ちいさな物語屋

うらたきよひこ

文字の大きさ
358 / 526

#357 ベルトコンベアーのむこう

しおりを挟む
カシャン、カシャン――

鉄と油の匂いに満ちた空間で、単調な音が絶え間なく続いていた。

僕の仕事は単純だ。

ベルトコンベアーに乗って流れてくる部品に、指定された部品を取り付けるだけ。スパナを握り、ボルトを締め、電動ドライバーでネジを打つ。流れ作業。思考は必要ない。何を作っているのか、誰も知らない。

「さあ、考えちゃダメだ」

隣の持田さんは、よくそう言った。

「俺たちは全体を見る必要はない。手元だけ見ろって、そう習ったろ?」

この工場では、それが絶対のルールだった。

シフトは三交代制。僕たちは第三班、夜勤だった。夜の現場は不気味なほど静かだ。昼間は鳴り響く警報やアナウンスも、夜には不思議と止む。

ただベルトコンベアーと、工具と、僕たちの呼吸音だけが、薄暗い空間に満ちていた。部品は、一見普通の金属だった。大小さまざまな板、管、箱型のパーツ。それらに、センサーのようなものを取り付ける。

何度か、ふとした拍子に部品の裏側に「文字」のようなものを見た気がする。
だが目を凝らすと消えていた。まるで目の中の埃のように、見ようとすると見えなくなる。

たぶん、気のせいだろう。
そう自分に言い聞かせた。

ある夜、異変が起きた。

いつものようにベルトコンベアーに向かっていたとき、流れてきた部品が――止まったのだ。

カタン、と小さな音を立てて、部品は僕の前で静止した。

「……え?」

思わず顔を上げる。

ベルトコンベアーは、なお動いている。
だが部品だけが、そこに浮いているように止まっていた。

周囲を見る。
ほかの作業員たちは誰も気づいていない。
あるいは、気づかないふりをしている。

僕は、そっと部品を手に取った。

それは、いつもの金属板ではなかった。柔らかい、温かみのある手触り。奇妙な形をしていて、何かの生き物の骨のようにも見えた。部品の表面には、くっきりと文字が刻まれていた。

「気づくな」

心臓が跳ねた。

ベルトコンベアーの音が急に遠ざかり、耳鳴りだけが響いた。

持田さんの声が聞こえた。

「おい、手を止めるなよ。流れ作業は命だぞ」

慌てて部品をベルトコンベアーに戻そうとした。だがその瞬間、部品がふっと手の中で消えた。まるで、最初から存在していなかったかのように。

それからだ。

ベルトコンベアーの流れが、少しずつ「違って」きたのは。流れてくる部品が、微かに呼吸しているように見える。ネジ穴が、まるで目のようにこちらを見ている。パーツ同士が、誰かの声のようなノイズを発している。

それでも、作業は続いた。

手を止めれば、何かに気づいてしまう気がした。
そして、気づいた者は、二度とこのラインには戻ってこない。

ある日、持田さんが消えた。

誰も理由を聞かなかった。
ただ、空いた彼の持ち場に、別の作業員が補充された。

それは、昨日まで部品の一部だったような、無表情な男だった。目がため池みたいに濁っていた。

僕は思い始めていた。もしかしたら、僕たちは何かを作るために部品を組み立てているわけではないのではないか。

僕たち自身が、流れの中で決まった動きをすること自体に何かの意味がある。そう、僕たちがこのせまい世界の部品としてここにあるのではないか。

だからこそ、何を作っているか知らされない。知ってしまえば、自分が何のために、いや、何のためでもなく動いていることがわかってしまうから。

今夜も、ベルトコンベアーは流れている。

カシャン、カシャン。

手は勝手に動く。頭はもう、何も考えない。

ただ、たまに、ほんのたまに、僕の前に「止まる」部品がある。そこには、やはりこう書かれている。

「気づくな」

僕は、目を閉じた。

ベルトコンベアーのむこうには、まだ見たことのない、果てしない闇が広がっている気がする。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

麗しき未亡人

石田空
現代文学
地方都市の市議の秘書の仕事は慌ただしい。市議の秘書を務めている康隆は、市民の冠婚葬祭をチェックしてはいつも市議代行として出かけている。 そんな中、葬式に参加していて光恵と毎回出会うことに気付く……。 他サイトにも掲載しております。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...