2 / 2
1 ルンバでやってきた男
しおりを挟む
ここでは、そんなものは、役には立たない。
いや、立たないというには、少し語弊がある。
そういった類のものは、ここの生徒たちには、必要がない、とでも言った方がいいだろうか。
教室のチャイムが鳴り、ようやく授業も終わったとアンバーは、高校の化学室の出入り口の扉を開放した。
一斉に、廊下の空気が、部屋の中に流れ込む。湿っぽい、草木の朽ち落ちる腐葉土のような匂いだった。
教室から見える窓には、雨がバラバラとあたり、細かく弾けるような音が教室の中に響いていた。
「きょうは、ここまでだ。みんな気を付けて帰るように。」
アンバー・キリグスは、この学校の勤続5年の化学教師だった。化学と言っても、いわゆる、熱化学やら化学反応式やらが出てくる化学ではない。
なぜなら、ここは全寮制のエリート魔法学校。初等部から高等部までの魔法使いの中でもごく少数の選び抜かれた将来のエリートたちが日夜学問に励んでいる。
いま席を立ち始めた生徒の机の上には、分厚い丁寧な装丁の本が並んでいる。アンバーが、生徒たちに教えているのは、毒草や毒物といった類の取り扱い注意のモノ。化学反応式などは、すでに通り過ぎ、ここで教えているのは、普通学校の教科書には載っていない劇毒の調合方法だ。
解放した途端、一気に扉の外へと流れていく生徒たちを見る。見えるのは男子生徒ばかり。この魔法学校では、初等部までは共学だが、中等部からは男女が別に分かれる。建物の構造自体が、別々に分かれていて、お互いに行き来は出来ないことになっていた。
教室のある50階から一気に駆け上がっていく生徒たちを見送り、アンバーも自身の研究室に戻るべく教科書の類をカバンにしまう。そして、一歩、教室から扉の外へと出た時だった。
「はあ?」
暗い廊下の窓の向こうに誰かがいたのだ。いや、正確には、窓に張り付く血走った誰かの目と合ったような気がした。
「ひっ、」
初めは、学校を取り巻く樹海の森から飛んできた草木の類だろうと思っていた。磁場が狂うほどの深い森である。ここで、何万年も生き永らえたモノは、ときに霊気を蓄え妖魔と化すものもいる。
アンバーは思った。
「妖魔に違いない」と。
もう一度注意深く、目を凝らして窓の外を見る。だが、それは、予想を裏切る意外なものだった。
「いや、ありえないだろ。ここは50階だし、窓に張り付くなんて、ここは、魔法学校だぞ。」
中に入りたいものは、瞬間移動でも、何でも手段を使ってやってくる。魔法の箒なんて、今時そのような旧世代のものを使っている人はいない。それは、大昔の話で、今のメジャーな移動手段は、ドローンを使っての瞬間移動だった。
だから、アンバーは今まで、窓に張り付く人を見たことはなかった。
声が聞こえた。
「……だけか、……助けて…くれ……、めん、めん…」
あわてて、駆け付けて窓越しに外を見る。そこには、辛うじて見える窓枠に指を引っ掛け、片手で箒を持つ上下スウェット姿の男の人だった。
今日は、今世紀最大と言われる嵐の来る日だ。
「何を、考えてる、こんな日に、箒を使って飛行するなんて、それこそ自殺行為だぞ。」
アンバーは、この男はクラシック(箒)カー愛好家なのかと思った。魔法界では旧世代の箒をクラシックカーと読ぶ。
「おかしいな。明日のクラシックカー展示会はこの嵐のために中止と聞いたぞ……」
黒いローブの中から黒くて細長い杖を取り出す。するとガラスが割れ、窓の男が廊下に投げ出された。
無様に死んだゴキブリのように、うつ伏せで廊下に張り付く男に目を向ける。
「この男は、馬鹿なのか?」と。
その時、警報単語の金切り声のようなけたたましいサイレンがなった。
「しまった……。つい慌てて、窓ガラスを壊してしまった。」
「すみませんでした。」
只いま、アンバーは最上階の校長室にいた。
「まさか、掃除箒に乗ってこの学校に来る人がいるとは思いませんでした。つい、窓ガラスを……。」
「俺は、まさか玄関が100階にあるとは思いませんでした。すみませんでした。」
エリオット校長はアンバーと窓枠の男を交互に見やる。
校長には白くて長い口髭はなかった。代わりに、白いチョビ髭があった。
「まさか、採用面接に遅れてくる人がいるとは思わなかったが、それにしても、よくその掃除箒で、ここまでたどり着いたね。きみ……」
そして、エリオット校長は呆れたように言った。
「前代未聞だよ。お掃除ロボットルンバで、ここまで来た人は。」
つづく
