婚約破棄されたので黙って退いたら、王太子が勝手に崩れました ― 私は王弟公爵の隣で幸せになります ―

こもど

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25話 暴かれる本性

25話 暴かれる本性

 人は、追い詰められると地金が出る。

 それは必ずしも、大きな事件の時とは限らない。
 むしろ、日々の小さな苛立ちの中でこそ、その人が何を当然と思い、誰を見下し、どこに責任を押しつけるのかが、よく見える。

 最近のフェリシアは、まさにその状態だった。

 王家から正式な婚約を認められず、社交界でもじわじわ距離を置かれ始め、しかも自分が仕掛けた噂は跳ね返されてヴィオレーヌの評価をむしろ押し上げる結果になった。

 今までなら、少し泣けば誰かが「可哀想に」と庇ってくれた。
 少し拗ねれば、周囲が甘やかしてくれた。
 けれど今は違う。

 人々の目は、以前よりずっと冷静になっている。
 そして冷静な目は、愛らしさの奥にあるものまで見抜き始める。

 その日の午前、フェリシアは王太子宮の一室で侍女に髪を結わせながら、苛立ちを隠せずにいた。

「痛いわ」

 ぴしゃりと言う。

 侍女はすぐに手を緩めた。

「申し訳ございません」

「最近、あなた少し手元が雑ではなくて?」

「そのようなことは……」

「あるわよ」

 フェリシアは鏡の中の侍女を睨むように見る。

「わたくしの身の回りのことくらい、まともにできないの?」

 以前なら、ここで少し泣きそうな顔でも作って「最近、わたくしも色々あって……」と弱さを見せたかもしれない。
 そうすれば周囲が空気を読み、下手に刺激しないようにしてくれた。

 でも今のフェリシアは、もうそういう柔らかさを保てなくなっていた。

 侍女が謝れば謝るほど、逆に苛立つ。
 何もかもが自分の思う通りに整わないことが、腹立たしくて仕方ない。

「すみません、では済まないのよ」

 さらに言葉を重ねる。

「王太子宮に仕える以上、それ相応の――」

 そこまで言いかけたところで、自分が今ほとんど“王太子妃気取り”の台詞を口にしていることに気づいたのか、一瞬だけ唇が止まる。

 けれど、もう遅い。

 侍女は顔を伏せたまま、小さく「申し訳ございません」と繰り返した。

 そのやり取りを、たまたま部屋へ書類を届けに来た若い侍従が見ていた。

 彼は何も言わずに一礼し、すぐに下がった。
 だが、見たことは見たまま残る。

 そして、こういうものは後からひどく効く。

 昼過ぎ、フェリシアは小規模な昼食会へ顔を出した。
 王家とゆかりの深い伯爵家の邸宅で開かれた、年齢の近い令嬢たち中心の集まりである。
 参加者は多くない。
 だからこそ、一人ひとりの印象が濃く残る場でもある。

 最初のうちは、表面上何事もなかった。

 食卓には軽い料理が並び、侯爵令嬢が最近の観劇の話をし、伯爵令嬢が季節の菓子について笑う。
 フェリシアも笑顔を作り、言葉を返し、できるだけ“いつも通りの愛らしい妹”でいようとした。

