悪魔祓い聖アイルカの沈黙― 黒衣の皇軍 ―

加茂茶 芽衣

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6 禁書の残影

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 "その日、人々は死を求めても、これを得ず、死にたいと願っても、死は彼らから逃げて行く"
           (ヨハネの黙示録 9:6 )


「……う~ん、実に見事な手際で、内臓だけが抜き取られている。」

「ブラザー、感心している場合じゃないですよ!」

 ​冷え切った空気のせいだろうか。コネリが握るそのナイフが、本来の用途とは違う、恐ろしく鋭い武器のように映り、イリスは瞠目する。

 ​「血だけが綺麗に失われているのも異常だけれど……一体、内臓はどこへ消えてしまったのだろう。これほど跡形もなく消え去るなんて、通常ではあり得ないことですよ。」

 そこへ、いくつもある土のむろを大股で乗り越えながら険しい表情で白い僧服を風にたなびかせ、ガロンがやってきた。他にも厨房の者が何人か。傍にはラザルもいる。ガロンは険しい口調で口を開いた。

「院内で、死骸が見つかったと聞いたのでね。実は、昨日からここで飼っている豚がいなくなったのだよ。もしかしたら、見つかったのかと思って。」

「いや、豚ではないみたいだよ。これは、イノシシだ。鉄柵を乗り越えてやってきたのだろう。右足に罠に引っかかった跡がある。」

「罠から抜け出して、獣に襲われたのか?」

「これは、違うな。ほら、これはナイフの傷だ。」

 これまでにも、血が抜かれた家畜の死骸が、焼却炉や古井戸に遺棄されていたことはあったが、ここまで異質なものは過去にはなかった。これまでは、獣に襲われたのだろうと思っていたが、これは明らかに違う。

 空を見上げると、霧のような黒い影が覆っていた。



「またイナゴか……どうして……」

 急に暗雲が立ち込める。まるで挑発されているように、イリスには感じられた。

「イリス、手伝うよ。」

 ラザロの声だった。白い僧服に、茶色い焦げの跡が見える。今しがたまで厨房に立っていたのだろうか、ほんのり青臭いオリーブオイルの香りがしていた。

「ありがとう、ラザロ。この猪、どうしようか、すごく重そうだ……」

「焼却炉で、いいじゃないか?」

「それしかないよな……ここからかなり距離だぞ……重い、骨が折れそうだよ……」

「うわっ、なんだこれ……」

「キモチワルイ……」

 持ち上げたその猪豚の死骸の下には、無数の蟻が、下から湧き上がる何かを恐れるように跋扈していた。


 * * *


 どこにも血痕ひとつ見当たらず、ましてや内臓までもが清掃されたかのように綺麗に抜き取られていたのは、今回が初めてだった。血液、そして内臓。その両方を奪い去ることに、どんな象徴的な、あるいは実利的な意味があるのだろうか。

 ​一方、師であるブラザー・コネリは、分厚い丁装本(ていそうぼん)を片手にハーブ畑の納屋の木戸を勢いよく開けた。

「そんなことは、あり得ない……」

 白い僧服の上に羽織った茶色い袖無しの裾が、勢いでふわっと舞いあがる。一緒に乾いた土ぼこりも容赦なく舞い上がった。

「ゲホッ、ゲホッ」と、
 咳払いをしつつ、頭をかく姿は、我を忘れ没頭しているときだ。こういう時は、話しかけてはいけない。長い付き合いで学んだことだ。

 コネリは、事件以来、作業場に戻ってきてからずっとこの調子だ。狭い室内を落ち着きなく歩き回り、古びた文書を小脇に抱えては、どこかへフラフラと姿を消してしまう。今の彼が何を考えているのか、イリスには到底、推し量ることもできない。

