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6 潮風の中で
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桂木圭太は突然ラウンジの扉の前で自分の手の中に落ちてくる男を見下ろし、眉を顰める。圭太は、島育ちの年の頃30前の切れ長の目に良く日に焼けた長身の男だった。
紺色のパンツに黒いパーカー、その上の紺色のジャケットを粋に着こなしている。
この手の中の男は、ーー世が世なれば、女の子と見紛うばかりの整った顔立ちの男はーー観光客だろうか。ベージュのパンツに赤茶色のシャツは、どう見ても店から派遣されたボーイには見えない。白い肌に、暗いライトの下でも鮮やかに光る幾分か茶色い髪、これは生まれつきだろうか?わざわざ染めるなら、もっと明るく染めるだろうが、毎日漁船の上で陽光にさらされて色褪せた、人工的な染料で染め上げた圭太の金色の髪とは対極にあった。
――これは、目立つ。
彼を後ろから支える男は、温泉組合長の息子の今野忠人だった。狐目の優男風で、圭太より小中高と学年が二つ上だった。気障にスーツを着こなし、どこか嫌味な鼻につく感じの男だった。
「今野さん、この人は、観光客?」
「ああ、観光客というより、取材だろうな。島のことを色々と探っていたんだ。祖父がここの出身だとか言っていたが、おそらく嘘だろうよ。それより、父上は、どうされたんだ?なかなか当主が来ないから、ここは丁度お開きにしようと思っていたところなんだ。」
「それが、入院中の爺さんの具合が悪くてさ、いま付き添いで島外に出ているんだ。」
「昌幸さんが?相当悪いのか?」
「いや、なんとか持ち直して、明日の朝には帰ってくる。それで、この観光客は、これからどうするつもりだ?」
* * *
翌日、いつの間に帰ってきたのか、旅館の見慣れた部屋で目を覚ました光琉は、気怠い体を引きずり、バスに揺られていた。
桂木家は、岩城旅館をもう少し奥に行った先の、細い脇道に逸れた通りの一番奥にひっそりと佇んでいた。
普通の小さな民家を思わせる作りで、とても島を所有している一族の邸宅とは思えなかった。
「本当に、この家か……?間違った道に入ってきちゃったかな……」
島の道行く住民に聞きながら進んできたのだが、乗るバスを間違えただろうか?
周りは林に囲まれ、車が一台通るのがやっとの道だった。バスは、近くの停留所に止まり、そこから30分ほど歩いてようやく辿り着いたのだった。
「すみません…」
呼び鈴を押してみるが、誰も出てくる気配はない。
「やっぱり、無駄足だったな。きのうの夜遅かったし、アポ取れなかったんだよな。しょうがない、明日出直すか……」
ぐるりと周りを見渡し、踵を返した時だった。
プッ、プッ
車のクラクション音だった。間もなく門前に勢いよく軽トラックが入ってきた。
バタン、
軽トラの男はいぶかしげに光琉を見ていた。
「だれだ、あんたは?取材だったらお断りだよ。」
運転席から出てきた男は、自分と同じ20代半ばの目つきの鋭い男の人だった。
「すみません。アポなしで……岩城旅館の女将さんから島の事なら『桂木家』に聞いてほしいと言われたので…、突然にすみません。」
「岩城…?なんで、あんたが岩城旅館なんかに泊まってんだよ?大体あそこは常連客しか泊まれないところだぞ。」
男はギロッとした鋭い目で睨んできた。
「うちの祖母宛てに手紙が届いたので……、それでたまたま予約が取れたのが、岩城旅館で……」
懐から取り出した手紙と写真を見せると、男はハッと目を見開き、ブツブツと言いながら何か逡巡している様子だった。
「また、面倒ごとを押し付けやがって……参ったな……」
この男は桂木圭太という人物で当主は父親だという。
「どちらにしろ、今、当主は不在だし、俺は何も知らないよ。来るなら明日にしてくれ。」
「明日には、話を聞けるんですね。良かった。祖母も大変喜ぶと思います。ええと、ここから、神社は近いんですか?ここは、大分奥まった所にありますよね。余った時間がもったいないな。」