 だが、いつも通りでいられない瞬間は、不意に来る。

「そういえば」

 若い伯爵令嬢の一人が、悪意なく言った。

「東区の施設支援、グランシェール公爵家がまた動かれたそうですわね」

 空気が一瞬だけ揺れる。

 フェリシアはすぐに微笑んだ。

「ええ、お姉様はそういうことがお好きですもの」

「好きというより、お得意なのでは?」

 侯爵令嬢が軽く言う。

 それ自体は、以前なら聞き流せたかもしれない。
 だが最近のフェリシアには無理だった。

「皆さま、本当にお姉様のことをお好きですのね」

 声に、わずかに棘が混じる。

 侯爵令嬢はきょとんとした。

「まあ、好き嫌いというより……」

「だって、何かあるたびにお姉様、お姉様って」

 フェリシアは笑顔のまま続けた。

「わたくしと一緒の席でも、お姉様のお話ばかり。少し失礼ではなくて?」

 その一言で、食卓の空気が明確に変わった。

 失礼。

 その言葉をここで使うのは悪手だった。

 なぜなら、“今ここで話題にされていることが不快だ”と、場の全員へ向けてしまったことになるからだ。

 伯爵令嬢が少し困ったように視線を落とす。

「そのようなつもりでは……」

「でも、結果的にはそうでしょう?」

 フェリシアは引かなかった。

「わたくし、いつまでお姉様と比べられなければならないのかしら」

 誰かがカトラリーを置く小さな音がした。

 侯爵令嬢が、今度は少しだけはっきりした口調で言う。

「フェリシア様。それは、比べているというより、今までそういう位置にいらした方のお話が自然に出るだけかと」

 その返しは穏やかだ。
 だが完全にフェリシアの味方ではない。

 いや、最近はもう、誰も完全には味方してくれないのだ。
 それがフェリシアには耐え難かった。

「自然、ね」

 彼女は薄く笑う。

「お姉様は本当に、皆さまにそう思わせるのがお上手ですわ」

 また、それだ。

 侯爵令嬢の顔つきがわずかに冷える。

 そしてその瞬間、フェリシア自身もどこかで分かっていた。
 今の一言で、自分がまた失点したと。

 だが止まれない。

 止まったら、今度は自分の惨めさだけが残る気がした。

「ごめんなさい」

 とろんと甘い声で付け足す。

「わたくし、少し疲れているのかもしれません」

 本来なら、ここで空気は和らいだだろう。
 少し弱さを見せれば、相手も強くは出にくい。

 しかし今はもう違う。

 相手の目には、疲れている可哀想な令嬢ではなく、“自分が不利になるたびに姉を悪者にする人”が映り始めていた。

 その昼食会が終わる頃には、表情にこそ出さないものの、参加者全員が何かしら感じ取っていた。

 気位が高い。
 余裕がない。
 不快になるとすぐ周囲のせいにする。
 そして、姉への敵意を隠そうともしなくなっている。

 その日はそれだけで終わらなかった。

 夕方、王太子宮へ戻ったフェリシアは、応接間で待たせていた仕立て屋へ苛立ちをぶつけた。

「この刺繍、少し地味ではなくて?」

 差し出されたドレスを前に言う。

 仕立て屋の女主人は丁寧に頭を下げた。

「最近の場の空気を踏まえまして、あまり華美になりすぎぬよう調整を……」

「わたくしが地味な色や控えめな飾りしか許されないとでも?」

「そのような意味ではございません」

「でも、そうでしょう」

 フェリシアはドレスの布を指先でつまんだ。

「前はもっと華やかな提案をしてくださったのに」

 女主人は苦しそうに言葉を選ぶ。

「以前と今とでは、求められる印象も少々異なりますので」

 その返答は極めて穏当だった。
 だが、フェリシアにはまるで“今のあなたに以前ほどの華やかさは似合わない”と言われたように聞こえた。

「求められる印象?」

 笑顔が消える。

「それは誰が決めるの」

「社交の空気、でございましょうか」

「そんな曖昧なもののために、わたくしが我慢しなければならないの?」

 語気が強くなる。

 控えていた侍女たちが息を潜める。

 女主人はこれ以上は危ういと察したのだろう。

「もしお気に召しませんでしたら、改めて調整を」

「最初からそうなさいな」

 フェリシアはぴしゃりと言った。

「何でもかんでも遠慮して、勝手に無難に整えればいいと思わないで」

 その場にいた者たちは皆、見ていた。

 王太子妃でもないのに、王太子妃のように振る舞うこと。
 自分の不満を、立場の低い者へそのままぶつけること。
 そして何より、自分が“丁寧に扱われるのが当然”だと思っていること。

 これまで隠れていた地金が、少しずつ表へ出ていた。

 一方、グランシェール公爵家では、その日の夕方、クララが少し遅れて情報を持ち帰っていた。

「お嬢様」

 ヴィオレーヌが帳簿から顔を上げる。

「なに?」

「今日は……フェリシア様、かなりあちこちで荒れていらしたようです」

「荒れて?」

「はい。昼食会ではまたお嬢様のお話で空気を悪くし、そのあと仕立て屋にもかなり強く当たったとか」

 ヴィオレーヌはしばらく黙った。

 驚きはない。
 ただ、いよいよ隠せなくなってきたのね、という実感があった。

 フェリシアはもともと、欲しいものが手に入らなければ不機嫌になる子だった。
 ただ昔は、それをヴィオレーヌが先回りして和らげたり、周囲が“可愛い妹のわがまま”として処理していた。

 今は違う。

 処理してくれる人がいない。
 だから本性が、そのまま見えてしまう。

「……やはり、人は追い詰められると変わるのですね」

 クララが小さく言う。

 ヴィオレーヌは首を横に振った。

「変わる、というより」

「はい」

「隠れていたものが見えるだけなのかもしれないわ」

 それは冷たい見方だったかもしれない。
 けれど、妹を長く見てきた姉としては、そうとしか思えなかった。

 フェリシアは今、新しく悪くなったわけではない。
 もともと持っていた“自分が中心でないと気が済まない性質”や、“責任を他人へ押しつける癖”が、今までは可愛らしさの中に埋もれていただけだ。

 それが、可愛らしさだけでは通らなくなった途端、露骨に見え始めている。

 その夜、王太子宮ではヴァレリオもまた、その変化を肌で感じていた。

 仕立て屋からは、やんわりとした苦情めいた伝言が届き、昼食会の空気についても侍女経由で耳に入る。
 以前なら、そうした小さな不満は誰かが無かったことにしていた。
 今は違う。
 小さなほころびがそのまま彼の前へ転がってくる。

「またか……」

 額を押さえる。

 フェリシアが悪い。
 そう思う。
 でもそれをまっすぐ言ってしまえば、今度は彼女が泣き、また面倒なことになる。

 だから適当に流そうとする。
 その曖昧さが、さらに状況を悪くする。

 結局、彼は何一つきちんと処理できないままだった。

 黙っていれば守られると思っていた妹。
 黙っていれば誰かが整えてくれると思っていた王太子。
 その二人の“当然”が、今まさに同時に崩れ始めている。

 そして崩れたあとの姿は、想像以上にみっともなかった。

 ヴィオレーヌは夜、窓辺で本を閉じながら、ふと思う。

 昔の自分が見ていたのは、王太子という立場と、妹という役割だったのだろう。
 だから、その中身までは直視しきれていなかった。

 でも今は違う。

 立場が剥がれた時に何が残るのか。
 役割が揺らいだ時にどう振る舞うのか。
 そこに人の本質が出る。

 フェリシアの本性は、もう隠せないところまで来ていた。
 そして、それを見ている人も、もう少なくなかった。
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