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#151 月の民宿
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月面の端っこで、私たち家族は小さな民宿を営んでいる。父と母と私、それからゲツメンシロウサギのミミちゃん。ミミちゃんの先祖は地球のウサギなんだけど遺伝子が組み換えられた人為的な新種なんだって。
ここの民宿にお客はほとんど来ない。地球人なんて、なおさらだ。こんなに近いのに地球の人はどうして月に遊びに来ないのだろう。
だから、その日突然呼び鈴が鳴ったときは、家族全員が驚いて飛び上がった。ミミちゃんは怯えて家具の後ろに走っていく。
「あの、予約はしていないんですが……」
ドアを開けると、そこには地球人の青年が立っていた。軽い荷物だけを持ち、月の砂で汚れた宇宙服のままだ。
「もちろん大丈夫ですよ」と、父が慌てて答える。
民宿には久しぶりの客が訪れ、家族はみんな浮き足立ってしまった。夕食には特別に月面野菜のシチューを用意し、私も精一杯接客した。
青年は物珍しそうに民宿を見回しながら尋ねた。
「あなた方は、本当にここで暮らしてるんですか?」
その質問は、私には意外だった。月面生活は私たちにとって当たり前のことであり、特別意識したことはないと思っていた。
「普通では考えられませんよ。月で生きるなんて。まぁ、僕のいる火星もそういいところとは言えませんけど」
「えっ。お兄さんは地球から来たんじゃないの?」
青年は驚いたように私を見た。
「地球から?」
そこへ母が割って入るように湯気の立つカップを持ってくる。
「さあさあ、お茶を淹れましたよ」
私はふと考え込んだ。そうだ、私たちは一体いつから月にいるんだろう? 火星の方が人間が多くいて住みやすそうだ。それに地球がこんなに近くにあるのに。
その夜、私は父に尋ねてみた。
「ねえ、お父さん。私たち、どうして月に住んでいるの?」
父は少し考えてから答えた。
「ここが好きだからだよ。それだけさ」
でも私はなんだか納得できなかった。
次の日も青年は私に問いかけた。
「きみは地球に行ってみたいと思わない?」
私は少し迷ってから「――行ってみたい」と、小さく答えた。実はずっと地球という未知の世界に憧れていたのだ。
「――だったら、一緒に行ってみよう。実は地球に用事があって月に立ち寄ったんだ」
青年のその言葉に、心が揺れた。
翌朝、青年が宿を出るとき、私は決心して家族に告げた。
「私、地球に行ってみたい」
父も母も微笑んで頷いたが、どこか寂しそうだった。
「――うん、地球を見ておいで」
父がやさしく私の背中を押した。
青年と共に地球へ向かう宇宙船の中、私は自分が生まれて初めて月から離れていくことに気づいた。父は数年に一度、火星に買い出しや用事を片付けに出かけるみたいだが、私は月を出たことがない。
地球に降り立ち、私はその光景に驚愕した。
そこはひどく荒れ果てた土地が広がっていたのだ。災害の後のようで、宿にあった地球図鑑の写真とはかけ離れた光景だった。青年は悲しげに告げた。
「きみたち家族はぎりぎりのところで、地球から離れたんだそうだ。これは本当に偶然のことで、きみたちは何も悪いことはしていないと思うよ。でもきみのお父さんは自分と自分の家族だけ地球を逃げ出したというような罪悪感を持っているみたいだった」
私は呆然と立ち尽くした。
「もうきみは物事がちゃんとわかる年だから、地球の現実を見せてあげてほしいって、そう僕に頼んできたよ。もしきみが望むなら、きみをこのまま火星に連れて行ってほしい、ともね。どうする?」
植物も動物も住めない、地平線まで赤く爛れたような地球の大地。宇宙服のゴーグルを通して見るその凄惨な光景にひどくショックを受けていた。きっと父もそうだったのだろう。
「私、月に帰る」
月面に戻ると、父が静かに言った。
「地球はね、もう人が住めなくなっちゃったんだ。戦争だよ。いや、あれは戦争ですらなかった。私が調査のため月面に出張になったその日、ある国がいきなり核爆弾を発射した。そのたったの一発であの有様さ。私はね、せめて地球のそばにいたかった。でもお前は好きなところへいっていいんだぞ」
私は静かにうなずいた。
「私も、地球のそばにいたい」
今日も月の民宿は静かだ。私たち家族はここで、空に浮かぶ青い地球を眺めながら暮らしている。
ここの民宿にお客はほとんど来ない。地球人なんて、なおさらだ。こんなに近いのに地球の人はどうして月に遊びに来ないのだろう。
だから、その日突然呼び鈴が鳴ったときは、家族全員が驚いて飛び上がった。ミミちゃんは怯えて家具の後ろに走っていく。
「あの、予約はしていないんですが……」
ドアを開けると、そこには地球人の青年が立っていた。軽い荷物だけを持ち、月の砂で汚れた宇宙服のままだ。
「もちろん大丈夫ですよ」と、父が慌てて答える。
民宿には久しぶりの客が訪れ、家族はみんな浮き足立ってしまった。夕食には特別に月面野菜のシチューを用意し、私も精一杯接客した。
青年は物珍しそうに民宿を見回しながら尋ねた。
「あなた方は、本当にここで暮らしてるんですか?」
その質問は、私には意外だった。月面生活は私たちにとって当たり前のことであり、特別意識したことはないと思っていた。
「普通では考えられませんよ。月で生きるなんて。まぁ、僕のいる火星もそういいところとは言えませんけど」
「えっ。お兄さんは地球から来たんじゃないの?」
青年は驚いたように私を見た。
「地球から?」
そこへ母が割って入るように湯気の立つカップを持ってくる。
「さあさあ、お茶を淹れましたよ」
私はふと考え込んだ。そうだ、私たちは一体いつから月にいるんだろう? 火星の方が人間が多くいて住みやすそうだ。それに地球がこんなに近くにあるのに。
その夜、私は父に尋ねてみた。
「ねえ、お父さん。私たち、どうして月に住んでいるの?」
父は少し考えてから答えた。
「ここが好きだからだよ。それだけさ」
でも私はなんだか納得できなかった。
次の日も青年は私に問いかけた。
「きみは地球に行ってみたいと思わない?」
私は少し迷ってから「――行ってみたい」と、小さく答えた。実はずっと地球という未知の世界に憧れていたのだ。
「――だったら、一緒に行ってみよう。実は地球に用事があって月に立ち寄ったんだ」
青年のその言葉に、心が揺れた。
翌朝、青年が宿を出るとき、私は決心して家族に告げた。
「私、地球に行ってみたい」
父も母も微笑んで頷いたが、どこか寂しそうだった。
「――うん、地球を見ておいで」
父がやさしく私の背中を押した。
青年と共に地球へ向かう宇宙船の中、私は自分が生まれて初めて月から離れていくことに気づいた。父は数年に一度、火星に買い出しや用事を片付けに出かけるみたいだが、私は月を出たことがない。
地球に降り立ち、私はその光景に驚愕した。
そこはひどく荒れ果てた土地が広がっていたのだ。災害の後のようで、宿にあった地球図鑑の写真とはかけ離れた光景だった。青年は悲しげに告げた。
「きみたち家族はぎりぎりのところで、地球から離れたんだそうだ。これは本当に偶然のことで、きみたちは何も悪いことはしていないと思うよ。でもきみのお父さんは自分と自分の家族だけ地球を逃げ出したというような罪悪感を持っているみたいだった」
私は呆然と立ち尽くした。
「もうきみは物事がちゃんとわかる年だから、地球の現実を見せてあげてほしいって、そう僕に頼んできたよ。もしきみが望むなら、きみをこのまま火星に連れて行ってほしい、ともね。どうする?」
植物も動物も住めない、地平線まで赤く爛れたような地球の大地。宇宙服のゴーグルを通して見るその凄惨な光景にひどくショックを受けていた。きっと父もそうだったのだろう。
「私、月に帰る」
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「地球はね、もう人が住めなくなっちゃったんだ。戦争だよ。いや、あれは戦争ですらなかった。私が調査のため月面に出張になったその日、ある国がいきなり核爆弾を発射した。そのたったの一発であの有様さ。私はね、せめて地球のそばにいたかった。でもお前は好きなところへいっていいんだぞ」
私は静かにうなずいた。
「私も、地球のそばにいたい」
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