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3 荒木舞が選んだ道
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寺田遥斗(てらだ はると)と別れ、荒木舞(あらき まい)は自室アパートのドアを開ける。当然、両親は留守だ。
ルームウエアの着替え、キッチンに立つ。炊飯器は保温になっていた。
「野菜炒め作ればいいや」
舞は独り言をつぶやきながら、カット野菜を冷蔵庫から引っぱり出した。フライパンで野菜を炒め、焼き鳥の缶詰とさっと混ぜる。母の沙耶(さや)から教わった簡単レシピだ。
皿に盛りつけてご飯をよそい、舞はぼっちの夕食を食べ始めた。
「あ、炒め方、足りなかった」
火の通りが悪いキャベツをザクザクかみ砕き、のみ込んだ。母は橋本紬の夕食にその腕をふるっているはずで。
「なんでかな!」
舞は吐き出す。実の子供が生焼け野菜をかじっているというのに。他人のために母は腕をふるう。納得がいかない、いかないけれど、全て我慢するしかないのだ。
クチナシ市で生きるとはそういうことなのだ。子どもだからといって掟を破ることは許されない。クチナシ市は運命共同体で、明文化されることのないその規律の範囲内で行動することが、クチナシ市で生きる絶対条件だ。
「お母さんは今、何を作っているんだろう?」
ポツリともらしたが、舞は頭を振った。子供階級社会のてっぺんを自ら下りたのだ。舞は今後の自分の立ち位置を考え始めていた。
てっぺんを譲ることは、敗北ではないはずだ。一番賢いポジションを取りにいかねばならぬ。弱みを見せれば、子供階級社会の餌食になるだけだ。
野菜炒めとご飯を食べ終わり、食器を洗うと、舞は狭い子供部屋に移動した。勉強机とベッドがギチギチなんとか収まるだけの広さしかない。窮屈であまり好きではない部屋の中で、舞は決心した。勉強だけは、てっぺんを取ろう。成績は、人間関係が影響しない。クチナシ市の掟が不可侵の「聖域」だ。
成績で、優位を保ち続けることは、子供階級社会と別系統の力を持つ選択になるはずだ。と舞は考えた。
クチナシ市の子供として生き抜くためのそれは生存戦略。
舞は真剣に教科書と向き合い始めた。塾も行かず独りぼっちの自習だが、舞は決心を固めた。少なくとも成績では負けない。掟の外に力を持つのだ。しかし――
「うーん、何もわからない……」
広げた算数の教科書を前にぼやいたが、あきらめる。舞は去年の教科書を引き出しから引っぱり出した。わかるところからやっていこう、ノートを広げ鉛筆を走らせ始める。一年前の内容がわからなければ、二年前の教科書もやり直すのだ。
舞は成績を上げることが、今は大事なのだ、と自らに言い聞かせ鉛筆を走らせた・
荒木沙耶(舞の母)が食卓テーブルの上に煮物と味噌汁、小鉢を用意した。
「紬さん、どうぞ」
「荒木さん、ありがとうございます。いただきます」
紬の夕食時間だ。沙耶は食べている紬に尋ねた。
「お母さん、遅いですね」
「いつものことです。慣れています」
紬は言葉を継いでいく。
「工場長は『管理職』だから決まった時間に帰ってこない、と言われていますから」
ごく普通のことだと紬は答えたが、沙耶は改めて身を引き締めた。
そう、この子は工場長の娘なのだ、と。クチナシ市の経済の中枢を担う七瀬産業クチナシ工場のトップの子供なのだ。
この子の意識がどうであれ、親である工場長の機嫌を損ねるわけにいかないのだ。自分だけで済む問題ではない。工場長を怒らせたら、一家族まるごと簡単に追い出される。
にしても、沙耶には、及川静香がわざわざ地方に子供を帯同させることが理解しがたかった。エリートにはエリートの教育方法があるとよくきくではないか。
「クチナシ市に転校する前は、紬さんはどこに通っていたんですか?」
「海王学園です」
紬が答えたその名称に、沙耶は言葉を失った。あの難関といわれる有名私立校に通っていたのか? 海王学園から地方の公立に転校させる意味が、沙耶には全く理解できない。
「転校は嫌でなかったのですか?」
沙耶は聞かずにはいられなかった。紬は煮物を飲みこむと答えた。
「楽しみでした。仲良かったお友達と別れるのは寂しかったけれど」
「楽しみだった?」
「はい、お母さんも新しいお友達作ったらいいねって。実際、楽しいです」
紬の言葉に嘘を感じることはできなかった。沙耶は、それは当然だろう、と心の中で思う。紬をいじめることはクチナシ市内では絶対発生しない、発生させてはならない事案であるのだから。
沙耶が帰宅すると、いつもゲームに夢中になっている舞の姿がなかった。
「舞?」
呼びながら、そっと子供部屋を開けて沙耶は驚いた。舞が教科書を広げた状態で、机に突っ伏して寝ていたからだ。
沙耶は直観した。子供たちの中も動きだしたのだ。間違いなく、その発端は、及川静香であり、彼女の娘の橋本紬なのだ。
(つづく)
ルームウエアの着替え、キッチンに立つ。炊飯器は保温になっていた。
「野菜炒め作ればいいや」
舞は独り言をつぶやきながら、カット野菜を冷蔵庫から引っぱり出した。フライパンで野菜を炒め、焼き鳥の缶詰とさっと混ぜる。母の沙耶(さや)から教わった簡単レシピだ。
皿に盛りつけてご飯をよそい、舞はぼっちの夕食を食べ始めた。
「あ、炒め方、足りなかった」
火の通りが悪いキャベツをザクザクかみ砕き、のみ込んだ。母は橋本紬の夕食にその腕をふるっているはずで。
「なんでかな!」
舞は吐き出す。実の子供が生焼け野菜をかじっているというのに。他人のために母は腕をふるう。納得がいかない、いかないけれど、全て我慢するしかないのだ。
クチナシ市で生きるとはそういうことなのだ。子どもだからといって掟を破ることは許されない。クチナシ市は運命共同体で、明文化されることのないその規律の範囲内で行動することが、クチナシ市で生きる絶対条件だ。
「お母さんは今、何を作っているんだろう?」
ポツリともらしたが、舞は頭を振った。子供階級社会のてっぺんを自ら下りたのだ。舞は今後の自分の立ち位置を考え始めていた。
てっぺんを譲ることは、敗北ではないはずだ。一番賢いポジションを取りにいかねばならぬ。弱みを見せれば、子供階級社会の餌食になるだけだ。
野菜炒めとご飯を食べ終わり、食器を洗うと、舞は狭い子供部屋に移動した。勉強机とベッドがギチギチなんとか収まるだけの広さしかない。窮屈であまり好きではない部屋の中で、舞は決心した。勉強だけは、てっぺんを取ろう。成績は、人間関係が影響しない。クチナシ市の掟が不可侵の「聖域」だ。
成績で、優位を保ち続けることは、子供階級社会と別系統の力を持つ選択になるはずだ。と舞は考えた。
クチナシ市の子供として生き抜くためのそれは生存戦略。
舞は真剣に教科書と向き合い始めた。塾も行かず独りぼっちの自習だが、舞は決心を固めた。少なくとも成績では負けない。掟の外に力を持つのだ。しかし――
「うーん、何もわからない……」
広げた算数の教科書を前にぼやいたが、あきらめる。舞は去年の教科書を引き出しから引っぱり出した。わかるところからやっていこう、ノートを広げ鉛筆を走らせ始める。一年前の内容がわからなければ、二年前の教科書もやり直すのだ。
舞は成績を上げることが、今は大事なのだ、と自らに言い聞かせ鉛筆を走らせた・
荒木沙耶(舞の母)が食卓テーブルの上に煮物と味噌汁、小鉢を用意した。
「紬さん、どうぞ」
「荒木さん、ありがとうございます。いただきます」
紬の夕食時間だ。沙耶は食べている紬に尋ねた。
「お母さん、遅いですね」
「いつものことです。慣れています」
紬は言葉を継いでいく。
「工場長は『管理職』だから決まった時間に帰ってこない、と言われていますから」
ごく普通のことだと紬は答えたが、沙耶は改めて身を引き締めた。
そう、この子は工場長の娘なのだ、と。クチナシ市の経済の中枢を担う七瀬産業クチナシ工場のトップの子供なのだ。
この子の意識がどうであれ、親である工場長の機嫌を損ねるわけにいかないのだ。自分だけで済む問題ではない。工場長を怒らせたら、一家族まるごと簡単に追い出される。
にしても、沙耶には、及川静香がわざわざ地方に子供を帯同させることが理解しがたかった。エリートにはエリートの教育方法があるとよくきくではないか。
「クチナシ市に転校する前は、紬さんはどこに通っていたんですか?」
「海王学園です」
紬が答えたその名称に、沙耶は言葉を失った。あの難関といわれる有名私立校に通っていたのか? 海王学園から地方の公立に転校させる意味が、沙耶には全く理解できない。
「転校は嫌でなかったのですか?」
沙耶は聞かずにはいられなかった。紬は煮物を飲みこむと答えた。
「楽しみでした。仲良かったお友達と別れるのは寂しかったけれど」
「楽しみだった?」
「はい、お母さんも新しいお友達作ったらいいねって。実際、楽しいです」
紬の言葉に嘘を感じることはできなかった。沙耶は、それは当然だろう、と心の中で思う。紬をいじめることはクチナシ市内では絶対発生しない、発生させてはならない事案であるのだから。
沙耶が帰宅すると、いつもゲームに夢中になっている舞の姿がなかった。
「舞?」
呼びながら、そっと子供部屋を開けて沙耶は驚いた。舞が教科書を広げた状態で、机に突っ伏して寝ていたからだ。
沙耶は直観した。子供たちの中も動きだしたのだ。間違いなく、その発端は、及川静香であり、彼女の娘の橋本紬なのだ。
(つづく)
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