いや、立たないというには、少し語弊がある。
そういった類のものは、ここの生徒たちには、必要がない、とでも言った方がいいだろうか。
教室のチャイムが鳴り、ようやく授業も終わったとアンバーは、高校の化学室の出入り口の扉を開放した。
一斉に、廊下の空気が、部屋の中に流れ込む。湿っぽい、草木の朽ち落ちる腐葉土のような匂いだった。
教室から見える窓には、雨がバラバラとあたり、細かく弾けるような音が教室の中に響いていた。
「きょうは、ここまでだ。みんな気を付けて帰るように。」
アンバー・キリグスは、この学校の勤続5年の化学教師だった。化学と言っても、いわゆる、熱化学やら化学反応式やらが出てくる化学ではない。
なぜなら、ここは全寮制のエリート魔法学校。初等部から高等部までの魔法使いの中でもごく少数の選び抜かれた将来のエリートたちが日夜学問に励んでいる。
いま席を立ち始めた生徒の机の上には、分厚い丁寧な装丁の本が並んでいる。アンバーが、生徒たちに教えているのは、毒草や毒物といった類の取り扱い注意のモノ。化学反応式などは、すでに通り過ぎ、ここで教えているのは、普通学校の教科書には載っていない劇毒の調合方法だ。
解放した途端、一気に扉の外へと流れていく生徒たちを見る。見えるのは男子生徒ばかり。この魔法学校では、初等部までは共学だが、中等部からは男女が別に分かれる。建物の構造自体が、別々に分かれていて、お互いに行き来は出来ないことになっていた。
教室のある50階から一気に駆け上がっていく生徒たちを見送り、アンバーも自身の研究室に戻るべく教科書の類をカバンにしまう。そして、一歩、教室から扉の外へと出た時だった。
「はあ?」
暗い廊下の窓の向こうに誰かがいたのだ。いや、正確には、窓に張り付く血走った誰かの目と合ったような気がした。
「ひっ、」
初めは、学校を取り巻く樹海の森から飛んできた草木の類だろうと思っていた。磁場が狂うほどの深い森である。ここで、何万年も生き永らえたモノは、ときに霊気を蓄え妖魔と化すものもいる。
アンバーは思った。
「妖魔に違いない」と。
もう一度注意深く、目を凝らして窓の外を見る。だが、それは、予想を裏切る意外なものだった。
「いや、ありえないだろ。ここは50階だし、窓に張り付くなんて、ここは、魔法学校だぞ。」
中に入りたいものは、瞬間移動でも、何でも手段を使ってやってくる。魔法の箒なんて、今時そのような旧世代のものを使っている人はいない。それは、大昔の話で、今のメジャーな移動手段は、ドローンを使っての瞬間移動だった。
だから、アンバーは今まで、窓に張り付く人を見たことはなかった。
声が聞こえた。
「……だけか、……助けて…くれ……、めん、めん…」
あわてて、駆け付けて窓越しに外を見る。そこには、辛うじて見える窓枠に指を引っ掛け、片手で箒を持つ上下スウェット姿の男の人だった。
今日は、今世紀最大と言われる嵐の来る日だ。
「何を、考えてる、こんな日に、箒を使って飛行するなんて、それこそ自殺行為だぞ。」
アンバーは、この男はクラシック(箒)カー愛好家なのかと思った。魔法界では旧世代の箒をクラシックカーと読ぶ。
「おかしいな。明日のクラシックカー展示会はこの嵐のために中止と聞いたぞ……」
黒いローブの中から黒くて細長い杖を取り出す。するとガラスが割れ、窓の男が廊下に投げ出された。
無様に死んだゴキブリのように、うつ伏せで廊下に張り付く男に目を向ける。
「この男は、馬鹿なのか?」と。
その時、警報単語の金切り声のようなけたたましいサイレンがなった。
「しまった……。つい慌てて、窓ガラスを壊してしまった。」
「すみませんでした。」
只いま、アンバーは最上階の校長室にいた。
「まさか、掃除箒に乗ってこの学校に来る人がいるとは思いませんでした。つい、窓ガラスを……。」
「俺は、まさか玄関が100階にあるとは思いませんでした。すみませんでした。」
エリオット校長はアンバーと窓枠の男を交互に見やる。
校長には白くて長い口髭はなかった。代わりに、白いチョビ髭があった。
「まさか、採用面接に遅れてくる人がいるとは思わなかったが、それにしても、よくその掃除箒で、ここまでたどり着いたね。きみ……」
そして、エリオット校長は呆れたように言った。
「前代未聞だよ。お掃除ロボットルンバで、ここまで来た人は。」
つづく
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる