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#214 見える
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「ねえ、私、幽霊が見えるんだよ」
そう言ったのは、友達の茉莉だった。
放課後の教室。西日が斜めに差し込み、机の影が長く床を這っていた。私は茉莉のその言葉に、何も言わずに頷いた。肯定でも、否定でもない、ただの曖昧な反応。
「廊下の突き当たり、非常階段のとこにさ、女の人がいたの。白い服で、こっち見てて……髪が、こう、顔にかかってて」
茉莉は得意げな口調で話す。目を見開き、指先で髪をなぞってみせた。
「怖かった……ほんとに、ゾワってしたの!」
私は「そうなんだ。怖いね」と、当たり障りのない感想をつぶやいた。
茉莉は不満そうな顔で言葉を重ねる。
「いいよね。見えない人は。私、毎日怖くて」
嘘ばっかり。茉莉には幽霊なんか見えてない。私は知っている。
だって――見えているのは、私の方なのだから。
幽霊は、日常の中にまぎれている。いや、幽霊と呼ばれるものなのかどうかも、正直、私にはわからない。
図書室の隅に顔のない生徒。階段の踊り場に、いつも同じ姿勢で立っている男。音楽室のカーテンの向こうに、時々揺れる女の白い手。毎日同じ時刻に屋上から飛び降りている男子生徒……。
私にとって、それはもう特別なことではなかった。もう、物心ついたころから、当たり前にそこにいた。普通の人と見分けがつかないこともある。でも、それを人に言ったことはほとんどない。
言えば、変な目で見られる。あるいは、否定される。もっと嫌なのは――幽霊に「この人には自分が見えている」と気づかれると、自分を見て欲しい、どんな目に遭ったのか知ってほしいと、どんどん集まってくるのだ。
――だから、本当に見えている人は、それを商売にでもしていない限り、自慢げに「見えている」なんて言わない。
茉莉は自分がどんなに危険なことをしているのか気づいていないのだ。
彼女が「ここにいる」と言った幽霊が、実際にはそこにいなかったこと。逆に、彼女のすぐ後ろにいるモノにまったく気づいていない。
「ねえ、さっきの話だけどさ」
次の日、廊下を歩いていた私に茉莉が声をかけてきた。
「やっぱ、あの人さ、なんか言いたげな感じで……たとえば、“私に気づいて”って」
茉莉は言葉を選びながら話す。時折ちらちらと私の顔をうかがう。
「やっぱり、見えてるでしょ? 私、霊感あるんだと思うんだよね」
私は歩みを止めずに、ふっと視線をずらした。
茉莉の後ろを、制服姿の女の子がぴったりとついている。顔がない。影もない。足音もない。私は見えていないふりをした。何日も前から、茉莉の背後にずっといる。
「……うん、すごいね」
私は口元だけで笑う。
茉莉が自分が幽霊が見えることにしたい理由は、なんとなくわかる。特別な力のように思っているのだろう。でも、それは違う。ただ見えるだけで、抵抗することもできず、追い払うこともできない場合は見えない方がいくぶんかましなのだ。
ある日、茉莉が言った。
「一緒に行かない? あの非常階段のとこ。最近、もっとはっきり見えるようになってきたの」
私は断る理由を見つけられず、ついて行った。
夕方、放課後の静かな校舎。人の気配は薄く、空気は湿っていた。
「ほら、ここ。前に女の人がいたとこ」
茉莉は自信たっぷりに指差した。だが、そこには何もいなかった。代わりに、彼女のすぐそば、黒い顔がはりついて、笑っているかのように揺れていた。
顔のない少女。……いや、違う、目があるべき部分だけが穴のように真っ黒になっている。その穴がじっと私を見ていた。見えていないふりには慣れていた。でも――
「……茉莉」
「なに?」
「その……後ろの、見えてる?」
「えっ、どこどこ? やだ、やっぱりいるの? 私が言った女の人じゃない?」
茉莉は興奮して訊く。
「あ、やっぱり。私も見える。今日もいるね」
茉莉は後ろにぴったりと張り付いている少女を無視して全然違う方向を指してる。少女はまた笑うように揺れはじめた。
誰かが、耳元で息を吐いた気がした。
――「嘘つきは火あぶり。嘘つきは火あぶり」
私はその場を離れ、逃げるように教室へ戻った。
「あ、ちょっと! 待ってよ」
茉莉が追いかけてくる気配がしたが、私は怖くて仕方なかった。私が見えていることに、気づかれてしまった。
「嘘つき」は茉莉のことではなく、見えていないふりをしていた私のことだ。なぜなら、彼女らにとっては「見える」というばればれの嘘よりも、見えていないのに「見えない」というふりをする嘘の方が悪質なのだ。「見える」人を一生懸命探して自分のことを訴えたいのに、見えていないふりをするなんて、たぶん一番腹が立つ。
その日から、茉莉とは少しずつ距離を取るようになった。後ろにいるモノが私を見てゆらゆらと揺れるからだ。
数日後。
教室で、茉莉が倒れた。突然、呼吸困難に陥ったという。
「誰かが首をつかんでいる」と言って、大きく咳き込んだ。冗談では済まないような苦しみ方で救急車が呼ばれ、大きな騒動になった。
そのときのことは近くにいた生徒たち全員が証言したが、近くには誰もいなかったのだという。茉莉の首には人の手のようにも見える赤いあざが残っており、茉莉の親は「いじめがあったのではないか」と、苦情を入れているという噂が流れたが、真相はわからない。
私は、空席になった茉莉の席を見つめた。
私は今も、この世のものではないモノが見える。でもけっして誰にも話さない。
結局茉莉は、学校に来なくなった。
