244 / 526
#243 小石のバトン
しおりを挟む
それはただの、小石だった。
歩道に落ちた、丸く削られた白い小石。加工されたものであることは一目瞭然。どこかの敷地に敷き詰められていたものを、子どもが拾って遊んでいたのだろう。
通行人が意図せずそれを蹴飛ばし、転がった先は、都内の静かな住宅街の交差点近く。
そして、その小石に、最初に影響を受けたのは――大川陽太(おおかわようた)、七歳。
ランドセルがやけに重い帰り道。本当はダメだけど、公園で少し寄り道して、蟻の巣を観察して、さて帰ろうと歩き出したそのとき。
つま先が、その小石にひっかかった。
「うわっ」
転ぶほどではなかったが、体がよろめいて、いつの間にか留め金が外れてしまっていたランドセルの中身が、地面にばら撒かれてしまった。
「あー……」
その場にしゃがみこんだ陽太の前に、スーツ姿の女性が現れた。
「大丈夫? 足ひねったりしてない?」
そう言って手を差し伸べたのは、黒縁メガネをかけた背の高い女性――田中沙織、会社員。
彼女は今日、プレゼンに使うデータを家に置いてきたことに昼休みに気づき、急遽戻ってきたところだった。
イライラしていたが、目の前の小さな子どもが転びそうになった瞬間、体が勝手に動いていた。一緒にランドセルの中身を拾ってあげる。
「お姉さん、ありがとう!」
元気な声に沙織はふと心がほどけ、笑った。
その笑顔を見たのが、陽太の母。息子の帰りが遅いので、ちょうど迎えにきていた。
彼女は息子と女性が話しているのを見て、駆け寄った。
「ご親切に、どうもありがとうございます」
「いえいえ。怪我がないようで、よかったです」
その一言のあと、沙織は駅へ急いだ。
ホームを駆け上がったとき、電車はちょうど来たところだった。
実はそのタイミングは、陽太の小石がきっかけだった――と、彼女は知らない。
その電車の中から、沙織を見ていたのは、年配の男性――鈴木邦夫、七十歳。
彼はこれから病院に行く日だったが、実は迷っていた。検査結果を聞くのが怖くて、このまま散歩に行ってしまおうかと考えていたのだ。
けれど、ホームで見かけた「走ってくる沙織」の真剣な表情に、なぜか背を押された。
「ああ、一生懸命だなぁ。自分も、ちゃんと向き合わないと」
彼は病院に行き、検査の早期受診が功を奏し、軽度の病変で済んだ。治療には面倒な入院、通院が必要だが、これからも生きられる。
その帰り道、ホッとした表情で公園を歩いていたとき、見知らぬ若者がベンチにうなだれていた。
「……大丈夫かい?」
声をかけられたのは、大学生の石井翔太。
その日、ゼミの発表で大失敗し、逃げるように学校を抜け出していた。
「いいことないなって、思ってたところなんです」
邦夫の「あるある、そういうときもあるよ」という笑い話と、ミントの飴をくれた優しさに、翔太は思わず泣いた。
「がんばってるね」
一言が、沁みた。
それから翔太は少しずつ立ち直り、数週間後、ゼミの飲み会で「最近ちょっと元気になった」と言った。
その飲み会の帰り道、酔った友人がふらついて交差点に飛び出しそうになった。
咄嗟に手をつかんで引き戻す。
「危ねぇよ!」
笑いながら叱った彼の声に、その場にいた人が小さく拍手した。その中にいた一人の女性――佐久間理子は、偶然その瞬間をスマホで撮っていた。
後日、「危なかった! Iくん、大活躍!」と、一瞬の写真をSNSに投稿。
それが、地元の小さなニュースコーナー「今日の一瞬」に取り上げられた。
ほんの小さなことだったが、「最近、いい話がないと思ってたけど、こういうの見るとホッとするね」というコメントが多く寄せられた。
その投稿を見たひとりの人物が、久しぶりに石井翔太にLINEを送った。
「新聞見たよ。モザイクかかってたけど、あれ、石井くんでしょ? なんかすごいじゃん。最近元気?」
それがきっかけで、疎遠になっていた友人と再会することになる。
再会した二人は意気投合し親交を深めた。
大学を卒業し、就職し、仕事をしながら、今、二人でカフェを開こうと計画を立てている。
「ここに来ると、なんかほっとする」って言ってもらえるような店を作ろう。やがて小さなカフェはオープンして、近所の人々の憩いの場となった。
その店の入り口の小道には、丸く削られた白い小石が敷き詰められている。
「ひとつひとつは小さくても、ちゃんとつながって、誰かの力になれるように」
翔太がそう言って笑った。
きっかけの小石は、今も交差点の隅にひっそりと転がっているかもしれない。
誰もそれに気づかず、またつまずいて、
また、何かが始まるかもしれない。
小さなことが、誰かの大きな何かに変わる。そんな連鎖が、今日もどこかで続いている。
歩道に落ちた、丸く削られた白い小石。加工されたものであることは一目瞭然。どこかの敷地に敷き詰められていたものを、子どもが拾って遊んでいたのだろう。
通行人が意図せずそれを蹴飛ばし、転がった先は、都内の静かな住宅街の交差点近く。
