8 / 9
8 悪魔の正体
しおりを挟む
動物を解体するための道具が揃い、鋭利な刃物で内臓を抜き取る作業を行うには、あそこほど打ってつけの場所はない。ただ、今は三日後の感謝祭に向け、厨房は戦場のような忙しさだった。
料理長のガロンは、調査に来た私たちに対し、「この忙しい時に!」と露骨な嫌味をぶつけてきた。
家畜がここで処理された可能性は高い。だが、それでもまだ「何かが足りない」とコネリは呟いていた。
「おーい、イリス! こっちだ!」
不意に声をかけてきたのは、厨房担当の友人、ラザルだった。
「こんなてんてこ舞いの時期に来るお前らが悪いんだぜ。」
「分かっているよ。でも、師匠が行くなら今しかないって言うんだ。」
「まあ、一週間前なら余裕で案内できたんだけどな。今は猫の手も借りたいくらいさ。」
厨房には、普段は見かけない修練士たちの姿もあり、熱気と怒号が飛び交っていた。
「ラザル! 喋っている暇があるなら、奥の倉庫から小麦を持ってこい! 感謝祭用の、今年の一番いいやつだぞ!」
「はいはい、了解です、料理長!」
ラザルは元気に返事をすると、「またな」と小さく手を振って奥へと消えていった。
「イリス、それじゃあ、私たちもそろそろ行くとしようか。」
コネリの声には、確かな確信が込もっていた。
彼はラザルの後を追うように、外へと歩き出す。
厨房から少し離れた場所には、人の出入りが途絶えた古い倉庫群が点在している。
その中に、まるで忘れ去られた廃墟のように佇み、一際異彩を放っている倉庫があった。
「まさか、ここに入るんですか?」
「もちろん、そうだよ……」
一番奥の使われたことのないような古びた倉庫。囲いの西側に建てられたそこは、日中も日に当たることはなく、かび臭かった。
「ゲホッ、暗くてよく見えないですね。」
鼻と口を袖口で隠し、前に進む。
幾らか進むと、目が慣れ周りを見渡せるようになる。人間とはよく作られたものだ。見たくないものは見えず、見たいものだけをその目に映す。
だが、ここはそうもさせてくれなかった。
「これは、イナゴの死骸ですね。若干黒ずんでますね。」
タール状の床は、イナゴの死骸だらけ。腐ってきているのだろうか。このカビ臭い匂いは、このせいだったのかもしれない。
「そうだな……」
「師匠、何を探しているんですか?」
「うーん、あった。あった。」
その倉庫には、入り口の向こうに、また、入り口があった。
カチャカチャ
入り口に掛けてある蝶番が、緩くなっている。
振ると簡単に外れてしまった。
ギー
長らく使われていない硬い扉が、耳障りな音を立てた。
奥には小さな1室。まるで誰かを閉じ込めるための部屋のようにも見えた。
背の届かない高い位置に空調のような穴と、目出し窓のような窓が見える。
ここは一体何のための部屋なのだろうか。
「ここが噂の部屋か……」
「師匠は何か聞いていたんですか?」
「なに、総院長に会ったときにな……ここは歴史が古いからな……まあ、こんな辺鄙な場所は、いまさら誰も立ち入らないと思うが……」
ブラザー・コネリは、言葉を濁す。
「……まあ、聞くほどのものではないよ……」
入ると生臭い匂いがした。なんだろう。この臭いは。地の底から湧き立つような腐敗臭だった。
「入り込んだ動物でも、腐っているのでしょうか?」
「そうかもしれんな……」
だが、そこには、これといった目ぼしい物は、存在していなかった。
"言葉もなく、語ることもなく、その声も聞こえない。しかし、その響きは全地にわたり、その言葉は世界の果てにまで及ぶ"
(詩編 19:3-4)
『何も聞こえない、何も見えないのに、その影響力が世界を侵食し、逃げ場をなくしていく』
沈黙の恐怖が、そこには確実にあった。
倉庫から外へと出ると、眩しいほどの日差しを浴び、息をついた。
もし、あの狭い日も当たらない一室で、一生を暮らすとは、どんなことだろう。どんなに苦しいことだろう。どんな罪を犯すとそうなるのだろうか、とイリスは考えると頑是無い。
