ちいさな物語屋

うらたきよひこ

文字の大きさ
127 / 526

#126 桜の散る夜

しおりを挟む
昔々、と言うほどではないが、今よりずっと昔の話だ。ある村のはずれに、大きな桜の木があった。

それは見事な一本桜で、春になると村中の者が見に行くほど美しかった。だが、不思議なことに、桜の散る夜にだけ、そこに娘が現れるという噂があった。

その娘は、白い着物をまとい、桜の花びらのように儚げな美しさをしているという。彼女を見た者は「何かを待っているようだった」と口々に語った。

村の若者の一人、庄吉(しょうきち)は、この噂に興味を持った。

「どうせ誰かのいたずらか、見間違いだろう」

そう思った庄吉は、満開の夜に桜のもとへと向かった。

月が冴え冴えと照らす中、庄吉は桜の木の下に立った。

花びらがはらはらと散るその下に、確かに娘がいた。それは噂に違わず、美しい娘だった。

白い着物が風に揺れ、結っていない長い黒髪が月光に照らされている。

だが、近くで見ると、娘の表情はどこか寂しげだった。

「こんな夜更けにこんな場所で何をしている?」

庄吉が声をかけると、娘はゆっくりと顔を上げた。大きな瞳がまっすぐに庄吉を見つめる。

「……人を待っています」

その声は、ひどくか細かった。

「人を?」

娘はふっと微笑んだ。

「少しお話ししませんか?」

庄吉は少し戸惑ったが、断る理由もなく、並んで桜を眺めた。

娘は静かに話し始めた。

「私は昔、この村にいた者です」

「それは……どういう意味だ?」

この娘は村人ではないことはわかっている。だから不思議がってみんな噂をするのだ。

「桜が咲き、桜が散る。そのたびに、私はここに戻ってきます。――でも、それも今年で最後です」

庄吉はぞくりと背筋が冷たくなった。

娘の足元をよく見ると、そこに影がなかった。月は皓皓と輝いている。夜とはいえ影がないのは不自然だ。

(この人は……本当に生きていないのか)

ふと風が吹いた。

ぶわっと桜の花びら舞う。その瞬間、庄吉は信じられない光景を見た。娘の体の向こう側がうっすらと見える。透けているのだ。体の中を花びらがはらはらと通り抜ける。

庄吉は思わず息を呑んだ。それはあまりに美しくはかなげな光景だった。

娘は自分が消えかけていることに気づいているのか、静かに桜を見上げ目を閉じる。

「この桜が散り終えると、私はもう二度とここには戻れません」

「……」

「最後に誰かと話したかった。あなたが来てくれて、本当にうれしい」

そう言って、娘はそっと手を伸ばした。

しかし、その手は庄吉に触れることなく、桜の花びらとともに風に溶けていく。

「……ありがとう」

最後に、娘は微笑んだ。そして、彼女の姿は夜の闇へと消えた。

次の日、庄吉は村の年寄りにこの話をした。すると、年寄りはこう語った。

「それは、昔ここで亡くなった娘だろうよ。許嫁(いいなずけ)を戦で失い、それを嘆いて桜の木の下で首をくくった」

だから、桜の散る夜にだけ現れ、その人を待っていたのかもしれない――。

それから庄吉は、毎年桜が咲くたびにその木を訪れた。しかし二度と娘の姿を見ることはできなかったという。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

麗しき未亡人

石田空
現代文学
地方都市の市議の秘書の仕事は慌ただしい。市議の秘書を務めている康隆は、市民の冠婚葬祭をチェックしてはいつも市議代行として出かけている。 そんな中、葬式に参加していて光恵と毎回出会うことに気付く……。 他サイトにも掲載しております。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

処理中です...