ちいさな物語屋

うらたきよひこ

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#517 黄金の配合

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古い家を相続したのは三か月前だった。

祖母の家で、子供のころに何度も遊びに来ていたはずなのに、妙に記憶と違っていた。

思っていたより大きくない。天井が低い。台所の窓から見える庭も小さく見えた。要するに自分の体の方が大きくなったのだ。

祖母とは電話ではよく話をしたものだが、遠方のためほとんどここに来る機会はなかった。

片付けに来たその夜、私は台所でお湯を沸かしていた。疲れたので手っ取り早くカップラーメンでも食べようと思っていたのだ。電気ケトルがぶくぶく音を立て始めた頃、急に背中がぞっとした。

空気が変わったのだ。温度が下がる、というのとは違う。誰かがすぐ後ろで息をひそめている気配。

「……あの、その、ちょっと聞きたいんだけど」

声がした。振り向くと、白い煙のようなものをまとった子供がふわりと浮かんでいた。

幽霊――としか言いようがない。

幽霊はもじもじと足(幽霊に足?)を動かしながら言った。

「黄金の配合、知らない?」

黄金の配合?

その言葉に聞き覚えはなかったが、幽霊は必死だった。

「この家に住んでたおばあちゃんがね、作るんだよ。黄金の配合。どうしても知りたくて、ずっと探してるんだよ」

「なんで幽霊が……?」

「幽霊だって、お腹すくときはすくんだよ」

「お腹がすく……ということは、『黄金の配合』って何かのレシピ?」

幽霊はふわりと台所の棚をすり抜けた。皿がかすかに揺れる。

「混ぜる順番が大事なんだって。順番を間違えると、味が死んじゃうからね。僕、味が死ぬのはちょっと嫌で」

私は思わず噴きだしそうになったが堪えた。「順番が大事」や「味が死んじゃう」は祖母がよく言っていた言い回しだった。まるで子供が親の言う事を真似しているようなかわいらしさがある。

「黄金の配合って……どんな食べ物なの?」

幽霊は首をかしげた。

「おばあちゃん、台所でよく僕に作ってくれたんだよ。あったかくて、ふわふわして……」

そのとき、ケトルが「カチッ」と止まった。

湯気がふわりと幽霊の身体をくぐり抜ける。幽霊はふわふわ浮きながら言った。

「混ぜるやつ、調味料とか、ごはんとかも。大事なのは順番と何を混ぜるかなんだ」

「それ、要するにレシピ全部じゃ……」

私は台所を見回した。棚に調味料、各種乾物、計量カップ、調理するための道具も一通りそろっている。祖母がよく使っていた古い木のボウルも。今では逆におしゃれに見える。

ボウルの中に紙切れがあるのに気づき、取り出して開くと、一行だけ文字が書かれていた。

『ごはん、かつお節、しょうゆ……』

後半は紙が傷んで読めなかった。幽霊がのぞき込む。

「それ! それがおばあちゃんのヒント!」

「でもこれ、最後の方が読めないけど」

幽霊は胸を張った。

「混ぜれば思い出すはずだよ。僕のお気に入り」

お気に入り? この材料で祖母が作りそうなもの……。

そのとき、ふわりと匂いの記憶がよみがえった。温かいご飯に、かつお節としょうゆを少しだけ。

そして、祖母が笑いながら言った言葉。

「猫まんまはね、ほんのちょっと甘いのがいいの。ちょっとよ、ちょっとだけ」

甘い……。

私は棚からそっとみりんを取り出した。

「これ、入れてみる?」

「あっ、それだよ! その瓶だよ! 早く、それで混ぜて、混ぜて。黄金の配合」

幽霊がぱあっと明るく光った。

「待って、待って。まず煮切りをしないと」

「にきり?」

「いいから、待ってて」

鍋をコンロにかけてほんのちょっとみりんを煮切る。電子レンジがあれば早いのだが、残念ながら、そんなものは置いてなかった。

木のボウルに炊き立てのごはんを盛り、かつお節をたっぷりとかけ、しょうゆをまわしかける。そしてみりん。木のスプーンでよく混ぜた。

その瞬間、台所の照明が金色に光った。白い煙のようなもやもやがサッと薄れて幽霊の身体がはっきりとした輪郭を帯びる。

ぴょんととがった耳、ふわふわのしっぽ。

私は息をのんだ。

「……猫?」

幽霊はしっぽを揺らした。

「うん。僕、猫だよ。おばあちゃんに拾われて、それからずっとここで暮らしてた」

「じゃあ黄金の配合って……」

「そう。たまにおばあちゃんが作ってくれた特別なやつ。僕の体にはよくないからって毎日は作ってくれなかったけど、最高においしかったんだ。あれを食べると、身体がほかほかして、世界がやわらかく見えたんだよ」

幽霊――いや、猫の幽霊はそっとボウルに近づいた。

金色に光る猫まんまに鼻を寄せる。

「これだよ。おばあちゃんの匂いだ」

柔らかな光が猫の身体を包んだ。

毛並みが光り、瞳が深く澄んでいく。

「ありがとう。これでまた、あの味を思い出せた」

「どこかへ行くの?」

猫は首を振った。

「まだどこにも行かないよ。また混ぜてくれたら、すぐ会えるよ」

光がふわりと舞い上がり、猫の身体が粒となって散っていった。

私はボウルを見つめながら思った。また混ぜよう。祖母が愛した味を、祖母の愛したあの子のために。
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