隣国の皇子に溺愛されましたので、貴方はどうぞご自由にしてください

有賀冬馬

文字の大きさ
1 / 4

しおりを挟む
「エレナ、このレースはこっちでいいの?」「うん、それで大丈夫よ、お母様。ああ、本当に素敵なの!このドレス、きっとあのお嬢様にお似合いになるわ」

私の名前はエレナ。小さな仕立て屋で、お母様と一緒にドレスや洋服を作って暮らしてる。毎日針仕事をしてるんだけど、これが本当に楽しいの。布がどんどん形になって、素敵な服に変わっていくのを見るのが大好きだった。特に、フリルたっぷりのドレスや、リボンがいっぱいのブラウスを作る時は、心が踊るみたいだった。

私たちの仕立て屋は、貴族街からは少し離れた場所にある、庶民向けの小さなお店だった。でも、腕は確かだって評判で、時々、貴族のお屋敷から注文が来ることもあったの。そんな時は、お母様と二人で大忙しだったけど、できあがった服をお客様が喜んでくれる顔を見るのが、何よりの喜びだった。

私の生活は、ごくごく普通の平民の女の子だった。でも、私には誰にも言えない秘密の恋があったの。その相手は、伯爵家の三男、セドリック様。初めて会ったのは、彼が仕立ての注文にうちのお店に来た時だった。彼は、まるで絵本に出てくる王子様みたいに、キラキラと輝いて見えたの。最初はただ見とれてるだけだったんだけど、何度か会ううちに、彼が私に優しく話しかけてくれるようになって。

「エレナ、君の作る服は本当に素晴らしいね。君の手にかかると、どんな布も魔法にかかったみたいだ」

そんな風に、真っ直ぐな目で褒めてくれる彼の言葉に、私の心はドキドキが止まらなくなった。貴族の彼と、平民の私。身分なんて関係ないって、彼は何度も言ってくれた。夜遅くに、仕立て屋の裏口でこっそり会ったり、星空の下で二人きりで話したり。

「いつか、君だけのドレスを作ってあげたいな。世界で一番、君に似合うドレスを」

セドリック様がそう言ってくれた時、私は夢を見ているみたいだった。彼の優しい声、温かい手。全部が私を包み込んでくれて、このままずっと、この幸せが続けばいいのにって、心から願ってた。貴族社会の厳しさなんて、私には関係ないって、そう思ってたんだ。彼がいれば、何も怖くないって。

「ねえ、セドリック様。本当に、私でいいの?私、平民だし…」

不安になって、一度だけ聞いてみたことがある。彼は私の手を優しく握りしめて、言ったんだ。

「エレナ、君がいいんだ。君の優しさも、真っ直ぐな心も、全部が僕にとって大切なんだ。身分なんて関係ない。僕が、君を守るから」

その言葉に、私はどれだけ救われただろう。彼がいれば、どんな困難も乗り越えられる。そう信じてた。あの時は、本当に。


でも、幸せな時間は、泡のように儚く消えていった。

ある日、セドリック様が、お店にやってきた。いつものように、裏口からこっそりと、じゃなくて、堂々と正面から。彼の顔は、まるで別人のようにやつれていて、私を見つめる瞳には、いつもの優しさじゃなくて、見たこともないほど冷たい光が宿っていた。

「エレナ、話があるんだ」

彼の声は、乾いていて、私は心臓がギュッと締め付けられるような気がした。悪い予感がした。嫌な、嫌な予感。

「どうしたの、セドリック様?何かあったの?」

私は震える声で尋ねた。彼はずっと下を向いていて、なかなか顔を上げてくれなかった。そして、しばらくの沈黙の後、絞り出すように言葉を紡ぎ始めた。

「僕…僕、婚約することになったんだ」

その言葉を聞いた瞬間、私の頭の中は真っ白になった。まるで、世界から音が消えたみたいに、何も聞こえなくなった。目の前が真っ暗になって、立っていられなくなりそうだった。

「…え?」

やっと出た声は、自分でも信じられないくらいか細かった。彼は、まるで私の存在を否定するかのように、冷たい視線で私を見下ろした。

「悪いが、君とはもう会えない。これは貴族としての義務なんだ。君のような平民との関係は、これ以上続けるわけにはいかない」

「ま、待って…!嘘でしょう?だって、あなたは…私を守るって、言ってくれたじゃない!」

私は必死に訴えた。彼の腕を掴もうとしたけれど、彼はそれを振り払った。まるで汚いものに触れたくない、とでも言うように。

「君とのことは、僕にとってただの一時の戯れだったんだ。正直、平民にしては上出来だったと思うよ。だが、それだけだ。これで、終わりにする」

「平民にしては上出来だった」…その言葉が、私の心臓にナイフのように突き刺さった。私の、私たちの愛は、彼にとって「上出来」程度のものだったの?ただの「戯れ」だったの?信じられない。信じたくない。

