馬に蹴られてゆく道で

うらたきよひこ

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第四章 楽師の長い旅

楽師の長い旅(1)

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 なぜこんなことになるのだろうか。
 シハルはほとんど静かになった焚き火の中に見える土人形を見ながらため息をついた。
 シハルのいた村にはきちんとした窯があったが、このような道中では木を組んでじっくりと時間をかけて焼くしか方法がない。ごく小さな土人形であるからとりあえずそれでも何とかなる。窯で焼いたものよりは脆いが問題はそこではない。
「今回も見事に変な顔ですね」
 土人形の成形に関して自身の腕が悪いとは思っていない。村では神事につかう絵や文字を書くこと、焼き物の成形も仕事の一部であった。
 今回も間違いなく精巧に狼を模して土人形を作ったはずであるが、炭となった薪の間から見えているものはなぜか無様な姿をさらしている。
「やっぱり問題は中身ですか……」
 先日、人間の身代わりに粉々にされてしまったヴァルダだが、ジ・ダァが無事であったため作り直した。まさかあそこまでの力があるとは。神をあつかうのは命懸けである。
「あれにはびっくりしましたね」
 シハルは焼き立てのヴァルダに話しかけるようにつぶやいた。
 ガサッと薪の崩れる音がする。シハルに文句をいっているようだ。それを聞きとるのは簡単だが、どうせうるさいだけなのであえて聞かない。
 シハルは膝をかかえて、焚き付けとして集めておいた細い枝でぐるぐると地面をかき回した。再度ヴァルダが歩き回れるようになるまでまた時間がかかることだろう。
「お嬢さん、すみません」
 ぼんやりとしていたら突然声をかけられた。街道から少し外れたところであるから、一日中火を焚いていても、さして問題ないだろうと思っていたが、煙が街道の方に流れていたのだろうか。
 シハルが顔をあげるとそこには旅装の男性が立っていた。落ち着いているがまだ若そうだ。厚い外套の下からはきちんとしたシャツがのぞいていて、大きな荷物を二つ担いでいる。
 ぱちんと消えかけた焚き火がはぜた。聞かなくともわかる。警戒しろというのだ。
「何でしょうか」
「少しだけ火にあたらせてもらえないでしょうか。ちょっとドジをして、そこの沼地に足を入れてしまいました。足をとられて火付け道具の入った鞄も沼に落してぬらしてしまって――」
 見ると確かに皮でできた編上げ靴はぬれて変色している。おそらく中にまで水が入ってしまっているだろう。
「ちょっと待ってください」
 シハルは焚き火の中でそのまま冷まそうと思っていたヴァルダを小枝を使って取り出すと、くすぶっている辺りに焚き付け用の藁と小枝を置いた。すぐに炎が盛り返してくる。ヴァルダを焼き上げるためにその辺にあった燃えそうなものはけっこうたくさん集めてある。これであれば靴と鞄が乾くくらいまではもつだろう。
 そこでシハルはハッとして顔をあげた。
「さっき私のことを『お嬢さん』と呼びましたか?」
「え? ええ、気に障ったのなら申し訳ない」
 この旅で女性だと思われたのは初めてかもしれない。
「いいえ。気には障りません」
 思わず笑みがもれた。男性はじっとシハルを見つめた。
「どうかしましたか?」
「いえ、なんでも。お見苦しいとは思いますが、靴を脱がせてもらってもいいですか」
 そうしなければいつまでも乾かないだろう。いちいち丁寧な人だと、シハルは小さく首をかしげた。隣でヴァルダががたがたと震えている。何かいいたいことがあるらしいが、何をいいたいのかはわかっていた。
「名前をおうかがいしても? 私はシハルといいます。あと、その大きな荷物は何ですか?」
 ヴァルダは一貫して他人を信用するな、立ち居振る舞い、口調、持ち物に注意をしろとシハルに口酸っぱく言い続けている。ヴァルダの方がよほど世慣れているため、したがっておいた方が無難だろう。
「僕はリシャルドといいます。こっちのぬれていない方の荷物ですか? 警戒させてしまってすみません。武器ではありませんよ。今お見せしますが、ちょっと鞄の中のものも火にあてさせてもらってもいいですか」