光琉は、そして神社はどの方角だろうかと、ジャンパーのポケットからスマホを取り出し、地図を検索している時だった。
強い潮風が、また体を包み込んだ。
「まったく……、あんたは、危なっかしいな……この時期は神社には絶対に行くなと、岩城旅館でも言われなかったか?」
日焼けした大きな手が、光琉のスマホを遮る。圭太は苛立たしげに頭をかいた。
「……ああああ、しょうがない。岩城旅館まで送っていくから、あんたは絶対、旅館から一歩も外に出るなよ。」
そう言った時の圭太の全身から、ふと強い潮の香りがしたような気がしたが、光琉は意外と悪い感じはしなかった。
圭太は陽気な男だった。
旅館に向かう道中の、軽トラックの狭い車内には、濃い潮の香りが充満していた。
聞けば、桂木家は代々船乗りの家系だという。島の所有者になってからは、管理だ何だと陸での仕事も増え、休む暇もないとハンドルを握りながら愚痴をこぼしていた。
「さっきまで船の上にいたからな……ハハハッ、俺、臭いだろっ」
圭太は、奥歯が見えるほどの大口を開け、豪快に笑い飛ばした。
その屈託のない笑顔を見ていると、昨夜の出来事もあり、落ち込んでいた気分が少しだけ和らぐような気がした。
何しろクスリをワインで飲み込んだ後の記憶がないのだ。朝の旅館を出る間際、女将さんに聞くところによると、「昨夜は、ご自分でタクシーで帰って来ましたわよ。」とコロコロとあの笑顔で笑っていたのだが。一番悪いのは、自分なのだと分かっている。
――しかし、とんだ失態だった。
岩城旅館の前で車が停まる。
「たぶん、明日には親父の手も空くと思うから、俺から話は通しておくよ。」
「ありがとうございます。助かります」
光琉が礼を言って車を降りると、圭太はすぐにスマートフォンを取り出した。
「……ああ、俺だ。今、旅館に戻したよ。ああ……」
旅館に入ろうとした光琉の背中に、低く潜めた圭太の声が微かに聞こえた。
さっきまでの陽気な声とは違う、事務的な響き。
光琉が振り返ると、圭太はすでに電話を切り、何事もなかったかのように軽く手を振って走り去っていった。
そこには、強い潮の香りだけが残っていた。
つづく
紺色のパンツに黒いパーカー、その上の紺色のジャケットを粋に着こなしている。
この手の中の男は、ーー世が世なれば、女の子と見紛うばかりの整った顔立ちの男はーー観光客だろうか。ベージュのパンツに赤茶色のシャツは、どう見ても店から派遣されたボーイには見えない。白い肌に、暗いライトの下でも鮮やかに光る幾分か茶色い髪、これは生まれつきだろうか?わざわざ染めるなら、もっと明るく染めるだろうが、毎日漁船の上で陽光にさらされて色褪せた、人工的な染料で染め上げた圭太の金色の髪とは対極にあった。
――これは、目立つ。
彼を後ろから支える男は、温泉組合長の息子の今野忠人だった。狐目の優男風で、圭太より小中高と学年が二つ上だった。気障にスーツを着こなし、どこか嫌味な鼻につく感じの男だった。
「今野さん、この人は、観光客?」
「ああ、観光客というより、取材だろうな。島のことを色々と探っていたんだ。祖父がここの出身だとか言っていたが、おそらく嘘だろうよ。それより、父上は、どうされたんだ?なかなか当主が来ないから、ここは丁度お開きにしようと思っていたところなんだ。」
「それが、入院中の爺さんの具合が悪くてさ、いま付き添いで島外に出ているんだ。」
「昌幸さんが?相当悪いのか?」
「いや、なんとか持ち直して、明日の朝には帰ってくる。それで、この観光客は、これからどうするつもりだ?」
* * *
翌日、いつの間に帰ってきたのか、旅館の見慣れた部屋で目を覚ました光琉は、気怠い体を引きずり、バスに揺られていた。
桂木家は、岩城旅館をもう少し奥に行った先の、細い脇道に逸れた通りの一番奥にひっそりと佇んでいた。
普通の小さな民家を思わせる作りで、とても島を所有している一族の邸宅とは思えなかった。
「本当に、この家か……?間違った道に入ってきちゃったかな……」
島の道行く住民に聞きながら進んできたのだが、乗るバスを間違えただろうか?
