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#360 泥だらけの勇者
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それは雨上がりの午後のことだった。
村外れの道を歩いていると、急に前方の草むらからガサガサという音がして、泥だらけの男が現れた。
ぼさぼさの髪、傷だらけで泥まみれの鎧、背中にはいかにも立派な剣。見た目はどう見ても冒険者……いや、それ以上の存在感があった。ただし、顔だけは妙に普通っぽくて拍子抜けするほどだった。
男は私に気づくと、うれしそうな表情で言った。
「きみは旅人か」
「いえ、隣の村の親戚のところへ行くだけです」
私は少し警戒した。
旅の途中で知らない人間に絡まれるのは、大抵面倒事に巻き込まれる前兆だと昔から教えられてきたからだ。しかし、その男の無邪気な笑顔には悪意が感じられなかった。
「実はな、俺は勇者なんだ」
突然の自己紹介に、私は思わず苦笑してしまった。
「勇者……?」
「ああ、魔王討伐の旅をしている最中で、少し道に迷ってしまったんだ。悪いが方向を教えてくれないか?」
その言葉を聞き、私はますます混乱した。勇者――本物かどうかなんて分かるわけがない。だが彼の表情は真剣そのもので、少なくとも彼自身は自分を勇者だと信じきっている様子だった。
私は首を傾げつつも、彼を放っておくことができず道案内をしてあげることにした。歩きながら、彼がこれまで旅してきた話を聞く。
魔王を倒すためにいくつもの村や城を巡り情報を集めていること、しかししょっちゅう地図をなくしたり、道を間違えて迷うこと、いろんな仲間たちと出会い、別れ、そしてまた再会したこと――。
どれもが現実離れしているような内容だったが、彼の目に嘘の色は感じられなかった。
「どうして勇者になったんです?」
思わず私は尋ねた。彼は不思議そうにこちらを見つめ、それからぽつりと呟いた。
「勇者になるつもりなんてなかったさ。ただ俺が住んでいた村が魔王軍に襲われて……村を守るために剣を取ったら、いつの間にか勇者と呼ばれてしまった。不思議だなぁ」
淡々と話すその口調に、私は妙な現実味を感じてしまった。人生、そんなものかもしれない。
やがて日が暮れ始め、私たちは小さな宿屋に立ち寄った。彼が食事をしている間も、私はずっと彼を観察していた。その姿は勇者というより、すこし疲れ気味の普通の男にしか見えなかった。
夜、宿屋の主人にこっそり彼のことを聞いてみた。だが、主人は首を横に振った。
「あの人、勇者って名乗ってるけどね、実はちょっと素性がよくわからない人なんだ。方向音痴なのか、何年も前からあちこちを彷徨っていて、時々ここにも来るよ。もう常連くらいの勢いで」
主人は苦笑混じりに話してくれた。何年も前からってことは、これっぽっちも前進していないということではないか。
「あの人が勇者であろうとなかろうと、彼が来ると村のみんなが安心する。あの剣は伊達じゃないよ。魔物が出ればすぐに退治してくれる。めちゃくちゃ強いんだ。本当に勇者なのかもしれない。まぁ、嘘だろうとどうだろうと、誰に迷惑をかけるでもないしね」
私は複雑な気持ちで宿屋の主人の話を聞いた。翌朝、再び旅立つ勇者と名乗る男の背中を見送りながら、私はふと思った。
――確かに彼が本物の勇者である必要なんてない。
彼が信じる旅の目的がある限り、彼自身が自分を勇者と名乗っているのなら、それでいいのかもしれない。ただ、どちらにしろ、方向音痴は致命的だ。
それから数週間後、私は別の村で魔王軍襲撃の噂を耳にした。不安になって尋ねてみると、村の様子を知る者からは意外な答えが返ってきた。
「いや、なんともなかったよ。泥だらけの鎧を着た妙な男が現れて、魔王軍はあっという間に全滅さ」
その話を聞いて、私は思わず笑ってしまった。
彼に違いない。
彼が本物の勇者かどうかは分からない。でも彼は間違いなく村の人々を守ったんだろう。
できれば、魔王討伐の旅が前進して欲しいが――いや、それももうどちらでもいい気がしてきた。
村外れの道を歩いていると、急に前方の草むらからガサガサという音がして、泥だらけの男が現れた。
ぼさぼさの髪、傷だらけで泥まみれの鎧、背中にはいかにも立派な剣。見た目はどう見ても冒険者……いや、それ以上の存在感があった。ただし、顔だけは妙に普通っぽくて拍子抜けするほどだった。
男は私に気づくと、うれしそうな表情で言った。
「きみは旅人か」
「いえ、隣の村の親戚のところへ行くだけです」
私は少し警戒した。
旅の途中で知らない人間に絡まれるのは、大抵面倒事に巻き込まれる前兆だと昔から教えられてきたからだ。しかし、その男の無邪気な笑顔には悪意が感じられなかった。
「実はな、俺は勇者なんだ」
突然の自己紹介に、私は思わず苦笑してしまった。
「勇者……?」
「ああ、魔王討伐の旅をしている最中で、少し道に迷ってしまったんだ。悪いが方向を教えてくれないか?」
その言葉を聞き、私はますます混乱した。勇者――本物かどうかなんて分かるわけがない。だが彼の表情は真剣そのもので、少なくとも彼自身は自分を勇者だと信じきっている様子だった。
私は首を傾げつつも、彼を放っておくことができず道案内をしてあげることにした。歩きながら、彼がこれまで旅してきた話を聞く。
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どれもが現実離れしているような内容だったが、彼の目に嘘の色は感じられなかった。
「どうして勇者になったんです?」
思わず私は尋ねた。彼は不思議そうにこちらを見つめ、それからぽつりと呟いた。
「勇者になるつもりなんてなかったさ。ただ俺が住んでいた村が魔王軍に襲われて……村を守るために剣を取ったら、いつの間にか勇者と呼ばれてしまった。不思議だなぁ」
淡々と話すその口調に、私は妙な現実味を感じてしまった。人生、そんなものかもしれない。
やがて日が暮れ始め、私たちは小さな宿屋に立ち寄った。彼が食事をしている間も、私はずっと彼を観察していた。その姿は勇者というより、すこし疲れ気味の普通の男にしか見えなかった。
夜、宿屋の主人にこっそり彼のことを聞いてみた。だが、主人は首を横に振った。
「あの人、勇者って名乗ってるけどね、実はちょっと素性がよくわからない人なんだ。方向音痴なのか、何年も前からあちこちを彷徨っていて、時々ここにも来るよ。もう常連くらいの勢いで」
主人は苦笑混じりに話してくれた。何年も前からってことは、これっぽっちも前進していないということではないか。
「あの人が勇者であろうとなかろうと、彼が来ると村のみんなが安心する。あの剣は伊達じゃないよ。魔物が出ればすぐに退治してくれる。めちゃくちゃ強いんだ。本当に勇者なのかもしれない。まぁ、嘘だろうとどうだろうと、誰に迷惑をかけるでもないしね」
私は複雑な気持ちで宿屋の主人の話を聞いた。翌朝、再び旅立つ勇者と名乗る男の背中を見送りながら、私はふと思った。
――確かに彼が本物の勇者である必要なんてない。
彼が信じる旅の目的がある限り、彼自身が自分を勇者と名乗っているのなら、それでいいのかもしれない。ただ、どちらにしろ、方向音痴は致命的だ。
それから数週間後、私は別の村で魔王軍襲撃の噂を耳にした。不安になって尋ねてみると、村の様子を知る者からは意外な答えが返ってきた。
「いや、なんともなかったよ。泥だらけの鎧を着た妙な男が現れて、魔王軍はあっという間に全滅さ」
その話を聞いて、私は思わず笑ってしまった。
彼に違いない。
彼が本物の勇者かどうかは分からない。でも彼は間違いなく村の人々を守ったんだろう。
できれば、魔王討伐の旅が前進して欲しいが――いや、それももうどちらでもいい気がしてきた。
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