婚約破棄から始まる、王国の英雄と私の新しい恋

有賀冬馬

文字の大きさ
2 / 3

2

しおりを挟む

 あの日から、アレク様は、ほんとうによく教会に顔を出してくれるようになった。

「おはよう、エレナ嬢。今日の朝ごはんは、なんだ?」

 なんて、まるで家族みたいに気軽に声をかけてくれて。
 わたしは、どうしていいかわからず、いつも顔が真っ赤になってしまう。

「こ、子どもたちのために、スープを作っただけです。あ、でも味見はしてますので……!」

「ふふ。それは頼もしいな。俺も少しもらっていいか?」

「えっ……!? は、はいっ、もちろん!」

 こんなふうに、自然と距離を縮めてくれる人なんて、今までいなかった。

 

◆◇◆

 

 アレク様は、とてもやさしい人だった。

 剣の腕はもちろん一流で、街でも知らない人はいないくらい有名なのに。
 子どもたちの遊びにまじって泥だらけになったり、古着の修繕を手伝ってくれたり。
 気がついたら、わたしの心は少しずつ、あたたかくなっていた。

 

 ある日の午後。

 わたしは教会の裏庭で、干していた洗濯物を取り込んでいた。

 そのとき――ふいに、後ろから声がした。

「風、強くなってきたな。手伝おうか?」

 振り返ると、そこにはアレク様がいた。

 陽に透ける金の髪が、ふわりと揺れていた。

「あ、ありがとうございます。でも、大丈夫です。わたし、こういうの、慣れてますから……」

「そうか? でも、二人でやればもっと早いだろ?」

 にこっと笑って、アレク様は洗濯物の端をそっと押さえてくれた。

 その手が、あたたかくて。
 胸の奥が、なんだか苦しくなる。

「……エレナ嬢」

「はい?」

「君は、よくがんばってるな。……笑顔も増えた気がする」

 その言葉に、わたしの手がぴたりと止まった。

「え……そ、そうでしょうか?」

「うん。前よりも、目がやわらかくなった。……俺は、そんな君が好きだ」

 好き。

 その言葉が、まるで鐘の音みたいに胸に響いた。

 わたしの心が、ぎゅっとなる。うれしくて、でも、怖くて。

「……アレク様。あの……わたし……」

 口を開いたけど、うまく言葉にならなかった。

 昔のことが、頭に浮かんでくる。
 ルイス様に裏切られた日のこと。
 妹の冷たい目。
 「君より妹のほうが可愛いから」って、あの言葉。

 ……また、同じように裏切られたら、どうしよう。

 

 そんなわたしの気持ちを、アレク様はわかっていたのかもしれない。

「無理に答えなくていい。……君の心が落ち着くまで、待つよ」

 その声が、すごくやさしくて。
 わたしは、胸がいっぱいになって、思わずうつむいた。

「……ありがとうございます」

「ふふ、変なこと言って、驚かせたな」

「い、いえっ……! あの……うれしかったです」

 わたしの声は、小さな声だったけれど。
 アレク様は、それをちゃんと聞き取って、笑ってくれた。

 

◆◇◆

 

 それからの日々は、まるで夢みたいだった。

 朝、アレク様が教会に顔を出して、
 子どもたちと笑って、わたしと会って、たまにこっそり花をくれたり――

「これは?」

「庭に咲いてた花。君に似てるなって思って」

「え……似てます、か?」

「うん。控えめだけど、芯が強いところとか」

 そんな言葉を、まっすぐ言える人なんて、今まで誰もいなかった。

 アレク様の笑顔を見るたび、わたしの心はほんの少しずつ、傷が癒されていった。

 

 だけど――その幸せな日々にも、影は差してくる。

 ルイス様と妹の噂が、街中でささやかれ始めていた。

「破産寸前らしいよ」
「令嬢だったはずなのに、今じゃ借金取りに追われてるって」

 その噂を聞いたとき、心がざわついた。

 もう終わったはずの過去が、また動き出すような――そんな予感がした。

 








 

 ある日の午後、わたしはいつものように教会の裏庭でハーブを摘んでいた。

 やさしい風が吹いて、ラベンダーの香りがふわりと広がる。
 子どもたちの笑い声が遠くで響いて、今日もいい一日だなって、心があたたかくなっていた。

 ――そのときだった。

「エレナ様。お手紙です」

 そう声をかけてきたのは、郵便局の使いの人だった。
 教会に手紙が届くなんてめずらしい。

 わたし宛の封筒には、見覚えのある筆跡があった。

 ……この文字、間違いない。ルイス様だ。

 手が、かすかに震えた。

 

◆◇◆

 

 部屋に戻って、そっと封を切った。

 中には、一枚の手紙だけが入っていた。
 すらすらと書かれた文字は、昔と変わらない。
 でも、そこに込められた気配は――なんだか、焦っているようにも感じた。

 

 《エレナへ。久しぶりだね。元気にしているかな?》

 ……元気にしているかな、って。
 そう書かれても、返す言葉が見つからなかった。

 《君と別れてから、いろいろなことがあった。思っていたようにはいかず、正直に言うと……少し困っている。》

 ……思っていたように、いかなかった?

