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眼鏡は眼鏡

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「ま、眼鏡は眼鏡なんですが・・・」
まだ他の職員は来ておらず、俺も作業用のエプロンを着けて仕事にかからねばならない。まずは巻き寿司用に胡瓜の皮を剥き、縦長に切る。バイトに入った頃は胡瓜がズタズタの不規則な切れ端になってしまい、痩せた初老の婦人職員に「これじゃあ使いもんにならん。あんたが切ったのかね。ちょっとこっちで練習してみんかね」と三〇分ほど特訓をさせられた。「ホンマ、初めにやっとかんと、いくら言うてもできるようにならんからねえ」などと俺に聴かせるのと独白とが混じり合ったような台詞をこぼしながらの指導だったが、今朝の眼鏡はもちろんその婦人のものではない。もともと家で作る料理は目玉焼き、スクランブルエッグ、インスタントラーメン程度だった俺だけれど、特訓でそこそこきれいに切れるようになり、翌日事業所の若い所長が「この胡瓜、誰が切ったの?」と聞くから「あ、僕ですが」と答えたら、「きれいに切れてる。物凄く使いやすかった」と激賞された。もっともそれより前に女子高生のバイトのもたもたした仕事ぶりに対しても「おお!君らもやるねえ!」などとおだてる所長を見ているので褒め言葉を真に受けぬ用意はできていた。
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