ちいさな物語屋

うらたきよひこ

文字の大きさ
311 / 526

#310 日記の中の声

しおりを挟む
休日の午後、僕は人気のない公園を散歩していた。

公園の隅にある古びたベンチに腰を下ろそうとしたその時、視界の端に赤い革表紙の日記が入ってきた。その日記には、飾りもタイトルもなく、ただ中央に黒い字で『開くな』と書かれている。

「開くなって書かれると、余計に開きたくなるよな」

カリギュラ効果ってやつだ。好奇心が勝り、僕はそっとその日記を拾い上げ、ページをめくった。

最初の数ページはただの文字の羅列だった。

「なんだ? これ?」

意味を持たない暗号か、もしくは誰かのいたずら書きだろうと思い、ページをさらに進めた。

だが最後のページをめくった途端、背筋に奇妙な感覚が走った。

『やっと気づいてくれた』

まるで日記そのものから響いてくるかのような、囁く声。

驚いて周囲を見渡したが、公園には人影ひとつない。

心臓が早鐘を打ち始める。

幻聴か? 

いや、それにしてはあまりにも鮮明だった。

『頼む、僕を助けてくれ』

その声は再び響いた。僕は震える手で日記を閉じ、ベンチに置いて立ち去ろうとした。
――だが、身体は動かなかった。

『行かないで。君しかいないんだ』

声には悲痛さが滲んでいる。

「君は誰だ?」

僕は声に出して尋ねた。馬鹿げているとは分かっていたが、黙っていることができなかった。

『僕は、この日記の持ち主だった。でも、今はこの中に閉じ込められている』

その声は静かで、どこか哀しげだった。

「閉じ込められているって、どういうことだ?」

『日記を書くたびに、自分の感情が日記に吸い取られてしまったんだ。最初は何も変わらなかった。でも気づいたときにはすでに、僕自身がこの日記に囚われてしまったんだ』

声は、ひどく疲れているように感じられた。

僕は混乱しつつも好奇心を抑えきれず尋ねた。

「それで、どうやって君を助ければいいんだ?」

『君がこの日記に、何かを書き込めば、僕は解放される』

僕はためらった。

本当にそんなことが起こるのか? これは罠ではないのか?

それでも、あまりに切実なその声を無視することはできなかった。

僕は日記を開き、最初の空白のページにペンを走らせた。

『君は自由になる』

その瞬間、指先から身体全体に不思議な感覚が広がった。それと同時に、僕の頭の中には知らない記憶が流れ込んできた。それは見知らぬ男が過ごした人生の一部だった。まさに他人の日記の中に飛び込んだような感覚だ。

日記から声が再び響いた。

『ありがとう。でも、ごめん。さっきも言ったけど、この日記に文字を書いた者が、この日記に囚われることになっているんだ』

「えっ?」

気がつくと、僕の視界は狭まり、手足の感覚がなくなっていく。身体が抗いがたい強い力で、どこかへ吸い込まれていくような感覚がした。

目を開けると、僕はもう、どこか別の空間にいた。
 
狭く閉じられた場所だった。暗闇の中にぼんやりと光る文字が浮かんでいる。

『君は自由になる』

僕が書いた言葉だった。

ここからどれだけ叫んでも、誰にも届かない。僕は完全に日記の中に閉じ込められてしまったのだ。

外の世界では、元の日記の持ち主が僕の身体を借りて、ゆっくりと立ち上がっていた。

「悪いね。でも、これが唯一の方法だったんだ」

そう言って彼は、再び赤い日記をベンチの上に置いて立ち去った。

僕は絶望しながら、暗闇の中で祈った。いつか誰かがまた、この日記を手に取り、ページをめくってくれることを。

『開くな』

今になってようやく、それが罠だったことに気づいた。だが、それはもう手遅れだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

麗しき未亡人

石田空
現代文学
地方都市の市議の秘書の仕事は慌ただしい。市議の秘書を務めている康隆は、市民の冠婚葬祭をチェックしてはいつも市議代行として出かけている。 そんな中、葬式に参加していて光恵と毎回出会うことに気付く……。 他サイトにも掲載しております。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...