澪国の蒋家と汪家

oliko

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汪家の日常

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「いい加減にしないか!」
バーン、と机を叩く音が聞こえる。最近は日常になりつつある姉上と父上の言い争いだが、今日の父上はことさら頭に血がのぼっている様子だ。
「いいか、文惺《ぶんせい》。そなたは私の娘だ。最高の環境で良質な教育を受けてきただろう。なのに旗上げの集会に参加しただと!今まで学んできたことは全て無駄だとでも言うつもりか」
「父上、無駄だなんて一言も申しておりません。ただ自分で見て、聞いて、確かめたい、現実を知りたいと思ったのです。そう思うのはそんなにいけないことでしょうか?」
汪家はれっきとした文官の家系だ。僕の父上、汪季新《おうきしん》は最高得点で科挙に合格し、礼部に配属されたのち、当時朝廷を悩ませていた隣国、青海《せいかい》との関係を短期間で修復した。その手腕はすぐに皇帝の耳に入るところとなり一気に宰相まで上り詰めた。確かに父上の話し方には説得力がある。息子である僕ですら自分から話すのを尻込みしてしまうくらいの存在感があり、人々を納得させてしまうだけの凄みがあった。
「文惺、よく聞くんだ。自分に都合の悪い時だけ不平不満を力技でしかぶつけられないような連中から学ぶことなど何もない。そんなに暇を持て余しているのなら六部《りくぶ》の補佐を新たに家庭教師として雇おう」
「本当にそうでしょうか。父上がそう思うのは私達が一度も食べるに事欠いたことも着るに事欠いたこともないからでしょう。明日をも知れぬ状況で、朝廷がいつどのように施行するかわからない新政策なんて一体何の役に立ちましょう。そんな当てのない政策は漁る価値のあるゴミ以下です」
「…ッふざけるなっ!」
ダンッと床を蹴り付ける音がし、遠目に父上が手を振り上げるのが見えたが、いくら待っても振り下ろされる音は聞こえず、かわりに細いため息のような声が漏れた。
「……もうよい。これ以上何を言っても無駄だ。今日から一週間毎日祠堂に行って跪け。よいな。二度と集会に忍び込むんじゃないぞ。文嬰《ぶんえい》、文惺のことをちゃんと見張っておけ!」
「は、はい!」
聞き耳を立てていたところ、急に自分の名前が呼ばれ慌てて返事をし、目を伏せながら出ていく父上と入れ違いに姉上のところへ駆け寄った。
「姉上、だから言ったじゃないですか。ほどほどにしておいた方がいいと。これは僕でもかばいきれませんよ」
「仕方ないじゃない。私は別に何も間違ってないと思うけど。でもちょっと言い過ぎちゃったかしら?政策を否定するつもりも父上を悪く言うつもりもなかったの。私だって父上が苦労してるのを全く何も知らないわけじゃない。生意気に意見をしたかったんじゃなくて、ただ単純に知りたかっただけなの…」
「僕に言わないで下さいよ。言い過ぎたと思ったのなら、すぐ謝りに行けばいいだけの話じゃないですか」
「それは嫌、なんて言えばいいか思いつかないし、今の父上じゃ聞く耳持たないかもしれないわ」
「はぁー。もう知りません、姉上の好きにして下さい」
「何よ、冷たいわね。あんたが困ってる時はいつもいい感じに助け舟出してあげてるじゃない」
助け舟?火に油を注ぐの間違いではないのか?姉上が間に入って丸く収まったためしなど一度もない。そもそも僕は姉上と違って意志が強くも頑固でもないから父上と真っ向からぶつかるようなことなどそうそうない。姉上と父上はそういう意味では似た者同士だ。だからこそどちらかが折れない限りこのやり取りは永遠に続く。
「父上は姉上のことがただ心配なんですよ。さっきはだいぶ怒ってましたけど、きっと本当は危ない目にあってほしくないだけです」
さりげなく姉上をなぐさめる。実際のところ父上は支持者が多い反面、敵もある一定数存在する。旗上げの集会なんて皇帝の周りの政治家はみんな敵、と思っている人達の集まりのようなものなのだから汪家にとっては危険極まりない場所だ。そこに単身で忍び込んだのだから父上が心配しないわけがない。父上は普段は雄弁に語るくせに自分のこととなると急に口下手になる。心配なら心配だと伝えればいいだけなのに。
「僕も流石に旗上げの集会は危なすぎると思います。汪家の者だとばれて袋だたきにでもされたらどうするつもりだったんですか」
「わかってるわよ、危ないことくらい。父上が不安がるのもわかるわ。でも虎穴に入らずんば虎子を得ずって言うでしょ?」
全く反省の「は」の字も感じないような言い方でこちらを見てくる。もうお手上げだ。今回ばかりは父上に同情してしまう。でも大人しくしてくれないと僕が困るから、念を押して言った。
「父上だけでなく母上だって相当心配してましたよ。姉上が出かけたあと母上が門の前を一体何往復していたかご存知ですか?母上が倒れたら姉上のせいですからね」
「わかった、わかったから。祠堂で反省しなきゃいけない可哀想な姉上に身体が温まる汁物でも用意してくれると嬉しいなぁ」
「ええ、出来た弟なのでちゃんと姉上のために明日薬草も摘んできますよ。だから大人しくしてて下さいね」
姉上は小さく頷き、満面の笑みでウィンクをした。世界一信用できない返事だ。
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