「嘘よ…っ、嘘でしょう!?セドリック様…!」

私の目から、止めどなく涙があふれ出した。頬を伝う涙が、熱い、熱い。彼に渡した、私が初めて作った刺繍入りのハンカチ。夜中にこっそり彼に贈った、手作りの小さな花束。全部、全部、無意味だったの?

セドリック様は、私の涙を見ても何の感情も示さなかった。ただ、冷たい目で私を見て、そして、一言も謝ることなく、背を向けて去っていった。まるで、最初から何もなかったかのように。

彼の後ろ姿が、どんどん小さくなっていく。私の世界は、音もなく崩れ去った。心臓が張り裂けそうだった。もう、何も考えられなかった。ただ、目の前が涙で滲んで、彼の背中が霞んでいくのが見えただけだった。

「…うそ…」

私はその場に座り込み、声にならない嗚咽を漏らした。彼との思い出が、走馬灯のように頭の中を駆け巡る。優しい言葉、温かい手、そして、裏切りの言葉。耳から離れない。


セドリック様が去ってから、私は何も手につかなくなった。針を持つ手は震えて、布を見るたびに彼の冷たい言葉が蘇る。お客様の笑顔も、輝いて見えたドレスも、もう私には何の感動も与えてくれなかった。

お母様は、私の様子がおかしいことにすぐに気づいた。私が何も話さなくても、きっと何かを察していたんだと思う。ただ、何も言わずに、私の好きな温かい紅茶を入れてくれたり、抱きしめてくれたりした。その優しさが、かえって私の心を締め付けた。

この場所にいたら、きっと私はずっと彼のことばかり考えてしまう。この街のどこかで、彼が幸せそうにしている姿を想像するだけで、呼吸が苦しくなる。もう、ここにいるのは無理だ。

ある夜、私は決心した。この街を、この場所を、離れよう。どこへ行くのかも、これからどうなるのかも分からなかったけれど、ただ、ここから遠くへ行きたい。彼のいない場所へ。

「お母様…私、旅に出ます」

突然の私の言葉に、お母様は驚いた顔をしたけれど、すぐに寂しそうな、でも力強い目で私を見つめた。

「…そうかい。わかったよ、エレナ。あなたがそう決めたなら、お母さんは何も言わないよ。ただ…気をつけてね」

お母様は、手作りのお守りの袋と、旅に必要なわずかなお金をくれた。それから、私が着ていた服の中から、セドリック様が初めてお店に来た時に私が着ていたワンピースを見つけ出し、そっと箱に仕舞い込んだ。

「これは、いつかきっと、あなたが心から幸せになった時に、また着るのよ」

お母様の言葉は、まるで魔法みたいだった。私の胸の奥に、ほんの少しだけど、温かい光が灯った気がした。

大きな荷物はない。ただ、私の持っている布で作った小さなリュックサックと、お母様が持たせてくれたお守り。そして、心に深く刻まれた、彼の冷たい言葉だけ。

夜が明ける前に、私はそっと家を出た。慣れ親しんだ街の景色が、少しずつ遠ざかっていく。振り返ることはしなかった。もう、二度とこの場所に戻らないかもしれない。そんな覚悟を持って、私は一歩を踏み出した。新しい世界へ。セドリック様がいない、私だけの世界へ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ドレスが似合わないと言われて婚約解消したら、いつの間にか殿下に囲われていた件

ぽぽよ
恋愛
似合わないドレスばかりを送りつけてくる婚約者に嫌気がさした令嬢シンシアは、婚約を解消し、ドレスを捨てて男装の道を選んだ。 スラックス姿で生きる彼女は、以前よりも自然体で、王宮でも次第に評価を上げていく。 しかしその裏で、爽やかな笑顔を張り付けた王太子が、密かにシンシアへの執着を深めていた。 一方のシンシアは極度の鈍感で、王太子の好意をすべて「親切」「仕事」と受け取ってしまう。 「一生お仕えします」という言葉の意味を、まったく違う方向で受け取った二人。 これは、男装令嬢と爽やか策士王太子による、勘違いから始まる婚約(包囲)物語。

