ちいさな物語屋

うらたきよひこ

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#113 満月の神渡し

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昔々のとある山深い村の話だ。この村には、古くからの掟があった。

「満月の夜、決して外へ出てはならぬ」

子どもも大人も、この掟を守るのが当たり前だった。理由を尋ねると、年寄りたちは口を揃えて言った。

「その夜は神が通る。もし鉢合わせすれば、二度と戻れぬ」

だが、どんな神なのか、どうして戻れなくなるのか、それを詳しく知る者はいなかった。ただ、昔からそう言われてきたのだから、守るのが当たり前だったのだ。

ところが、好奇心旺盛な少年、タケルだけは違った。

「ほんとうに神様が通るのか? それとも、大人たちが怖がらせてるだけなのか?」

そう思い続けていた彼は、ある満月の夜、とうとう好奇心に負けてしまった。

月が空に昇り、家々の灯りが消えたころ、タケルはそっと戸を開け、外へ出た。山道は静かで、木々の葉が風に揺れる音しか聞こえない。村の人々は皆、家の中にこもって静かにしている。まるで、村全体が息を潜めているようだった。

タケルは慎重に歩き始めた。

すると、突然——

「カラン……カラン……」

大きな鈴の音が響いた。

遠くから、ゆっくりと、確かに誰かが歩いてくる。

タケルはとっさに道の端へ身を隠した。胸が高鳴る。

月明かりの下、白い衣をまとった影が現れた。背はすらりと高く、顔は見えないが、全身から淡い光が滲み出ている。

「神様……?」

タケルは思わず息を呑んだ。その瞬間、影が立ち止まり、ゆっくりとこちらを向いた。

「——見たな」

声は男とも女ともつかぬ、不思議な響きだった。

タケルの体がすくんだ。足が動かない。

神は手をすっと伸ばした。

「来い」

ぞっとするほど美しい声だった。

タケルの意識がふっと遠のきそうになる。その手を取れば、どこか遠くへ連れて行かれるだろう。怖いというよりはそれも悪くないような気がしてくる。

——その時、突然、村の方から大きな鐘の音が響いた。

「ゴォォォォン……ゴォォォォン……!」

村の古い寺の鐘だ。

神の姿がかすかに揺らいだ。その隙に、タケルは体を震わせながら後ずさる。

「帰れ……」

そう言って、神はふっと消えた。まるで月光に溶けるように。

タケルはようやく足が動くようになり、必死で村へと駆け戻り、納屋の中で朝までぶるぶると震えていた。

翌朝、納屋の扉が大きな音を立ててあけられた。いつの間にか眠ってしまっていたタケルは驚いてそちらを見る。祖父が険しい顔でタケルを見ていた。

「お前、昨夜……外に出たな?」

タケルは驚いた。

「どうして……?」

祖父は深くため息をついた。

「あの鐘はな『神の足を止める』ためにあるんだよ。お前を呼び戻すために鳴らしたんだ。だがな、あれを鳴らすというのは、つまり――」

「……俺、神様に会った」

タケルがそう告げると、祖父は静かに頷いた。

「もう二度と、満月の夜に外へ出るな。もし次に会えば、今度こそ戻れんぞ」

その言葉とともに祖父の体が大きく揺らぐ。

「じいちゃん?」

「あの鐘を満月の夜に鳴らせば神の足が止まる。それが何を意味するのか。お前はこれから見なくちゃならん」

祖父の体は朝日の中に消えてしまった。次の瞬間、母屋の方でわあっと声があがる。タケルが駆け込むと、布団に横たわった祖父の顔に白に布がかけられるところだった。

タケルはわけがわからない。祖父はさっきまで納屋にいたのに。――死んでしまった?

「あんた、どこいってたんだ」

タケルの母が怒りのような悲しみのような複雑な表情で見下ろす。

それからしばらくの間、村では作物が実らなくなった。タケルの家は「鐘つきの家」と罵られ、作物がまた豊かに実ようになるまで村八分にされてしまったのだそうだ。
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