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しおりを挟むあの日から、アレク様は、ほんとうによく教会に顔を出してくれるようになった。
「おはよう、エレナ嬢。今日の朝ごはんは、なんだ?」
なんて、まるで家族みたいに気軽に声をかけてくれて。
わたしは、どうしていいかわからず、いつも顔が真っ赤になってしまう。
「こ、子どもたちのために、スープを作っただけです。あ、でも味見はしてますので……!」
「ふふ。それは頼もしいな。俺も少しもらっていいか?」
「えっ……!? は、はいっ、もちろん!」
こんなふうに、自然と距離を縮めてくれる人なんて、今までいなかった。
◆◇◆
アレク様は、とてもやさしい人だった。
剣の腕はもちろん一流で、街でも知らない人はいないくらい有名なのに。
子どもたちの遊びにまじって泥だらけになったり、古着の修繕を手伝ってくれたり。
気がついたら、わたしの心は少しずつ、あたたかくなっていた。
ある日の午後。
わたしは教会の裏庭で、干していた洗濯物を取り込んでいた。
そのとき――ふいに、後ろから声がした。
「風、強くなってきたな。手伝おうか?」
振り返ると、そこにはアレク様がいた。
陽に透ける金の髪が、ふわりと揺れていた。
「あ、ありがとうございます。でも、大丈夫です。わたし、こういうの、慣れてますから……」
「そうか? でも、二人でやればもっと早いだろ?」
にこっと笑って、アレク様は洗濯物の端をそっと押さえてくれた。
その手が、あたたかくて。
胸の奥が、なんだか苦しくなる。
「……エレナ嬢」
「はい?」
「君は、よくがんばってるな。……笑顔も増えた気がする」
その言葉に、わたしの手がぴたりと止まった。
「え……そ、そうでしょうか?」
「うん。前よりも、目がやわらかくなった。……俺は、そんな君が好きだ」
好き。
その言葉が、まるで鐘の音みたいに胸に響いた。
わたしの心が、ぎゅっとなる。うれしくて、でも、怖くて。
「……アレク様。あの……わたし……」
口を開いたけど、うまく言葉にならなかった。
昔のことが、頭に浮かんでくる。
ルイス様に裏切られた日のこと。
妹の冷たい目。
「君より妹のほうが可愛いから」って、あの言葉。
……また、同じように裏切られたら、どうしよう。
そんなわたしの気持ちを、アレク様はわかっていたのかもしれない。
「無理に答えなくていい。……君の心が落ち着くまで、待つよ」
その声が、すごくやさしくて。
わたしは、胸がいっぱいになって、思わずうつむいた。
「……ありがとうございます」
「ふふ、変なこと言って、驚かせたな」
「い、いえっ……! あの……うれしかったです」
わたしの声は、小さな声だったけれど。
アレク様は、それをちゃんと聞き取って、笑ってくれた。
◆◇◆
それからの日々は、まるで夢みたいだった。
朝、アレク様が教会に顔を出して、
子どもたちと笑って、わたしと会って、たまにこっそり花をくれたり――
「これは?」
「庭に咲いてた花。君に似てるなって思って」
「え……似てます、か?」
「うん。控えめだけど、芯が強いところとか」
そんな言葉を、まっすぐ言える人なんて、今まで誰もいなかった。
アレク様の笑顔を見るたび、わたしの心はほんの少しずつ、傷が癒されていった。
だけど――その幸せな日々にも、影は差してくる。
ルイス様と妹の噂が、街中でささやかれ始めていた。
「破産寸前らしいよ」
「令嬢だったはずなのに、今じゃ借金取りに追われてるって」
その噂を聞いたとき、心がざわついた。
もう終わったはずの過去が、また動き出すような――そんな予感がした。
ある日の午後、わたしはいつものように教会の裏庭でハーブを摘んでいた。
やさしい風が吹いて、ラベンダーの香りがふわりと広がる。
子どもたちの笑い声が遠くで響いて、今日もいい一日だなって、心があたたかくなっていた。
――そのときだった。
「エレナ様。お手紙です」
そう声をかけてきたのは、郵便局の使いの人だった。
教会に手紙が届くなんてめずらしい。
わたし宛の封筒には、見覚えのある筆跡があった。
……この文字、間違いない。ルイス様だ。
手が、かすかに震えた。
◆◇◆
部屋に戻って、そっと封を切った。
中には、一枚の手紙だけが入っていた。
すらすらと書かれた文字は、昔と変わらない。
でも、そこに込められた気配は――なんだか、焦っているようにも感じた。
《エレナへ。久しぶりだね。元気にしているかな?》
……元気にしているかな、って。
そう書かれても、返す言葉が見つからなかった。
《君と別れてから、いろいろなことがあった。思っていたようにはいかず、正直に言うと……少し困っている。》
……思っていたように、いかなかった?