追放された聖女は鬼将軍の愛に溺れて真実を掴む〜偽りの呪いを溶かす甘く激しい愛〜

有賀冬馬
恋愛
神託により「偽りの聖女」として国を追われ、誰も信じられなかった私――リュシア。でも、死を覚悟した荒野で、黒髪の美しい孤高の鬼将軍・辺境伯ディランに救われてから、すべてが変わった。 なぜか私にはだけは甘い彼。厳しいはずの彼の甘く優しい愛に包まれ、私は本当の自分を取り戻す。 そして明かされる真実。実は、神託こそが偽りだった。 神託を偽った者たちへの復讐も、愛も、全てが加速する。

「魔力も美貌もない君は、私に釣り合わない」と捨てられましたが? 封印された魔王に溺愛されて、今さら元婚約者が縋りついてももう遅いです

有賀冬馬
恋愛
あの時、「価値がない」と私を見限った彼。 地味で何の取り柄もない貴族令嬢だった私は、魔法学院を追放され、ひっそりと生きていくつもりでした。 でも、運命って不思議なものですね。 山奥で出会ったのは、封印されていたはずの魔王様。 彼は私の秘めたる才能を見出し、惜しみない愛情と知識を注いでくれました。 魔王様のおかげで、私の人生は劇的に変わり、今や世界をも動かす存在に。 そして、私を捨てた彼は、すべてを失い、私の前に現れます。「君が必要だ」

平民出身の地味令嬢ですが、論文が王子の目に留まりました

有賀冬馬
恋愛
貴族に拾われ、必死に努力して婚約者の隣に立とうとしたのに――「やっぱり貴族の娘がいい」と言われて、あっさり捨てられました。 でもその直後、学者として発表した論文が王子の目に止まり、まさかの求婚!? 「君の知性と誠実さに惹かれた。どうか、私の隣に来てほしい」 今では愛され、甘やかされ、未来の王妃。 ……そして元婚約者は、落ちぶれて、泣きながらわたしに縋ってくる。 「あなたには、わたしの価値が見えなかっただけです」

王太子様が突然の溺愛宣言 ―侍女から王妃候補へ―

有賀冬馬
恋愛
王太子付き侍女として地味に働いていた私。 でも陰湿な嫌がらせに限界を感じ辞めたその日に、王太子が突然私のもとに現れて「お前がいないと息ができない」と涙ながらに求婚――

婚約者を奪う女と言われた私、13番目の婚約者と対峙する

大井町 鶴
恋愛
エドウィジュ伯爵家のエリアーヌには歴代の婚約者が12人もいた。そんな彼女は『悪女』と呼ばれている。なぜなら、彼女は姉たちの婚約者を次々と奪ったとされているから。そして、目の前には13人目の彼がいた。目の前の男性・ベルトランは、そんなエリアーヌだからこそ結婚したいと言っている。ほんのりざまあ、たっぷり溺愛、サクサク読める伯爵令嬢の逆転ラブストーリー!

婚約破棄から始まる、私の愛され人生

有賀冬馬
恋愛
婚約者・エドに毎日いじめられていたマリアンヌ。結婚を望まれ、家のために耐える日々。だが、突如としてエドに婚約破棄され、絶望の淵に立たされる――。 そんな彼女の前に現れたのは、ずっと彼女を想い続けていた誠実な青年、クリス。彼はマリアンヌに優しく手を差し伸べ、彼女の心を温かく包み込む。 新しい恋人との幸せな日々が始まる中、マリアンヌは自分を愛してくれる人に出会い、真実の愛を知ることに――。 絶望の先に待っていたのは、心の傷を癒す「本当の幸せ」。

婚約破棄された令嬢、隣国の暴君王に“即”溺愛されていますが?

ゆっこ
恋愛
 王都の中心から少し離れた城の塔は、風がよく通る。  その夜わたし――エリスは、豪奢すぎるほどの寝室のバルコニーに出て、夜風を胸いっぱいに吸い込んだ。  「……本当に、ここはわたしの部屋でいいのかしら」  つい昨日まで、わたしは婚約者であったアルノルト殿下からの侮蔑に耐え、社交界で嘲笑され、家族にさえ冷たくされていたのに。  まさか隣国ファルゼンの“暴君王”と呼ばれるレオンハルト陛下に見初められ、護衛兼客人として迎えられるとは、夢にも思っていなかった。  ……いや、正確には“客人”などという生易しい扱いではない。

処理中です...