婚約破棄された公爵令嬢ですが、奪った義妹も捨てた王太子も継母も、全員まとめて地獄へ落とします

こもど

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第十三話 呼びつけ

第十三話 呼びつけ

王太子からの呼び出しが届いたのは、その日の昼を少し過ぎた頃だった。

ヴァルモン公爵邸の正面玄関へ、王宮の紋章をつけた使者が横柄な顔で現れたと聞いた時点で、エルシェナは中身を察した。正式な謝罪でもなければ、建設的な話し合いでもない。どうせ、自分の思い通りに動かぬ現実へ腹を立てたエドガーが、苛立ちのはけ口を求めているだけだ。

応接間へ通された使者は、書状を差し出しながら高圧的に言った。

「王太子殿下がお呼びです。至急、王宮へお越しくださいとのこと」

その場にいたグラハムが目を細める。

「ご用件は記されておりますかな」

「殿下がお会いになれば分かることです」

「では、お嬢様にご予定がおありの場合は難しいやもしれませんな」

使者の顔がぴくりと引きつった。

「王太子殿下のご命令ですぞ」

「お言葉ですが」

グラハムの声は穏やかだった。

「我が家のお嬢様は、もはや殿下の婚約者ではございません。したがって、私的なご命令に当然のように従う立場でもないのです」

使者は言葉を失った。

それまで王太子の名を出せば、どこでも扉が開くと思っていたのだろう。いや、実際これまではそうだった。王太子の婚約者であるエルシェナは、呼ばれれば赴き、予定を調整し、表向き穏便に取り繕ってきた。

だが今は違う。

その“今は違う”を、王宮側はまだうまく飲み込めていない。

エルシェナは少し遅れて応接間へ姿を見せた。

使者はすぐに背筋を正す。高慢だ冷酷だと噂されようと、公爵令嬢としての格は隠しようがない。深い青のドレスをまとった彼女が静かに入室しただけで、部屋の空気は自然と引き締まる。

「殿下の呼び出しと伺ったわ」

「は、はい。至急とのことでございます」

使者が差し出した書状を、エルシェナは受け取らずに見た。

封はすでに切られている。中身を確認したグラハムが必要と判断したからだろう。そこに書かれていたのは、命令に近い短い文だった。

――ただちに参れ。話がある。

あまりにも雑だった。

エルシェナはわずかに唇を上げた。

「ずいぶんと簡潔なお手紙ね」

「殿下もお急ぎでして」

「でしょうね」

その一言に、使者は返す言葉を失う。

エルシェナは椅子にも座らず告げた。

「お断りするわ」

「……は?」

使者が間の抜けた声を漏らした。

まさか断られるとは思っていなかったのだろう。王太子の呼び出しだ。しかも“至急”とある。普通なら何を差し置いても従うべきだと考える。少なくとも王宮に勤める者たちは、そういう世界にいる。

だがエルシェナは静かだった。

「私は殿下の私的な命令に応じる立場ではありませんもの」

「で、ですが、話があると……」

「話があるのでしたら、正式な文書でどうぞ」

「正式、な……」

「ええ。婚約破棄も、名誉毀損も、王太子殿下はすでに公の場でなさいました。ならば今後のやり取りも、公的な手続きを通していただくのが自然でしょう?」

使者の頬が引きつる。

自然でしょう、と言われてしまえばその通りだった。

私的な感情で公然と相手を断罪し、家の面子を潰したうえで、いざ不都合が出たら“直接来い”では筋が通らない。むしろ通らないのは王太子側だ。

それでも使者はなお食い下がる。

「殿下をお待たせするのですか」

「待たせるも何も、私はお受けしていないわ」

「しかし……」

「これ以上は時間の無駄よ」

エルシェナはグラハムへ視線を向けた。

「お帰りいただいて」

「かしこまりました」

グラハムが一歩前へ出る。

王宮の使者はなお何か言いたげだったが、そこでようやく理解したのだろう。ここで食い下がっても無駄だと。彼はぎこちなく一礼し、敗北感を隠しきれぬまま応接間を去った。

扉が閉まる。

その直後、グラハムが低く言った。

「おそらく、殿下はお怒りになりますな」

「もう怒っているでしょう」

エルシェナは平然と答えた。

「だから呼びつけたのでしょうし」

「お会いにならなくて正解かと」

「ええ」

もし応じて王宮へ行けばどうなったかは想像がつく。エドガーは不便が増えたことを責め、自分が困っているのだから便宜を戻せと命じ、ついでに請求を取り下げろとでも言うだろう。