それはつまり、わたしを捨てて、妹を選んだことが間違いだったと――
今さら、気づいたといこと?
《君はいつも優しくて、気づかいができて、家のこともしっかりしていた。あのとき、僕はそれを当たり前だと思っていた。》
――当たり前?
わたしがどれだけ、あなたに尽くしたか。
どれだけ笑顔でいようと努力していたか。
それを、あなたは「当たり前」だと思っていたの?
手紙は続く。
《もしも許してくれるなら、一度会って話がしたい。僕は、やり直したいと思っている。》
……やり直したい?
心の奥が、ずしんと重くなる。
わたしがどれだけ傷ついたか、ほんとうにわかってるの?
この手紙を読みながら、自然と涙がこぼれていた。
◆◇◆
夜、アレク様が教会に来てくれた。
わたしは、いつものように笑おうとしたけれど。
どうしても、少し顔がこわばってしまって。
「……何かあったのか?」
アレク様のその一言に、わたしはつい、小さくうなずいた。
「今日……昔の婚約者から手紙が届いたんです」
「……そうか」
アレク様の表情が、すこしだけ強張った気がした。
「“やり直したい”って、書いてありました。でも……もう、無理です」
「……当然だ。君がどれだけ傷ついたか、あの男はわかってない」
「ふふ、そうですね。なんだか、読んでる途中で笑っちゃいました。あんなに泣いた相手なのに。今は、ぜんぜん、心が動かなかったんです」
アレク様は、そっとわたしの手を握ってくれた。
その手は、あたたかくて。
どこか、誓いのような力強さを感じた。
「俺は……君を傷つけたりしない。絶対に」
「……わかってます。アレク様は、やさしいから」
「やさしいだけじゃない。君を、幸せにしたいって思ってる」
そう言って、まっすぐ見つめられて。
わたしの胸は、あたたかくなって、でも苦しくて――涙が、ぽろりとこぼれた。
「うれしいです。……こんなふうに言ってもらえるなんて、思わなかったから」
涙の理由は、悲しみなんかじゃない。
救われた気持ちと、感謝と、そして――
その夜、わたしは一通の返事を書くことにした。
《ルイス様。お手紙、たしかに受け取りました。あなたと過ごした日々は、もう過去のことです。わたしには、もう振り返りたい思い出はありません。》
《今のわたしには、大切な人がいます。あたたかくて、誠実で、わたしを見てくれる人です。》
《どうか、あなたも前を向いて歩いてください。わたしは、もう戻りません。》
ペンを置いたとき、ふと空を見上げた。
夜空には、星がひとつきらりと光っていた。
「……ありがとう。さようなら」
わたしの声は、夜風にまぎれて、小さく消えていった。
わたしは、アレク様の隣を歩いていた。
教会の裏庭を抜けた小道には、こっそり咲いている白い花がいくつもあって、どこか小さな妖精が隠れていそうな気がした。
「今日は、少し遠回りして帰ろうか」
アレク様が、わたしにそう言ったとき――
その声がやさしくて、心の奥がじんわりあたたかくなった。
「はい……遠回り、いいですね」
その返事をしながら、気づかないふりをした。
彼がそっと、わたしの手を取ってくれたことに。
◆◇◆
「……今日、手紙を出したのか?」
「はい。ルイス様への、お返事を」
「そうか……」
アレク様は少しだけうつむいて、それから、ぽつりと呟いた。
「……正直に言うと、少しだけ……怖いんだ」
「え?」
「君が、昔の人に心を動かされてしまうんじゃないかって」
――そんなこと、あるわけないのに。
わたしは、ぎゅっとアレク様の手を握り返した。
「アレク様」
「うん?」
「……もう、あの人のことなんて、なんとも思ってません。思い出すのは、自分が馬鹿だったなって……それだけです」
アレク様の表情が、ふっとやわらかくなった。
「……なら、よかった。ほんとうに……よかった」
「……わたし、今がいちばん幸せです」
その言葉は、少し照れくさかったけど。
でも、心の底からの本音だった。
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