幼妻と宦官。

ののの(ののの。エルセナイカ)

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本編

06 水榭。

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 いつもは髪を適当に一束に結わえただけの華火が、珍しく簪を留めて冠を着けていた。袷をまともに合わせて、裙を着けている。長い袖が吹かれてゆく。 

「あれ?わが君今日でしたか」
 
 華火はたまに宮廷に出仕している。それでよいのかとか、いつも内廷に侍っているものではないのかとか、疑問が頭を過ぎる。
 ともかく、華火は等間隔に邸宅を空けていたが、この日は前回からさほど日数を経ていなかった。 

「花宴に呼ばれたんだよ」

 華火は気怠そうにいった。

「花宴ですか……」

 遅くはないか。
 華極かきょく京師で花宴といえば薄紅の桃花である。桃花の霞は地上を去り、今はたわわに牡丹花が咲き溢れ、庭先を彩っている。

「そう。大家をお招きする正式な宴ははまた別に行われるけど、それぞれの后妃で、後援者や身内を集めて私的に開く宴がある。

 宮女達には、宮城で大家が主催する正式な宴に参加したあと、内宮で王后が大家をお招きして大々的に催す「祭り」があるから、私宴は暇のあるときにしてしまうんだ。祭りの準備には時間がかかるし」 
   
 それにしても、そうして衣冠を整えていると近寄りがたい優雅な風格がある、と霄帥は思った。

 潤みをおびた深い色の綺羅が光沢を放って、冠帽に挿した金笄から垂らされた緋の紐が肩口に粛然と垂れ下がっている。

 黒漆の羅の冠に金飾と珠玉が輝き、裙の襞が艶めく。

 たゆたう内裳に囲まれた金の透彫の沓がなんとも豪奢だ。

 華火は紺碧の笏を邪魔そうに弄び、適当に背中の帯に挿した。  

 その顔が霄帥を見て、でれっと微笑む。
 しらかねの瞳が蕩けている。

「まあ、そのうち僕の奥方さまも連れて行ってあげるよ」

 声音が甘ったるい。
 あぁ、と……霄帥は世の無常を嘆くおもいだ。
 じっと黙っていれば首も垂れたくなるものを。良いのは生まれ持った容色だけだな、と。

 華火の手が霄帥の両脇に入れられ、そのまま彼女の小さな肢体を持ち上げる。射干玉の髻に被さった羅紗が青空にたゆたう。
 華火は自分と同じ位置に霄帥の花顔を掲げる。 
 額の紅い花佃が雪肌に映えている。
 華火は、小さな唇を吸い上げた。白く光る関門をこじ開け、舌と舌が絡みあい、霄帥の中がくちゅくちゅと蹂躙される。

「ん、今日は邸を空けるから、僕のいない寂しい園林で一日千秋の思いで帰りを待っているんだよ。何でも幻鬼にいいつけて。きちんと人をつけるんだったら、出掛けても良いし」

 二人の間に銀の糸が結ばれる。

「っあ……はい、わが君。ありがとうございます」  

 幼女は前半部分を聞き流して返答した。

 華火の右手が顎下に回され、珠玉のように白い耳を後ろから包むようにした。すっと指が滑らされ愛らしい耳朶をやわやわと揉む。ふにふにふにふに……。

 しろがねの瞳が者言いたげに華火を見ていた。
 可愛いよ~。

 艶やかな髻の根元で金と珠玉がゆらゆらする。
 優美な人差し指が、歩揺の縁に列なる真珠をさらりと流す。

 幼女は地面に降ろされた。燦々と日が射し、頬を撫ぜていく風が気持ちよい。
 大人の男の綺麗な手が、雪色の小さなお手々に絡まされる。
 華火と霄帥は垂花門から門扉まで手を繫いで歩いていく。
 ふたりの背後に伸びる影に夫婦めおとの不釣り合いな背丈がくっきりと移しだされていた。

 


