日常

ハセベマサカズ

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日常 ①

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 塾帰り、外灯も少ない線路沿いの道路に自転車を走らせる。しかし、これもやむない事。恨むべきは自分の忍耐力と頭の出来か。とは言え本気を出してないだけ、じゃないとも思う。多分、これが自分の本気と限界なんだろう。
 大人に近付くにつれだんだん自分というものが理解できてくる。大した努力も見せずに一定の成績を維持してる同級の奴らを見れば思い知らされる。せめてその狭い幅の中でも上の方にいられるくらいの努力は必要なんだろう。今やっているのはそれだ。母親に「ごめん」とつぶやいた。

 高校入学2年目に、僕は入りたくもない進学塾に入れさせられた。まあ、学力の結果を見ればやむを得ないところではあるが。多少無理をして入った高校だったが、学校について行けるかを心配した親の判断だ。
 まだ、心配されているうちが花と言うか。見放されてない証拠であろう。これも親なりの子供への愛情と受け止めよう。

 それでも寝静まった風景は自分だけのものみたいで少し気分が良い。梅雨入りしたとニュースでは聞いたが、今日は雨の気配もなく顔に当たる風が心地よい。傍らに延びる線路が家路を案内してくれているようで妙な安心感もあった。先の分かる安心。終着までは、きっと波乱も冒険もなくどこまでも見渡せる平坦な風景。退屈に守られた状況は自分の将来にも重なって見えた。きっと卒業したら就職して、それなりに結婚もして。今の生活さえもその先のそこそこの幸せへの担保にも思える。

 凡人には凡人なりの幸せというものがある。教えてくれたのは柚木佳菜という同級生だった。
 僕は小さな頃から絵が得意で、図工の先生にも良く褒めて貰っていたものだった。そんな自分が誇らしくて、特技を生かせる将来なんかを自分も周りも期待していた。中学に上がり美術部で柚木に会うまでは。
 柚木の描いた絵を見て天才というものを思い知った。自分と同じ年齢なのに、この差は何なのだろう、と。どんな絵の習い方をして、どんな風な世界の見方をしたら、こんな風に描けるんだろう。叩きつけるような色には規則性はなく、普段見る色とは全く違う色で塗られてる。光さえも色彩を持って表現されてる。絵の具の下に残る無数のデッサンの線は未完成とも思えるけども、絵の持つ圧倒的な凄さみたいなものを一瞬にして思い知らせた。瞬間で嫉妬以上の憧れを抱いた。
 絵の正確さだけで言えば自分の絵の方が上だろう。だけど見た人の目を釘付けにするのは明らかに柚木の絵だった。自分には模写は出来るけど、正直、書きたいと言える気持ちはそれ程にはなかった。僕のように、出来るから、褒められるから描いてるんじゃない。柚木には描きたいものがあって、描きたいから描いてるんだ。こういう人しかいてはいけない世界のように子供ながらも感じてから、僕はなんとなく絵を描くことから離れていって美術部も辞めていた。

 線路沿いの道は続く。先の見えない道を往復してたとしたら、もっと危機感を持ててただろうか。
「まあ、何とかなるよな」と、そんな一人ごとをつぶやいた。少し気分も良くなり自転車の速度を落とした。道路と線路を挟むフェンスを、更に取り囲むように雑草が背を伸ばす。鼻を衝く夏草の匂いさえ不快に思わなかった。

 夜の風景は好きだ。静かで人通りもないけど、時々遠くで車の音がして心地よい距離で孤独でないと教えてくれる。安心感に心がざわつく。何となく大声をあげてしまいたくなるくらいに。誰もが眠りにつけるのは夜が冷たいように見えて暖かいせいだ。誰にも干渉されない自分だけの時間に思えた。
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