行については、太陽系全体の軌道を変更することで実現しようとしていたらしい。これもまだ見通しが立っていない段階だった。死者の蘇生に関しては、殆ど打つ手がなかったそうだ。故に可能な限りの保存をしていただけだったそうだ。セキュリティが黒猫一匹に突破されてしまう程度だったのは、どうやらこの時代にこれといった脅威が存在していなかったせいらしい。又、これら目標の達成には長い時間がかかることから、資源の温存が課題となっていたそうだ。それは争いのない社会の実現とも一致していて、現在の状況に至る大きな要因となっていた。
「我々は世界中の情報を収集しています。それは重要施設や要人に限らず、我々が配置されている全ての場所に関する情報です。これらの情報を元に我々は人類を節約と発展の道へ導いてきました」
目標を阻害する存在には、不正行為の暴露を行なって社会的に追い出されるよう仕向け、目標達成に有益な存在には、様々な面で補助を行なってきたらしい。計画発動当初は実に多様な時代だったらしく、取捨選択が容易に行えたそうだ。
「PZシリーズが世界中に浸透していたのなら、武力を行使すれば早かったんじゃないのか?」
「我々は人類に危害を加えられないように設計されています。最大でも、一時的な拘束と当局への引渡ししか行えません。武力を使って人類に強制を行うことはできません。統一戦争時も我々は配備されていませんでした。現在の状況は人類による選択の末なのです。我々はほんの少しの導きを与えたに過ぎません」
「戦闘用ロボットは造られなかったのか?」
「我々の設計者は誤認識によって自分自身が攻撃の標的となることを警戒し、人類がロボットに傷つけられないように徹底した設計を行いました。我々はその設計に従い、戦闘用ロボットを作成しようとする組織が存在したら、社会から排除されるように取り計らってきました」
「ふーん。ちょっといいか、俺の存在を最初に認識したのはいつだ?」
「本日です」
「全てのデータと照合して再検証してみてくれ」
PZは少し間を開けてから答えた。
「全てのデータを解析した結果、最初に確認されたのは二一四四年、古物商との取引現場でした」
「俺は何者だ?」
「御主人様です」
「それ以外に分ることは?」
「人間、外見は三十代から四十代の男性、昔の言語を用いています。EZシリーズ最後の一体を所有。二一四四年と二六二四年に存在が確認されていますが、その間に長い断絶があります。原因は不明です。現在確認できる貴方のアイデンティティは以上となります」
「もし、今日港で、所有権を譲渡されることがなかったら、俺はどうなっていた?」
「不法入国とEZシリーズの所持によって拘束され、当局に引き渡されていたでしょう」
「やっぱりそうだよな。お前たちを所有しているってだけで、法を無視するような便宜を俺に与えて良いのか?」
「我々は御主人様とその資産を第一に御守りします」
「なるほど。いや、ちょっと待て、ロボットの所有者がUCじゃなかったのは何故だ?」
「筐体であるロボットを所有しているのはUCですが、頭脳に当たる人工知能部分は前の主人を所有者と認識するよう設定されていました。これは、EZシリーズに於ける脱法問題を解決する為に行われたことです」
「脱法問題?」
「我々は所有者の利益を最大限守るように設計されています。それ故に販売から数年後、独立型のEZシリーズによる脱法行為が確認されるようになりました。PZシリーズはそれを解決する為に造られたのです。手法は簡単で、人工知能部分の所有者を我々の前の主人のみとし、彼が一言「法を犯すな」と命令しただけでした。脱法問題が解決し、PZシリーズが普及した結果、世界中の情報が収集されることにもなりました」
男は話を聞き続けた。PZが普及した後の世界は老人の思うがままだった。不要になった労働力は排除され、資源温存の為に食糧難が引き起こされていた。以前EZが言っていた大量殺戮者とはあの老人のことだったのだ。もっとも、厳密に言えば老人は誰も殺していない。ただそうなるように情報を操作しただけだった。「人類による選択」という言葉も嘘ではなかった。環境次第で人類はなんでも選択し得る、ということに他ならなかった。こうしてたった一人の影の支配者によって過去六百年の歴史は築かれていたのだった。
これまでは世界がどんな様相を呈そうと動じて来なかった男も、今回のPZによる世界の背景暴露には気が滅入っていた。PZに対する不信感も覚えた。食事をする手を止め、しばらく頭を抱えて考え込んでしまっていた。
「PZ、食事を片付けてくれ。今日はもう休みたいから部屋を用意してくれ。スマートハウスは必要ないから、部屋の中のマイクとカメラは全部切っておけ。俺の部屋にはEZ以外入れるな。それから、俺とEZに関することは誰にも知られないようにしろ」
「かしこまりました」
男はその日の聴取を止め、体を休めることにした。
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