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ゼノス様と過ごす穏やかな日常は、まるでお砂糖を溶かした紅茶のように甘くて温かいものでした。領地の事務を手伝いながら、午後は庭園で色とりどりの花に囲まれてお茶を楽しむ。そんな当たり前の幸せが、私にとっては宝物のような毎日だったのです。
ところが、そんな平和を切り裂くような報告が、ある日の午後に届きました。
「エカテリーナ様、申し訳ございません。城の門前に、ベルンシュタイン公爵家を名乗る者たちが押しかけてきておりまして……。非常に無作法な様子で、エカテリーナ様を出せと騒いでいるのです」
執事さんの困り果てた顔を見て、私の心臓が嫌な音を立てて跳ね上がりました。あの家の人たちが、どうしてわざわざこんな遠い辺境までやってきたのでしょうか。嫌な予感しかせず、私は隣にいたゼノス様の顔を見上げました。
「……彼らか。会いたくなければ、私が追い返させよう。君が不安に思う必要は何もないよ」
ゼノス様は優しく私の肩を抱き寄せましたが、私は小さく首を振りました。彼らが何を企んでいるのか、自分の目で確かめて、ちゃんとお別れを言わなければならないと思ったのです。
ゼノス様に付き添われ、重厚な城の門の近くまで行くと、そこには目を疑うような光景が広がっていました。
「ちょっと! いつまで待たせるのよ! 私は公爵家の令嬢なのよ、この汚い門を早く開けなさい!」
「そうだ、エカテリーナを呼べ! あの娘は我が家の所有物だぞ。親に向かって挨拶もなしに閉じこもっているとは、どんな教育を受けてきたんだ!」
門の外で喚いていたのは、かつての私の家族たちでした。でも、その姿は以前の華やかさとは程遠いものでした。アンジェリカが着ているドレスはシワだらけで、流行遅れな上に汚れが目立ちます。父も母も、顔色が悪く、着古した服を無理に着飾っているのが一目で分かりました。そして、その横には情けない顔をしたハリス様の姿もありました。
門が開くと、彼らは待ってましたとばかりに土足で踏み込んできました。私を見つけた瞬間、アンジェリカが勝ち誇ったような顔で叫びました。
「あら、お姉様! 案外元気そうじゃない。化け物に食べられちゃったかと思ったわ。でも、見ての通り私たちは今、ちょっとした手違いで忙しいの。だから特別に、お姉様を許して連れ戻してあげることにしたわ。感謝しなさいよ?」
父も尊大な態度で、私に向かって指を差しました。
「エカテリーナ、お前がいなくなってから、事務方の連中が勝手なことばかりして困っているんだ。帳簿もぐちゃぐちゃだ。すぐに戻って、すべてを立て直せ。公爵家の娘としての義務を果たせと言っているんだ。ハリス殿も、お前の仕事ぶりだけは認めて、側側に置いてやってもいいと言ってくださっているんだぞ」
ハリス様が一歩前に出て、自信満々な笑みを浮かべました。
「エカテリーナ、君も寂しかっただろう? 僕とアンジェリカの結婚は進めているが、君が実務を支えてくれるなら、僕の屋敷に部屋を一つ用意してあげてもいい。君は僕がいなければ何もできない女だ。さあ、今すぐ荷物をまとめて馬車に乗るんだ」
彼らの言葉を聞いて、私はあまりの呆れと怒りに、一瞬言葉を失ってしまいました。彼らは自分たちがどれほど自分勝手で、どれほど私を傷つけてきたのか、一ミリも理解していないのです。私が今、どんなに大切にされ、どんなに幸せな場所にいるのかさえ、見ようともしていません。
「……お断りします」
私は、震える声を精一杯抑えて、はっきりと告げました。
「私はもう、あなたたちの道具ではありません。ベルンシュタイン公爵家とは縁を切ったはずです。それに、私を追い出したのはお父様とお母様ではありませんか。今さら仕事が回らないから戻れなんて、あまりに虫が良すぎます」
「なんだと!? 親に向かってその言い草は……!」
父が激昂して手を振り上げた瞬間、背後にいたゼノス様が、静かに、でも圧倒的な威圧感を持って一歩前に出ました。
「私の妻に、その汚い手を向けないでもらおうか。ベルンシュタイン公爵」
ゼノス様の低く冷たい声が響いた瞬間、その場の空気が凍りついたようになりました。父の手が空中で止まり、アンジェリカもハリス様も、恐怖に顔を白くして後ずさりしました。
「き、貴様が……呪われた辺境伯か……っ」
「噂通りの化け物だと思っていたか? あいにくだが、私はエカテリーナを愛する一人の男だ。そして、彼女を虐げ、利用し、あまつさえ泥の中に捨てた君たちを、心底軽蔑している。彼女は今、私の正当な妻であり、この領地の誇り高き女主人だ。どこの馬の骨とも知れない没落寸前の貴族が、気安く触れていい存在ではない」
ゼノス様は私の肩に手を置き、守るように引き寄せました。その大きな手から伝わる温もりが、私の心を強く支えてくれます。
「エカテリーナ、君はどうしたい? 彼らをこのまま門の外へ叩き出すか、それとも、今まで受けた屈辱のすべてを、ここで精算させるか。君の望む通りにしよう」
冷ややかな目で家族を見下ろすゼノス様と、その隣で背筋を伸ばして立つ私。立場が完全に逆転したことを、彼らはようやく、その引きつった表情で悟り始めたようでした。
ところが、そんな平和を切り裂くような報告が、ある日の午後に届きました。
「エカテリーナ様、申し訳ございません。城の門前に、ベルンシュタイン公爵家を名乗る者たちが押しかけてきておりまして……。非常に無作法な様子で、エカテリーナ様を出せと騒いでいるのです」
執事さんの困り果てた顔を見て、私の心臓が嫌な音を立てて跳ね上がりました。あの家の人たちが、どうしてわざわざこんな遠い辺境までやってきたのでしょうか。嫌な予感しかせず、私は隣にいたゼノス様の顔を見上げました。
「……彼らか。会いたくなければ、私が追い返させよう。君が不安に思う必要は何もないよ」
ゼノス様は優しく私の肩を抱き寄せましたが、私は小さく首を振りました。彼らが何を企んでいるのか、自分の目で確かめて、ちゃんとお別れを言わなければならないと思ったのです。
ゼノス様に付き添われ、重厚な城の門の近くまで行くと、そこには目を疑うような光景が広がっていました。
「ちょっと! いつまで待たせるのよ! 私は公爵家の令嬢なのよ、この汚い門を早く開けなさい!」
「そうだ、エカテリーナを呼べ! あの娘は我が家の所有物だぞ。親に向かって挨拶もなしに閉じこもっているとは、どんな教育を受けてきたんだ!」
門の外で喚いていたのは、かつての私の家族たちでした。でも、その姿は以前の華やかさとは程遠いものでした。アンジェリカが着ているドレスはシワだらけで、流行遅れな上に汚れが目立ちます。父も母も、顔色が悪く、着古した服を無理に着飾っているのが一目で分かりました。そして、その横には情けない顔をしたハリス様の姿もありました。
門が開くと、彼らは待ってましたとばかりに土足で踏み込んできました。私を見つけた瞬間、アンジェリカが勝ち誇ったような顔で叫びました。
「あら、お姉様! 案外元気そうじゃない。化け物に食べられちゃったかと思ったわ。でも、見ての通り私たちは今、ちょっとした手違いで忙しいの。だから特別に、お姉様を許して連れ戻してあげることにしたわ。感謝しなさいよ?」
父も尊大な態度で、私に向かって指を差しました。
「エカテリーナ、お前がいなくなってから、事務方の連中が勝手なことばかりして困っているんだ。帳簿もぐちゃぐちゃだ。すぐに戻って、すべてを立て直せ。公爵家の娘としての義務を果たせと言っているんだ。ハリス殿も、お前の仕事ぶりだけは認めて、側側に置いてやってもいいと言ってくださっているんだぞ」
ハリス様が一歩前に出て、自信満々な笑みを浮かべました。
「エカテリーナ、君も寂しかっただろう? 僕とアンジェリカの結婚は進めているが、君が実務を支えてくれるなら、僕の屋敷に部屋を一つ用意してあげてもいい。君は僕がいなければ何もできない女だ。さあ、今すぐ荷物をまとめて馬車に乗るんだ」
彼らの言葉を聞いて、私はあまりの呆れと怒りに、一瞬言葉を失ってしまいました。彼らは自分たちがどれほど自分勝手で、どれほど私を傷つけてきたのか、一ミリも理解していないのです。私が今、どんなに大切にされ、どんなに幸せな場所にいるのかさえ、見ようともしていません。
「……お断りします」
私は、震える声を精一杯抑えて、はっきりと告げました。
「私はもう、あなたたちの道具ではありません。ベルンシュタイン公爵家とは縁を切ったはずです。それに、私を追い出したのはお父様とお母様ではありませんか。今さら仕事が回らないから戻れなんて、あまりに虫が良すぎます」
「なんだと!? 親に向かってその言い草は……!」
父が激昂して手を振り上げた瞬間、背後にいたゼノス様が、静かに、でも圧倒的な威圧感を持って一歩前に出ました。
「私の妻に、その汚い手を向けないでもらおうか。ベルンシュタイン公爵」
ゼノス様の低く冷たい声が響いた瞬間、その場の空気が凍りついたようになりました。父の手が空中で止まり、アンジェリカもハリス様も、恐怖に顔を白くして後ずさりしました。
「き、貴様が……呪われた辺境伯か……っ」
「噂通りの化け物だと思っていたか? あいにくだが、私はエカテリーナを愛する一人の男だ。そして、彼女を虐げ、利用し、あまつさえ泥の中に捨てた君たちを、心底軽蔑している。彼女は今、私の正当な妻であり、この領地の誇り高き女主人だ。どこの馬の骨とも知れない没落寸前の貴族が、気安く触れていい存在ではない」
ゼノス様は私の肩に手を置き、守るように引き寄せました。その大きな手から伝わる温もりが、私の心を強く支えてくれます。
「エカテリーナ、君はどうしたい? 彼らをこのまま門の外へ叩き出すか、それとも、今まで受けた屈辱のすべてを、ここで精算させるか。君の望む通りにしよう」
冷ややかな目で家族を見下ろすゼノス様と、その隣で背筋を伸ばして立つ私。立場が完全に逆転したことを、彼らはようやく、その引きつった表情で悟り始めたようでした。
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