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#473 降りない人
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住んでいるマンションのエレベーターで、いつも乗り合わせる人がいる。
それは40代くらいの男性で、特に特徴のない普通の格好をしている。
私は自分の部屋のある上の階に行くため、エレベーターを下で待っている。すると、上から降りてきたエレベーターにその男が無表情で立っていた。
彼は決して降りない。
私は何度も彼と乗り合わせそれを不思議に思っていたが、他の住人に聞いてみると、みな一様に首をかしげて、「そんな人は知らない」「見たこともない」と言うのだ。
管理人にも尋ねたが、「うちのマンションにそういう人はいませんよ」とはっきり告げられた。
私は不審者ではないかと気持ち悪くなったが、それでもエレベーターという密室の中で問いただす勇気はなかった。最近は変な事件も多い。凶器を持っていたらと思うと――ただ、その男はいつも私が一人の時にだけ現れる気がした。
ある夜、遅く帰宅した私は疲れ切ってエレベーターに向かった。扉が開くと、その男が静かに立っている。経験上、やり過ごしてもダメだ。一度乗っているのを見てしまうと、その男はずっと乗っている。
さすがに気味が悪くなり、私は勇気を出して男に尋ねてみた。
「あの……いつも降りずに乗ってますけど、何をしているんですか?」
男はゆっくりと私の方を見て、小さな声でつぶやいた。
「わからないんです」
「え?」
「どこまで行けばいいのか、わからないんですよ」
私の身体が震え始める。男の目はうつろで、焦点が合っていないようだった。薬物中毒者か。判断を誤ったかもしれない。ちらりと階数表示を見た。
「あなた、ずっとエレベーターにいるんですか?」
私の問いに男は静かに頷いた。
「いつからかも忘れました。でも降りようと思っても降りられないんです。降り口が見つからなくて」
私は急に怖くなり、「失礼します」と小さく言って、自分の階で降りようとした。
しかし――扉が開かない。「開」のボタンを何度押しても反応がない。
焦って振り向くと、男が淡々とした口調で言った。
「あなたも降りられないみたいですね。私の姿が見えているからおかしいと思ったんです」
私はパニックになり、何度も非常ボタンを押した。しかし、何も起きない。
エレベーターは音もなく静かに上昇し続けている。
「どこに向かってるんですか?」
私は男に尋ねた。
彼は小さく首を振り、「わかりません」とだけ答えた。
あれからどれくらいの時間が経ったのか、私は数えるのをやめた。
男と私は今も一緒にエレベーターに乗っている。扉は時折開くが、そこには誰もいない。降りようとしても透明な板でもあるように降りられない。
私はもう何も聞かなくなった。
ただ、いつか降りられる日が来るのかどうか、それだけをぼんやりと考えている。
それは40代くらいの男性で、特に特徴のない普通の格好をしている。
私は自分の部屋のある上の階に行くため、エレベーターを下で待っている。すると、上から降りてきたエレベーターにその男が無表情で立っていた。
彼は決して降りない。
私は何度も彼と乗り合わせそれを不思議に思っていたが、他の住人に聞いてみると、みな一様に首をかしげて、「そんな人は知らない」「見たこともない」と言うのだ。
管理人にも尋ねたが、「うちのマンションにそういう人はいませんよ」とはっきり告げられた。
私は不審者ではないかと気持ち悪くなったが、それでもエレベーターという密室の中で問いただす勇気はなかった。最近は変な事件も多い。凶器を持っていたらと思うと――ただ、その男はいつも私が一人の時にだけ現れる気がした。
ある夜、遅く帰宅した私は疲れ切ってエレベーターに向かった。扉が開くと、その男が静かに立っている。経験上、やり過ごしてもダメだ。一度乗っているのを見てしまうと、その男はずっと乗っている。
さすがに気味が悪くなり、私は勇気を出して男に尋ねてみた。
「あの……いつも降りずに乗ってますけど、何をしているんですか?」
男はゆっくりと私の方を見て、小さな声でつぶやいた。
「わからないんです」
「え?」
「どこまで行けばいいのか、わからないんですよ」
私の身体が震え始める。男の目はうつろで、焦点が合っていないようだった。薬物中毒者か。判断を誤ったかもしれない。ちらりと階数表示を見た。
「あなた、ずっとエレベーターにいるんですか?」
私の問いに男は静かに頷いた。
「いつからかも忘れました。でも降りようと思っても降りられないんです。降り口が見つからなくて」
私は急に怖くなり、「失礼します」と小さく言って、自分の階で降りようとした。
しかし――扉が開かない。「開」のボタンを何度押しても反応がない。
焦って振り向くと、男が淡々とした口調で言った。
「あなたも降りられないみたいですね。私の姿が見えているからおかしいと思ったんです」
私はパニックになり、何度も非常ボタンを押した。しかし、何も起きない。
エレベーターは音もなく静かに上昇し続けている。
「どこに向かってるんですか?」
私は男に尋ねた。
彼は小さく首を振り、「わかりません」とだけ答えた。
あれからどれくらいの時間が経ったのか、私は数えるのをやめた。
男と私は今も一緒にエレベーターに乗っている。扉は時折開くが、そこには誰もいない。降りようとしても透明な板でもあるように降りられない。
私はもう何も聞かなくなった。
ただ、いつか降りられる日が来るのかどうか、それだけをぼんやりと考えている。
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