そして、その小石に、最初に影響を受けたのは――大川陽太(おおかわようた)、七歳。
ランドセルがやけに重い帰り道。本当はダメだけど、公園で少し寄り道して、蟻の巣を観察して、さて帰ろうと歩き出したそのとき。
つま先が、その小石にひっかかった。
「うわっ」
転ぶほどではなかったが、体がよろめいて、いつの間にか留め金が外れてしまっていたランドセルの中身が、地面にばら撒かれてしまった。
「あー……」
その場にしゃがみこんだ陽太の前に、スーツ姿の女性が現れた。
「大丈夫? 足ひねったりしてない?」
そう言って手を差し伸べたのは、黒縁メガネをかけた背の高い女性――田中沙織、会社員。
彼女は今日、プレゼンに使うデータを家に置いてきたことに昼休みに気づき、急遽戻ってきたところだった。
イライラしていたが、目の前の小さな子どもが転びそうになった瞬間、体が勝手に動いていた。一緒にランドセルの中身を拾ってあげる。
「お姉さん、ありがとう!」
元気な声に沙織はふと心がほどけ、笑った。
その笑顔を見たのが、陽太の母。息子の帰りが遅いので、ちょうど迎えにきていた。
彼女は息子と女性が話しているのを見て、駆け寄った。
「ご親切に、どうもありがとうございます」
「いえいえ。怪我がないようで、よかったです」
その一言のあと、沙織は駅へ急いだ。
ホームを駆け上がったとき、電車はちょうど来たところだった。
実はそのタイミングは、陽太の小石がきっかけだった――と、彼女は知らない。
その電車の中から、沙織を見ていたのは、年配の男性――鈴木邦夫、七十歳。
彼はこれから病院に行く日だったが、実は迷っていた。検査結果を聞くのが怖くて、このまま散歩に行ってしまおうかと考えていたのだ。
けれど、ホームで見かけた「走ってくる沙織」の真剣な表情に、なぜか背を押された。
「ああ、一生懸命だなぁ。自分も、ちゃんと向き合わないと」
彼は病院に行き、検査の早期受診が功を奏し、軽度の病変で済んだ。治療には面倒な入院、通院が必要だが、これからも生きられる。
その帰り道、ホッとした表情で公園を歩いていたとき、見知らぬ若者がベンチにうなだれていた。
「……大丈夫かい?」
声をかけられたのは、大学生の石井翔太。
その日、ゼミの発表で大失敗し、逃げるように学校を抜け出していた。
「いいことないなって、思ってたところなんです」
邦夫の「あるある、そういうときもあるよ」という笑い話と、ミントの飴をくれた優しさに、翔太は思わず泣いた。
「がんばってるね」
一言が、沁みた。
それから翔太は少しずつ立ち直り、数週間後、ゼミの飲み会で「最近ちょっと元気になった」と言った。
その飲み会の帰り道、酔った友人がふらついて交差点に飛び出しそうになった。
咄嗟に手をつかんで引き戻す。
「危ねぇよ!」
笑いながら叱った彼の声に、その場にいた人が小さく拍手した。その中にいた一人の女性――佐久間理子は、偶然その瞬間をスマホで撮っていた。
後日、「危なかった! Iくん、大活躍!」と、一瞬の写真をSNSに投稿。
それが、地元の小さなニュースコーナー「今日の一瞬」に取り上げられた。
ほんの小さなことだったが、「最近、いい話がないと思ってたけど、こういうの見るとホッとするね」というコメントが多く寄せられた。
その投稿を見たひとりの人物が、久しぶりに石井翔太にLINEを送った。
「新聞見たよ。モザイクかかってたけど、あれ、石井くんでしょ? なんかすごいじゃん。最近元気?」
それがきっかけで、疎遠になっていた友人と再会することになる。
再会した二人は意気投合し親交を深めた。
大学を卒業し、就職し、仕事をしながら、今、二人でカフェを開こうと計画を立てている。
「ここに来ると、なんかほっとする」って言ってもらえるような店を作ろう。やがて小さなカフェはオープンして、近所の人々の憩いの場となった。
その店の入り口の小道には、丸く削られた白い小石が敷き詰められている。
「ひとつひとつは小さくても、ちゃんとつながって、誰かの力になれるように」
翔太がそう言って笑った。
きっかけの小石は、今も交差点の隅にひっそりと転がっているかもしれない。
誰もそれに気づかず、またつまずいて、
また、何かが始まるかもしれない。
小さなことが、誰かの大きな何かに変わる。そんな連鎖が、今日もどこかで続いている。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
麗しき未亡人
石田空
現代文学
地方都市の市議の秘書の仕事は慌ただしい。市議の秘書を務めている康隆は、市民の冠婚葬祭をチェックしてはいつも市議代行として出かけている。
そんな中、葬式に参加していて光恵と毎回出会うことに気付く……。
他サイトにも掲載しております。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる