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クォ・ヴァディス

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 駅で妻を待っていた。

 ふと懐かしい香水の匂いがして、僕は反射的に振り返った。
 おそらく、今すれ違った女性からだ。

「あの、すみません」
 思わず追いかけ、気付けばその手を掴んでいた。
 振り向いた女性は、知らない顔だった。

「どうかされましたか?」
「あ……いえ、知人に似ていたものですから」

 急に声をかけられたというのに、女性は嫌な顔一つせず、にこやかに微笑んでいた。
 では、と会釈をして行こうとする彼女。僕は何か言わなくてはと思い、必死に言葉を探した。

「どこへ、行かれるのですか?」
「南の方へ。暖かいところが好きなんです。あなたは?」
「北です、特にあてもなく。……新婚旅行なんです」
「そうですか、お幸せに」

 女性は丁寧にお辞儀をすると、僕たちとは逆方向へと歩いていった。


「どうしたの、あなた」
 聞き慣れた声がした。
 振り向くと、いつもと変わらない笑顔の彼女がそこにいた。

「いや、何でもない。昔の知り合いにね、似た人がいたんだ」
 僕はさりげなく袖を口元に寄せ、移り香がしないかを確かめた。




  おしまい。
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