謝罪はしない。

理屈も整えない。

ただ、自分が不快だから元へ戻せと要求するだけだ。

それは話し合いではない。

王宮へ戻った使者は、予想通りひどく疲れた顔で王太子宮へ通された。

エドガーは待たされていたこと自体にすでに腹を立てていた。

「遅い」

「も、申し訳ございません」

「それで、来るのだな?」

使者は息を呑み、頭を下げた。

「エルシェナ様は……お断りになると」

一瞬、室内が凍りつく。

エドガーは聞き間違いかと思ったらしい。

「何?」

「ですから、その……殿下の私的な命令に応じる立場ではないので、正式な文書を通せと……」

そこで堪えきれず、エドガーが立ち上がった。

「ふざけるな!」

机の上のペン立てが倒れ、文書が散る。

控えていた侍従たちが一斉に頭を下げた。誰も顔を上げない。

エドガーは怒鳴り続ける。

「誰に向かって言っている! 私は王太子だぞ!」

使者は縮こまりながら答えた。

「わ、わたくしもそのように申し上げたのですが……」

「役立たずが!」

吐き捨てるように言って、エドガーは部屋の中を荒く歩き回った。

セラフィナが長椅子から立ち上がる。

「殿下……」

「聞いたか、あの女の態度を!」

彼は拳を握りしめた。

「婚約を解消された腹いせに、今度は王太子の呼び出しまで断るとは!」

その言葉を、侍従たちは無言で聞いていた。

だが胸の内では、誰もが同じことを思っていた。

腹いせではない。

当然の対応だ。

婚約を一方的に破棄し、公衆の面前で断罪し、その後に不利益が出たから呼びつける。そんな勝手が通る方がおかしい。

けれど、それを言える者はいない。

エドガーはさらに叫ぶ。

「書状を出せ!」

「は、はい……どのような」

「もう一度呼べ! 今度は命令だ! 来なければ、公爵家に対する不敬として――」

そこで、年配の侍従がついに一歩進み出た。

「殿下」

エドガーが振り返る。

「何だ」

侍従は慎重に言葉を選んだ。

「失礼ながら、エルシェナ様はすでに婚約者ではなく、公爵家のご令嬢として動いておられます。ここで私的にさらに圧力をおかけになりますと、事態がより悪化するおそれが」

その一言で、エドガーの顔がみるみる歪んだ。

「お前はどちらの味方だ!」

「そのようなことでは」

「黙れ!」

怒声が響く。

侍従はすぐに頭を下げたが、言うべきことは言った。エドガー自身も分かっているのだろう。だからこそ余計に腹が立つ。

エルシェナはもう、泣いて縋る元婚約者ではない。

王太子の機嫌ひとつで動く存在でもない。

正式な手続きと書面でしか相手をしない公爵家の令嬢として立っている。

それが何より、エドガーの癇に障った。

自分の命令が通らない。

それだけで、彼には十分な屈辱だった。

セラフィナがおそるおそる口を開く。

「殿下……あの……」

「何だ!」

「お姉様、本当にお怒りなのですね……」

その言葉に、エドガーはぎり、と歯を食いしばった。

「怒っているのではない」

低く、どす黒い声だった。

「あの女は、自分がまだ上だと思っているだけだ」

だが実際には逆だった。

王太子である自分より上だと思われているのではない。少なくとも私的な命令では動かない相手として、対等以下には扱われなくなっているのだ。

そこを、エドガーは最後まで認めたがらない。

「次は正式な文書だ」

彼は吐き捨てるように言った。

「いや……違うな。父上の名前を使う」

控えていた文官たちの肩がぴくりと揺れる。

「国王陛下のご名義でお呼びになれば、さすがに来るだろう」

その発想に、何人かは内心で顔をしかめた。

自分の呼び出しを断られたから、父王の権威を使って引きずり出そうというのだ。幼稚にもほどがある。だが当の本人は、妙案を思いついたつもりらしかった。

エドガーは荒く息をついたまま言う。

「今に分からせてやる。誰が上なのか」

その頃、ヴァルモン公爵邸ではグラハムが王宮の使者の帰ったあとを簡潔に報告し終えていた。

エルシェナは笑いもしなかった。

ただ、静かに言う。

「呼びつけに応じたら、きっとこうなると思ったの」

「と、申しますと」

「私は何一つ悪くない。困っているのだから元に戻せ。請求も取り下げろ。きっとその程度よ」

グラハムはうなずく。

「まことに」

「話し合いにもならないわ」

エルシェナは窓の外を見た。

曇り空の向こうに、冬の薄い陽がにじんでいる。

「向こうはまだ分かっていないのね」

「はい」

「私は、もう殿下の手の届くところにはいないのに」

その声には、怒りよりも冷えた確認があった。

かつて婚約者だったという事実は消えない。だがそれは、今も王太子の命令ひとつで動く理由にはならない。

むしろ自分でそれを壊したのは向こうだ。

ならば、その結果に慣れてもらうしかない。

エルシェナはゆっくりと目を伏せる。

「グラハム」

「はい」

「次に来るなら、もっと大きな名前を持ち出してくるかもしれないわ」

「国王陛下、でございますかな」

「ええ。けれど、こちらはあくまで正式な家同士の案件としてしか受けないこと。そこは崩さないで」

「承知いたしました」

王太子はまだ、自分が失ったものを理解していない。

だから呼びつければ来ると思っている。

怒鳴れば怯むと思っている。

名前を振りかざせば折れると思っている。

その思い込みが、これから先もっと大きな痛手になることを、彼はまだ知らない。
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