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#514 午後三時のカラスたち
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午後三時、町のスピーカーがいつものチャイムを鳴らすと、カラスたちが電線から一斉に飛びおりた。
彼らは咳払いをして、黒い嘴をそろえて前へならえをした。
そして音もなく行進を始めた。
誰も理由を知らなかったが、誰もがぼんやりとそれを眺めていた。
人々は呆気にとられた表情のまま道をゆずり、ぺこりと会釈すらした。
カラスの行列は七羽で構成され、止まっても必ず先頭が右足から歩き出す。
そんな決まりがあるとしたら理由がよくわからないが、彼らにとっては絶対らしい。
その光景を誰もがただ眺めていた。なぜか「そういうものだ」と思えてしまうのだ。
私は仕事帰りで、コンビニ袋をぶらさげながら彼らの後方につい付いてしまった。
特にその行列に興味があったわけではない。ただ、流れに逆らうのは不自然だと感じたのだ。
カラスたちは交差点でぴたりと止まった。
信号はまだ赤で、先頭のカラスが翼を軽く持ち上げ「待て」という仕草を見せた。
周囲にいる人間の大人も子供も従った。
子供は「隊長はどのカラス?」と母親に尋ねたが、母親は「全員が隊長みたいなものなんだよ」と答えた。
その返答に合理性はなかったが、聞いた瞬間、すっと納得した。
信号が青に変わると、今度は全員が左足から歩き出した。
私は右足を出しそうになって慌てて合わせた。カラスの歩調に反することが、なぜか大きな失礼に思えた。
商店街の入口で、行列の三番目のカラスが突然くるりと振り向いた。
その眼差しは冷静で、どこか測量機のように精密だった。
私は叱られるのかと思い、少し姿勢を正した。
だがカラスは首をかしげ、私のコンビニ袋の中を透視するようにつぶらな目を細めた。
袋には私の夕食の焼きそばパンが入っている。次の瞬間、先頭のカラスが羽をぶわっとふくらませた。
そして行列全体がくるくる回りはじめた。
黒い渦が商店街の入口で立ちのぼり、人々が息をのむ。
私は焼きそばパンを供物のようにそっと掲げた。そうせざるを得ない謎の圧力があったからだ。
だがカラスたちは、焼きそばパンにはまったく興味を示さなかった。代わりに渦をさらに速め、ついには一羽ずつ紐のようにほどけていった。
七本の黒い紐が夜空へ伸び、音もなく消えた。
渦だけがしばらく回転していたが、やがて静かに止まった。
残されたのは、私の焼きそばパンだけだった。
周囲の人々は黙り込んだまま、何かが終わったという顔つきで散っていった。
私は袋の中をのぞいた。
焼きそばパンは――なぜか増えていた。しかも心なしか焼きそばが多い。そして店で買ったときより明らかにおいしそうだった。
「ありがとうございます」
私は空に向かって一礼する。
私はそれを食べるべきか迷ったが、なぜか今日は食べてはいけない気がした。そこで道端のベンチにそっと安置した。
次の瞬間、どこからともなく一羽の鳩が歩み寄り、パンをひとかじりする。すると鳩は急に発光し、足だけ高速で回転しはじめた。
「待ってくれ!」と叫ぶ暇もなく、鳩は回転したまま商店街の奥まで走り去った。
残ったのはパンの袋だけだった。焼きそばパンは鳩の高速回転により、散り散りに散乱していた。細かすぎてもはや粒子のレベルにまで粉砕されている。
仕方なく私は残ったコンビニの袋を拾い、ゴミ箱に捨てようとした。だがなぜか袋がふわりと浮き、ゴミ箱の縁でダンサーのように一回転して、私の肩にちょこんとのった。
私は肩を動かしてみたが、離れなかった。仕方なくそのまま袋をのせて家に帰った。
家に着くと袋は自宅のようにくつろぎはじめた。私がシャワーから出ると、袋は勝手にあちこち歩きまわっていた。足はないのに、テーブルの上もぺたぺた進む。
私はそっと近づき声をかけた。
「きみ、名前は?」
袋はぴたりと止まり、袋の表面にしわを一度だけ深く刻んだ。
それが返事だったらしい。名前は音には変換されないようだ。
次の日の午後三時、私は外へ出た。
あのカラスたちの行進は戻ってこなかった。だが肩には相変わらず袋が乗っていた。誰も私の肩の袋については触れなかった。当たり前のように扱われている。
どうやらこの町全体が、説明されないことを受け入れるようにできているらしい。
私は袋を指で軽く叩いた。袋は一度だけ跳ねた。それでコミュニケーションは十分だった。
午後三時のチャイムが鳴った。
袋は私の肩で、なぜか右足から歩き出す真似をした。私は一度立ち止まり、両足をそろえる。それから右足から歩き始めた。
理由はなかったが、そうしないといけない気がした。
彼らは咳払いをして、黒い嘴をそろえて前へならえをした。
そして音もなく行進を始めた。
誰も理由を知らなかったが、誰もがぼんやりとそれを眺めていた。
人々は呆気にとられた表情のまま道をゆずり、ぺこりと会釈すらした。
カラスの行列は七羽で構成され、止まっても必ず先頭が右足から歩き出す。
そんな決まりがあるとしたら理由がよくわからないが、彼らにとっては絶対らしい。
その光景を誰もがただ眺めていた。なぜか「そういうものだ」と思えてしまうのだ。
私は仕事帰りで、コンビニ袋をぶらさげながら彼らの後方につい付いてしまった。
特にその行列に興味があったわけではない。ただ、流れに逆らうのは不自然だと感じたのだ。
カラスたちは交差点でぴたりと止まった。
信号はまだ赤で、先頭のカラスが翼を軽く持ち上げ「待て」という仕草を見せた。
周囲にいる人間の大人も子供も従った。
子供は「隊長はどのカラス?」と母親に尋ねたが、母親は「全員が隊長みたいなものなんだよ」と答えた。
その返答に合理性はなかったが、聞いた瞬間、すっと納得した。
信号が青に変わると、今度は全員が左足から歩き出した。
私は右足を出しそうになって慌てて合わせた。カラスの歩調に反することが、なぜか大きな失礼に思えた。
商店街の入口で、行列の三番目のカラスが突然くるりと振り向いた。
その眼差しは冷静で、どこか測量機のように精密だった。
私は叱られるのかと思い、少し姿勢を正した。
だがカラスは首をかしげ、私のコンビニ袋の中を透視するようにつぶらな目を細めた。
袋には私の夕食の焼きそばパンが入っている。次の瞬間、先頭のカラスが羽をぶわっとふくらませた。
そして行列全体がくるくる回りはじめた。
黒い渦が商店街の入口で立ちのぼり、人々が息をのむ。
私は焼きそばパンを供物のようにそっと掲げた。そうせざるを得ない謎の圧力があったからだ。
だがカラスたちは、焼きそばパンにはまったく興味を示さなかった。代わりに渦をさらに速め、ついには一羽ずつ紐のようにほどけていった。
七本の黒い紐が夜空へ伸び、音もなく消えた。
渦だけがしばらく回転していたが、やがて静かに止まった。
残されたのは、私の焼きそばパンだけだった。
周囲の人々は黙り込んだまま、何かが終わったという顔つきで散っていった。
私は袋の中をのぞいた。
焼きそばパンは――なぜか増えていた。しかも心なしか焼きそばが多い。そして店で買ったときより明らかにおいしそうだった。
「ありがとうございます」
私は空に向かって一礼する。
私はそれを食べるべきか迷ったが、なぜか今日は食べてはいけない気がした。そこで道端のベンチにそっと安置した。
次の瞬間、どこからともなく一羽の鳩が歩み寄り、パンをひとかじりする。すると鳩は急に発光し、足だけ高速で回転しはじめた。
「待ってくれ!」と叫ぶ暇もなく、鳩は回転したまま商店街の奥まで走り去った。
残ったのはパンの袋だけだった。焼きそばパンは鳩の高速回転により、散り散りに散乱していた。細かすぎてもはや粒子のレベルにまで粉砕されている。
仕方なく私は残ったコンビニの袋を拾い、ゴミ箱に捨てようとした。だがなぜか袋がふわりと浮き、ゴミ箱の縁でダンサーのように一回転して、私の肩にちょこんとのった。
私は肩を動かしてみたが、離れなかった。仕方なくそのまま袋をのせて家に帰った。
家に着くと袋は自宅のようにくつろぎはじめた。私がシャワーから出ると、袋は勝手にあちこち歩きまわっていた。足はないのに、テーブルの上もぺたぺた進む。
私はそっと近づき声をかけた。
「きみ、名前は?」
袋はぴたりと止まり、袋の表面にしわを一度だけ深く刻んだ。
それが返事だったらしい。名前は音には変換されないようだ。
次の日の午後三時、私は外へ出た。
あのカラスたちの行進は戻ってこなかった。だが肩には相変わらず袋が乗っていた。誰も私の肩の袋については触れなかった。当たり前のように扱われている。
どうやらこの町全体が、説明されないことを受け入れるようにできているらしい。
私は袋を指で軽く叩いた。袋は一度だけ跳ねた。それでコミュニケーションは十分だった。
午後三時のチャイムが鳴った。
袋は私の肩で、なぜか右足から歩き出す真似をした。私は一度立ち止まり、両足をそろえる。それから右足から歩き始めた。
理由はなかったが、そうしないといけない気がした。
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