 それはつまり、わたしを捨てて、妹を選んだことが間違いだったと――
 今さら、気づいたといこと?

 

 《君はいつも優しくて、気づかいができて、家のこともしっかりしていた。あのとき、僕はそれを当たり前だと思っていた。》

 ――当たり前?

 わたしがどれだけ、あなたに尽くしたか。
 どれだけ笑顔でいようと努力していたか。
 それを、あなたは「当たり前」だと思っていたの?

 手紙は続く。

 《もしも許してくれるなら、一度会って話がしたい。僕は、やり直したいと思っている。》

 ……やり直したい?

 心の奥が、ずしんと重くなる。
 わたしがどれだけ傷ついたか、ほんとうにわかってるの?

 この手紙を読みながら、自然と涙がこぼれていた。

 

◆◇◆

 

 夜、アレク様が教会に来てくれた。

 わたしは、いつものように笑おうとしたけれど。
 どうしても、少し顔がこわばってしまって。

「……何かあったのか?」

 アレク様のその一言に、わたしはつい、小さくうなずいた。

「今日……昔の婚約者から手紙が届いたんです」

「……そうか」

 アレク様の表情が、すこしだけ強張った気がした。

「“やり直したい”って、書いてありました。でも……もう、無理です」

「……当然だ。君がどれだけ傷ついたか、あの男はわかってない」

「ふふ、そうですね。なんだか、読んでる途中で笑っちゃいました。あんなに泣いた相手なのに。今は、ぜんぜん、心が動かなかったんです」

 アレク様は、そっとわたしの手を握ってくれた。

 その手は、あたたかくて。
 どこか、誓いのような力強さを感じた。

「俺は……君を傷つけたりしない。絶対に」

「……わかってます。アレク様は、やさしいから」

「やさしいだけじゃない。君を、幸せにしたいって思ってる」

 そう言って、まっすぐ見つめられて。
 わたしの胸は、あたたかくなって、でも苦しくて――涙が、ぽろりとこぼれた。

「うれしいです。……こんなふうに言ってもらえるなんて、思わなかったから」

 涙の理由は、悲しみなんかじゃない。
 救われた気持ちと、感謝と、そして――

 

 その夜、わたしは一通の返事を書くことにした。

 

 《ルイス様。お手紙、たしかに受け取りました。あなたと過ごした日々は、もう過去のことです。わたしには、もう振り返りたい思い出はありません。》

 《今のわたしには、大切な人がいます。あたたかくて、誠実で、わたしを見てくれる人です。》

 《どうか、あなたも前を向いて歩いてください。わたしは、もう戻りません。》

 

 ペンを置いたとき、ふと空を見上げた。

 夜空には、星がひとつきらりと光っていた。

「……ありがとう。さようなら」

 わたしの声は、夜風にまぎれて、小さく消えていった。

 





 わたしは、アレク様の隣を歩いていた。

 教会の裏庭を抜けた小道には、こっそり咲いている白い花がいくつもあって、どこか小さな妖精が隠れていそうな気がした。

「今日は、少し遠回りして帰ろうか」

 アレク様が、わたしにそう言ったとき――
 その声がやさしくて、心の奥がじんわりあたたかくなった。

「はい……遠回り、いいですね」

 その返事をしながら、気づかないふりをした。
 彼がそっと、わたしの手を取ってくれたことに。

 

◆◇◆

 

「……今日、手紙を出したのか?」

「はい。ルイス様への、お返事を」

「そうか……」

 アレク様は少しだけうつむいて、それから、ぽつりと呟いた。

「……正直に言うと、少しだけ……怖いんだ」

「え?」

「君が、昔の人に心を動かされてしまうんじゃないかって」

 ――そんなこと、あるわけないのに。

 わたしは、ぎゅっとアレク様の手を握り返した。

「アレク様」

「うん?」

「……もう、あの人のことなんて、なんとも思ってません。思い出すのは、自分が馬鹿だったなって……それだけです」

 アレク様の表情が、ふっとやわらかくなった。

「……なら、よかった。ほんとうに……よかった」

「……わたし、今がいちばん幸せです」

 その言葉は、少し照れくさかったけど。
 でも、心の底からの本音だった。

 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

絶縁状をお受け取りくださいませ旦那様。~離縁の果てに私を待っていたのは初恋の人に溺愛される幸せな異国ライフでした

松ノ木るな
恋愛
 アリンガム侯爵家夫人ルシールは離婚手続きが進むさなかの夜、これから世話になる留学先の知人に手紙をしたためていた。  もう書き終えるかという頃、扉をノックする音が聞こえる。その訪ね人は、薄暗い取引で長年侯爵家に出入りしていた、美しい男性であった。

甘い聖女様は今日も私に愛を囁く

無色
恋愛
 私との婚約を破棄しようとする王子様と、頭の軽そうな令嬢。  もしかして、知らないんですか?  聖女がいったい誰なのか

聖女の力を失ったと言われて王太子様から婚約破棄の上国外追放を命じられましたが、恐ろしい魔獣の国だと聞かされていた隣国で溺愛されています

綾森れん
恋愛
「力を失った聖女などいらない。お前との婚約は破棄する!」 代々、聖女が王太子と結婚してきた聖ラピースラ王国。 現在の聖女レイチェルの祈りが役に立たないから聖騎士たちが勝てないのだと責められ、レイチェルは国外追放を命じられてしまった。 聖堂を出ると王都の民衆に石を投げられる。 「お願い、やめて!」 レイチェルが懇願したとき不思議な光が彼女を取り巻き、レイチェルは転移魔法で隣国に移動してしまう。 恐ろしい魔獣の国だと聞かされていた隣国で、レイチェルはなぜか竜人の盟主から溺愛される。 (本作は小説家になろう様に掲載中の別作品『精霊王の末裔』と同一世界観ですが、200年前の物語なので未読でも一切問題ありません!)

望まない相手と一緒にいたくありませんので

毬禾
恋愛
どのような理由を付けられようとも私の心は変わらない。 一緒にいようが私の気持ちを変えることはできない。 私が一緒にいたいのはあなたではないのだから。

婚約破棄されて捨てられた私が、王子の隣で微笑むまで ~いえ、もうあなたは眼中にありません~

有賀冬馬
恋愛
「君には魅力がない。だから、婚約はなかったことに」 そう言って私を捨てたのは、騎士のエドガー。 私は町に出て、孤児院を支援する活動を始めました。 そのとき――私のがんばりに気づいてくれた人がいたの。 やさしくて、頼もしくて、国中の人から愛されている第二王子。 「君の笑顔が、世界で一番好きだよ」 一方で、セシリアを捨てた元婚約者は、公爵令嬢に貢がされ、借金地獄へ転落。 やがて、王子に愛されるセシリアと再会し――

幸せな花嫁たち

音爽(ネソウ)
恋愛
生真面目な姉と怠け者の妹はそれぞれに相応しい伴侶をみつける…… *起承転結の4話構成です。

婚約者に「愛することはない」と言われたその日にたまたま出会った隣国の皇帝から溺愛されることになります。~捨てる王あれば拾う王ありですわ。

松ノ木るな
恋愛
 純真無垢な侯爵令嬢レヴィーナは、国の次期王であるフィリベールと固い絆で結ばれる未来を夢みていた。しかし王太子はそのような意思を持つ彼女を生意気だと疎み、気まぐれに婚約破棄を言い渡す。  伴侶と寄り添う幸せな未来を諦めた彼女は悲観し、井戸に身を投げたのだった。  あの世だと思って辿りついた先は、小さな貴族の家の、こじんまりとした食堂。そこには呑めもしないのに酒を舐め、身分社会に恨み節を唱える美しい青年がいた。  どこの家の出の、どの立場とも知らぬふたりが、一目で恋に落ちたなら。  たまたま出会って離れていてもその存在を支えとする、そんなふたりが再会して結ばれる初恋ストーリーです。

虐げられたアンネマリーは逆転勝利する ~ 罪には罰を

柚屋志宇
恋愛
侯爵令嬢だったアンネマリーは、母の死後、後妻の命令で屋根裏部屋に押し込められ使用人より酷い生活をすることになった。 みすぼらしくなったアンネマリーは頼りにしていた婚約者クリストフに婚約破棄を宣言され、義妹イルザに婚約者までも奪われて絶望する。 虐げられ何もかも奪われたアンネマリーだが屋敷を脱出して立場を逆転させる。 ※小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。

処理中です...