「イリス?」
「あれっ、ラザル?」
「どうしてこんなところにいるんだ?料理長に見つかると、ただ事では済まないぞ。」
「ごめん、ちょっと道に迷ったんだ。」
コネリは、すでにそこにはいなかった。辺りを見ると、倉庫の裏に隠れ、イリスに向かって小さくウインクする。
──全くしょうがない、時間稼ぎか……
「師匠と途中ではぐれちゃって…広すぎて、場所が、分からないや……」
──ラザルは、いい奴だ。ごめん、こうしないと、僕が怒られるんだ。
「ああ、……だから、言わんこっちゃない……出口まで案内するよ。はやく、こっちだ……」
イリスを出口まで案内したラザルは、厨房へと急いで戻る。
「まったく、忙しいというのに、骨が折れるわ……」
みんなが、汗水を垂れ流し、大きな鍋の中の野菜を大きなシャモジで突いている。
夕食は、野菜クズのスープ煮込みとハッシュドポテトだった。野菜煮込みは今煮込んでいる最中で、その隣はジャガイモの蒸した匂いが立ちこめていた。
「塩はどこだ?コショウは?」
「揚げ油の用意は?」
まさに時間との戦い。次の刻限の合図(鐘が鳴る)には、配膳をして歩かなければならない。
清貧・貞潔・服従の誓い。この修道院は、神の合図とともに、ゆったりとした時間が流れ、その身を任せる。それは時として、とても厳格なほどだった。
コツコツコツ
無数の足音が硬い床を鳴らす。
しかし、ラザルはそれには、いっさい目もくれず、スルスルとその合間を抜け、奥へと目指す。
扉を開けると、そこには、一人分の机と領収書の束。他に人影はなく、ガロンのみがいた。
「どうだった?」
「何かを探っているようでした。イリスだけがウロウロしていて……」
「中を見られたか?」
「分かりません。でも、ブラザー・コネリがまだ内部にいるかも知れません。」
「それは、かえって好都合だよ……」
ガロンの眼差しがキラリと不気味に光る。
「ラザル、ちょっと頼みがある。」
つづく
料理長のガロンは、調査に来た私たちに対し、「この忙しい時に!」と露骨な嫌味をぶつけてきた。
家畜がここで処理された可能性は高い。だが、それでもまだ「何かが足りない」とコネリは呟いていた。
「おーい、イリス! こっちだ!」
不意に声をかけてきたのは、厨房担当の友人、ラザルだった。
「こんなてんてこ舞いの時期に来るお前らが悪いんだぜ。」
「分かっているよ。でも、師匠が行くなら今しかないって言うんだ。」
「まあ、一週間前なら余裕で案内できたんだけどな。今は猫の手も借りたいくらいさ。」
厨房には、普段は見かけない修練士たちの姿もあり、熱気と怒号が飛び交っていた。
「ラザル! 喋っている暇があるなら、奥の倉庫から小麦を持ってこい! 感謝祭用の、今年の一番いいやつだぞ!」
「はいはい、了解です、料理長!」
ラザルは元気に返事をすると、「またな」と小さく手を振って奥へと消えていった。
「イリス、それじゃあ、私たちもそろそろ行くとしようか。」
コネリの声には、確かな確信が込もっていた。
彼はラザルの後を追うように、外へと歩き出す。
厨房から少し離れた場所には、人の出入りが途絶えた古い倉庫群が点在している。
その中に、まるで忘れ去られた廃墟のように佇み、一際異彩を放っている倉庫があった。
「まさか、ここに入るんですか?」
「もちろん、そうだよ……」
一番奥の使われたことのないような古びた倉庫。囲いの西側に建てられたそこは、日中も日に当たることはなく、かび臭かった。
「ゲホッ、暗くてよく見えないですね。」
鼻と口を袖口で隠し、前に進む。
幾らか進むと、目が慣れ周りを見渡せるようになる。人間とはよく作られたものだ。見たくないものは見えず、見たいものだけをその目に映す。
だが、ここはそうもさせてくれなかった。
「これは、イナゴの死骸ですね。若干黒ずんでますね。」