 ​それに、あの日以来、僧院内には微かな「獣の臭い」が纏わりついているような気がしてならなかった。

 それは鼻を突くほどではないものの、粘りつくような不快な残り香だった。

「イリス、……夕方の祈りの時刻までには、戻って来る。それまで留守を頼む。ガロンが来たら、頼んだものを渡してくれ……」

「はい……」 



 ​"口を慎む者はその命を守る、くちびるを大きく開く者には滅びが来る"
                (箴言 13:3)


 ​「沈黙こそが正義(生存の唯一の道)」である。


 僧院内で答えるのは、イエスとノーのみ。沈黙は人を傷つけない。余計な言葉が人を傷つけ、争いごととなる。沈黙は美徳であり、己を守る武器でもある。イリスは、神の加護の下、そうブラザー・コネリから教わった。

 イリスは丁寧にメモ書きを見ながら、丁寧にハーブを選定していく。今晩私たちの口の中に入るものだ。

 動物の排泄物から丁寧に作られた堆肥は、有機物が微生物の餌となり、微生物が出す粘り気によって土の粒子がくっつき、水はけが良いのに水持ちも良い「ふかふかの土」になる。
 ​
 比較的過酷な環境でも強いハーブは、この過酷な地でも、あまり堆肥を使わずに済む、育てやすい植物だった。

 手に取ると鼻にツンとした強い香りが、漂ってくる。巷では、高値で取引されるというアイルカ産のハーブ。これらを、皆から恐れられる悪魔祓い師が作っているなどと、市井の人々は思いもしないだろう。

『コリアンダー、オレガノ、セージ、ローズマリー、……今日はジャガイモの煮込み料理だろうか……』

 ──ジャガイモと言えば……

 イリスは、あの印を思い出し、言い知れない恐怖を感じた。

 背中をピリピリとする電流が駆け巡った。

 そこへ、料理長のガロンがやってきたのだった。

 部屋に入って来るなり、なにかを探す様に辺りを見回している。

「コネリは、どうした?」と、高圧的な視線を感じた。

「ブラザー・ガロン、師はただいま外出しています……」

 やはりイリスは苦手だと思った。その視線はいつも何かを値踏みしているんじゃないかと感じられるほど、明け透けで、自分が大きな鍋の中で煮込まれている様を想像させられる。

 用意していたハーブを急いで紙包みに入れ、ガロンに手渡す。だが、彼は薬草本や古文書を納めている本棚から離れようとしない。

「この本は、コネリのか?」

「はい……」

「これは、東洋の魔術本じゃないのか?」

「どれですか?……ああ、これは昨日、図書館から借りてきたみたいですね。」

「いや、違う、……こっちだよ。」

「ああ、コレはただの絵本ですよ。ずっと、ここにありますよ。」

「へぇー……」

 それのどこに感心したのか分からないが、ガロンはその本を手に取り見つめてなかなか離そうとしなかった。

 ──どうみても、東洋の神々の絵だけが描いてある、よくあるタイプの子ども図鑑だよ。

 丁度入れ違いにブラザーコネリがやってきて、ほっと安堵の溜め息をつく。

「ガロンか?わざわざ来なくても弟子を寄こせば良かったものを……」

「……あの弟子か、……あいつは、道草ばかりして戻るのが遅いのだ。」

 ガロンが、イリスにちらっと目を向けた。

(ちぇ、自分だって、なかなかそこから離れないじゃないか……)

 ──あれは、断じて不可抗力だ。

 焼却炉にようやくたどり着いた先でも、もう一体、内臓のない動物の死骸が見つかったのだ。それは檻から逃げ出した豚だった。

「どこに行っていたのだ?」

「ちょっと総院長に呼ばれていたのだよ。最近は、町の方でも異変があるらしい……」

「……物騒だな。……ほら、頼まれていたものだよ。塩と砂糖だ。」

「……ありがたい。ちょうど不足していたんだ。これがないと、……院長の薬が作れなくてな。」

 ここは、ハーブはふんだんにあるが、薬の調合に必要な他の材料は厨房頼みだった。


 つづく


 
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