ちいさな物語屋

うらたきよひこ

文字の大きさ
361 / 526

#360 泥だらけの勇者

しおりを挟む
それは雨上がりの午後のことだった。

村外れの道を歩いていると、急に前方の草むらからガサガサという音がして、泥だらけの男が現れた。

ぼさぼさの髪、傷だらけで泥まみれの鎧、背中にはいかにも立派な剣。見た目はどう見ても冒険者……いや、それ以上の存在感があった。ただし、顔だけは妙に普通っぽくて拍子抜けするほどだった。

男は私に気づくと、うれしそうな表情で言った。

「きみは旅人か」

「いえ、隣の村の親戚のところへ行くだけです」

私は少し警戒した。

旅の途中で知らない人間に絡まれるのは、大抵面倒事に巻き込まれる前兆だと昔から教えられてきたからだ。しかし、その男の無邪気な笑顔には悪意が感じられなかった。

「実はな、俺は勇者なんだ」

突然の自己紹介に、私は思わず苦笑してしまった。

「勇者……?」

「ああ、魔王討伐の旅をしている最中で、少し道に迷ってしまったんだ。悪いが方向を教えてくれないか?」

その言葉を聞き、私はますます混乱した。勇者――本物かどうかなんて分かるわけがない。だが彼の表情は真剣そのもので、少なくとも彼自身は自分を勇者だと信じきっている様子だった。

私は首を傾げつつも、彼を放っておくことができず道案内をしてあげることにした。歩きながら、彼がこれまで旅してきた話を聞く。

魔王を倒すためにいくつもの村や城を巡り情報を集めていること、しかししょっちゅう地図をなくしたり、道を間違えて迷うこと、いろんな仲間たちと出会い、別れ、そしてまた再会したこと――。

どれもが現実離れしているような内容だったが、彼の目に嘘の色は感じられなかった。

「どうして勇者になったんです?」

思わず私は尋ねた。彼は不思議そうにこちらを見つめ、それからぽつりと呟いた。

「勇者になるつもりなんてなかったさ。ただ俺が住んでいた村が魔王軍に襲われて……村を守るために剣を取ったら、いつの間にか勇者と呼ばれてしまった。不思議だなぁ」

淡々と話すその口調に、私は妙な現実味を感じてしまった。人生、そんなものかもしれない。

やがて日が暮れ始め、私たちは小さな宿屋に立ち寄った。彼が食事をしている間も、私はずっと彼を観察していた。その姿は勇者というより、すこし疲れ気味の普通の男にしか見えなかった。

夜、宿屋の主人にこっそり彼のことを聞いてみた。だが、主人は首を横に振った。

「あの人、勇者って名乗ってるけどね、実はちょっと素性がよくわからない人なんだ。方向音痴なのか、何年も前からあちこちを彷徨っていて、時々ここにも来るよ。もう常連くらいの勢いで」

主人は苦笑混じりに話してくれた。何年も前からってことは、これっぽっちも前進していないということではないか。

「あの人が勇者であろうとなかろうと、彼が来ると村のみんなが安心する。あの剣は伊達じゃないよ。魔物が出ればすぐに退治してくれる。めちゃくちゃ強いんだ。本当に勇者なのかもしれない。まぁ、嘘だろうとどうだろうと、誰に迷惑をかけるでもないしね」

私は複雑な気持ちで宿屋の主人の話を聞いた。翌朝、再び旅立つ勇者と名乗る男の背中を見送りながら、私はふと思った。

――確かに彼が本物の勇者である必要なんてない。

彼が信じる旅の目的がある限り、彼自身が自分を勇者と名乗っているのなら、それでいいのかもしれない。ただ、どちらにしろ、方向音痴は致命的だ。

それから数週間後、私は別の村で魔王軍襲撃の噂を耳にした。不安になって尋ねてみると、村の様子を知る者からは意外な答えが返ってきた。

「いや、なんともなかったよ。泥だらけの鎧を着た妙な男が現れて、魔王軍はあっという間に全滅さ」

その話を聞いて、私は思わず笑ってしまった。

彼に違いない。

彼が本物の勇者かどうかは分からない。でも彼は間違いなく村の人々を守ったんだろう。

できれば、魔王討伐の旅が前進して欲しいが――いや、それももうどちらでもいい気がしてきた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

麗しき未亡人

石田空
現代文学
地方都市の市議の秘書の仕事は慌ただしい。市議の秘書を務めている康隆は、市民の冠婚葬祭をチェックしてはいつも市議代行として出かけている。 そんな中、葬式に参加していて光恵と毎回出会うことに気付く……。 他サイトにも掲載しております。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...