周りは林に囲まれ、車が一台通るのがやっとの道だった。バスは、近くの停留所に止まり、そこから30分ほど歩いてようやく辿り着いたのだった。
「すみません…」
呼び鈴を押してみるが、誰も出てくる気配はない。
「やっぱり、無駄足だったな。きのうの夜遅かったし、アポ取れなかったんだよな。しょうがない、明日出直すか……」
ぐるりと周りを見渡し、踵を返した時だった。
プッ、プッ
車のクラクション音だった。間もなく門前に勢いよく軽トラックが入ってきた。
バタン、
軽トラの男はいぶかしげに光琉を見ていた。
「だれだ、あんたは?取材だったらお断りだよ。」
運転席から出てきた男は、自分と同じ20代半ばの目つきの鋭い男の人だった。
「すみません。アポなしで……岩城旅館の女将さんから島の事なら『桂木家』に聞いてほしいと言われたので…、突然にすみません。」
「岩城…?なんで、あんたが岩城旅館なんかに泊まってんだよ?大体あそこは常連客しか泊まれないところだぞ。」
男はギロッとした鋭い目で睨んできた。
「うちの祖母宛てに手紙が届いたので……、それでたまたま予約が取れたのが、岩城旅館で……」
懐から取り出した手紙と写真を見せると、男はハッと目を見開き、ブツブツと言いながら何か逡巡している様子だった。
「また、面倒ごとを押し付けやがって……参ったな……」
この男は桂木圭太という人物で当主は父親だという。
「どちらにしろ、今、当主は不在だし、俺は何も知らないよ。来るなら明日にしてくれ。」
「明日には、話を聞けるんですね。良かった。祖母も大変喜ぶと思います。ええと、ここから、神社は近いんですか?ここは、大分奥まった所にありますよね。余った時間がもったいないな。」
光琉は、そして神社はどの方角だろうかと、ジャンパーのポケットからスマホを取り出し、地図を検索している時だった。
強い潮風が、また体を包み込んだ。
「まったく……、あんたは、危なっかしいな……この時期は神社には絶対に行くなと、岩城旅館でも言われなかったか?」
日焼けした大きな手が、光琉のスマホを遮る。圭太は苛立たしげに頭をかいた。
「……ああああ、しょうがない。岩城旅館まで送っていくから、あんたは絶対、旅館から一歩も外に出るなよ。」
そう言った時の圭太の全身から、ふと強い潮の香りがしたような気がしたが、光琉は意外と悪い感じはしなかった。
圭太は陽気な男だった。
旅館に向かう道中の、軽トラックの狭い車内には、濃い潮の香りが充満していた。
聞けば、桂木家は代々船乗りの家系だという。島の所有者になってからは、管理だ何だと陸での仕事も増え、休む暇もないとハンドルを握りながら愚痴をこぼしていた。
「さっきまで船の上にいたからな……ハハハッ、俺、臭いだろっ」
圭太は、奥歯が見えるほどの大口を開け、豪快に笑い飛ばした。
その屈託のない笑顔を見ていると、昨夜の出来事もあり、落ち込んでいた気分が少しだけ和らぐような気がした。
何しろクスリをワインで飲み込んだ後の記憶がないのだ。朝の旅館を出る間際、女将さんに聞くところによると、「昨夜は、ご自分でタクシーで帰って来ましたわよ。」とコロコロとあの笑顔で笑っていたのだが。一番悪いのは、自分なのだと分かっている。
――しかし、とんだ失態だった。
岩城旅館の前で車が停まる。
「たぶん、明日には親父の手も空くと思うから、俺から話は通しておくよ。」
「ありがとうございます。助かります」
光琉が礼を言って車を降りると、圭太はすぐにスマートフォンを取り出した。
「……ああ、俺だ。今、旅館に戻したよ。ああ……」
旅館に入ろうとした光琉の背中に、低く潜めた圭太の声が微かに聞こえた。
さっきまでの陽気な声とは違う、事務的な響き。
光琉が振り返ると、圭太はすでに電話を切り、何事もなかったかのように軽く手を振って走り去っていった。
そこには、強い潮の香りだけが残っていた。
つづく
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