タール状の床は、イナゴの死骸だらけ。腐ってきているのだろうか。このカビ臭い匂いは、このせいだったのかもしれない。
「そうだな……」
「師匠、何を探しているんですか?」
「うーん、あった。あった。」
その倉庫には、入り口の向こうに、また、入り口があった。
カチャカチャ
入り口に掛けてある蝶番が、緩くなっている。
振ると簡単に外れてしまった。
ギー
長らく使われていない硬い扉が、耳障りな音を立てた。
奥には小さな1室。まるで誰かを閉じ込めるための部屋のようにも見えた。
背の届かない高い位置に空調のような穴と、目出し窓のような窓が見える。
ここは一体何のための部屋なのだろうか。
「ここが噂の部屋か……」
「師匠は何か聞いていたんですか?」
「なに、総院長に会ったときにな……ここは歴史が古いからな……まあ、こんな辺鄙な場所は、いまさら誰も立ち入らないと思うが……」
ブラザー・コネリは、言葉を濁す。
「……まあ、聞くほどのものではないよ……」
入ると生臭い匂いがした。なんだろう。この臭いは。地の底から湧き立つような腐敗臭だった。
「入り込んだ動物でも、腐っているのでしょうか?」
「そうかもしれんな……」
だが、そこには、これといった目ぼしい物は、存在していなかった。
"言葉もなく、語ることもなく、その声も聞こえない。しかし、その響きは全地にわたり、その言葉は世界の果てにまで及ぶ"
(詩編 19:3-4)
『何も聞こえない、何も見えないのに、その影響力が世界を侵食し、逃げ場をなくしていく』
沈黙の恐怖が、そこには確実にあった。
倉庫から外へと出ると、眩しいほどの日差しを浴び、息をついた。
もし、あの狭い日も当たらない一室で、一生を暮らすとは、どんなことだろう。どんなに苦しいことだろう。どんな罪を犯すとそうなるのだろうか、とイリスは考えると頑是無い。
「イリス?」
「あれっ、ラザル?」
「どうしてこんなところにいるんだ?料理長に見つかると、ただ事では済まないぞ。」
「ごめん、ちょっと道に迷ったんだ。」
コネリは、すでにそこにはいなかった。辺りを見ると、倉庫の裏に隠れ、イリスに向かって小さくウインクする。
──全くしょうがない、時間稼ぎか……
「師匠と途中ではぐれちゃって…広すぎて、場所が、分からないや……」
──ラザルは、いい奴だ。ごめん、こうしないと、僕が怒られるんだ。
「ああ、……だから、言わんこっちゃない……出口まで案内するよ。はやく、こっちだ……」
イリスを出口まで案内したラザルは、厨房へと急いで戻る。
「まったく、忙しいというのに、骨が折れるわ……」
みんなが、汗水を垂れ流し、大きな鍋の中の野菜を大きなシャモジで突いている。
夕食は、野菜クズのスープ煮込みとハッシュドポテトだった。野菜煮込みは今煮込んでいる最中で、その隣はジャガイモの蒸した匂いが立ちこめていた。
「塩はどこだ?コショウは?」
「揚げ油の用意は?」
まさに時間との戦い。次の刻限の合図(鐘が鳴る)には、配膳をして歩かなければならない。
清貧・貞潔・服従の誓い。この修道院は、神の合図とともに、ゆったりとした時間が流れ、その身を任せる。それは時として、とても厳格なほどだった。
コツコツコツ
無数の足音が硬い床を鳴らす。
しかし、ラザルはそれには、いっさい目もくれず、スルスルとその合間を抜け、奥へと目指す。
扉を開けると、そこには、一人分の机と領収書の束。他に人影はなく、ガロンのみがいた。
「どうだった?」
「何かを探っているようでした。イリスだけがウロウロしていて……」
「中を見られたか?」
「分かりません。でも、ブラザー・コネリがまだ内部にいるかも知れません。」
「それは、かえって好都合だよ……」
ガロンの眼差しがキラリと不気味に光る。
「ラザル、ちょっと頼みがある。」
つづく
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる