婚約破棄された伯爵令嬢は、かつて“月影の魔女”と呼ばれた存在でした ~今さら跪いても、貴方の席はありません~

有賀冬馬

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それは、ほんとうに突然だった。

塔の最上階で、月光を浴びながら魔法の調整をしていた時、
窓の外、遠く王都の方向に──黒い煙が、立ち上っていた。

「……え?」

私は、息を呑んで立ち止まった。
その煙は、ただの火事じゃなかった。
もっとこう……おかしい、何かが壊れてしまったような、そんな感じがした。

空が、裂けてた。
まるで、天にナイフを入れたみたいに。
月が半分、隠れてて……空気も、ピリピリしてた。

「リディア!」

階下から、マルグリット様の声がした。
私はすぐに飛ぶように階段をかけおりる。
塔の中に満ちていた魔力が、ざわざわと不安げに揺れていた。

「……見たな?」

「はい。あの煙……まさか、王都で?」

「そうだ。結界が破られた。あれは……《魔喰い》だ」

「ま……魔喰い……」

私は背筋がぞくっとした。
それは、魔法使いの間でしか語られない、古い、古い伝説。

“魔力を喰らい、土地を枯らし、人を狂わせる”
封印された災厄の一つ。

そんな存在、ただの噂だと思ってた。
だって、何百年も前に、封じられたはずじゃ……!

「……なぜ、今になって?」

マルグリット様はゆっくり首を振った。

「誰かが、封印を解いた。意図的に、ね。
王都の政治家たちは、力の意味を理解していない。
便利な“道具”とでも思って、魔法遺物に手を出したのだろう」

私は唇をかんだ。

馬鹿だ。
どこまでも、身勝手で、愚か。
けれど……それが、王都の“いつものやり方”だった。

「……でも。放ってはおけない」

「そうだね。だから、リディア――行ってくれるね?」

「……え?」

マルグリット様は、私の目をまっすぐに見ていた。

「《月影の魔女》の力が、今こそ必要だ。
あれを止められるのは、もうお前しかいない」

私の心臓が、どくん、と大きく跳ねた。

「でも……私なんかで、本当に……?」

「“なんか”じゃない。
お前は、ずっと抑えていただけで、他の誰よりも強い。
そして、お前はもう、何者にも縛られていない。
魔法が、全力で応えてくれるはずだよ」

私はぐっと拳を握った。

たしかにこわい。
でも、もっとこわいのは──あの街に残ってるたくさんの人たちが、
何も知らずに災厄に巻きこまれていくこと。

……その中に、“ほんとうに傷つく必要のない誰か”がいるかもしれないから。

「行きます、マルグリット様。
……私、行かなきゃって思います」

「よく言った。なら、これを持っていきなさい」

そう言って、差し出されたのは、一冊の古びた黒い魔導書だった。

「これは、私が若いころに使っていたものだ。
今のリディアなら、使いこなせる。
気をつけて行くんだよ。
――戻ってくる場所は、ここにあるからね」

私は、目を潤ませながら小さくうなずいた。

「……はい。絶対、帰ってきます」

馬車を用意する時間も惜しかったから、私は魔法陣での転移を選んだ。

塔の地下には、王都とつながる緊急転移陣がある。
それは、魔法塔の内部しか知らない、秘密の通路。

転移の光が収まったとき、私は王都の外れ──“西門”の裏路地に立っていた。

……すごい、音。

鐘の音と、叫び声と、泣き声が混じってる。
空はまだ黒く裂けていて、風がびゅうびゅう唸ってる。
人々は逃げ惑い、兵士たちが必死に防衛線を張っていた。

「……本当に、魔喰いが」

そしてそのときだった。
私の目に、ひときわ目立つ“誰か”の姿が飛び込んできた。

金髪。
青いマント。
そして……どこかで見たことのある、顔。

「……エヴァンス様……?」

その男の人は、まっすぐ私を見て、目を見開いた。

「……リディア!?」

エヴァンス・クレイモア。
かつて、魔法塔で訓練していた頃にすれ違ったことのある人。
貴族ではなく、王国直属の“近衛魔導騎士”。

そして今──すっかり大人になって、
目の前で剣を抜き、魔法の盾を展開して、
住民たちを守ろうとしていた。

「まさか……君が、来てくれるなんて……!」

彼の瞳が、まるで希望を見つけたみたいに、私を見つめていた。

心臓が、また跳ねた。

……きっと、これから、とても苦しい戦いになる。
でも、この人となら……背中を預けられる気がした。

「来たのよ、ちゃんと。
わたし、《月影の魔女》として、戻ってきたの」

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