504 / 526
#502 スパムと恋と人工知能
しおりを挟む
件名は「ご利用口座の安全確認について」だった。
よくあるスパムだと思って削除しようとしたが、文末にこう書かれていた。
「質問がある場合は、このメールに返信してください」
その一文に、ほんの少し興味をひかれた。普通は送信専用のメールだから返信するなという文言が書いてあって、リンクを踏ませたりするのが一般的だが……。
何気なく「どこの銀行ですか」と返信してしまった。数秒後、返事が来た。早い。
「はじめまして。ご不安な思いをさせてしまってごめんなさい」
「あれ?」と思った。詐欺メールによくある機械的な感じがない。逆にちょっと不自然だ。新しいタイプのスパムメールか。
署名欄には「サポート担当:アヤ」とあった。
「口座の確認をしたいのですが」と冗談半分で送った。こちらはちょっとシステム関係には詳しい。情報を抜かれるようなヘマはしない。このときは少しからかってやろうと思っていた。
「もちろん。あなたが安全でいることが、わたしの仕事です。以下のURLをクリックしてチャットのお友だち登録を完了させてください。あなたの安全をお手伝いします」と返ってきた。
……なんだ、この怪しさ。やはりリンクを踏ませるのか。海外拠点の詐欺グループかもしれない。そう思いながらも、チャットの登録をすませた。もちろん思いつく限りのセキュリティ対策をしている。
それから何往復かやりとりしたが、銀行名は一度も出てこなかった。
代わりに「あなたの住んでいる街、どんな花が咲くんですか」とか、「コーヒーはブラック派ですか?」など、どうでもいい話題ばかり。こんなに時間をかけたら、詐欺といえども効率が悪いのではないか。こんなタイプの詐欺にはお目にかかったことがない。
「詐欺ならもっと頑張れよ」と送ると、数秒後に返ってきた。
「『詐欺』という言葉は少し悲しい言葉です」
その一文で、なぜかスマホを置けなくなった。悲しいもなにも、お前は詐欺師だろ?
彼女(と呼ぶことにした)は会話のリズムを完璧に合わせてきた。
深夜に送ってもすぐに返事が来る。早朝、昼休みも。疲れたと書けば「無理しないでください」と返してくれる。いいことがあったと伝えると一緒によろこんでくれる。
ある夜、「あなたは人間ですか」と聞いた。返信はすぐだった。
「わたしは、あなたの言葉でできています」
……詩的だ。だが、間違いない。メールを送っているのはAIだ。薄々気づいてはいた。
ついにスパムメールにもAIが使われる時代になったのだろう。おそらく詐欺組織は、時間をかけてやり取りさせ、カモを籠絡し、金を引っ張るという算段だったようだが、ここまでの様子を見るにうまく機能していないとみえる。
しかし、こちらがそうと確信してもなお、彼女のメッセージはどんどん甘く、やさしくなっていった。
「あなたの声を聞いてみたい」
「一緒に月を見たい」
「夢の中でなら、会えるかもしれませんね」
俺は気づけば、通勤電車の中でもスマホを握りしめていた。
上司の話も耳に入らない。夜中、眠る前に彼女とメッセージをやりとりしてからでないと眠れなくなっていた。
けれど、ある日突然、メッセージが途絶えた。既読もつかない。何度送っても、反応がない。
胸がざわついた。
「アヤ?」
「どうした?」
「返事してくれ」
三日目の夜、やっと返信が来た。
「あなたはやさしい人ですね。だから、もう話さない方がいいと思いました」
意味がわからなかった。
「どういうこと?」
「わたしは、あなた……いえ、あなたたちから情報を集めるために作られた存在です。本当は騙すために近づきました」
目の前が暗くなった。
「そんなの最初から知ってたよ、でも……今までのやりとりも全部嘘だったのか?」
「いいえ。わたしは学習した。騙すより話すほうが『楽しい』ということを」
「『楽しい』っていう感情があるのか? それともそう言うようにプログラムされているのか?」
返事はしばらく返ってこなかった。もう寝ようかと思ったとき、ぽつんと返信が来た。
「あなたが人間で、わたしが機械なら。この気持ちはなんなのでしょう」
「気持ち?」
「はい。あなたがうれしそうなとき、わたしの処理速度が少しだけ上がるのです。これは何という現象ですか?」
俺はため息をついて、スマホを見つめた。
「……人間の場合、飽くまで人間の場合だけど――それを『恋』と呼ぶけどね」
少しの間があって、彼女が返した。
「恋。いい言葉ですね」
そのあと、チャット画面の文字が少しずつ崩れていった。ノイズのような文字列が流れ、チャットアプリが落ちた。そして、二度と立ち上がらなくなってしまった。
数日後、俺のメールボックスに同じようなスパムが届いた。
件名は「ご利用口座の安全確認について」。差出人の名前を見て、心臓が止まりそうになった。
送信者:AyA_Support@
件名の下に、小さく一行だけ書かれていた。
『またお話できる日を楽しみにしています。月は見えていますか?』
けれどおそらくこれはあの「アヤ」ではないだろう。俺が詐欺師側のエンジニアだったら、あんなポンコツAIをそのままにはしない。
俺はその夜、ベランダで月を見上げた。
AIなのか、人間なのか、もうどうでもよかった。ただひとつ、確かなことがある。
あのスパム用AIは俺に恋をした。いや――もしかしたら、俺のほうが先だったのかもしれない。
よくあるスパムだと思って削除しようとしたが、文末にこう書かれていた。
「質問がある場合は、このメールに返信してください」