 大の大人でも見上げる丹塗りの門扉が開かれる。華火の邸宅の門は扁額を掲げていない。代わりに紅い扉に金象嵌の古めかしい文様が描かれていたが、普通は紋章を扉に入れない。
 左右の柱の金文字が見る者の両腕に呪文のように絡みついてくるかのような錯覚を引き起こす。
 五彩金飾の重たげな斗栱のきが影を落とす。

 白梅の裳裾が雲のように石畳の上をさやさやと吹かれていく。霄帥は門前の階段に立って、真顔で華火を見上げた。幻鬼が次第整えられて今にも出発の時を待つ軒車の傍に控えている。

「霄帥は愛しい華火をお待ちしております。早くお帰りになって下さいませ」
  
 彼女は棒読みでいいながら、華火の望み通りにふくよかなお手々で、綺羅の袂をちょこんと摘まむ。

「はぅ……もう駄目だ。内宮の呼び出しに応じるのは止めよう。可愛いよぉ。霄帥ちゃんが可愛い~。ねえ、もう一度口吻してもいい?」
 
 そういいながら、華火の手がふらふらと伸びていく。
 それを薄桃の紗を貼った団扇が遮った。真珠色の長い房が揺れる。霄帥は無表情でいった。

「わが背の君、このような門前で恥ずかしいですわ。お止め下さい」

 桃色の紗の下からうっすらと青い白銀のたゆたう黒い瞳が睨めつけていた。

 やはり畏ろしかったが、華火自身に対する恐れはなくなってきていた。
 段々と霄帥はこうしてやり過ごす術を学習しつつあった。

 華火の手が残念そうに離れていく。


 時刻は昼下がり。百官は朝礼に侍るべく、日の昇りきらない刻限から登城するものである。内青宮では、后妃達が王后に朝の挨拶をする。
 常より華火の出仕の時間は定まらなかったから、今から登城するという彼を、霄帥は何ら疑問を抱かずに見送った。 
 

 豪勢な軒車が眷属を引き連れてゆっくりと遠ざかってゆく。やがて灰白の石畳の向こうに紅の車輪が消えていった。
 


 ああ。それにしても。
 いい知れぬ不安が湧き上がってくる。今のところ何の異変も起こっていないが、お腹とお臍の周りが気になってしょうがない。  



 








 まだ、空が白み始めたばかりで、房室の外では冷涼な空気が漂っていた。園林で蒼穹と溶け合わんばかりの花弁を上向かせた真っ青な牡丹と、花首を垂れた黄牡丹がさやさやと朝の風に戯れていた。外院の冷たい冷たい水面に波紋が広がってゆく。



 幼女は白い長衣だけを羽織っていた。下着類を一切着けておらず、白桃のような愛らしい股の割れ目が覗いていた。
 柔らかい生地がふんわりと雲のように幼い肩から垂れる。

 しろかねの瞳が左右の衣に挟まれたお臍をじっと見ていた。 

 ゆらゆら揺れる薄衣の帷から覗く、ぷっくりとした幼女のお腹の中央に窪みがあった。

 優美な手が筆を滑らせていく。白い穂先に絵具をたっぷりと滑らせ、細くなったり太くなったり蛇行しながら、窪みの周辺を彩るように描かれていく。

 蜜壺を包む花びらのようでもあり、火焔のようでもある。時折、幻鬼が捧げ持った陶器から絵具が足されていく。

 白群と綺羅が入り混じり、灰青色に調合された絵具が幼女の白いお腹の上できらきらする。

 華火が筆を置いた。幻鬼が下がっていく。

 呪術めいた図案が窪みを囲っていた。
 
「あの、わが君、これは何ですか?」

 霄帥はずっと無視していた霊気にとうとう我慢できなくなった。

 意味ありげに艶冶な美貌が笑う。

「さて、何だろうね」

 華火は指先で、ちょんと図案をついた。あっという間に絵具が乾いてしまう。

 霄帥は現実から逃げだしたくなった。いまだに、正体も分からぬ図案が姿見の中の己の腹に鎮座している。

「とりあえず、着替えようか」

 華火がそう告げると、幻鬼たちの手で薄衣が脱がされ、下着類を装着させられ、それも直ぐに隠されてしまった。

 華火は図案を描いていた時と同じ場所に居座り、霄帥の衣服が重ねられていく様子を眺めていた。

 白い薄衣の手前が合わせられ、細紐がしゅるしゅると巻かれていく。
 牡丹色の衣が同じように合わせられ、白梅の衣が重ねられて、完成に近づいてゆく。
 紫水晶の長裙が腰元に引き上げられ、黄金の蝶の帯飾りをすすっと通しつつ、純白の細い帯が締められた。
 
 射干玉の髪が高い位置で束ね、なまめかしくひねり上げて纏められる。
 蛇が首を擡げたようなこの形を霊蛇の結い髪というそうだ。
 京師の人々が考案したもののようで、里の者がこの髻に結っているところは見たこともなかったが、成る程人々が夢想する人妖めいた雰囲気はあった。

 ひねられて艶めく髻に繊細な花の瑠璃がちりばめられ、銀の簪に珊瑚の珠飾りがゆれる。
 華火の手がそこに透彫の翡翠の櫛を押しこんだ。
 幻鬼が手早く花鳥の歩揺を二つ飾り、霞のような羅紗を髻全体にふわっと被せた。白い珠玉の燦めく羅紗が背面に垂れ下がる。

 その日の午前、華火は始終機嫌が良かった。
 

 




 からからと紅の車輪が灰白色はいかいしょくの石畳の上を滑っていく。車輪に添えられた木の透しの飾りが路上に複雑な陰影を落としていた。
 きらきらと珠金の飾りが揺らめく。




























 ケッツァールの尾羽色。

 孔雀石の透彫細工がきらきらしている。

 勾玉形にくるんと上を向き、反り返った瓦屋根の四方で燦然と輝く。
 そこは六角形の四阿だった。

 水上に迫りだした楼台の根元に奇岩が積み上がり、咲きこぼれる牡丹の花弁が彩を添える。 
 ゆるやかな風が頬を撫ぜてゆく。


 幼女は錦の敷き詰められた榻に団扇を放った。傍らの高卓台には茶と茶菓子が添えられていた。白磁の茶器がなまめかしい。

 周囲に朱の欄干が回らされ、瀟洒な格子のそれは、鏡面のように輝いていた。

 磨き抜かれたそこに幼女の桃尻が降ろされ、碧の水面に向かって幼女の足がぷらぷらする。
  
 

 幼女は家主がいなくなってから、しばらくは園林の奇岩に登ったり、落ちた牡丹の花弁を拾ったりして遊んでいた。
 そのうち、暇になってしまった。
 飽いたのだ。 

 彼女は慣れ親しんだ気の循環でもしたかったが、邸宅に結界を張り巡らす気から執念深さを感じるので、滅多なことはできない。
 
 
 

 邸宅に来てより慣れつつあったものの妖魔はやはり好ましい存在ではなかった。
 他者にものを言いつけることにも慣れていない。
 
 多分、暇と一言いえば、眷属が霄帥を楽しませるために何でもしてくれるんだろうな、と思う。



 べつに邸宅に閉じ込められている訳でもない。

 
 但し華火の言うところの「霄帥のきちんと人をつけたお出かけ」は一度道中で引き返して以来、二度と一人(従者をのぞき)で外出しないと決意した。
 いろんな人に意識されていて、怖かった。
 
 華火もいないのに!
 
 そう、霄帥は一人で震えていた。どうして、大尽方はあれで悠然としていられるのだろう、と霄帥は戦慄を感じる。
 紗を頭から被り、団扇で顔を隠しても怖かったのだ!

 霄帥はため息を吐いた。
 早く帰ってこないかな。

 華火のいない邸宅は確かに寂しい。

 幼女は水榭楼台から幽玄たる光景をぼうっと眺めていた。

 そして、次第に下腹部に違和感を覚え始める。
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