 言いながら、丁寧に敷物をしいてその上に鍋や果物ナイフ、火打ち道具などのごく普通の旅人が持っているようなものを並べだす。
「これは武器ともいえますが、護身用の短剣ですので」
 わざわざそうことわってからそれも敷物に並べる。護身用の短剣を鞄に入れておいてはあまり意味がないのではないだろうか。
 総じてただの旅人に見える。
 シハルなど巨大な剣を持ち歩いているのだが、聞かれていないことに答える必要はないだろう。
 いまだにがたがたと何かを訴えかけようとしているヴァルダは無視をした。本当は目立たないところに隠してしまいたいが、まだ熱そうだ。
「これは、ギタアという楽器です」
 ぬれたものをきちんと火に当てるように並べ終わったリシャルドはいとおしそうに布で包まれた楽器をシハルに見せた。それは木でできた弦楽器でシハルは似たようなものが見たことがあるような、ないようなというあいまいな印象であった。楽器にはあまり詳しくない。
 ただ楽器全体から不思議な気配がする。もしかしてとても古いものなのかもしれない。古い道具類にはよくその手の気配がある。
「音が出ますか」
 だが興味はある。きれいな音がするものは好きだ。
「もちろん出ますよ。ちなみに僕は楽師です。旅をしながらいろんな町で演奏してそのお金で生活しています」
 シハルはぽんと手を叩いた。
「それではお金を払わなくてはならないですね」
 これもヴァルダに教わった。何かをしてお金をもらっている人にお願いをするときにはお金を支払うものなのだ。ヴァルダは「ただで親切にするな。金を取れ。仕事を頼むのであれば金を払え。ただし信頼できないヤツには関わるな」と、やはりこれもしつこく言ってくる。
「いえいえいえ、すみません、そんなつもりで言ったわけでは……」
 大きく手をふってえらく恐縮した様子である。
「何が言いたかったかといいますとね、ちょっとばかり上手ですよということです」
 そう言いながら、やはりいとおしそうに楽器の表面をなで、弦を一度かき鳴らした。あたりに心地よく小さな振動が広がってゆく。
「きれいな音です」
 シハルはうっとりと目を閉じた。
 音の余韻が空気に溶けるように消えたあと、リシャルドはつづけて楽器をかき鳴らした。草原を吹き抜ける風を連想させる素朴な曲だ。ゆったりとしたメロディがとても心地いい。
「即興ですが。こんな感じです」
 リシャルドが気恥ずかしそうに微笑んだ。
「即興というと、今考えたんですか」
「ええそうです」と言いながら、シハルから目をそらし「あなたのイメージを曲にしたんです」とつづける。
 そのとき、パチンという音がして、切れた弦がシハルの手の甲を打ちすえた。
「あ、弦か……。すみません、怪我はないですか」
 シハルはじっと楽器を見つめる。気のせいではない。かなり古い楽器である。シハルは耳をかたむけないようにしていたが、シハルに向かって何かを訴えかけてきている。どうやらかなり強い敵意を向けられているようだ。
「赤くなっていますね」
 リシャルドがシハルの手を取って弦の当たったところをそっとさすった。
 これはまずいことになった。楽器の敵意がさらに強烈になりシハルに向けられている。肌に痛みを感じるほどだ。これは絶対に声を聞いてはならない。邪悪なものだと断定はできないが、シハルにとっては危ない楽器だ。
「リシャルドさん、この楽器はどこで?」
「これですか」
 またいとおしそうに楽器をなでる。その瞬間、シハルへの敵意がふっとやわらいだ。
「僕が演奏を練習し始めたときから使っています。父が行商の古道具屋から安く買った物なのですが、きちんと手入れをすればこんなにいい音がでるんですよ」
 由来はわからないが、あまり近づかない方がよさそうだ。
「不思議な楽器ですね……」
 持ち主を呪うわけではなく、持ち主に近づく者を排除していく。もしかしたらこの人は人恋しくて火に当たりに来たのではないだろうか。
「不思議なんですよ。本当に」
 シハルのいった意味をどう理解したのか、リシャルドは困ったように何度もうなずいた。
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