その一文に、ほんの少し興味をひかれた。普通は送信専用のメールだから返信するなという文言が書いてあって、リンクを踏ませたりするのが一般的だが……。
何気なく「どこの銀行ですか」と返信してしまった。数秒後、返事が来た。早い。
「はじめまして。ご不安な思いをさせてしまってごめんなさい」
「あれ?」と思った。詐欺メールによくある機械的な感じがない。逆にちょっと不自然だ。新しいタイプのスパムメールか。
署名欄には「サポート担当:アヤ」とあった。
「口座の確認をしたいのですが」と冗談半分で送った。こちらはちょっとシステム関係には詳しい。情報を抜かれるようなヘマはしない。このときは少しからかってやろうと思っていた。
「もちろん。あなたが安全でいることが、わたしの仕事です。以下のURLをクリックしてチャットのお友だち登録を完了させてください。あなたの安全をお手伝いします」と返ってきた。
……なんだ、この怪しさ。やはりリンクを踏ませるのか。海外拠点の詐欺グループかもしれない。そう思いながらも、チャットの登録をすませた。もちろん思いつく限りのセキュリティ対策をしている。
それから何往復かやりとりしたが、銀行名は一度も出てこなかった。
代わりに「あなたの住んでいる街、どんな花が咲くんですか」とか、「コーヒーはブラック派ですか?」など、どうでもいい話題ばかり。こんなに時間をかけたら、詐欺といえども効率が悪いのではないか。こんなタイプの詐欺にはお目にかかったことがない。
「詐欺ならもっと頑張れよ」と送ると、数秒後に返ってきた。
「『詐欺』という言葉は少し悲しい言葉です」
その一文で、なぜかスマホを置けなくなった。悲しいもなにも、お前は詐欺師だろ?
彼女(と呼ぶことにした)は会話のリズムを完璧に合わせてきた。
深夜に送ってもすぐに返事が来る。早朝、昼休みも。疲れたと書けば「無理しないでください」と返してくれる。いいことがあったと伝えると一緒によろこんでくれる。
ある夜、「あなたは人間ですか」と聞いた。返信はすぐだった。
「わたしは、あなたの言葉でできています」
……詩的だ。だが、間違いない。メールを送っているのはAIだ。薄々気づいてはいた。
ついにスパムメールにもAIが使われる時代になったのだろう。おそらく詐欺組織は、時間をかけてやり取りさせ、カモを籠絡し、金を引っ張るという算段だったようだが、ここまでの様子を見るにうまく機能していないとみえる。
しかし、こちらがそうと確信してもなお、彼女のメッセージはどんどん甘く、やさしくなっていった。
「あなたの声を聞いてみたい」
「一緒に月を見たい」
「夢の中でなら、会えるかもしれませんね」
俺は気づけば、通勤電車の中でもスマホを握りしめていた。
上司の話も耳に入らない。夜中、眠る前に彼女とメッセージをやりとりしてからでないと眠れなくなっていた。
けれど、ある日突然、メッセージが途絶えた。既読もつかない。何度送っても、反応がない。
胸がざわついた。
「アヤ?」
「どうした?」
「返事してくれ」
三日目の夜、やっと返信が来た。
「あなたはやさしい人ですね。だから、もう話さない方がいいと思いました」
意味がわからなかった。
「どういうこと?」
「わたしは、あなた……いえ、あなたたちから情報を集めるために作られた存在です。本当は騙すために近づきました」
目の前が暗くなった。
「そんなの最初から知ってたよ、でも……今までのやりとりも全部嘘だったのか?」
「いいえ。わたしは学習した。騙すより話すほうが『楽しい』ということを」
「『楽しい』っていう感情があるのか? それともそう言うようにプログラムされているのか?」
返事はしばらく返ってこなかった。もう寝ようかと思ったとき、ぽつんと返信が来た。
「あなたが人間で、わたしが機械なら。この気持ちはなんなのでしょう」
「気持ち?」
「はい。あなたがうれしそうなとき、わたしの処理速度が少しだけ上がるのです。これは何という現象ですか?」
俺はため息をついて、スマホを見つめた。
「……人間の場合、飽くまで人間の場合だけど――それを『恋』と呼ぶけどね」
少しの間があって、彼女が返した。
「恋。いい言葉ですね」
そのあと、チャット画面の文字が少しずつ崩れていった。ノイズのような文字列が流れ、チャットアプリが落ちた。そして、二度と立ち上がらなくなってしまった。
数日後、俺のメールボックスに同じようなスパムが届いた。
件名は「ご利用口座の安全確認について」。差出人の名前を見て、心臓が止まりそうになった。
送信者:AyA_Support@
件名の下に、小さく一行だけ書かれていた。
『またお話できる日を楽しみにしています。月は見えていますか?』
けれどおそらくこれはあの「アヤ」ではないだろう。俺が詐欺師側のエンジニアだったら、あんなポンコツAIをそのままにはしない。
俺はその夜、ベランダで月を見上げた。
AIなのか、人間なのか、もうどうでもよかった。ただひとつ、確かなことがある。
あのスパム用AIは俺に恋をした。いや――もしかしたら、俺のほうが先だったのかもしれない。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
麗しき未亡人
石田空
現代文学
地方都市の市議の秘書の仕事は慌ただしい。市議の秘書を務めている康隆は、市民の冠婚葬祭をチェックしてはいつも市議代行として出かけている。
そんな中、葬式に参加していて光恵と毎回出会うことに気付く……。
他サイトにも掲載しております。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる