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ウリカリス王国の邪神 ②

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毎朝のルーチンワークは寸分も違うことなく親の代から引き継がれている。
森に入って親指大の赤い実を入手する。
その実はこの森の奥の沼地にだけに生息し、どの季節も変わらぬ姿を見せる。
この実は芽が出ることはなく、また枯れることもない。
この実を採取する動物さえいない。
ただ静かに緩やかに着実に増えている。
いつかは花が咲く実なのかも知れない。
だけど、その花を見たものはいないし、どんな葉を付けるのかも誰も知らない。
言い伝えでは1000年に一度の満月の夜にその見ることが出来るらしい。
おそらく僕の代では叶わないだろう。僕の仕事と一緒だ。

自作の厚手の手袋とゴーグルをつけてもぎ取った身を麻袋に詰める。
扱いを間違えると大事故になりかねない厄介者だ。
実自体も危険だが、沼を覆うようにツルが伸びているため
足の踏み場を間違えれば命を落とし兼ねない。
どんな時も決まった場所しか歩かない。
今日も昨日と同じ足跡を重ねるように一歩ずつ慎重に進む。
麻袋が半分ほど埋まった頃に来た道を引き返す。
森の奥ではあるけれど、この実のお蔭で魔物や野生動物にも出くわすことはない。
ある意味、安全な場所ともいえる。
ゆっくりと慎重に沼地を抜けると急ぎ早に自宅の作業場に向かう。
壺に集めた実をワインを入れ日付を描いて棚に並べる。
作業中も手袋とゴーグルは外せないため細かな作業は慣れが必要だ。
新しい壺はいちばん古い壺と交換して保管される。
壺はいつも36日分が、ここに置かれることになる。
古い壺から中の上澄みを捨てて、沈殿物を大きな瓶に移す。
この集められた沈殿物を、年単位で上澄みを捨てながら濃度を上げて行く。
こうして父と僕は引き継ぎながら毒を作り続けている。

日中はブドウ畑の手入れをして過ごす。これが僕の生業だ。
祖先から受け継いだ広大な土地のおかげで毎日食べて行けている。
また、広大な敷地のお蔭で作業場を生活から離れた場所に作る事も出来たのだが。
祖先は名の通った魔導士だったらしい。
だから僕の家系は知っているのだ。あの邪神の正体を。
あの邪神の正体は禁呪のなれの果てだ。
ゴーレムを操る人形使いと言う術がある。
これは基本的に操れる力と術者の距離が比例する。
動かす人形の傍にいるほど大きなものを、またより自在に操れる訳だ。
ならば術者と人形を一体化してしまえば比類なき力になる。
単純ではあるが人の道理には反している。

心のない無機物と融合すれば、それだけ思考も薄まっていく。
おそらく多少の知能はあっても知性すら失っているだろう。
邪神の姿は人よりも大きいと聞く。
それだけのものを動かせるとは、かなりの術者であったんだろう。
自らを犠牲にしても、そこまでする原動力はなんだったんだろう。
国や家族のためか。
もしくは、国をまとめれば平和になるなんて無茶な夢を抱いたのかも知れない。
あそこの王国は決して愚かな国ではない。
聞く話だと国の中から最も優秀な人間を王に置いているのだとか。
初めて聞いた時は荒唐無稽で馬鹿げた話と思ったりもしたが、
よくよく考えてみるとかなり合理的で先進的だ。
そんな理性的な国で禁呪を侵すとは、生半な覚悟ではないだろう。
だが、半分が生身の人間なら毒は効く。
どんなに屈強であろうが免れることは出来ない。
ただ、その分には強力な猛毒が必要になるのだが。

仕事を終えて母との夕食を過ごす。
僕の人生で唯一の楽しい時間なのかも知れない。
父は僕がまだ小さい頃に亡くなった。
原因は父の体に蓄積した毒だったと言う。
きっと僕も父と同じ人生を辿るだろう。
ベッドに横になれば、また同じ朝がやってくる。
抜けられない反復した毎日。
父と僕の人生を代償に世界は何か変わることがあるだろうか。
もう考えることも無くなったが感情の残り香が脳裏をかすめることがある。
朝になると森に出かける。一歩一歩が死につながる慎重な道のりだ。
その後の作業だって同じことだ。間違いは出来ない。
今日も無心になって実を拾う。
深紅の輝きはまるで鮮血のようだ。
小鳥のさえずりすら聞こえない時間の止まった世界。
いつかこの毒を託せる人が現れるかも知れない。
それだけが僕の希望だ。
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