ただ、今日も私は教室で、茉莉の席の背後に立つ“何か”を見ている。
それは、茉莉を探しているようだった。
そう言ったのは、友達の茉莉だった。
放課後の教室。西日が斜めに差し込み、机の影が長く床を這っていた。私は茉莉のその言葉に、何も言わずに頷いた。肯定でも、否定でもない、ただの曖昧な反応。
「廊下の突き当たり、非常階段のとこにさ、女の人がいたの。白い服で、こっち見てて……髪が、こう、顔にかかってて」
茉莉は得意げな口調で話す。目を見開き、指先で髪をなぞってみせた。
「怖かった……ほんとに、ゾワってしたの!」
私は「そうなんだ。怖いね」と、当たり障りのない感想をつぶやいた。
茉莉は不満そうな顔で言葉を重ねる。
「いいよね。見えない人は。私、毎日怖くて」
嘘ばっかり。茉莉には幽霊なんか見えてない。私は知っている。
だって――見えているのは、私の方なのだから。
幽霊は、日常の中にまぎれている。いや、幽霊と呼ばれるものなのかどうかも、正直、私にはわからない。
図書室の隅に顔のない生徒。階段の踊り場に、いつも同じ姿勢で立っている男。音楽室のカーテンの向こうに、時々揺れる女の白い手。毎日同じ時刻に屋上から飛び降りている男子生徒……。
私にとって、それはもう特別なことではなかった。もう、物心ついたころから、当たり前にそこにいた。普通の人と見分けがつかないこともある。でも、それを人に言ったことはほとんどない。
言えば、変な目で見られる。あるいは、否定される。もっと嫌なのは――幽霊に「この人には自分が見えている」と気づかれると、自分を見て欲しい、どんな目に遭ったのか知ってほしいと、どんどん集まってくるのだ。
――だから、本当に見えている人は、それを商売にでもしていない限り、自慢げに「見えている」なんて言わない。
茉莉は自分がどんなに危険なことをしているのか気づいていないのだ。
彼女が「ここにいる」と言った幽霊が、実際にはそこにいなかったこと。逆に、彼女のすぐ後ろにいるモノにまったく気づいていない。
「ねえ、さっきの話だけどさ」
次の日、廊下を歩いていた私に茉莉が声をかけてきた。
「やっぱ、あの人さ、なんか言いたげな感じで……たとえば、“私に気づいて”って」
茉莉は言葉を選びながら話す。時折ちらちらと私の顔をうかがう。
「やっぱり、見えてるでしょ? 私、霊感あるんだと思うんだよね」
私は歩みを止めずに、ふっと視線をずらした。
茉莉の後ろを、制服姿の女の子がぴったりとついている。顔がない。影もない。足音もない。私は見えていないふりをした。何日も前から、茉莉の背後にずっといる。
「……うん、すごいね」
私は口元だけで笑う。
茉莉が自分が幽霊が見えることにしたい理由は、なんとなくわかる。特別な力のように思っているのだろう。でも、それは違う。ただ見えるだけで、抵抗することもできず、追い払うこともできない場合は見えない方がいくぶんかましなのだ。
ある日、茉莉が言った。
「一緒に行かない? あの非常階段のとこ。最近、もっとはっきり見えるようになってきたの」
私は断る理由を見つけられず、ついて行った。
夕方、放課後の静かな校舎。人の気配は薄く、空気は湿っていた。
「ほら、ここ。前に女の人がいたとこ」
茉莉は自信たっぷりに指差した。だが、そこには何もいなかった。代わりに、彼女のすぐそば、黒い顔がはりついて、笑っているかのように揺れていた。
顔のない少女。……いや、違う、目があるべき部分だけが穴のように真っ黒になっている。その穴がじっと私を見ていた。見えていないふりには慣れていた。でも――
「……茉莉」
「なに?」
「その……後ろの、見えてる?」
「えっ、どこどこ? やだ、やっぱりいるの? 私が言った女の人じゃない?」
茉莉は興奮して訊く。
「あ、やっぱり。私も見える。今日もいるね」
茉莉は後ろにぴったりと張り付いている少女を無視して全然違う方向を指してる。少女はまた笑うように揺れはじめた。
誰かが、耳元で息を吐いた気がした。
――「嘘つきは火あぶり。嘘つきは火あぶり」
私はその場を離れ、逃げるように教室へ戻った。
「あ、ちょっと! 待ってよ」
茉莉が追いかけてくる気配がしたが、私は怖くて仕方なかった。私が見えていることに、気づかれてしまった。
「嘘つき」は茉莉のことではなく、見えていないふりをしていた私のことだ。なぜなら、彼女らにとっては「見える」というばればれの嘘よりも、見えていないのに「見えない」というふりをする嘘の方が悪質なのだ。「見える」人を一生懸命探して自分のことを訴えたいのに、見えていないふりをするなんて、たぶん一番腹が立つ。
その日から、茉莉とは少しずつ距離を取るようになった。後ろにいるモノが私を見てゆらゆらと揺れるからだ。
数日後。
教室で、茉莉が倒れた。突然、呼吸困難に陥ったという。
「誰かが首をつかんでいる」と言って、大きく咳き込んだ。冗談では済まないような苦しみ方で救急車が呼ばれ、大きな騒動になった。
そのときのことは近くにいた生徒たち全員が証言したが、近くには誰もいなかったのだという。茉莉の首には人の手のようにも見える赤いあざが残っており、茉莉の親は「いじめがあったのではないか」と、苦情を入れているという噂が流れたが、真相はわからない。
私は、空席になった茉莉の席を見つめた。
私は今も、この世のものではないモノが見える。でもけっして誰にも話さない。
結局茉莉は、学校に来なくなった。
ただ、今日も私は教室で、茉莉の席の背後に立つ“何か”を見ている。
それは、茉莉を探しているようだった。
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